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そもそも「現代アート」とはなにか

そもそも「現代アート」とはなにか

Updated by 八十雅世 on September 12, 2025, 06:30 am JST

八十雅世 masayo_yaso

情報技術開発株式会社 経営企画部・マネージャー 早稲田大学第一文学部美術史学専修卒、早稲田大学大学院経営管理研究科(Waseda Business School)にてMBA取得。技術調査部門や新規事業チーム、マーケティング・プロモーション企画職などを経て、現職。2024年4月より「シュレディンガーの水曜日」編集長を兼務。

現代アートの定義をざっくり知る

そもそも「現代アート」とはなんでしょうか。

世の中は「アート」という言葉が溢れています。例えば、「トリックアート」「ネイルアート」のような「アート」があります。ただ、これらの「アート」と「現代アート」は、どうやら異なるものであることを、読者の方々は直感的に理解していると思います。とはいえ、どれも「アート」という名称がついており、その明確な線引きはわかりづらいものです。実状として、日本語における「アート」という言葉の包容力が高く、多種多様なものが「アート」を名乗ることができています。この状況から「現代アート」のみを切り出す行為は、哲学的で難儀であり、正面切って取り組むと、読者の方々を置いてけぼりにしかねません。そこで「専門家じゃないなら、ここだけ押さえておけば大丈夫!」という程度に、端的に平易に「現代アートの定義」について解説します。

現代アートは戦後に新たなテーマを打ち立てた作品

本題の現代アートの定義ですが、実は「諸説あります」状態で、深みにはまると沼から抜け出せなくなります。そこで、この沼をショートカットするために次の2点を押さえましょう。

まず、制作年代としては、第二次世界大戦後から現在までに生み出された作品であること。とはいえ、時代の移り変わりはグラデーションであり、アートの世界も第二次世界大戦後までにさまざまな変遷を経ています。戦前から戦後にまたがって作品を生み出し続けていたアーティストもいる中で、スパッと1945年で線引きをするのは、ナンセンスではあります。ただ、今回はわかりやすさを重視して、ざっくり「第二次世界大戦後〜現在」と捉えておきましょう。

次に、「新たなテーマを掲げている感」があること。現代アート作品は、描き方や見せ方といった視覚的な点だけに限らず、作品が内包するコンセプトでも構わないので、何かしらの新規性が求められています。著名な現代アーティストである村上隆氏は『芸術起業論』において“現代美術の評価の基準は「概念の創造」”と述べました。いささか俗っぽい例えですが、目新しいメニューがあるレストランが流行るのと同じで、アート界隈においても斬新なテーマを内包する作品が注目されるのです。ただ、作家の独自性は残したまま、という条件はあります。

これらによって、作品は「現代アート」という呼称を得ます。

「見たまま」を描く必要がなくなってしまった19世紀

このように現代アートが「新たなテーマを打ち立て続けるもの」になった大きな歴史的ポイントは2つある、と私は考えています。

最初のポイントは、19世紀のヨーロッパ、写真技術の登場です。写真は「見たままを再現すること」に長けています。これにより、芸術要素はもとより、人間の視覚情報の伝達技術要素も備えていた従来の絵画が、「なぜ必要なのか?」とその存在意義を問われるようになりました。そこで表現方法の新たな模索が始まります。その1つとして有名なのが、モネなどに代表される印象派です。彼らは当時、科学的に解明されてきた色彩理論にもとづき、それをキャンバスで再現しようとしました。他にも、ピカソはキュビスムといった1つの画面を複数視点で構成をする手法を導入しました。どれも写真(少なくとも当時の技術のもの)ではなしえない、新たな表現方法であったといえます。

「美」よりも「問題提起」になってきた20世紀

次のポイントは、第一次世界大戦中です。第一次世界大戦は、国家のありとあらゆるすべてを動員して戦う「総力戦」による初めての戦争でした。これに対する反発を背景として生まれた芸術運動が「ダダ」です。ダダは複数のアーティストによって、“ヨーロッパとアメリカの複数の地域で展開”され、“反美学的、反道徳的な態度を大きな特色とする”(暮沢剛巳『現代美術のキーワード100』)芸術運動でした。本題とそれますが、私は「ダダ」と聞くと、幼少時に怖くて仕方がなかったウルトラ怪獣のダダを思い出すのですが、その名前はまさに芸術運動のダダを語源としているようです。それはさておき、ダダの運動の1つとされ、今日まで影響を及ぼしている著名な作品が、マルセル・デュシャンによる<泉>です。この作品は、1917年、既成の男性用小便器に「R.Mutt 1917」と署名だけされて展覧会に出品され、大きな物議を醸しました。小便器は人間の排泄物を扱うモノであり、一般的な「美」も、既製品であるためアーティストによる「技術」もありません。それでも「展覧会に置かれたら美術作品になりえるのか」「美術作品になりえるならば何がその条件なのか」「美とは何か」と、多くの問いかけを鑑賞者に突きつける作品になっています。

かなり端折りましたが、このように、19世紀より科学技術の発展や揺れ動く社会情勢のなかで、存在意義を問われ続けたアートは最終的に、新たなテーマを打ち立て続けるという、今のスタイルになりました。

日本における現代アート史は?

聡明な読者の方は「今までの説明は欧米ばかりじゃないか。日本でも同じことがいえるの?」と疑問を持たれることでしょう。まさにご指摘の通り。それに対する私の回答は「日本は欧米と同じ歴史をたどっていないので注意は必要。けれども、結果的に<今>はそう変わらない」です。

アートプロデューサーの山口裕美氏は著書『現代アート入門の入門』において、“日本の場合、厳密な意味での自由な現代アートの表現の始まりは、第二次世界大戦後であり、戦後の民主主義体制が確立された一九五五年くらいから、戦前の絵画や彫刻の流れとは違う、現代アートのスタイルをした作品の流れが始まる”としています。

また文化研究者の山本浩貴氏は『現代美術史 欧米、日本、トランスナショナル』において、1990年代以降、欧米、また日本においても同様に、現代アートシーンにおいて“特定の名称で括ることのできる潮流”──例えば前述の印象派、キュビズムやダダのようなものが見当たらなくなったと述べ、その背景として“ポストモダン思想の浸透”を挙げています。“モダニズムが標榜した単一性や普遍性に代わって、多様性や歴史性を強調するポストモダニズムに基礎付けられた議論が、一九八〇年代頃に西洋(特にフランス)の思想家を中心に練り上げられ”、その影響を日本も受けたとしています。

ちなみに、現代アートを収集・展示し、観光スポットとしても人気の高い石川県の美術館、金沢21世紀美術館は、その作品の収集方針の1つとして「1980年代以降に制作された新しい価値観を提案するような作品」を挙げています(金沢21世紀美術館 コレクション)。そこには変わりゆくモダニズムに対する意識があるようです。

さて、長く説明しましたが要するに、欧米や日本における現代アートは、スタートは異なれど、1990年代以降、同様に多様でより一層何でもアリになってきた、ということです。

「世界」と「現代アート」は変わり続ける

過去から現在までの現代アートの変遷や定義は、ここまで述べてきた通りです。しかしこれらは確定事項ではなく、これから世界が変われば、今までとは異なるものになるかもしれません。美学者の佐々木健一氏は“どこからどこまでが藝術かというような問題は、結局のところ、歴史を通して、コモン・センスによって決定されてゆくような性質のもの”(『美学への招待』)と言います。「トリックアートやネイルアートも現代アートの1つだ」ということになり得る可能性は、いつでもあるのです。

少なくとも変わらないことは、社会、政治や技術の変化に寄り添うようにしてアートは生み出されるということです。すべて人間の営みとして地続きなのです。過去、写真技術や色彩理論と印象派、第一次世界大戦とダダ、というように、アートはそれを取り巻く環境と切っても切れない関係でした。それは現代アートにとっても同様です。例えば、2024年にNTTインターコミュニケーション・センターで開催された展覧会「ICC アニュアル 2024 とても近い遠さ」は、コロナ禍で多くの人が感じた「オンライン・ミーティングなどで感じる相手との距離」が出発点となり企画されました。(最先端テクノロジーの新しい見方にICCで出会う)また、アートギャラリーであるKOTARO NUKAGAでは、アーティストのスプツニ子!(Sputniko!)氏が手がける、AIを駆使した3シリーズの作品群から成る個展が開催されました。(KOTARO NUKAGAでテクノロジーが描く「幸せな未来」を見つめ直す)「コロナ禍」「AI」という、今を生きる私たちを語るために避けられないキーワードが、現代アートと繋がっているのです。考えてみれば当然のことで、アーティストも、展覧会を企画するキュレーターやギャラリストも、現代アートに関わる人たちは全員、私たちと同時代に生きて、似たような環境を生きています。結果、すべては地続きとなっており、「現代アートなんて今まで気にしたことがなかった」人にとっても、現代アートは身近になりえる存在といえます。それはビジネスパーソンにとっても現代アートは身近であることを意味します。

次回はこの点を深堀し、ビジネスにおいて現代アートを「道具」として使う方法について、お話ししたいと思います。

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