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教育と研究

データの量だけで真理に近づけるわけではない。囲碁と認知症予防の現場から

社会医学研究は、いっそう臨床的に意味あるものに向かっており、さらに量的研究だけから質あるいは量と質の混合研究に向かっており、複雑なテキスト分析もいいがシンプルで誰にも分かりやすい分析が好まれ、コミュニティのなかで(CBPR)現実的に(Realistic approach)研究が進むようになってきた。

2025.06.19

現代社会を漂う啓蒙思想的な雰囲気と、SDGsという国際的一大キャンペーン

地球全体という視点からみると、ポストモダン的風景は実は各所に姿を変えて存続していると言えなくもない。ハーベイがかつて喝破したのとはやや違う意味で、それは結構しぶといのだ。ただし、そこでは常に革新を求める科学的言説が力を増し、またそれが一つの新たな大きな物語として言説の世界を覆っているという点で、妙に啓蒙思想的な雰囲気をも漂わせている。

2025.06.09

研究の毛細血管を干上がらせる「選択と集中」への熱狂

選択と集中で大量の資金を一部に投入し、そこだけに膨大な血流が増えても、現場の毛細血管は干上がっているという事態も十分ありえるのだ。実際、こうした交流の場がほとんどない職場を鑑みるに、論文ランキングが落ちるのもやむなしという印象が残る。

2025.05.27

10人に1人が認知症をもつ時代、人類の基本動作である「農」が危険な2分法を回避する

21世紀の半ばには高齢者(65歳以上の人)は人口の40%を超え、認知症をもつ人は1,000万人前後と推計されている。そのころ人口は1億人を下回っているのであるから、日本人の10人に1人は認知症をもつ可能性がある。

2025.05.12

あの警護の失態は、組織事故である

組織がその内的な欠陥によって生み出す事故のことを「組織事故」と呼ぶ。この研究分野では、リーズン(J.Reason)のいう「スイスチーズモデル」という考え方がよく知られている。

2025.05.02

語り継がれず消えてしまう、もうひとつの東京

ホームレスの世界の歴史は貧困と排除の「もうひとつの東京史」であるが、デジタルにはなっておらず、いや紙にすらなっておらず、人々の記憶の中にだけあり、おそらく当事者が亡くなってしまうと消えてしまうナラティブであろう。デジタルトランスフォーメーションの及ばない、外部世界という意味でも興味深いのではないか。

2025.04.30

あいまいの政治学

我々の社会はあそび、緩衝材、あるいは曖昧な媒介項で緩くつながっている、こう考えると、現在様々な分野で行われている多くの議論を見直すきっかけになるかもしれない。ひたすら無駄をなくし、曖昧さを消去することは、へたをするとこうした自由度を排除することにつながりかねないのだ。

2025.04.23

宗教と医療の協働は時代の要請である

筆者の専門領域である認知症を例に、医療と宗教社会資源の協働が生まれている例を示そう。現在、認知症等の介護者のために介護者カフェを開催している寺院が、全国的に同時多発的に出現している。

2025.04.18

「インフラ美学」のすすめ

景観についての多くの議論は、インフラのそれもふくめて、畢竟製作者側の論理に偏っているという印象を受ける。だが見ているようで見ていない、そうしたあいまいな経験をどう言語化するのか、インフラ美学は興味深い課題を提供しているのである。

2025.04.08

予防できない認知症。自分を疎外するのは、老いや死を受け入れない態度である

古い考えを捨てる時期だということを、(私は認知症の専門家なので)認知症を例に話そう。認知症が老いを代表する状態であることに異論はあるまい。社会の関心もとても高い。しかし専門家の立場から見ると、多くのひとが誤解しているように思われる。

2025.03.27

朽ちる現代アート

モノを基盤とした表現は、必ず経年劣化の影響を受ける。しかし、こうした変化を単に劣化ととらえるのか、それとも作品が経由する必然的な過程として肯定的に評価するかは、論じる者の思想的、哲学的な立場と直結している。そして新興テクノロジーを多用する現代アートのかなりの部分は、こうした側面についてかなり無防御だという印象が否めないのである。

2025.03.24

リスクのある科学実験を社会の中で行うべきか

学習のかなりの部分は模倣から成り立っているというのも事実である。しかし、多くの分野では我々は未知の領域に突入しており、自らやってみなければ解決しない分野も増えつつある。実験をベースにした学習を推進するには、それを可能にする空間がどのように可能になるのか、横断的に研究するという視座が必要になってくるのである。

2025.03.19