5月22日、東京スカイツリー開業と同時にサービスを開始するまち歩き観光アプリ「下町そら散歩」(関連記事)。ベースとなる多言語対応のまち歩き観光アプリ「おもてナビ」は、ARを活用したユニークなナビゲーションプラットフォームである。「おもてナビ」をプロデュースした、株式会社うぶすな取締役 丸田 一氏に、まち歩きとARについて話を聞いた。
丸田 一(まるた・はじめ)
1960年、さいたま市生まれ。UFJ総研主席研究員、国際大学GLOCOM教授・副所長などを経て、現在、研究評論活動、コンサルティング活動を行う。丸田一事務所代表、エポネット株式会社取締役社長、株式会社うぶすな取締役、放送大学非常勤講師。著書に、『場所論』(NTT出版)、『ウェブが創る新しい郷土』(講談社現代新書) 、『地域情報化の最前線』(岩波書店)など多数。
丸田氏が「おもてナビ」の原型となるコンセプトを思いついたのは2006年、国際大学GLOCOMの研究員として地域情報化研究室にいた頃だ。2008年に出版した著書「場所論」(NTT出版)にその萌芽はある。その鍵となるコンセプトは"モノは語る"というものだ。
「セカイカメラよりも早く、看板はなくなるだろうという世界を予見しました。あらゆるものが情報を持っており、ウェブの検索結果画面をレイヤーとして現実世界に重ね合わせることで、情報を置くという発想。この重ね合わせの空間を、アプリで表現したかった」(丸田氏)。
あたためていた構想を最初に具体化したのは、2008年、信州・長野市松代町でのことだった。1966年に長野市と合併してその一地区となった松代町は、真田十万石の歴史ある町であり、長野市中心部からは離れているため、街並みにも歴史が残っている。そして、この街では、リタイヤしたシニアの人達が中心となって、観光客に街を案内する「まち歩きガイド」の制度があった。
松代町は丸田氏の父方の出身地であり、幼い頃からなじみのある街だった。ところが、よく知っていると思っていた街が、ガイドと一緒に歩くと全く違って見えたことに衝撃を受ける。「ガイドの情報を現実空間に重ね合わせることで、まち歩きの体験が変わるのではないか」という思いつきが、「おもてナビ」のコンセプトにつながった。
長野県の地元ソフトウェア会社と一緒に松代町のまち歩きガイドのプロトタイプを構築した後、「おもてナビ」の開発は、丸田氏がアイデアを出し、テクマトリックス株式会社が開発支援を行う体制で進められることになった。実証実験として、うぶすな株式会社の代表取締役、吉井靖氏が観光アドバイザーをつとめる秋田市で、「おもてナビ」をプラットフォームにした秋田市の観光ナビアプリを開発。2011年4月から、日・英・中・韓4カ国語対応のガイドアプリが提供されている。
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「おもてナビ」の案内表示には3つのモードがある。一つめは、地図画面による案内で、ルート全体とアイコンによる観光スポットの表示。次に、歩きながらカメラをかざした時に、エアタグでスポットを表示し、矢印で進む方向をガイドするARカメラ表示。そして、それぞれのスポットの詳細なガイドを表示する、詳細情報表示である。
▼ルートマップ・AR・詳細情報の3つの案内表示(画面は「下町そら散歩」)
スマートフォンのGPSを利用することで、音声ガイドも実現できる。緯度・経度と詳細情報をデータベース上でひもづけておき、GPSで現在位置を特定して、音声を再生すればよいのだ。大森山動物園をはじめ秋田市では、音声ガイド機能を利用したコースガイドアプリを既に提供している。
「観光ナビで大切なのは、"所用時間"です」と丸田氏は語る。旅先での行動を考える時、制約条件となるのは時間であることは、自分自身が旅行に出かけた時のことを考えるとたしかにうなずける。おもてナビでは、所要時間と、スタート地点などの条件を入力することで、複数のコースを推薦する。
独特なのが、出発地(旅の前)と到着地(現地)では必要な情報が異なるはず、という「発着地メディア」というコンセプトだ。発地で出発前に計画を立てている時には、観光ガイドブックのように、なるべく詳細で密度の高い情報がある方が望ましい。しかし、現地を歩いている時には、それよりも歩きながら「次にどの角を曲がればいいのかが分かる」こと、「何かがあることに気付いて立ち寄るきっかけになる」ことの方がより重要だ。そのためのインターフェイスとして、「歩きながら見える現実とウェブ空間を重ね合わせる」ARという技法が有効なのだ。
「スマートフォンだから、ウェブだから何でも表示するのではなく、たくさんの情報をバックに抱えていても、あえて少ししか表示しないことが、着地メディアでは重要」(丸田氏)という考え方で、同じデータベースを異なる角度から活用する。
▼「下町そら散歩」のトップ画面。白い丸が出発前に参照する情報、赤い丸が現地を歩いている時に参照する情報であることを、視覚的に区別して表現している。
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「下町そら散歩」開発のきっかけとなったのは、2011年夏、うぶすなが「おもてナビ」をベースにした"すみだストリートジャズフェスティバル公式アプリ"を提供したことだった。
すみだストリートジャズフェスティバルは、墨田区内に30カ所以上のステージを作って、ジャズバンドがそこかしこでライブを繰り広げるお祭りだ。週末の2日間で350バンド以上が出場する、街を歩いているとそこかしこでさまざまな音楽に出会える祭りだが、その性質ゆえに「誰がいつ演奏しているのか分からない」「そもそもどこにステージがあるのか分からない」という課題があった。
すみだストリートジャズフェスティバル公式アプリでは、「おもてナビ」のAR機能を使ってステージの場所を表示し、詳細情報でスケジュール、バンド紹介、プロモーション映像などを提供した。土曜日と日曜日でステージの位置も出演するバンドも違うので、時間帯によってステージ位置のAR表示を切替える、時間限定機能も実装した。「時間によってコンテンツを切替えるのは、同種のナビアプリにはまだ無い機能です。時間限定の観光コンテンツといえば、例えば朝市専用のナビアプリに応用できます」と丸田氏は語る。
その後、うぶすなは墨田区で開催された「第9回全国路地サミット」の公式アプリを提供。墨田区ではその後も、路地サミットの公式アプリを使って、全国の自治体向けにIT視察ツアーとしておもてナビの体験ツアーを開催している。こうした縁で、東京スカイツリーの地元である墨田区、台東区の協力を得て、まち歩き観光アプリ「下町そら散歩」が誕生した。
「今昔散歩」の地図を組み合わせたのは、下町の「歴史散歩」をより楽しんでもらうためだという。「今昔散歩の古地図は、不揃いな縮尺を現在の街区に合わせて補正するなど、大変な手間をかけて作られています。この優れたコンテンツを、歴史好きな層以外の多くの人々に楽しんでもらうためには、まち歩きを支援する機能が必要。その点で、おもてナビと今昔散歩は相互補完的な関係を持っており、コラボを決めました」(丸田氏)
▼江戸時代の古地図とルートマップを重ね合わせてみた例。ルートの一部は、江戸時代にはまだ海だったことが分かる。
リリース当初は1000カ所以上のスポットの詳細案内のコンテンツと、20のルートを用意する。データベースの管理はブラウザから行う仕組みになっており、コンテンツやルートの追加を随時行える。「秋田では、FM秋田とのコラボレーションで、リスナーのとっておきまち歩きコースを紹介してもらい、おもてナビに実装する取り組みもしています。下町そら散歩でも、同様の企画は考えています」と丸田氏は語る。
また今後は、外国人対応にも注力していきたいとする。日本人観光客に比べると外国人観光客はお金を使ってくれるので、地域振興という観点では対応が重要だ。しかし、看板の多国語対応には時間も費用もかかる。ARで対応することで、大幅に時間とコストの削減が期待できる。
墨田区、台東区は、外国人のバックパッカーが利用する格安の宿が多いエリアでもある。そこからの観光ルートを追加したり、特別協賛会社のブラステルが提供する格安国際通話サービスが利用できる場所を地域情報として追加するなど、外国人のニーズにあったサービスを提供していく。
現在は英語だけの対応だが、来年以降他の言語にも対応していく。「具体的にどの言語から対応するかは、まだ検討中だが、もしかするとサンバカーニバルなどで浅草と縁の深いポルトガル語になるかもしれません」(丸田氏)とのことだ。
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「おもてナビ」の基本機能は「レイヤー」の活用にある。このコンセプトを活かして、丸田氏が現在進めているプロジェクトを2つ紹介しよう。
■緊急時お助けナビ
現在提供されている緊急地震速報のシステムは、大きな揺れが来ることを知らせるだけで、その後どこに逃げれば良いのかまでは知らせてくれない。「避難」を支援するためのアプリが、「緊急時お助けナビ」である。
地震発生時には、緊急地震速報を数秒間表示する。その後、周辺情報と最寄りの避難所までのルートを案内する。このシステムの大きな特徴は、「地震発生後、携帯電話が不通になってもルート案内ができる」ことだ。実際に地震が発生した直後、携帯電話の通信は直後の短時間なら可能なことが、東日本大震災時の例から分かっている。これを利用して、緊急地震速報情報を表示している数秒以内に避難施設情報と近隣の地図情報をダウンロードする。ダウンロード終了後は、位置情報はGPSで表示し、誘導はジャイロとコンパスのみで行うのだ。
元になっているのは、オープンソースで公開されている登山アプリ。山岳地帯では周囲に建物などがないため、GPSは精度良く使えるが、携帯電話の基地局がないので電波がない。そのような場所でも地図上で自分の場所を確認するためのアプリを山を楽しむ人達が開発しており、この機能を利用している。平常時には「おもてナビ」の機能を使って観光案内、緊急時には避難誘導用のナビに早がわりというわけだ。
現在、東日本大震災で被災したエリアの自治体が関心を示しており、B2Gのプロダクトとして展開する予定だ。
■移動制約者向け観光ナビゲーション
「下町そら散歩」では、時代の異なる地図を重ね合わせたナビゲーションを提供しているが、現在という同じ時間の中でも、移動に全く異なる地図を参照している人達がいる。視覚障がい、聴覚障がい、車いす利用など、移動に制約のある人達だ。例えば、健常者であればなんの障害にもならない高さ5センチの段差でも、車いすにとっては「通行不可能な障害物」となる。
「現在は健常者志向のサービスが多いが、障がい者向けサービスや安心・安全サービスの視点を組み合わせることが、ARや位置情報サービスの一つの節目になるのではないか」と丸田氏は考えている。現実にレイヤーを重ねることで、必要に応じてあらゆる「モノ」が持つ情報が目の前に現れる新しいまち歩きは、さまざまな可能性を秘めている。
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登録はこちらWirelessWire News編集委員。独立系SIerにてシステムコンサルティングに従事した後、1995年から情報通信分野を中心にフリーで執筆活動を行う。2010年4月から2017年9月までWirelessWire News編集長。「人と組織と社会の関係を創造的に破壊し、再構築する」ヒト・モノ・コトをつなぐために、自身のメディアOrgannova (https://organnova.jp)を立ち上げる。