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暗く、苦々しく、悲しい話にこそワタシは惹かれる

2014.06.03

Updated by yomoyomo on June 3, 2014, 12:00 pm UTC

201406031200-1.jpgおそらくここをご覧になっている方の結構な割合の人が読了済であろうニック・ビルトン『ツイッター創業物語 金と権力、友情、そして裏切り』を遅ればせながらワタシもようやく読み終えました。

原書刊行時にちょろちょろっと読んでいたので、どういう本かは分かっていたつもりですが、それでもムチャクチャ面白い本でした。だけどそれにしてもひどい......と多くの人と同じ感想を持ちました。アメリカでテレビドラマ化の話があるというのも納得できる、ドラマ性のある本でした。

ワタシが本書のことを面白く思うのは、やはりワタシ自身が Twitter をおよそ7年前からソーシャルネットワークの主戦場としてずっと使ってきたところが大きいでしょう。7年という年月は決して短くありません。本書に書かれる話のひとつひとつが、個人的な思い出に結びついて記憶によみがえりました。そして、Twitter の変化(UI にはじまり CEO 交代など会社としての変化を含め)がこれほどまでに創業者たちのポリシー、そして彼ら(主にエヴァン・ウィリアムズとジャック・ドーシー)の暗闘を反映したものだったのかと驚かされます。

個人的なネット観が近いため、ワタシはエヴァン・ウィリアムズに肩入れしながら読んでましたし、それを別としてもジャック・ドーシーって結構なクソ野郎だと思うのですが、それでもモバイル志向など彼のほうが正しいところも多分にあったのも確かです。何より、自身を CEO の座から引きずりおろしたエヴァンに対する復讐を完遂させた、実行力と執着心には敬服せざるを得ません。そしてフレッド・ウィルソンを代表とする投資家人種の冷酷さ、不遜さも印象的でした。

後味最悪と聞いていた『ツイッター創業物語』ですが、ワタシは意外にイヤな読後感はありませんでした。思えば、これまでも IT 業界を舞台にしたノンフィクション、(自伝を含む)伝記本をいくつも読んできましたが、多くの場合ワタシを惹きつけたのは、単なる成功譚ではなく、むしろ苦々しい話や悲しくなる話でした。これはワタシ自身ものすごく性格が暗いからというのもあるのですが、それは別としても、そうしたネガティブな逸話にこそ人間の正直な姿が出るように思うからです。

今回は、これまで読んできた IT 系ノンフィクションから、ワタシを魅了した悲しく、暗く、苦々しい話を引用とともに紹介したいと思います。

201406031200-2.jpg『ぼくとビル・ゲイツとマイクロソフト』:企業経営、そして勝ち続けることはかくも大変なことなのか

『ぼくとビル・ゲイツとマイクロソフト アイデア・マンの軌跡と夢』は、マイクロソフトの忘れられた共同創業者ポール・アレンの自伝です。忘れられた、といってもとてつもない金持ちには違いありませんし、『ツイッター創業物語』に出てくるノア・グラスのように社史から名前を消された存在でもありませんが、彼がマイクロソフトを追われるように去るところは、『ツイッター創業物語』に近い感じがあります。

ビル・ゲイツとともにマイクロソフトを創業し、MS-DOS 開発まで会社としての成長基盤を主導したにも関わらず、ホジキン病(実は誤診)に苦しみながら仕事に取り組むも、かつてのようなパフォーマンスをあげることはできず、社内での立場は悪くなります。MS-DOS 2.0 の開発に心血を注いでいたポール・アレンは、あるとき決定的な場面に遭遇します。

 あれは一九八二年、一二月の終わり頃だった。ビルのオフィスの前まで来ると、ビルとスティーブが何やら熱心に話し込んでいるのが聞こえた。私は立ち止まってしばらく聞いていた。話の主旨はすぐにわかった。二人は、私のこのところの働きの悪さに対して不満を持っていて、私のマイクロソフト株の所有比率を下げようとしていたのである。彼ら自身や他の株主に追加のストックオプションを発行し、私の所有比率を下げる、という考えだ。話の様子から、その時急に思いついたわけではなく、しばらく前から考えていたことも明らかだった。
そのまま聞きつづけることもできず、私は中に飛び込んでいって叫んだ。「なんてことだ! 信じられないよ! 君たちがどういう人間なのか、よくわかったよ。もうおしまいだな」二人に向かって話してはいたが、私の目は、まっすぐビルを見ていた。まさに決定的な場面を見られた彼らは、何も言えずに黙り込むだけだ。そして、彼らに言い返す暇を与えず、私は回れ右をしてその場をあとにした。

ビル・ゲイツは、闘病中の共同創業者を労うどころか、彼の影響力を下げようとスティーブ・バルマーと密談していたのです。ポール・アレンはそれでも遠慮してか書いてませんが、ロバート・X・クリンジリーによれば、二人はアレンが死んだらどうしようというところまで話し合っていたようです。

しかし、そこまで知っても、本書を読んでビル・ゲイツを嫌いにはならないのです。もちろんその下で働くのはゴメンですが(笑)、こういう冷徹さがあったからこその成功だったのだという思いを強くするのです。

ポール・アレンは本書で、ビル・ゲイツの(社内外に対する)攻撃的な経営手法があったからマイクロソフトは成功したという見方に何度も異を唱えています。他にやり方はあったはずだ、と。しかし『ツイッター創業物語』を読んだ後では、自分と会社を同一視し、自分がまったく手がけていないはずのソフトウェアについてすべて自分が書いたと堂々と言えるぐらいの夜郎自大な人物でなくては(実際の作者であるポール・アレンですら「そうだったっけ?」とまごつき、仕方なくソースコードを印刷してゲイツに見せたときの彼の反応はケッサクです)、スタートアップを大企業に変えることはできないのかもしれない、とも思うわけです。

201406031200-3.jpg『超マシン誕生』:ギークは常にスーツに手柄を横取りされる宿命なのか?

いくらピューリッツァー賞受賞作とはいえ、原書は1981年刊行のトレイシー・ギダー『超マシン誕生』の新訳・新装版が2010年に出たときは、果たして今読んでも通用するものかと怪訝に思うところがありました。

しかし、この本とても面白いのです。Windows も Macintosh もない時代、というか今では絶滅した「ミニコン」と言われるコンピュータの開発ストーリーなのですが、これが現代的な意義を失っていないのです。

要は、新しい製品を生み出す苦しみの本質は今も昔も変わりがないということでしょうか。常に社内の権力争いがあり、強靭でリスクをとる技術リーダーが必要であり、そしてその下で長時間労働とプレッシャーに押しつぶされる技術者がいる。

『超マシン誕生』が今もリアルなのは、新製品が苦闘の末に発売されたからといってハッピーエンドで終わっていないところです。技術者のモチベーションを殺ぐような行動の制限や労働形態の厳格な管理がちゃんと描かれており、何より本書の主人公である開発リーダーのトム・ウェストが、マシン開発にまったく関係していないマーケティング部門の発表会に参加する際の描写は、なんとも言えないものがあります。

 ウエストは地味な仕立ての茶色いスーツを着ていた。生まれてこの方、ずっとスーツを着ている人間のように見えた。この儀式に参加することにはあまり乗り気ではなかった。目立たない存在に徹していた。参加者にネームタグを渡す部屋の入口で、ウエストは肩書きを問われ、「事業開発」と答えた。公式のプレゼンテーションが終わったあとのカクテルパーティで、ある記者がウエストのところへやって来た。「あなたはこのマシンについて何かご存知のよう見えますが、マシンとはどういう関わりを持っていたんですか」。ウエストは何かモゴモゴしゃべったあと、手を振って、話題を変えた。アルシングがそのやり取りを立ち聞きしていた。それはアルシングの知ってる真実からあまりにも遠く離れていた。アルシングはそれを放置できなかった。そこで、記者を脇に連れ出し、こう言った。「あの人はプロジェクト全体のリーダーだったんですよ」。

これをもって「ギークは常にスーツに手柄を横取りされる宿命にある」と書くと、ルサンチマンが過ぎると言われるでしょうか。

201406031200-4.jpg『闘うプログラマー』:理系非モテの哀しみ、もしくはどうしようもないものはどうしようもない

『超マシン誕生』の新訳・新装版と時期を同じくして新装版が出たG・パスカル・ザカリー『闘うプログラマー』ですが、この本はプロジェクトを指揮した伝説的なプログラマであるデビッド・カトラーを中心に、Windows NT 開発を巡るノンフィクションの名作です。

とにかく面白い本で、『超マシン誕生』同様にその意義を失っていない本ですが、個人的にこの本の中で一番グッときたのは、本筋からちょっと外れたウォルト・ムーアについてのくだりです。彼はグラフィック担当のプログラマで、有能なのですが性格は内向的であり、マイクロソフトで七年間仕事に打ち込むうちに友達が減っていき、孤独感に襲われ、友達がいないものだからますます仕事時間が増え、さらに孤独感に苛まれるという悪循環に陥ります。

そのあたり、仕事人間ではない怠け者のワタシでも同じエンジニアとして他人事に思えないところがありますし、以下のくだりを読んだときは胸が詰まったのを覚えています。

ムーアは、話し相手がほしいと思うようになった。いま付き合っている女性と会ったのは、シアトル・バレエ団のチケットを売りたくて、相手がムーアに声をかけたときだった。いっしょにバレエを見にいってくれるなら、チケットを何枚でも買うとムーアは答えた。相手は承知した。そしてムーアが気に入って、付き合うようになった。しかし、相手は関係をあいまいにしておこうとしたので、ムーア自身にも、二人が恋人なのか、ただの友人なのかわからなかった。

ワタシにはムーアの心情が分かりすぎます。結局、彼は燃え尽きて麻痺状態に陥り、勤務時間にゲームをして過ごすようになり、最終的にマイクロソフトをクビになってしまいます。特に記述がないということは、おそらく件の女性とはうまくいかなかったのでしょう。それくらいはワタシにも容易に想像できます。

201406031200-5.jpg『ハッカーズ』:変わるもの、変わらぬもの

今や IT 系ジャーナリストの大御所といってよいスティーブン・レヴィの出世作が『ハッカーズ』です。謝辞の最後にスティーブ・ウォズニアックに対する感謝とともに、Apple II を使って本書を執筆したことが書かれていて歴史を感じます。

歴史を感じるといえば、本書の表紙に「ぼくは、なぜ真のハッカーがその名称を蔑称でなく名誉の称号だと考えるのか、わかるようになった」という著者の言葉が引用されていますが、もちろん現在もコンピュータを使った犯罪者にその言葉が使われることはあるものの、「ハック」や「ハッカー」という言葉が元々捻りのある尊称であることは、今のお若い方には通じないのかもしれません。

お若い方は意外に思われるかもしれませんが、1950年代の MIT から話が始まる本書は、1980年代に入りハッカー文化は死につつあるという認識とともに終わります。エピローグ「真正ハッカーの終焉」の主人公は、かのリチャード・ストールマンですが、そこで語られるのは AI ラボにおいて徐々にハッカー仲間を失っていくストールマンの孤独な戦いであり、彼の悲痛な嘆きです。

 このころの思い出を蘇らせるのはつらい。ラボに残ったのは、システムやハードウェアの保守の仕方も知らない、あるいは知りたいとも思っていない、教授や学生やノン・ハッカー研究者ばかりだった。マシンは故障し始め、修理もしてもらえず、ときにはただ捨てられてしまうこともあった。ソフトウェアについても、必要な変更が行なわれることはなかった。ノン・ハッカーたちは、市販のシステムに頼ることで対応し、同時にファシズムとライセンス契約とを持ち込んだ。ぼくはよくラボの中を歩き回った。かつてはハッカーたちでいっぱいだったのに、今では夜になると人っ子一人いない部屋をいくつも通りすぎながら、ぼくは思った。「ああ、可哀そうなAIラボ! お前が死にかけているのに、ぼくは助けてやることができない」
もし、新たなハッカーたちが訓練されたとしてもきっとシンボリックス社が、みんなさらっていってしまうだろう。だから、やってみる価値さえないと誰もが考えていた。ひとつの文化全体が、跡かたもなく、消し去られてしまったんだ......。

ここでハッカー文化が死につつあるとみなされた理由は、シンボリックス社に象徴されるハッカー倫理と相容れないソフトウェアの産業化が大きかったのはもちろんです。

しかし、それだけではないでしょう。誰しもいつまでも大学の研究室にいられるわけではありません。本書にも「今はもう、ハッキングのことばかり考えているわけにはいかなくなっちゃったんだ。生活費を稼いだり、結婚したり、子供を作ったり、とね。あのころのぼくが持っていて、今は持ってないものは時間だ。それと、ある程度のスタミナもそうだな」という言葉が引用されていますが、そういうことです。

Linux オペレーティングシステムをはじめとするフリーソフトウェア/オープンソースソフトウェアが一般的なものになっている状況しか知らないと、80年代のはじめにハッカー文化が死につつあったと言われてもピンとこないでしょう。ご存知の通り、実際にはそのまま死に絶えはしなかったわけですが(参考:ハッカー界小史ハッカーの逆襲)、それにはリチャード・ストールマンのフリーソフトウェア運動による奮闘が大きな役割を果たしたのは言うまでもありません。

八田真行はハッカー第一世代に共通する資質として「コミュニケーションへの強靭な意志」を挙げていますが、お世辞にも人間的に付き合いやすいと思えない彼がハッカー文化を次代につなぐことができたのは、この「コミュニケーションへの強靭な意志」がまったく変わらなかったからとも言えるでしょう。

というわけで四冊ほど例を挙げましたが、スティーブ・ジョブズ周りにその手の胸糞悪い(しかし、ジョブズの死後には神聖視されるようになった)逸話がいくらでもある Apple 関連書籍はあえて外させてもらいました。本当はそれ以外にもあと何冊も取り上げたい本があったのですが、もういい加減長くなったのでここまでとします。

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yomoyomo

雑文書き/翻訳者。1973年生まれ。著書に『情報共有の未来』(達人出版会)、訳書に『デジタル音楽の行方』(翔泳社)、『Wiki Way』(ソフトバンク クリエイティブ)、『ウェブログ・ハンドブック』(毎日コミュニケーションズ)がある。ネットを中心にコラムから翻訳まで横断的に執筆活動を続ける。

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