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AIは草間彌生を超えることはできるか

2017.05.15

Updated by Ryo Shimizu on 5月 15, 2017, 08:36 am JST

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 日曜日、大評判の草間彌生展に行ってきました。

 チケットを買う場所からすごい行列で、チケットを買うのに30分並び、入場するのに30分並び、ストアのレジに30分並ぶという混雑具合。

 正直、なぜこれほどまでの人気を呼んでいるのか、筆者個人も想像できなかったのですが、会場全体に漂う草間彌生ワールドが非常に心地よく、引き込まれる独特の魅力を持っていることから納得しました。

 そして悩んでしまったのです。

 「はたしてAIは草間彌生になることができるか」

 暫定的な結論ですが、筆者は無理なんじゃないかと思います。ただし、草間彌生のような存在がAIを使って新しい芸術に挑戦する可能性は十分ありそうだ、と考えています。

 その理由は、草間彌生が草間彌生である理由とも関係しそうな気がします。

 前衛芸術というのは、人工知能の用語で言えば一種の特徴ベクトルです。
 特徴ベクトルというのは、AIに何かを入力させて、出てきた出力結果を言います。通常、特徴ベクトルは人間が見てもわけがわからないもので、これを適切に処理して人間に分かるようにしていきます。もっとも最近は、特徴ベクトルとして画像そのものが出力されるようなケースも少なくありません。

 つまり草間彌生の作品は、草間彌生という芸術家を通して見えた世界や概念を、形式に拘らず出力した特徴ベクトルと考えられます。

 草間彌生の作品には、当然ながらひとつひとつ名前がついています。

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 たとえばこの作品のタイトルは「自殺未遂の日」です。

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 有名な黄色と黒の水玉の作品は「幸福という言葉」というタイトルがつけられています。

 前衛芸術が前衛芸術として成立するために必要なのは、意図があることです。
 意図がない芸術は、単なるノイズなので人に与える影響は限定的です。

 先の二作品のタイトルと作品を見比べて、妙な納得感を感じなかったでしょうか。
 評価され得る芸術というのは、そういう構造が必要なのです。

 草間彌生作品がこれだけあるわけですから、たとえばタイトルを与えると草間彌生の描くような作品を生成するAIを訓練することは原理的には不可能ではないかもしれません。ただ、その作品が面白いかというとまた別の問題です。

 また逆に絵を与えると草間彌生風のタイトルがつくAIも作ることができるはずです。ですがそれに面白さがあるかというとそんなことはありません。

 AIを仕事の中心に置くようになってから美術館に行くと、いつも美術館の企画展では、「この作者はどのような生い立ちで、どのように育ち、どんな体験をして、誰と交流して、誰の影響を受けてこういう作風になったか」ということが詳しく語られます。

 逆に言うと、そういうコンテキストが美術鑑賞に不可欠になっているのです。

 たとえば草間彌生の場合は10歳のときに統合失調症を罹患してしまい、幻覚や幻聴が見えるようになったことから、そうした幻覚をスケッチし始めたのがきっかけということです。

 そんな体験をした人間はほとんど居ませんから、草間彌生は特別であり、彼女にしか見えない世界を我々も分けてもらえている、という現実があるわけです。

 おなじことがAIに起きうるかというと、なかなか難しいと思います。
 AIは人間ではありませんから、AIが仮に何かの疾病(いまのところAIの疾病は発見されていませんが念のため)を罹患したとして、それに感情移入できる人間はいないでしょう。

 もちろんAIによる個展は最初は物珍しさから成立してしまう可能性もあります。しかしAIそのものよりも、AIを作った人物やAIが生まれたプロセスにより焦点が当てられるようにならないと、コンスタントにAIが芸術家として認められる日は来ないのではないかと思います。

 AIは大量の画像を学習することで「表現獲得」という作用を得ます。これそのものは、AIが芸術家になる可能性のある「個性」を持つということを意味しますから、AIがなんらかの芸術的表現を達成することがまるきり不可能というわけではありません。

 しかし、芸術として成立するときに次に重要な要素と思われるのが、狂気です。情熱と言い換えてもいいかもしれません。たとえば草間彌生の場合、巨大なキャンバスにひたすら点を描く、同じような模様をとにかくたくさん描く。同じ主題でたくさん作る、といった狂気が重要な役目を果たします。

 なぜそれが狂気なのかというと、人間がそれをするのが恐ろしくしんどいからです。
 体力的に恐ろしくしんどいことを淡々とやったとき、外から見ている人間に「自分には理解できないけれどもこの人にとっては重要な表現なんだ」と問答無用で伝えることが出来ます。

 ところがAIの場合、出力結果がプリントアウトだと、狂気を感じるようなことはほとんどありません。
 もしかしたら、三次元マンデルブロ集合くらい計算コストが高いと、ある意味で(実行した人に)狂気を感じたりするかもしれませんが、結局「これは良い、これは悪い」という判断をどのように下すのか、という判断基準を持っていないのでやはり芸術とは呼べません。

 画像のスタイルを転写するDeepArtもなかなか凄いんだけど、なにか機械的な感じがして個人的にはなかなか思うような結果を得ることが出来ません。機械なんだから当然ですが。

 そうすると今のところのAIは、模写やパロディのようなことはできても、意味のある省略ができるところまで来ていませんから、到底芸術家の高みには達することができないわけです。

 ひとつだけ、AI芸術家が誕生する可能性があるとすれば、AIと人間のハイブリッドされた場合だけです。東京大学の河口洋一郎先生のように、コンピュータを道具として使ったメディア・アーティストがAIを道具として使うか、もしくはAIと融合して新しい芸術を生み出す可能性も考慮すべきでしょう。

 たとえばAIがその機動性を活かしてランダムなマンデルブロ集合を大量に生成し、ALが「面白い」と思ったもの(最初はもちろん間違っていていい)を人間の芸術家に見せると、人間の芸術家が「これは面白い」「これはそうでもない」という報酬を与える強化学習を行うと、そのうちAIは人間の好みを学習して人間が見て喜びそうな絵を自動的に選び取ることができるようになります。

 これは原始的なハイブリッドですが、もっといい方法があるかもしれません。
 

 

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清水 亮(しみず・りょう)

1976年新潟県長岡市うまれ。6歳の頃からプログラミングを始め、16歳で3DCGライブラリを開発、以後、リアルタイム3DCG技術者としてのキャリアを歩むが、21歳より米MicrosoftにてDirectXの仕事に携わった後、99年、ドワンゴで携帯電話事業を立上げる。'03年より独立し、現職。'05年独立行政法人IPAより天才プログラマーとして認定される。

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