筆者はよく「子供たちへのプログラミング教育に熱心ですね。お子さんが好きなんですね」と誤解されることが多い。
実際には基本的に子供は苦手だ。直接子供と話をするとあたまがクラクラするし疲れる。子供の相手はできるだけAIにやってもらいたいと考えている。
なぜ子供向けのプログラミング教育にエネルギーを割いているのかと言うと、それが人類の未来に直接的に関与する唯一の方法だからだ。
筆者は自分の人生に興味がない。自分はもうやりたいことはやった。これから先もやりたいことをやり続けていくつもりだが、その「やりたいこと」のうち最大のものが、「人類の未来の設計」なのだ。
人類の未来に関与しないことなどどうでもいい。
贅沢な食事をとることも、高価なワインを開けることも、さほど興味を惹きはしない。自家用機も、高級車も筆者の人生には必要ない。
三食食べられればそれでいい。
いや、二食でもいい。
AIでなんでもできるようになると、さらにその思いが強まってくる。
もはや自分は若い人々のように情熱を持ってAIを使いこなすことはできないだろう。
これまでの人生で、やりたいことは全部やってきたのだ。
以前、スタートアップの社長をやっていたときに、「欲しいものは仕事に必要な道具以外は特にない」と言ったら、投資家から怒られたことがあった。
「もっと欲を持ってくれないと。高級車とか自家用ジェットとか欲しがってくれないと」
まあ半分冗談だと思うが、「金持ちになりたい」という理由で会社を作るとしたら、きっとそれは正しい考え方なのかもしれない。
人生の目的について考える時、まず最初に、衣食住が満たされる必要がある。
子供の頃、自分は食っていけるのだろうかという不安はあまりなかったが、「最悪、どこまで好きなことに集中できる時間を確保できるか」ということばかり考えていた。
中学生の頃、僕がイメージした自分の平凡な未来は、地元のスーパーマーケットあたりに就職して、倉庫整理の仕事なんかをしたあと、家に帰って一人でテレビを見て、夜中に趣味のプラモデル作りなんかをする生活だった。
それはそれで幸せそうな未来だし、自分はそれでいいと思っていた。
反対に、最大限成功した自分は、どのような生活をしているか、その頃想像してもいた。それは、毎朝、人工知能を搭載した車で、人工知能と研究について雑談しながら、川縁にある自分の研究所にでかけていき、一日中研究に没頭して毎日何かを作るという生活だった。
今振り返ると、その夢はほぼ完全に実現している。
唯一の違いは自動運転車だが、それももうすぐ実現するかもしれない。
車を運転しながらChatGPTと会話して研究してるというのも実現している。
そう考えると、巨額の資本金を集めてそれを「使え使え」と追い立てていく、今の資本主義の構造は非常に非研究的だ。
もしもお金がなければAIが作れなかったとしたら、ジェフリー・ヒントンは90年代のうちにとっくに諦めていて、ディープラーニングに発展することはなかっただろう。
むしろ、ヒントンはお金がなかったから、安いGPUに目をつけ、それを活用する方法を考えることができたとも言える。
お金を出したがる人というのは、お金以外に自分に魅力がないことに対して自覚的なのである。だから出す金額の調整という方法でしか、未来に関与することができない。
魅力的な人間というのは、お金持ちであろうとなかろうと、まず最初にお金の話をしない。最後にもお金の話をしない。
お金というのは、どんな蒙昧な人物にも理解できる最後のコミュニケーション手段であり、もしもお金の話をされたら、それは相手から馬鹿だと思われているということでもある。もしくは相手が馬鹿か。
たとえば僕は、昔は会社が上場したらそこで得たお金の大半を東京大学に寄付しようと考えていた。
でも、実際に知人の会社が連合で東京大学に二桁億円寄付したときのすったもんだをすぐそばで経験して、すっかりこの考えはなくなった。
お金を誰かに寄付するというのは、お金の使い方を委ねるということに他ならず、それが必ずしも「自分の欲しい未来」につながるとは限らないからだ。
そう言う意味では例えば、落合陽一のクラウドファンディングはわかりやすい。落合陽一にただ金を預けるだけでなく、その使い道まで説明されているからだ。
ふるさと納税でもかならず「教育にお金を使う」にチェックするのだが、これだって「どういう教育」に使われるかわからない。
僕は古文・漢文の時間を今の1/10くらいに縮小すべきだと考えていて、現国の時間にはもっと作文を学ばせた方がいいと考えている。
古文・漢文の占める割合が国語の半分くらいというのは明らかに過剰であり、5教科に点数が均等に割り振られているのも、非常に非効率的だと思う。
「プログラミング教育」を義務教育に入れよう、という話をしていたとき、「プログラミング教育をどの教科よりも先に行い、残りはあとから勉強するくらいでちょうどいい」という話をした。
もちろんそんな過激な教育改革はできなかったのだが、教育改革というのは、基本的に実施してから20年かけて完成する。
僕が生まれた年かその次の年に、「GHQによって弱められていた数学教育を強化し、来るべきコンピュータ時代に備えよう」ということで教育改革が行われた。
その結果起きたことは、「高いレベルの数学教育を受けてない人が、自分もよくかわらない数学の概念を子供達に教える」という歪な教育体制だった。
少なくない数の日本人が、数学に対して苦手意識を持っていると思うが、それはこの歪な教育が生んだ必然的な結果である。
GHQが日本を統治し始めた時、日本はアメリカ以上に数学教育が発達していた。でなければ高度な戦闘機や巨大戦艦といったものが続々と作れるはずもない。
「これはまずい」と思った GHQが、日本の国力を弱めるために数学教育を減らしたと言われている。
プログラミング教育の義務教育化も同じ問題を抱えていて、「プログラミング教育を受けてない人が、プログラミング教育を行う」という歪な教育システムで最初はスタートする。
しかし、20年経つと、プログラミング教育を受けた人たちが、より効果的なプログラミング教育を行うようになる。プログラミング教育が義務教育化されはじめて、ようやく10年経つ。まだ道半ばだ。
小学生の頃からプログラミング教育をうけたプログラミング教育ネイティブ世代が、来春から新任教師として全国の学校に散らばる。その後、次々とプログラミング教育を受けた世代が参加していき、あと20年もすれば、ほとんどの学校でプログラミング教育世代の教師が過半数になるはずだ。
そこにきて、AIの進歩がある。
僕が子供の頃から今まで、基本的にコンピュータというのは教育の傍流だった。
他の科目の理解を支援するとか、そういう意味で用いられることはあっても、プログラミングそのものを教えることができた教師は皆無だった。
だからこそ中学生の頃の僕は、先生に請われてプログラミングの「授業」をクラスメートに行っていたのだ。授業時間中に。そういうことが起きえた時代だった。
今ならわかるが、自分より賢い子供を育てるのは、そうでないときの百倍難しい。
かつては僕のもとにも何人も僕より遥かに優秀な子供達がいて、皆巣立っていった。
大成功した人もいれば、平和に暮らしている人もいる。ただ総じて、僕より優秀だった。
麻布などの都内名門校では、卒業生が戻ってきて教師になるケースがあるという。
その場合、名門校のOBとしては「落ちこぼれ」だと思うらしいが、それに自覚的な人々は「伸びる同級生」がどういうものか知っているので、基本的にゆるやかな放任主義になる。
僕の中学のOBが、高校の時に教師として現れたことがある。もちろん何世代も違うので、直接知っていたわけではない。
彼は全校生徒の前で「俺はエリート教育を受けたが受験に失敗し、東京理科大学にしか行けなかった。エリートになり損ねた結果、こんな田舎の教師にならざるをえなくなった。だからお前らがそうならないように、受験対策を教える」と言った。
今思えば、これはなんと公平な姿勢だろう。
僕の高校は、当時40代半ばの文部官僚が新潟県の教育改革を目指して設立した新設校だった。その人物は官僚をやめて初代校長となり、全県一円の学区制度を導入して、県内から高学歴の教師をかき集めた。東大を出た先生も、京大を出た先生もいた。しかし一体全体、彼らはなぜ、立派な大学を出て田舎で教師なんぞをやる羽目になったのか。むしろそれが不思議だった。
自分より優秀な人を、きちんと育てることを僕は一度もできなかった。
それとは無関係に優秀な人は勝手に育っていき、勝手に成功してくれる。
逆に優秀でない人が教育によって優秀になることはほぼない。
ということは、「教育」とは無意味なことなのか。
僕はそうではないと信じている。
教育とは、「コミュニケーション」の方法なのだ。過去から未来への。
我々が義務教育で習う数学も古文・漢文も、何世紀も前に死んでいった故人の、メッセージを受け取るということだ。
その受け取られ方の「設計」によって、数学を好きにも嫌いにもなるだろう。プログラミングも同じだ。
数学に比べてプログラミングは歴史が浅いだけで、人類が生み出した最高の叡智だ。
子供の頃の僕は、AIがこれほどまで社会の中心になる時代にまで、自分が生きているとは想像していなかった。
AIと「うまくつきあう」ためにはプログラミングの知識と経験があったほうがずっといい。
Vibe Codingであっても、原因を特定するのはプログラミングの知識があったほうが遥かにマシだからだ。
非常に面白いのは、同じVibe codingでも、ブログラミングの知識がある人とない人でAIの使用料金が何倍も変化することだ。
つまり、「適切な指示」をいかに与えるか、そこに教養が必要になるのである。
新潟県長岡市生まれ。1990年代よりプログラマーとしてゲーム業界、モバイル業界などで数社の立ち上げに関わる。現在も現役のプログラマーとして日夜AI開発に情熱を捧げている。