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五十嵐太郎

反東京としての地方建築を歩く01「現代建築のまち、黒部」

2019.05.07

Updated by Tarou Igarashi on May 7, 2019, 16:52 pm JST

建築の世界で起きている「反東京」

現在、日本の建築は世界的に高く評価されている。建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞では、2019年3月に磯崎新が選ばれ、この10年で実に4組もの日本人建築家が受賞した。通算では、日本人の7組であり(人数では8名)、まだアメリカは8人の最多だが、1993年以降の状況を見ると、日本人が6組に対し、アメリカ人は1人しか受賞してない。ちなみに、プリツカー賞を受賞した日本人の建築家の代表作を調べると、最初の二人、丹下健三と槇文彦は東京に存在するが、安藤忠雄以降の5組はすべて地方である。意外に思われるかもしれないが、日本は地方都市にこそ興味深い建築が多いのだ。磯崎にしても、地元の大分県や九州に初期の代表作が集中し、その後も日本各地で美術館などの文化施設を手がけ、海外に進出したが、東京に重要な作品はない。

もちろん、こうした建築家は東京に事務所を構えている。しかし、東京は彼らを重視せず、地方都市、もしくは海外で代表作を実現しているのだ。数年前、筆者がグッドデザイン賞の建築部門の審査を担当したときも、やはり同じような印象を抱いた。つまり、東京は新しい建築や開発は多いけれど、真に前衛的なプロジェクトはむしろ地方都市に散見される。そしてザハ・ハディドによる新国立競技場を白紙撤回にしたことで、ますます東京の保守的な傾向は強くなった。一方で海外のグローバル都市に目を向けると、首都に大胆な建築をつくることで、国際的な競争力をつけようとしている。本当に東京は大丈夫なのか。おそらく、危機感が足りないのだろう。逆にすぐれた建築が地方に登場する背景には、このままではいけない、なんとかしなければという意識がある。

そこで本連載は、地方の都市ごとに、どのような現代建築が生まれているかを見ていく。

現代建築のまち、黒部

黒部市が現代建築のまちだと言ったら驚く人が多いだろう。なにしろ、人口4万人程度の小さな地方都市である。にもかかわらず、例えば、筆者が教鞭をとる東北大学がある100万人都市の仙台市よりも、有名な建築家による作品が多い。例えば、1990年代の富山県まちの顔プロジェクトによって、イギリスの建築家集団アーキグラムのメンバーだったロン・ヘロンが風の塔(1992年)を設計した。他の公共施設としては、長谷川逸子の黒部特別擁護老人ホーム(2000年)、アルセッド建築研究所の黒部市美術館(1994年)、そして国内では最高とされる日本建築学会賞(作品)を受賞した新居千秋の黒部市国際文化センター、コラーレ(1995年)[1]などが挙げられる。とくにコラーレは力強い形態をもち、ホール、図書館、展示場の複合や各エリアの相互浸透などが認められ、大船渡や新潟における近年の新居作品の先駆けとなった。ちなみに、黒部といえば、黒部ダムが思い出されるが、日本海に面した黒部市からはかなり遠い。

現代建築のまち、黒部

もっとも、黒部の建築マップをもっとも豊かにしているのは、YKKの関連施設だろう。しかも東京の代官山ヒルサイドテラスやニューヨークのワールド・トレード・センター跡地の超高層ビルを手がけた槇文彦をはじめとして、オランダのヘルマン・ヘルツベルハーやイタリアのマンジャロッティ・アソシエイツの国内唯一の作品など、世界的に活躍する建築家が設計者として名を連ねている。槇の前沢ガーデンハウス(1982年)[2]は、その嚆矢となった作品だろう。国内外の社員の研修・宿泊施設として作られ、大きな家をイメージし、三角屋根の家型のモチーフを使うなど、当時流行したポストモダンの要素も少し取り入れているが、バブル期に氾濫した過剰な建築とは違う。基本的にはモダニズムをベースとした品が良いデザインゆえに、30年以上が過ぎても古びれた感じがない。現在は結婚式などでも使われるらしいが、前沢ガーデンハウスが長くきちんと使われ、地域に貢献してきた建築を顕彰するJIA25年賞を受賞したのもうなずけよう。

現代建築のまち、黒部

前沢ガーデンハウスを槇事務所で担当したスタッフだった大野秀敏は、黒部においてYKK50ビル(1984年)[3]のほか、YKK64ビル(1999年)、丸屋根展示館(2008年)[4]、健康管理センター(2008年)などを設計した。やはり槇事務所出身の宮崎浩も、吉田忠雄記念室(1995年)やYKK50ビルの繊細なオフィスのリノベーション(2006年)を担当した。槇─大野─宮崎という系列が続くのは、精度が高い上質なデザインを重視しているからだろう[5]。なお、こうした建築のインテリアには、デザイナーの藤江和子が手がけた「家具が使われていることも見逃せない。

現代建築のまち、黒部

海外組は個性的なデザインの建築家が目立つ。構造主義の建築家ヘルマン・ヘルツベルハーは、YKKの黒部寮(1998年)[6]でも、基本単位を反復する明快な形式性を打ちだす。またこの事務所に勤務していた小澤丈夫を含むユニット、teonksも、黒部堀切寮(1999年)[7]を設計した。これは斜路を強調しており、レム・コールハースを想起させるオランダ的な現代建築だ。ヤギ牧場に付設されたイタリアのマンジャロッティ・アソシエイツの基本設計による小さなY&Co.レセプションハウス(2014年)[8]は、鉄骨のフレームの下にガラスの箱を組み込み、まわりの自然を際立たせるセンスが良いデザインになっている。

現代建築のまち、黒部

すぐれた建築家の起用は、YKK APの吉田忠裕の意向によるものだ。建材の会社だからこそ、普段から社員がすぐれた建築に触れる環境を整えている。最近、彼の構想したパッシブタウンが誕生した。第一期は住人が積極的に開口部を調整する小玉祐一郎[9]、第二期は各住戸が三面に向き、ポーラスな空間をもつ槇文彦[10]、単身者用の第三期はリノベーションと減築を試みた森みわ[11]、さらにランドスケープは宮城俊作[12]が担当した。すなわち、異なる設計思想により、自然環境を生かし、エネルギー負荷が少ないパッシブデザインにとりくみ、その効果を測定したうえで、残りの三街区の建設にとりかかるという。感心させられたのは、緑あふれる外構が豊かで素晴らしいこと(パッシブタウンでは、駐車場を地下に設けることで実現)。しかも、ここは住民以外にも開かれており、公園のようにも使われる。街づくりという点では、道路側に飲食店を入れたストリートモール、保育所、スポーツジムなどを入れている。またパッシブタウンは、クルマ社会になりがちな地方において、あえて自動車をあまり使わないライフスタイルも提唱している。

現代建築のまち、黒部

すなわち、これまではあくまでも点として建築家によるYKK関係の作品が黒部につくられていたが、今回は面としての街づくりに踏みだしている。四期以降は海外の建築家も検討しているというから、今後の展開が楽しみなプロジェクトだ。さて、黒部は北陸新幹線が開通したことで劇的にアクセスしやすくなったが、黒部宇奈月温泉駅の駅前の円形ロータリーも気になって調べると、栗生事務所出身の鈴木弘樹が設計したものだった。栗生も槇事務所の出身だから、孫弟子にあたる。なお、栗生は黒部市総合公園の景観ステーション(2001年)を手がけた。官民問わず、槇事務所系列の作品が多いまちである。

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五十嵐 太郎(いがらし・たろう)

建築批評家。東北大大学院教授。著作に『現代日本建築家列伝』、『モダニズム崩壊後の建築』、『日本建築入門』、『現代建築に関する16章』、『被災地を歩きながら考えたこと』など。ヴェネツィアビエンナーレ国際建築展2008日本館のコミッショナー、あいちトリエンナーレ2013芸術時監督のほか、「インポッシブル・アーキテクチャー」展、「窓展:窓をめぐるアートと建築の旅」、「戦後日本住宅伝説」展、「3.11以後の建築」展などの監修をつとめる。

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