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現代アートから「企業倫理」への問いを得る

現代アートから「企業倫理」への問いを得る

November 19, 2025

八十雅世 masayo_yaso

情報技術開発株式会社 経営企画部・マネージャー 早稲田大学第一文学部美術史学専修卒、早稲田大学大学院経営管理研究科(Waseda Business School)にてMBA取得。技術調査部門や新規事業チーム、マーケティング・プロモーション企画職などを経て、現職。2024年4月より「シュレディンガーの水曜日」編集長を兼務。

ビジネスにおいて避けられない「倫理」

「企業倫理」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。倫理といえば、人間が社会生活を送る上で守るべき決まりごとや規範のことです。企業倫理は、その企業バージョンであり、企業が利益追求だけでなく、法令遵守を超えて社会全体の責任を果たし、信頼を得るための価値観や行動基準を指します。

以前の記事で取り上げたとおり、ビジネスは主に「経営戦略」「組織マネジメント」「マーケティング」「会計・ファイナンス」「データ分析」といった要素で構成されると考えられます(現代アートを道具としてビジネスシーンに活かす・前編)。それらが重要であることは間違いないのですが、さらにその根幹にあたるものが企業倫理であるといえるでしょう。私がビジネススクールに通っていた頃、企業倫理の授業で先生が「最近、アメリカのビジネススクールでは企業倫理が重要視されている。なぜならば、卒業生が逮捕されているからだ。」なんていっていました。それが真実なのか冗談なのか、今となっては知る由もありません。ただ、コンプライアンスが企業にとって重要な昨今、同時に企業倫理も避けては通れないものになっていることは事実でしょう。

特に革新的な技術は、社会実装にあたり倫理性を問われる機会が多いといえます。そのため、それを研究/活用する企業は、倫理への感度を高く持っておく必要があります。近年では、政策立案者や研究コミュニティにおいて、ELSI(Ethical, Legal and Social Issues: 倫理的・法的・社会的課題)に加え、RRI(Responsible Research and Innovation: 責任ある研究・イノベーション)の考え方や重要性が、あらためて認識されているといいます。ELSIは“科学技術を基点にして、それが社会との間で生じる倫理的・法的・社会的側面の把握・検討・対処を試みる考え方”である一方、RRIは“(目指すべき)社会像や価値(観)から逆算して、我々の社会が直面している壮大な課題に挑戦するための手段として科学技術・イノベーションを据え、それを効果的に推進するために倫理的・法的・社会的側面に関わる検討や実践を要請することや、科学技術の研究開発のあり方そのものをそうした社会像や価値(観)に合致した、より好ましいものへと変革、転換しつつ発展させていくことを主眼”としています(国立研究開発法人科学技術振興機構研究開発戦略センター「ELSIからRRIへの展開から考える科学技術・イノベーションの変革-政策・ファンディング・研究開発の横断的取り組みの強化に向けて-」)。例えば、急速に発展するAIに対して、国内では2019年に日本政府によって「人間中心のAI社会原則」が策定されました。AIは、人手不足という社会課題の解決に貢献するであろう革新的な技術ですが、ノールールで普及されると「誰かの権利を侵害する」といったネガティブな面も持ち合わせています。それを越えて、社会全体として恩恵を得るために、原則が作成されたのです。これはRRIの一例といえるでしょう。

現代アートが倫理的な気づきをくれる

この「倫理」を考えるにあたって、現代アートは示唆を与えてくれます。ただ、「これが正しい倫理だよ」という、わかりやすいハウツーは教えてもらえません。教えてもらえるのは「え、なんか気持ち悪いけど、それ倫理的にいいのだっけ?」「私はこんな倫理観を持って生きているのか」という「問い」と「気づき」です。

例えば、アーティストのスプツニ子!氏は、《Drone in Search for a Four-Leaf Clover》という、ゆっくり飛行するドローンによって撮影された、群生するクローバーを、AIがその場で解析し、四つ葉のクローバーを見つけ出していく映像作品を発表しています(「KOTARO NUKAGAでテクノロジーが描く「幸せな未来」を見つめ直す」)。幸せの象徴である「四つ葉のクローバー」を最新技術を駆使して効率的に探す行為が、本当に私たちにとって「幸せ」なのか、考えさせられる作品です。

また、長谷川愛氏の作品《シェアード・ベイビー/Shared Baby》では、倫理に関わる思考実験を重ねています(現代アートを道具としてビジネスシーンに活かす・前編)。もし読者の方で「遺伝的に複数の親をもつ」ことに違和感を覚える方がいらっしゃったら、その理由は何だと思いますか? 私の場合、多少驚きつつも「技術的に可能だったら家族の形としてはアリかな」と思います。一方で、当事者になったら「関係者が増えて育児分担が面倒になりそう…」なんて感じます。が、常日頃は「育児は大人の数が多い方が楽」なんてほぼ真逆のことを考えているので、私は「自分にとって都合のいい大人が増える分にはいいけど、複数名の調整ごとが面倒でイヤ」という心理なのでしょう。なんて自分本位! もしかしたら現状維持バイアスに囚われているだけかもしれませんが。

このように、倫理観、と打ち出したら仰々しいかもしれませんが、自分の価値観を見つめ直すきっかけを、現代アートは与えてくれます。

次回は美意識と現代アートについてお話ししたいと思います。

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