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ソーシャルネットワークの黄昏、Web 2.0の振り返り、そして壊れたテック/コンテンツ文化のサイクル

2022.08.21

Updated by yomoyomo on August 21, 2022, 20:05 pm JST

BSプレミアムで放送された「世界サブカルチャー史 欲望の系譜」の2010年代編「アメリカ 分断の2010s」において、作家のカート・アンダーセンが、映画『ソーシャル・ネットワーク』が作られた頃、マーク・ザッカーバーグは「軽蔑」されてはいなかった、とコメントしていて思わず笑ってしまいましたし、その後に少し考え込んでしまいました。

『ソーシャル・ネットワーク』でのマーク・ザッカーバーグは、お世辞にも好感の持てる人物ではありませんが、それはテクノロジーにほぼ興味がなく、仲間内の特権意識、嫉妬、裏切りといった人間ドラマを描きたかったアーロン・ソーキンの脚本で悪役が割り当てられたためとも言えます。ローレンス・レッシグも映画公開当時、ハリウッドはシリコンバレーの創造性を取り違えていると批判し、「ザッカーバーグは我々の時代の正当なヒーローだ。私は自分の子供たちにも彼を賞賛して欲しいと思う」とまで書いています。

「アメリカ 分断の2010s」でも、カート・アンダーセンのコメントの後には、アラブの春やウォール街占拠デモにおいて、Facebookなどのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)が一定の役割を果たしたことが語られており、2010年代はじめには、SNSは人々をつなげることで個人に力を与え、社会を良くするツールと素直に見る向きは多かったのです。

その後、番組では(やはり映画で悪役として描かれた)Facebookの初代社長ショーン・パーカーの、SNSは「人間の脆弱性」につけこんだという発言が引き合いにされますが、ケンブリッジ・アナリティカのスキャンダルが告発により明るみになった後は、Facebookは人々の感情を支配し行動を操り民主主義を操る人々を分断するメディアにして監視資本主義の親玉とまで言われるようになります(レッシグは今も子供たちにザッカーバーグへの賞賛を望むでしょうか?)。

昨年、Facebookが社名をMetaに変更したのは、もちろんメタバースの会社に変えていくという意思表示には違いありませんが、Facebookというブランドイメージの失墜の影響を無視はできません。

この10年近く定期的に見てきた覚えがある、若者のFacebook離れについての最新報告が最近も話題になりましたが、友達とのつながりよりも利用者が好みそうな動画が優先される機能変更、早い話が「TikTok化」も、そうした状況の打開を目論んでのことでしょう。

思えば、Facebookはその歴史の中で、競合他社の機能を何度も露骨に取り入れてきました。Twitterのリアルタイム性を明確に手本にして寄せてきた時期もありますし、5年ほど前にはストーリーズ機能の導入がSnapChat潰しとも言われました。Instagramのように買収により「取り込んだ」サービスもあります。

ただ、今回の「TikTok化」が過去の模倣と異なるのは、スコット・ローゼンバーグが「ソーシャルネットワークの黄昏」で指摘するように、Facebookが培ったソーシャルグラフを基本とする「つながり」よりも、世界中の見知らぬ人の好みからアルゴリズムによって抽出された動画を優先するという方針転換は、サービスの存在意義の根幹にかかわる、「Friendsterが2003年に登場して以来、インターネットのこの20年の成長を形作ってきたソーシャルネットワーキング時代の終焉」と言えるものだからです。

Facebookの創業は2004年のはじめなので、ローゼンバーグが言う20年のかなりの期間をトップランナーとして担ってきました。この2004年は最初のWeb 2.0 Conferenceが開催された年でもあり、実際Facebookは後に「Web 2.0」の代表選手と見られるようになります。

しかし、この言葉の主唱者ティム・オライリーが2005年秋に公開した「Web 2.0とは何か」の中にFacebookの名前は出てきません。というか、この文章の中で狭義のSNSに分類されるサービス自体ほとんど出てきません。この文章の公開時点で、例えばTwitterがサービス開始していないというのもありますが、ティム・オライリーは当時主流だった招待制SNSを「プラットフォームとしてのウェブ」の範疇とは見ていなかったのかもしれません。

「Web 2.0」という言葉が真に界隈でもてはやされたのは2004年から2007年ぐらいまでだと思いますが(ポール・グレアムは2006年夏時点で、「『Web 2.0』の信憑性も今や怪しいものです。私の知っている人でこの言葉を真面目に使っている人なんてほとんどいません」と証言しています)、今「Web 2.0」という言葉を持ち出す場合、FacebookやTwitterに代表されるSNSがその代表的なサービスとして挙がると思います。そのような「ズレ」は、近年になってWeb3のコンセプトを説明する際に比較対象として語られる「Web 2.0」が、GAFAに代表されるプラットフォーマー(和製英語)に支配された中央集権的なものとして表現されることにも感じます。

ティム・オライリーが構想したWeb 2.0は、多数のプレイヤーがAPIを介して緩やかにつながる分散プラットフォームとしてのウェブであり、独占的であったり中央集権的なものではありませんでした。それは例えば、ポール・グレアムは2007年時点で、「『Web 2.0』と言われる理由の一つに、意識しているかどうかに関わらず、この独占時代がようやく終わるかもしれないという感覚にまつわる幸福感の空気がある」と、ゼロ年代前半までパーソナルコンピュータ分野の独占企業だったマイクロソフトを指して書いていることからも伝わるかと思います。

オライリー社主催のWeb 2.0 Conference、Web 2.0 Summit、そしてWeb 2.0 Expoといったこの言葉を冠したイベントは、2011年を最後に、つまり10年以上前から開催されていません。なのに、なんとなく「Web 2.0」という言葉だけが棚上げされたまま、それが目指したものとは明らかに異なる方向性に進んだなれの果てが現在のウェブとも言えます。かのティム・オライリーが、「シリコンバレーが問題を解決するなんて片腹痛い。お前らはむしろ『問題』の側だろ」と吐き捨て、「シリコンバレーの終焉」を論じたのも象徴的です。

そうした意味で、今一度、Web 2.0の変節についての分析が必要とも思うのですが、一つ参考になる文章を紹介したいと思います。

それは、ベテランブロガー、起業家、そして現在はGlitch(ジョエル・スポルスキーが起業したFog Creek Softwareの現在の名前)のCEOとして知られるアニール・ダッシュが今年2月に公開した「かくも壊れたテック/コンテンツ文化のサイクル」です。

これについては作家のコリイ・ドクトロウが、「すべての行が完璧すぎて、とても要約できないので全文転載したくなる」とまで賞賛していますので、ダッシュが書く24の段階すべてを以下に紹介したいと思います(が、長さの関係などの要因により純粋な翻訳ではなく、要約になります)。

1. 文化創造を中心的価値に据えながら、テクノロジー・プラットフォームにすぎないと自認するプラットフォームを構築。あらゆる局面で、自分たちは単なる「中立的な」テック企業と言い張る。ただし、創造性と表現行為こそ重要という表向きの宣伝の場だけは例外。

ネット企業は場を提供するだけで価値中立だというプラットフォーム観は、かつてニコラス・カーも批判していますが、FacebookやTwitterといったSNS企業がそう言い張り突っ張った背景に、ネット企業を免責する通信品位法230条があるのは間違いありません。しかし、ならば通信品位法230条をなくせばよいという単純な話ではないのです。

2. 成長目標だけを見返りとするチームを雇用し、サービスの拡大やユーザ獲得よりもクリエイターや文化を尊重する人は排除。

3. 成長という第一目的は達成するが、プラットフォームでどんなコンテンツや規範が作られ、共有されるかにはほぼ無関心。

文化創造なんてお題目だけで、グロースハックによるユーザー獲得こそが初手から一義になっているというわけですね。

4. プラットフォームにつきものの初期のトラブルメーカーや有害なコンテンツに気付くと、組織で最もリソースが足りていない、非主流のチームに押し付ける。そのチームのリーダーが将来の害を防ぐ構造改革を提案しても退け、成長だけに注力してきた人にリーダーをすげ替える。

5. コミュニティで憎悪や搾取が発生しても、モデレーションやプラットフォームに安全を構築する試みは不完全で一貫性がなく、後手後手。その結果、プラットフォーム上でクリエイターとして得をするのはトラブルメーカーだけになる。

初期のトラブルメーカーや有害コンテンツへの対応を間違うとあとで苦労するというのは、身近なところではYahoo!ニュースのコメント欄、通称「ヤフコメ」の長きにわたる惨状を見ても分かるように思います。

6. 初期の成功と文化的信頼性に欠かせなかったが主流から外れたクリエイターが、ひっきりなしの嫌がらせやプラットフォームの気まぐれな変更で弱体化するのにうんざりし、燃え尽きる。しかし、それを知ってもまったく無反省。

過去に日本の代表的「Web 2.0」企業などともてはやされたところから著名なユーザーが離れていく様を連想させます。

7. プラットフォームのコンテンツの行き過ぎたマネタイズ期に突入。無許可コンテンツが大量に存在するのに気付いてうろたえる。数少ないオリジナルのコンテンツ制作者の所有権やマネタイズの支配権を主張し、一握りのメジャーなコンテンツ保有者との取引で対応。

ネット企業が唐突に利用規約を変更し、サービス利用者が作成したコンテンツの所有権を図々しく主張して炎上、というのも昔から何度も繰り返されていますが、その背景は実際こんなところなのかもしれません。

8. オーディエンスが「優れたコンテンツと出会う」アルゴリズムを構築。結果、富めるものがより富むことになり、新しいクリエイターは足場を築くのが不可能に。そのアルゴリズムを再検討する唯一のプロセスは、コンテンツを審判を操作しようとする右派のゴロツキからの悪意のある議論に仕立てる。その後は、そのアルゴリズムを、ビジネス上の決定というより、神聖で批判を許さない神として扱う。

信頼に値するか分からないアルゴリズムを神聖視するのは危険なはずなのに、それを批判すると「イヤなら出ていけ」式の批判を受けるのも、何度も見てきた光景です。

9. プラットフォーム上のオリジナルのコンテンツへの依存度が高まるにつれ、著名なクリエイターや、他のプラットフォームから引き抜きたい才能を意識。新たな才能を絶えず育成するよりも、競合との買収合戦を始め、コンテンツの品質や持続可能性をなんら考慮することなく一握りのスーパースターを獲得するために価格を吊り上げ。広告や企業イメージをこれらの少数の有名クリエイターに集中させて依存度を高め、それ以外のクリエイターが成功するのに不可欠なリソースが欠乏。

ニュースレター・プラットフォームSubstackによる引き抜き話あたりがモデルと思われます。

10. 出版、映画、音楽産業で過去に行われた最も虐待的で搾取的なやり口を、このプラットフォームはクリエイターに良い取引を提供していると言い訳しながら再現する。

これはやはりSpotifyに対する当てこすりでしょうか。いや、Amazonかもしれませんし、モバイル分野のペイメントを握るAppleやGoogleかもしれませんが。

11. 従業員はプラットフォームが文化や社会に良いことをしていると言わなくなるので、(特に主流から外れた)従業員の間で不満が高まっているのに気付く。そこで従業員の声ではなく、ミレニアル世代が尊大すぎるのが問題なのだから無視すべしと主張するベンチャーキャピタルや右派評論家の声に耳を傾ける。

「右派」という言葉が出てくるのは二度目で、ダッシュの党派性がちょっと鼻につきますが、「あいつら偉そう」と世代まるごと敵意を向けるやり口はアメリカでもあるんですね。ワタシがこれを読んで連想したのはGoogleだったりしますが、かつてアーロン・スワーツに「従業員を子供扱いしてつなぎとめている」と皮肉られたのが今となっては懐かしくもあります。

12. そのプラットフォームのコンテンツが殺人を誘発したと報道され、取締役会が開かれる。「実に優れた危機管理チーム」を紹介してもらい、プレスリリースを出すとともに、役員の配偶者がこの問題に対処すべく立ち上げた組織に小切手を切る。皆がひどく後悔する対話集会を一度だけ開催。

「役員の配偶者(中略)に小切手」や「皆がひどく後悔する対話集会」のくだりがやけに生々しいのですが、具体的なモデルがいるのでしょうか?

13. 暴力を誘発するコンテンツのクリエイターを引き留めるために今以上の額の小切手を切り、プラットフォームで独占的に扱えるようにする。

どうしても人気ポッドキャスト司会者のジョー・ローガンと1億ドルものの独占配信契約を結んだSpotifyを連想します。

14. マスコミや従業員には、この文化的後退がすべて「成長痛」だと語る。ある程度大きなプラットフォームになれば、殺人を誘発したり、ファシズムが入り込むのもある程度は避けられないと主張。

やはりFacebookを連想してしまいますが、マーク・ザッカーバーグはそこまでひどいことを言っていないはずで、Redditなどに対する当てこすりかもしれません。

15. 正真正銘不愉快なコンテンツがプラットフォーム上で拡散しているという情報を耳にする。信頼・安全チームの予算をグロースチームと同じく5%増やして対応。エグゼクティブコーチにほめてもらう。

さて、この「エグゼクティブコーチ」にもモデルがいるのでしょうか?

16. 深く感情移入できるコンテンツこそプラットフォームのエンゲージメントを大幅に向上させるとグロースチームに報告させる。その感情の良し悪し、成長が倫理的で責任あるものかについては少しも考えない。

サービスの成長第一でその倫理性を考慮しない姿勢が執拗に糾弾されます。スティーヴン・レヴィが書くように、有害な言論を取り締まるよりも成長を優先した結果、そのプラットフォームに害悪と嘘がはびこるなら、責任は免れないでしょう。

17. 遂には、害を目の当たりにし、それを防ぐ行動ができなかったことで、眠れないほど悩む勇気ある元従業員により公の場に呼び出しをくらう。一瞬だけかすかな責任を感じるが、害に対するいかなる形の説明責任もキャンセルカルチャーであり、責任を反省する意思表示をしたら、文化戦争で投資家や仲間を敵に回すことになるぞ、と取締役や首脳陣からくぎを刺される。

どうしても、Facebookの内部告発者フランシス・ホーゲンが証言した上院公聴会が想起されます。

18. プラットフォームで最もダメな主張に資金を倍賭けする。それを「言論の自由」と呼ぶことで、それよりプラットフォームを信頼に足るものにした初期の非主流のクリエイターを守るべきという声が内部から出るのを封じる。

19. コンテンツを増幅し、資金援助していることを指摘する人たちに対する「逆ポリコレ棒」として「言論の自由」という言葉を誤用しているのに、それを疑うことはない。単にすべての人にプラットフォームを提供するのと、自分がコントロールするコンテンツを促進、支援する編集上の決定を下すことの違いについて、客観的に正直になるのを断固として拒否。

20. プラットフォーム上のトラブルメーカーは、自分たちのコンテンツに頼っているのにとつけあがり、ますます過激で有害化。

「言論の自由」の身勝手な武器化が糾弾されていますが、4chanあたりの掲示板カルチャーを意識しているのかもしれません。

21. クリエイターがプラットフォーム上で稼げる収入からの分け前をさらに増やして、少しだけ手綱を締める。アルゴリズム、決済システム、広告インフラを自社が有利なように不正に操作し、クリエイターが不満を持つほどより悪い状況になるよう調整し続ける。

広告インフラを握るGoogleをどうしても連想します。

22. 組織内外で批判が強まると、誠実に対応することなしに、組織内の反対者は追い出したり圧力をかける。外部の批判者は過激派であるとか、競合他社から資金提供を受けた陰謀の一部呼ばわりする。これには、プラットフォーム上のコンテンツに起因する被害者の遺族も含まれる。

「被害者の遺族も含まれる」というのが実に生々しく、ゾッとさせられます。

23. しまいには世論が説明責任を果たす最後の手段として規制を要求するまで倍賭け、三倍賭けを続け、今や過剰な成長により複占仲間を除けば、その分野の競争相手を撲滅するところまでくる。規制を弱体化すべくロビー活動で複占仲間と手を組む。アルゴリズムがそのクソなコンテンツを不当に増幅しないことこそが「真の問題」だと嘘をつき、そう装う規制当局に肩入れする。

まさにGAFAがやっていることですね。リナ・カーンやティム・ウーがバイデン政権入りし、ビッグテックにどんな規制がかけられるか期待されましたが、ロシアによるウクライナ侵攻やそれに続くインフレ問題などがあって、それどころではないと頓挫しかけているのは残念な話です。

24. しまいには、想像を絶する大金持ちになっても、巨大なコンテンツ・プラットフォームを運営するのは苦労が多すぎると完全に被害者面。批判するヤツは皆、妬んでいるだけで、イノベーションが嫌いなんだ、と耳元でささやく悪魔の声に耳を貸す。ヨットを買うといい。おっと、そのヨットの上では、コンテンツなんぞで消耗しちゃいけない。どのみち、そんなクズには元からまったく興味はなかったのだ。

少し前に、Facebookが大手メディアと結んでいた年間数千万ドル規模の契約を更新しない方針を示したことが、ニュースメディアを見限ったと話題になりました。前述の「TikTok化」もそうですが、言論の自由や報道の自由とプラットフォーム上の健全性のバランスで苦労した挙句、民主主義の敵とまで目されるようになったことに嫌気がさし、社会に背を向けたようなイメージを持ってしまったのですが、これはケンブリッジ・アナリティカのスキャンダルを受けた集団訴訟のため、マーク・ザッカーバーグが最長6時間もの尋問を受けるという話になりました。

ここまで、Facebookに対して批判的な意見を多く紹介しましたが、マーク・ザッカーバーグという人が偉いのは、これだけ袋叩きに近い扱いを受けても(目から光が消えても)被害者面を見せないところです。それに彼はヨットは買っていません

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yomoyomo

雑文書き/翻訳者。1973年生まれ。著書に『情報共有の未来』(達人出版会)、訳書に『デジタル音楽の行方』(翔泳社)、『Wiki Way』(ソフトバンク クリエイティブ)、『ウェブログ・ハンドブック』(毎日コミュニケーションズ)がある。ネットを中心にコラムから翻訳まで横断的に執筆活動を続ける。