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シンプリシティの罠

Whether simplicity is a best ?

2015.08.22

Updated by Ryo Shimizu on August 22, 2015, 10:27 am UTC

MacOSがiPhotoをやめて「写真」というアプリになり、GoogleがGoogleフォトを提供するようになって久しいのですが、この新しい写真管理アプリたちとどう付き合うか、というのは非常に大きな難問のように思えます。

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この「写真」アプリにも「Googleフォト」にも共通する思想は、「ユーザーが自分でフォルダなどを作ってイベントを分けることをさせない」ということです。

とにかくどの写真もフラット。時系列に並べただけです。
「写真」では顔認識などで辛うじて「人物ごとの分類」はありますが、「Googleフォト」はそこにディープラーニングを持ち込んでなんでも勝手に分類してくれます。

これはテクノロジーが進化した結果なのでしょうか。
確かに、そうしたほうがシンプルです。

写真を一枚一枚人間が吟味してフォルダごとに分けるなんてバカげた話に思えます。
必要なのは、誰が誰が写ってる写真なのか、ただ見たい、ということなのでしょう。

しかし私が感じた感想はまるで逆です。

「使いにくい」

と思いました。

例えばMacOSの「写真」アプリ(そもそもこの名前もどうなんでしょうか)には、iPhoneで撮影した画像やiPadで撮影したスクリーンキャプチャが自動的に共有されます。

それはそれで便利なのですが、例えば仕事で誰かに写真を見せて説明するときに、プライベートな写真と仕事上見せたい写真とがごっちゃごちゃになっていて、結局、写真アプリから一度スクリーンキャプチャをとるなどして別の場所に写真を置いてから見せる、などの手間を踏まなければなりません。

かつてのiPhotoでは、そういうものは「イベント」という一種のフォルダで管理されていたので○○のプロジェクトに関連する写真はここ、という感じで放り込んでおけばよかったのですが、なにもかもが同じようにフラットに管理されているとストレスが貯まります。

シンプルが善、という思想はまさしくスティーブ・ジョブズ的なものだったのかもしれません。
しかし実際にはスティーブ・ジョブズはそれほどシンプルなものに拘っていません。

例えば最初のMacintoshについていたマウスは、「ボタンが2つあると混乱する」という理由から、シンプルにするために1ボタンに減らされました。

これをMacintoshの熱狂的なファン達は「シンプルこそ善だ!」と喜んだのですが、当のスティーブ・ジョブズはAppleを追い出されて自ら設立したNeXT社では、あっさりと2ボタンマウスを採用しています。

高性能なワークステーションに過度のシンプルさを導入する必要はないと割り切ったのでしょう。

スティーブ・ジョブズはしばしばこうした現実的な解を意図的に選択しています。
彼が凄いのは、自分で発した言葉に惑わされないということです。

本当にシンプルさを追求するのであれば、そもそも現実世界の物体を模したスキューモーフイズムのようなこみいったデザインは採用せず、最初から現在のようなフラットデザインを指向していたことでしょう。

だから実はスティーブ・ジョブズの時代のApple製品というのは、特にソフトウェアに関して、それほどシンプルさを追求をしてはいなかったのです。

マルチタッチにしても、シンプルさとは程遠い発明です。
マウスカーソルは常に一つだけ。これ以上シンプルなものはありません。なのに画面上に複数の指によるジェスチャーを認めるわけです。

実際、iPadでは四本指を使ったマルチタッチジェスチャーなどがあるわけですが、ほとんど使ったことがありません。

そこまでくるともはや何がシンプルで何がシンプルでないか、わからなくなってくるほどです。

Googleはシンプルであるがゆえに成功した、という原体験があります。
それまでポータルサイトと呼ばれるサイトには、情報があふれていました。
Googleはそこにシンプルな検索ボックスだけを提示することで、検索の使い道を明確化したのです。

Googleが検索エンジンとして提供する機能はとてもシンプルです。
同じようにGoogleフォトもシンプルです。

しかし過度のシンプルさは同時に使いにくさをも呼び込んでしまいます。

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Googleフォトはハードディスクの特定の領域にある写真を全て自動的にアップロードして、人工知能によって写真を分類します。

しかしその分類結果はあまりにも味気ないものです。
だって分類が「物」とか「場所」とかで、さらにサブカテゴリーが「食品」とか「空」とか「山」とかなわけです。

根本的にGoogleもAppleも、個人の写真というものがどのような目的に使われるのか誤解しているのではないかという疑いすら感じます。

確かに、クリップアートやプレゼンに使う写真を探す際にはこうした分類は便利なのかもしれません。

けっこう凄いなと思ったのは、検索キーワードに「BMW」と入力するとちゃんとBMWの写真だけが出てくるところです。

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ただ、こういう機能は特定の写真一枚を検索する手がかりにはなったとしても、写真を保存しておく目的そのものと照らすと正しくないように思えます。

筆者は特に写真を趣味としているので、たいていの人には「これで充分だよ」と言われてしまうのかもしれませんが、筆者は写真を撮った後、分類することがなにより好きなのです。

写真の世界には「組写真」という考え方もあります。
この写真とこの写真を組み合わせてセットで扱う、といったものです。

旅先での写真などは、旅全体がひとつのストーリーになっているわけですから、本当は旅先という括りで分けたいわけです。

GoogleフォトなどはEXIFに残ったGPS情報などから自動的に判定して地域で分類してくれるのですが、そういうことではないのです。

例えば、「ヨーロッパ旅行」といった場合、飛行機でローマに行って、ローマからレンタカーを借りて、そのままフィレンツェ、ベネツィアあたりで北上して一泊し、ミラノ、モナコ、マルセイユ、カルカソンヌ、そしてバルセロナへと四カ国に渡る旅をすることもあるわけです。

それをそれぞれ別の都市の写真として分けられるのはどうも納得がいきません。

ここまで大げさな例でなくとも、例えば「博多の親戚の家に行く」というイベントでは、羽田空港で撮った写真を「羽田空港」と分類されても嬉しくないのです。羽田空港から、博多に行くという時間軸が大事なわけです。というか国内旅行だと北海道にいくのも沖縄にいくのも全部羽田空港というタグがつけられるわけです。

MacOSの「写真」やGoogleフォトの過度のシンプルさは、そうした写真が持っている楽しさそのものを削ぎ落としてしまったような残念な感じがあります。

なにより、iPhotoの時に一緒懸命に分類したイベントが、「写真」アプリへのアップグレードによってまるごとフラットになってしまったときはめまいにも似た絶望感がありました。

「写真」アプリには「モーメント」という、似た時間帯に撮られた一連の写真のシーケンスを参照する機能があります。

これで「羽田空港問題」はある程度回避できそうですが、私のように仕事の写真とプライベートの写真が混在している問題は解決できません。

そこで思い出したのが、2000年代初頭からのWeb2.0ブームのことです。
Web2.0ブームではいくつかのキーワードが生まれましたが、そのうちのひとつは、階層構造をやめてタグクラウドで管理しよう、ということでした。

つまりこれまでのような複雑な階層構造を捨て、全てのデータをフラットにして等価に扱おう、ということです。

ところがこれには無理があります。
実はMicrosoftさえも、後にWindowsVistaと呼ばれることになったコードネームLonghornというOSの最初の設計段階では、従来のような階層型ファイルシステムではなく、データベース型ファイルシステムの搭載を検討していました。

しかし、結局今に至るまでそのようなOSは実現していません。
今や世界で最も使われているOSと読んでも過言ではない、Linuxも伝統的な階層構造のフォルダを採用しています。BSD UNIXベースのMacOSも例外ではありません。

OSのレベルで不可能なのに、表層のレベルで直感に反するフラットなタグクラウド型の写真管理を要求するのはむちゃくちゃにさえ思えます。

これも過度なシンプル化への欲求が産んだ時代の徒花なのでしょうか。

実際のところ、無制限にデータを保存できる場所、という魅力があるのでGoogleフォトは使い続けたいと思っているのですが、MacOSの「写真」アプリは、iPhoneからの写真の自動転送の受け皿という以外にこれといって使いたくなるモチベーションを見いだせずに居ます。

また、階層型の管理構造というのは何もOSに限った話ではありません。
古くは情報学の起源である古代の図書館の時代から、情報というのは階層化され、整理され保存されます。

かりそめの階層構造を横断的に検索するために、索引(インデックス)という技術が生まれました。

人々が暮らす住所ですらシンプルな階層構造を持っています。
また、人々が働く会社の組織図は、階層構造そのものです。
階層構造は人間の直感に照らして解りやすいという明らかなメリットがあるのです。

階層構造を廃止してフラットなタギング(タグ付け)によるデータ管理を行おうとするムーブメントは、アナーキスト的にも見えます。
確かにそれは素晴らしいものかもしれないけど、現実的には機能しないのではないか、という不安が常につきまとうからです。

しかし階層構造は複雑になりがちという欠点があります。
そしてこれがまさしく階層構造が攻撃される理由でもあります。

階層構造が複雑に見えるのは、どんどんサブフォルダが細分化していくからです。
例えばUNIXの伝統的な階層構造では、ちょっと呆れるほどのサブフォルダに分かれています。

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特に混乱を招くのは、binやsbin、libやincludeといったフォルダがあちこちにあることです。
これはお世辞にも褒められたものではありません。

このように階層構造のフォルダはどんどん散らかっていきます。
目的が次から次へと出てくるからです。

こういうものが神経質な人に好まれないのは解る気がします。

かといって、これをフラットにして管理しようとする場合、それこそbinやincludeやlibが一緒くたになって破綻します。

分けられているからには意味があるのです。

UNIXは一台のマシンを複数のユーザが利用する、マルチユーザー向けのOSとして最初から設計されています。

だからユーザーごとにフォルダを分けなければならないし、権限管理も厳しくしなければならなかったという背景があります。

現在、UNIXマシンを複数のユーザーで使うことはむしろ少なくなってきました。
たとえばiPhoneは内部的にBSD UNIXベースのDarwinが走っている立派なUNIXマシンですが、これを誰かと共用することはちょっと考えにくいでしょう。

しかし、こうした権限管理がしっかりしていることによってウィルスに汚染されにくいコンピュータになったというメリットもあります。

iPhoneはエンドユーザに対してこうした複雑な階層構造を敢えて見せてはいません。それはユーザを複雑な迷宮に誘ってしまう可能性があるからです。

しかし、現実には、たとえばボールペンを筆箱に入れて、筆箱をカバンにしまう、ルーズリーフに綴ったノートを本棚の二段目に仕舞う、などなど、2段から3段くらいの階層構造は日常的に管理しているはずです。

いくらコンピュータが進化したからといって、ルーズリーフをバラバラにして、筆箱を捨てペンをバラバラのルーズリーフと一緒くたにカバンに入れるなんてやりかたで万事が効率的にいくとは直感的に思えないわけです。

実際、Web2.0でタギングが流行した結果、ブログには当たり前のようにタグがついています。
この連載にもタグがついています。

しかしタグで検索する人って、一体どのくらいいるんでしょうか。
タグで読むよりも、「誰それが書いた連載」とか「こういうテーマの連載」とかで分類して読むのほうが圧倒的に多いのではないかと思います。

そういう意味ではやはりMacOSの「写真」やGoogleフォトのように、「写真は全てフラットに扱おう。必要な時は検索しよう」という思想はどうしても無理があるように思えてなりません。

私自身、シンプリシティが持つ美しさ、力強さに心を惹かれがちな人間です。
enchantMOONもシンプリシティをとことんまで追求した製品でした。

しかしその結果、やはりわかりにくさという問題が産まれてしまいました。

これはセブンイレブンのコーヒーベンダーにも同じことが言えたのかもしれません。
デザインはシンプルなほど力強さを持ちます。

だからプロダクトデザイナーはできるだけシンプルに、形態が機能に沿うような形でデザインをしたがります。

しかしそれを追求し過ぎると、一見して使いかたが解らないものになってしまいます。

シンプルさとわかりやすさ、そのバランスをとることがどうも重要なようです。

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清水 亮(しみず・りょう)

新潟県長岡市生まれ。プログラマーとして世界を放浪した末、 '17年にソニーCSLとWiL LLC.とともにギリア株式会社を設立し、「ヒトとAIの共生環境」の構築に情熱を捧げる。 '17年より東京大学先端科学技術研究センター客員研究員を兼務。著書として「教養としてのプログラミング入門(中央公論社)」「よくわかる人工知能 (KADOKAWA)」「プログラミングバカ一代(晶文社)」など。