羽田書店昭和十六年刊の『グスコーブドリの傳記』は、函入り、硬い表紙の立派な書物ですが、装幀、挿画は横井弘三が担当しています。というより、この書物は、それ自体が横井弘三の作品と言っても過言ではないと思われます。
2025.04.07
映画「風立ちぬ」は、ひとりの少年がみている夢を描くことから始まる。青い空を飛び交う飛行機たち。ミサイルが発射されるが、それらは生き物のようにうごめく。まるで、海を泳ぎまわる魚たちのようだ。実際の兵器が街を破壊し、人々を傷つけ、殺していくことは片鱗も感じさせない。そこには牧歌的で楽しい夢の世界だけが広がっている。この兵器の描き方は、戦争の被害の矮小化につながるだろうか?
2025.04.04
最近、よく知らない人から「文章うまいですね」と言われる。 それはサッカー選手に「サッカー上手いですね」と言うようなものだ。僕は16歳の頃から商業誌で文章を書いてる。散々鍛えられたし、普通の人とは異なる訓練を積んできた […]
2025.04.03
メタファーはベクトルとして捉える必要がある。宮澤賢治の翻訳者でもあるユダヤ人作家ロジャー・パルバースは、かつて賢治の詩文の独自性は豊穣なメタファーにあると言い、メタファーとは「我々を遠く彼方へ運ぶ表現」とした。やはりベクトルなのである。
2025.04.01
古い考えを捨てる時期だということを、(私は認知症の専門家なので)認知症を例に話そう。認知症が老いを代表する状態であることに異論はあるまい。社会の関心もとても高い。しかし専門家の立場から見ると、多くのひとが誤解しているように思われる。
2025.03.27
オライリー・メディアのコンテンツ戦略担当バイスプレジデントを務めるマイク・ルキダスは、以前よりプログラミングの未来について文章を書いており、ワタシもそれをフォローしてきました。2019年5月には、プログラミング・ツールに関し、我々は未だ「パンチカード」を使っているようなものだと不満を表明した上で、「配管工」にたとえられる「ブルーカラー」のプログラマーにとってのプログラミングが、もっと視覚的なものになるべきと論じていますが、その背景には人工知能のコード作成機能がそうしたグラフィカル化を実現してくれるのではという期待がありました。
2025.03.26
モノを基盤とした表現は、必ず経年劣化の影響を受ける。しかし、こうした変化を単に劣化ととらえるのか、それとも作品が経由する必然的な過程として肯定的に評価するかは、論じる者の思想的、哲学的な立場と直結している。そして新興テクノロジーを多用する現代アートのかなりの部分は、こうした側面についてかなり無防御だという印象が否めないのである。
2025.03.24
世俗の雑事や巷間の騒擾から、ふと一時的に逃れたとき、あるいは夜が白む頃合いの瞑想のひととき、心おきなく友と書物を語らうとき、須臾の間の仕合わせを感じるとき。それを王者と呼ぶまでもなく、ひそやかに得心すること。これが私にとっての、知ることの意味である。
2025.03.21
学習のかなりの部分は模倣から成り立っているというのも事実である。しかし、多くの分野では我々は未知の領域に突入しており、自らやってみなければ解決しない分野も増えつつある。実験をベースにした学習を推進するには、それを可能にする空間がどのように可能になるのか、横断的に研究するという視座が必要になってくるのである。
2025.03.19
宮崎の倫理は、機械の製作に対しても当てはまる。人間は機械を自分の役に立てるという利己的な欲望によって生産する。それにもかかわらず、人間は機械に美しさや愛着を感じ、大事にしようとする。
2025.03.18