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和力表現事典06「余白」

和力表現事典06「余白」

2019.06.18

Updated by Yukimasa Matsuda on June 18, 2019, 17:44 pm JST

ひらがながもたらした余白感

余白とは図にたいする地のことをいう。「余白が活きている」という場合は、図を引き立てるために地が活躍しているときに使う。

余白の効用の発見は、日本ではかなり早い。本書で何度も言及しているが、ひらがなが誕生し、漢字のいわばグリッドに沿っているかのような世界観に、グリッドを超える表現をもたらしたときだ。

ひらがなは、アルファベットのように一文字では意味をなさない表音文字。ただし、アルファベットと大きく違うところは、漢字という、一文字に意味を持つ表意文字から派生したこと。つまり表意文字のニュアンスを持った表音文字、ということができる。

そのため、ひらがなを記すとき、漢字2〜3文字分を使って書いたり、逆に小さく書くなど、臨機応変、変幻自在ということばが似合うほどリズミカルに表現される。

それはあたかも、意味を持っていないはずのひらがなに、意味を認めようとする試みのようにも思える。ひらがなの縦横無尽なサイズ感、空間感が余情を引きだしているように見えるからだ。

これによって、何もない無意味だったはずのホワイト・スペースに存在意義が加わる。ホワイト・スペースは、全体を引き立てるための必要不可欠な空間となったのだ。

そして、ひらがなが和歌を記すための紙、料紙・継色紙(つぎしきし)などの背景表現をともない、より余白を活かした表現が極まっていく。

ひらがなを支える料紙

料紙とは、千代紙を切って貼ったり、そこに波などの文様などを描き入れた、いわばコラージュされた書字用紙。千代紙とは、さまざまな文様が描かれている紙。奈良時代に、宮廷での贈答品などの包み紙用として生まれた。継色紙は色紙を2枚継いだような貼り紙。似たような表現として、ほかに「寸松庵色紙」、「升色紙」があり、あわせて「三色紙」とよばれる。

余談ながら、こうした文様文化のルーツもかなり古い。縄文土器にびっしり描かれた波形やらせんなどの線条文様がそのきっかけといってよいだろう。

アイルランドの、装飾でびっしり埋められている『ケルズの書』の誕生が8〜9世紀であることを思うと、日本の装飾文化のはじまりはかなり早い。

▼図1──縄文時代前期(約6000〜5000年前)の深鉢。縄文土器のよび名は、明治政府から招聘された生物学者、エドワード・モースが、自ら発見した土器を「cord marked pottery」とよんだところからついた。(『カラー版 日本やきもの史』矢部良明(監修)、美術出版社、1998)
図1──縄文時代前期(約6000〜5000年前)の深鉢。縄文土器のよび名は、明治政府から招聘された生物学者、エドワード・モースが、自ら発見した土器を「cord marked pottery」とよんだところからついた。(『カラー版 日本やきもの史』矢部良明(監修)、美術出版社、1998)

▼図2──スコットランドの福音書の写本『ケルズの書』(8〜9世紀)の1ページ。(『ケルズの書』バーナード・ミーハン、鶴岡真弓(訳)、創元社、2002
図2──スコットランドの福音書の写本『ケルズの書』(8〜9世紀)の1ページ。(『ケルズの書』バーナード・ミーハン、鶴岡真弓(訳)、創元社、2002

料紙・継色紙の誕生も、千代紙と同様、奈良時代。だが、発展したのは、やはりひらがなが誕生した平安時代だ。

ひらがなが交じった和歌は、料紙・継色紙に記されることで、ひらがなが持っていた縦横無尽さがより一層引き立てられた。

平安時代に描かれた源重之の家集『重之集(本願寺本三十六人家集)』の一葉を観ると、小舟と笹が描かれた中心と、薄い色の波模様が連続している背景に分かれる。そこでは、中心と周囲を移ろい行く視線の往還が楽しめる。ここですでに図を引き立てるための地の役割が確立している。

▼図3──料紙に描かれた平安時代の歌人の和歌。源重之の家集『重之集(本願寺本三十六人家集)』12世紀はじめ。(「西本願寺本三十六人家集」wikipedia)
図3──料紙に描かれた平安時代の歌人の和歌。源重之の家集『重之集(本願寺本三十六人家集)』12世紀はじめ。(「西本願寺本三十六人家集」wikipedia)

背景の省略

料紙表現が極まると、背景はどんどんシンプルになっていく。余計なものを加えないでテーマに純粋に接近できるような表現を模索するようになる。

そして、現れたのが、美術史家の高階秀爾さんがいう「切り捨ての美学」。「影」でもいくつか例を挙げて触れているが、ここでもう一度見みてみよう。

まず、俵屋宗達や尾形光琳は、対象(描きたいテーマ)を引き立てるために背景をいっさい描かず、金箔で埋めている。そのため、視線は対象に集中する。

▼図4──背景を金箔で覆って風神雷神を浮かび上がらせている俵屋宗達〈風神雷神図(建仁寺蔵)〉江戸時代初期。(「俵屋宗達」wikipedia)
図4──背景を金箔で覆って風神雷神を浮かび上がらせている俵屋宗達〈風神雷神図(建仁寺蔵)〉江戸時代初期。(「俵屋宗達」wikipedia)

▼図5──尾形光琳も俵屋宗達と同様、背景を金箔で覆っている。尾形光琳〈燕子花図〉18世紀はじめ。(「尾形光琳」wikipedia)
図5──尾形光琳も俵屋宗達と同様、背景を金箔で覆っている。尾形光琳〈燕子花図〉18世紀はじめ。(「尾形光琳」wikipedia)

この切り捨ての美学は、俵屋宗達より前、安土桃山時代の絵師、狩野永徳などの狩野派や長谷川等伯に溯ることができる。いやもっと前、水墨画が中国から入ってきて日本的展開がはじまったとき、あるいは『源氏物語絵巻』で、背景を省略するために雲を描いたときからはじまっていたのかもしれない。

▼図6──雲表現を使ってディテールをはぶいている『源氏物語 橋姫』平安時代。(「源氏物語」wikipedia)
図6──雲表現を使ってディテールをはぶいている『源氏物語 橋姫』平安時代。(「源氏物語」wikipedia)

水墨画も、中国ではじまったころから近景と遠景を描き、途中の中景は省略していた。遠景の下端をあいまいに描くのが省略の仕方だ。

この表現法が日本にも伝来し、鎌倉時代後期の13世紀後半から、日本的水墨画が描かれるようになった。日本の水墨画が中国のものと大きく違うところは、モティーフが中心にレイアウトされることがあまりない、ということ。これについては別稿でとりあげる。

そして日本の水墨画は、中景の省略が徹底的に行われ、近景と遠景のみに的を絞った表現が現れた。代表的人物として、水墨画家で禅僧の雪舟らがいる。

▼図7──中景を雲で覆った雪舟〈四季山水図 秋景〉15世紀中後半。(「雪舟」wikipedia)
図7──中景を雲で覆った雪舟〈四季山水図 秋景〉15世紀中後半。(「雪舟」wikipedia)

雪舟らに影響された長谷川等伯の水墨画では、木と木の間が絶妙な間隔で描かれて、余情の醸し方がより巧緻になっている。

▼図8──長谷川等伯の水墨画〈松林図屏風〉左隻、16世紀末。(「長谷川等伯」wikipedia)
図8──長谷川等伯の水墨画〈松林図屏風〉左隻、16世紀末。(「長谷川等伯」wikipedia)

その長谷川等伯と狩野派は、近景のみでも背景を省略するために金箔などを貼るようになった。

▼図9──狩野永徳〈唐獅子図〉16世紀後半。(「狩野永徳」wikipedia)
図9──狩野永徳〈唐獅子図〉16世紀後半。(「狩野永徳」wikipedia)

▼図10──俵屋宗達の表現に通じる背景に金箔を貼った長谷川等伯〈楓図〉16世紀後半。(「長谷川等伯」wikipedia)
図10──俵屋宗達の表現に通じる背景に金箔を貼った長谷川等伯〈楓図〉16世紀後半。(「長谷川等伯」wikipedia)

そして『源氏物語絵巻』にあった雲表現も、16世紀はじめごろから描かれはじめた一連の〈洛中洛外図〉などに受け継がれる。ここでは、近景と遠景も含めた多くの景色を雲表現を介してつないでいる。

▼図11──京都市中とその周辺を描いた、岩佐又兵衛〈洛中洛外図〉1615。(「洛中洛外図」wikipedia)
図11──京都市中とその周辺を描いた、岩佐又兵衛〈洛中洛外図〉1615。(「洛中洛外図」wikipedia)

この中景を省略した近景と遠景表現は、江戸時代の浮世絵でも中心を占めた。葛飾北斎〈神奈川沖浪裏〉では、近景の波によって中景が省略され、遠景として富士を描いている。ゴッホが模写したことで知られる歌川広重〈亀戸梅屋舗〉は、近景の極端なアップで中景の存在を薄くしている。

▼図12──葛飾北斎『冨嶽三十六景』〈神奈川沖浪裏〉19世紀前半。(「葛飾北斎」wikipedia)
図12──葛飾北斎『冨嶽三十六景』〈神奈川沖浪裏〉19世紀前半。(「葛飾北斎」wikipedia)

▼図13──歌川広重『名所江戸百景』〈亀戸梅屋舗〉19世紀半ば。(『アサヒグラフ別冊 美術特集 特集編1 ジャポニスムの謎』朝日新聞社、1990)
図13──歌川広重『名所江戸百景』〈亀戸梅屋舗〉19世紀半ば。(『アサヒグラフ別冊 美術特集 特集編1 ジャポニスムの謎』朝日新聞社、1990)

しかも、どれも平面的である。ちょうど舞台の書き割りのように、平面的な遠景の手前に平面的な中景がきて、そのまた手前に平面的な近景がくる。そこには奥行きという連続性はない。近いものは前にくるだけだ。

ここにも、やはり点景観がある。多くの視点が一枚の絵に集められているのが点景である。その各々の視点の間には雲あるいは空白でふさぐことで、視点と視点の間の距離感を減殺している。それが近景の視点、中景の視点、遠景の視点と一見書き割り的なデジタル感を醸しだしている。

○空白の意味

江戸時代の絵師、土佐光起は、「白紙も模様の内なれば、心にてふさぐべし」(『本朝画法大全』)と述べた。白紙部分は想像力で補え、というのだ。

雲や空白、金箔が敷き詰められた色ベタ部分は、単なる何もない空間ではない。ものいう空間である。それが「余白」というものの存在意義だが、具体的には、自然の風景をイメージしていると思われる。

日本人は、四季の移り変わりを屋内でも感じとろうとしてきた。それが縁側であり、外の風景が透ける障子についた窓であり、屏風、襖である。季節ごとに襖や屏風を変えるのも十全に季節を味わい尽くしたいがため。

借景ということばがある。庭園をつくるとき、庭園の外の山や森も庭園の一部として造園するようなことをいう。外の風景を借りて自分の庭としてしまうことだ。

その借景の発想が、家のなかにも持ち込まれる。庭が、襖や屏風の白地、金地にイメージのなかで映り込む。そこに(見えないけれど)風景があるように感じるのだ。それが西洋のように、自然と対立し、克服しようとするのではなく、自然との一体化・同化を望んできた日本人の暮らしである。

「自然のなかに人工の領域を執拗に把握することが西洋人の態度であり、それが西洋建築に如実に示されている。それを人間中心的態度とよぶとすれば、われわれ日本人の態度はきわめて自然的である。前者は自然に対立して人間がその存在を維持しようとする態度であり、後者は、人間が自然のなかに姿をかくして、それと融和しようとする態度である」(木村重信『東洋のかたち』)。

西洋での背景の省略

西洋でも背景を省略した絵が、日本でいえば室町時代後期に現れた。日本では水墨画が全盛のころで、背景をあからさまに省略する絵はまだ現れていない。

それは16世紀前半の、アルブレヒト・デューラーのサイの絵。1515年、ヨーロッパのポルトガルに、はじめてサイがアフリカから連れてこられた。

デューラーは、サイを直接見たわけではなかったが、伝聞に惹かれ、精密な絵を描いた。といっても伝聞がもとになっているので、実物とはかなり違った鎧を着ているようなサイとなった。

▼図14──デューラーが描いたサイ、1515。(「アルブレヒト・デューラー」wikipedia)
図14──デューラーが描いたサイ、1515。(「アルブレヒト・デューラー」wikipedia)

ところが、この絵の臨場感が評判となり、各地で模写され、ヨーロッパ中に出回った。そして、人びとが抱くサイのイメージは、とうとうデューラーの描いたサイのようなものになってしまった。

ただし、硬そうな皮膚を持つ、というサイのイメージはしっかりと伝わっている。デューラーはイメージを絵にしたのだった。

18・19世紀にブームとなった博物画も背景を白地にして省略するか、できるだけシンプルな背景にしている。

16世紀に探検航海がはじまり、世界各地からめずらしいものがヨーロッパにくるようになった。コショウなどのめずらしい食材ばかりではなく、まだ見たこともない驚異を求めて、国家の庇護のもと探検航海にでた。もちろん、植民地化するという目的のついでだったが。

そこに天文学者などを含めた科学者たち、ガリレオ・ガリレイやケプラーなどが輩出し、17世紀はじめ、「観測・観察」することの重要性が浮上した。近代科学の勃興である。

そして18世紀、リンネやビュフォンが、自然観察にもとづいた博物誌をつくり、博物画がブームとなった。

▼図15──ビュフォンが、縞が美しいとしたシマウマの一葉、『一般と個別の博物誌』1798-1808。(『ビュフォンの博物誌』ジョルジュ=ルイ・ルクレール・ビュフォン、C・S・ソンニーニ(原編集)、荒俣宏(監修・解説)、ベカエール直美(訳)、工作舎、1991)
図15──ビュフォンが、縞が美しいとしたシマウマの一葉、『一般と個別の博物誌』1798-1808。(『ビュフォンの博物誌』ジョルジュ=ルイ・ルクレール・ビュフォン、C・S・ソンニーニ(原編集)、荒俣宏(監修・解説)、ベカエール直美(訳)、工作舎、1991)

しかし、こうした博物画と、デューラーや狩野派などの一連の背景を省略した絵画とは大きく違っていた。博物画は、対象である植物や虫などを子細に観察して描いた写実画だった。一方のデューラーや日本の絵画の多くは、記憶をもとに描いている。つまり、イメージ画なのだ。

記憶をもとに描くと、特徴は増幅され、写実画よりも多くのイメージを生き生きと伝えられることがある。

背景を省略した絵画のルーツである水墨画こそ、イメージを強調した表現。その水墨画を基点としているので、イメージを強調することが絵画のコンセプトになるのは当然である。

クローズアップの効用

浮世絵の平面性と、近景のアップ、背景の省略の仕方が、19世紀末にフランスの画家たちに影響を与えたことは、本書の随所で触れている。

ヨーロッパの遠近法では、近景から、中景、遠景へと順に描く。中景の省略もない。ましてやクローズアップもない。だから日本の浮世絵の表現に衝撃を受けたのだった

なかでも浮世絵が得意とした「クローズアップ」と余白の関係について、まず狩野永徳の絵からみてみよう。

狩野永徳の〈檜図屏風〉は、近景の檜の上下を大胆にカットすることで、前出した歌川広重を彷彿させる迫力ある筆致となった。

▼図16──狩野永徳〈檜図屏風〉1590。(「狩野永徳」wikipedia)
図16──狩野永徳〈檜図屏風〉1590。(「狩野永徳」wikipedia)

このクローズアップの効用は、近景のイメージが画面いっぱいに広がることである。そこにどれだけ何も描かれていないところがあろうと、檜の延長上にあると感じられる。まさに、土佐光起の「白紙も模様の内なれば、心にてふさぐべし」である。そこは単なる何もない空間ではない。

長澤蘆雪の六曲一双(6枚のじゃばらの屏風が左右に2種あること)の金屏風〈白象黒牛屏風〉では、右隻(右側のじゃばら)に巨大な白象、左隻に黒牛が描かれている。巨大さが比較できるように、白象にはカラス、黒牛には白い子犬も描かれている。

▼図17・18──長澤蘆雪〈白象黒牛屏風〉18世紀末。(『プライス・コレクション──若冲と江戸絵画』東京国立博物館/日本経済新聞社(編)、日本経済新聞社、2006
図17・18──長澤蘆雪〈白象黒牛屏風〉18世紀末。(『プライス・コレクション──若冲と江戸絵画』東京国立博物館/日本経済新聞社(編)、日本経済新聞社、2006
図17・18──長澤蘆雪〈白象黒牛屏風〉18世紀末。(『プライス・コレクション──若冲と江戸絵画』東京国立博物館/日本経済新聞社(編)、日本経済新聞社、2006

背景はうっすら雲のようなただよっている気配が描かれているが、ほとんど気にならない。背景が無いように感じる。

右隻の、右から3枚目は、ほとんど何も描かれていない。下のほうに4枚目の線が少し残っているくらいだ。これもそこには何も描かれていないのではなく、そこには白象の腹があるのだった。

同じ長澤蘆雪の〈虎図襖絵〉では、4枚の襖に虎が全面に描かれている。右下の草むら以外の背景は白いまま。ここでも迫力ある虎が目に入る。

▼図19──長澤蘆雪〈虎図襖絵〉18世紀末。無量寺蔵。
図19──長澤蘆雪〈虎図襖絵〉18世紀末。無量寺蔵。

左端には、なんと虎のヒゲ部分しか描かれていない。しかし、ここでもその白い背景には何も描かれていないのではなく、虎がクローズアップされていることで、虎の気配が’充満しているのだった。

このクローズアップによる充満の感じ方は、鴨長明が『方丈記』で四畳半のスペースが最高と語り、利休が四畳半より狭い二畳を美学的スペースと述べたことにつながってくる。

もともと農耕民族は、狩猟民族と違って、地を這いながら生活している。遠望しようにも木々が邪魔することが多い。木々でトリミングされた風景は、さまざまな相を見せてくれる。これが点景である。小さく切り取られた風景は、それだけで充実した印象を与える。すべてが一体となっているように感じられるからだ。

この感覚が四畳半であり二畳における充実感である。ここから日本のミニチュア志向にもつながってくるが、それについては別稿で。

何かが潜む余白

こうした充実した余白という感じ方は、江戸の美学に昇華する。

「江戸美学では、モノわかりの早いことは『徳』の一つであって、ツウといえばカアというのが『イキ』で、うでうでくでくで、一から十まで説明されないと嚥み込めないようなのは『やぼ』とされてきた」(安田武『型の日本文化』)。

いわなくてもわかるだろ、余白には何かが潜んでいる、というわけだ。これはちょうど、日本の妖怪のあり方にもつながってくる。

物理学者の寺田寅彦さんは、人間が発明したもののなかで「化け物」こそ最大の傑作だ、と述べている。「化け物にはその民族の宗教と科学と芸術が総合されているからである」(『怪異考 化物の進化』)。

平安時代以来、よいことをするのは神であり、その他の災厄・不可解な現象はすべて化け物・妖怪の仕業にされた。寺田寅彦さんの言い方を借りれば、妖怪の存在は「作業仮説」(寺田、前掲書)となる。

妖怪といっても場合によっては神にもなりうる両義的な存在である。だから愛されもした。西洋の、神と対峙する悪魔は嫌われるだけだし、神にもなれない。

妖怪たちは、闇という闇には必ずいた。さまざまなもの、たとえば動植物、器物はもちろん、稲光などの現象も形をなして潜んでいた。そして、必ず名前がつけられた。存在証明みたいなものだ。

▼図20・21──鳥山石燕が描いた妖怪「骨傘」と「天井下」。(『鳥山石燕 画図百鬼夜行全画集』鳥山石燕、角川ソフィア文庫、2005)
図20・21──鳥山石燕が描いた妖怪「骨傘」と「天井下」。(『鳥山石燕 画図百鬼夜行全画集』鳥山石燕、角川ソフィア文庫、2005)
図20・21──鳥山石燕が描いた妖怪「骨傘」と「天井下」。(『鳥山石燕 画図百鬼夜行全画集』鳥山石燕、角川ソフィア文庫、2005)

この闇の反転したものが余白である。余白は充実感としてそこに存在している。

「行間を読む」とよくいわれる。グラフィック・デザイナーの杉浦康平さんは、それに物理的な根拠を与えた。書籍のサイズを本文の大きさから割り出したのだ。つまり、書籍のタテヨコサイズをその本文の大きさの何倍、ということで決めた。

通常の単行本である四六判のサイズは、出版社によってばらつきがある。おおむね、タテ187〜190mm、ヨコ128〜132mm(ヨコ132mmの場合は特注の紙を使っている場合で、普通はヨコの上限が130mm)の範囲。ただし、この数値の上限内(タテヨコ190mm×130mm)なら問題はない。

そこでたとえば、本文13級の場合、タテ13級×58字、ヨコ13級×40字がこの範囲に収まる。そこでこの四六判のサイズはタテ188.5mm、ヨコ130mmになる。13級の文字がびっしり埋まっている紙面に13級の本文が載る、というイメージだ。

まさに、行間にも欄外の余白にも見えない文字がびっしりあることになる。行間を物理的に解釈したアプローチである。日本語が四角い枡に1文字ずつ記されることによってできる解釈といえる。欧米語のように、1文字の幅が決まっていない言語では成立しずらい論理だ。

余白とクローズアップの西洋的展開

日本的余白のヨーロッパへの影響は、19世紀末に現れた。

まず、19世紀半ばのフランスで、ジュール・シェレが、女性のイラストをポスターに大胆に扱い、ポスター・デザインに新風を巻き起こした。そしてポスター文化が定着するとともに、ポスターを目立たせるためのさまざまな工夫が試された。

ジャポニスム・ブームが極まった1890年代はじめ、アンリ・トゥールーズ=ロートレックやピエール・ボナールは、ポスターに色面を導入しはじめた。ポスターに描かれた人物の、服装のシワなどのディテールは描かず、1色で塗りつぶしたのだった。浮世絵の平面性の影響である。同時に人物の顔のクローズアップなども行い、より迫力のある画面をつくった。

このあとすぐに、平面性と色ベタ、クローズアップは、アール・ヌーヴォーに受け継がれ、そして、20世紀にはじまる抽象表現の基本的表現手法となった。

こうした表現は、広告デザインの世界にも波及し、ほどなく当たり前の手法となった。クローズアップで得られた余白には、クローズアップされたものの余韻が立ちこめる。余白はいわばイマジナリー・スペースとなった。

▼図22──車のクローズアップが余白とも相まって、迫力をもたらしている。ヨゼフ・ミューラー・ブロックマンの交通安全ポスター「子どもを守れ」1953。(『世界に衝撃を与えたグラフィックデザイン──100のアイデアでたどるデザイン史』スティーブン・ヘラー/ヴェロニク・ヴィエンヌ、Bスプラウト、2015)
図22──車のクローズアップが余白とも相まって、迫力をもたらしている。ヨゼフ・ミューラー・ブロックマンの交通安全ポスター「子どもを守れ」1953。(『世界に衝撃を与えたグラフィックデザイン──100のアイデアでたどるデザイン史』スティーブン・ヘラー/ヴェロニク・ヴィエンヌ、Bスプラウト、2015)

参考文献
『日本人にとって美しさとは何か』高階秀爾、筑摩書房、2015
『東洋のかたち』木村重信、講談社現代新書、1975
『芸術と科学のあいだ』福岡伸一、木楽舎、2015
『時の冒険──デザインの想像力』松田行正、朝日新聞出版、2012
『型の日本文化』安田武、朝日選書、1984
『怪異考 化物の進化──寺田寅彦随筆撰集』寺田寅彦、中公文庫、2012

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松田 行正(まつだ・ゆきまさ)

書籍を中心としたグラフィック・デザイナー。「オブジェとしての本」を掲げるミニ出版社、牛若丸主宰。「デザインの歴史探偵」としての著述にも励む。著作は、「和」のデザインとして、『和力』『和的』(どちらもNTT出版)。近年の著作として、『デザインってなんだろ?』(紀伊國屋書店)、『デザインの作法』(平凡社)。歴史的デザイン論として『RED』『HATE!』(どちらも左右社)など。