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鍋料理には「お里」が知れる怖さがある ウイスキーと酒場の寓話(6)

2019.11.03

Updated by Toshimasa TANABE on November 3, 2019, 16:41 pm UTC

寒くなってきたから鍋でも食べようか、などと思うようになったのだから、歳を取ったものだ、と感じる。若い頃は、まったくそんなことは思わなかった。北国育ちということもあるが、「どうせ店は暖房なんだし、鍋なんて暑いだけだろう」というのが実感だった。湯豆腐などというものが典型だ。豆腐を食べてそんなに嬉しいかよ、的な感じだった。

鍋ものには、まともな鍋を1人前で出してくれる店がなかなかない、という問題もある。鍋は2人前から、という店は多いものだ。2人前であっても、常識的な量なら問題なく腹に収まってしまうとは思うが、晩飯を鍋だけで済ませたくはないのである。

一方で、自宅で独りで自炊鍋だと、味などは好きにできるものの、材料が余りまくってしまう。長ネギなら1本で良いし、白菜も4分の1カットでさえ多過ぎる。豆腐は半丁もあれば十分だ。

鍋というものは、「お里」が知れる怖い食べものでもある。例えば、竹の筒を半分に割った器に入った鶏のつみれを竹筒ごと鍋に投入した人(某有名私大卒)がいた。軍鶏鍋を「ぐんどりなべ」と読んだ人(別の某有名私大修士卒)もいた。勉強はできても何も知らない、ということがバレてしまうのだ。

さらに、食べ方のマナーから、育った家庭のすき焼き以外はすき焼きと認めない、といった単なる田舎者丸出しの頑迷な話まで、鍋はいろいろと怖いものだ。

マナーという面では、周りのペースに配慮せずにどんどん取っては食べまくる、ひたすら肉だけを自分の器に溜め込んでいる、といった行為はかなり恥ずかしい。

頑迷方面では、すき焼きの作り方に限らず、ジンギスカン(焼肉の一種であって鍋とはいえないかもしれないが)の焼き方など、どんな場であっても自分の流儀を変えない、変えたくない、あるいは他人の流儀を否定する、という態度がそれである。

鍋というものは、「コミュニケーションの場」でもある。そういうところでどう振る舞うべきか、と考えて鍋を囲まなければならない。

例えば、「どじょう鍋」(写真)というものがある。浅い鉄鍋に下拵えをしたどじょうが隙間なく並べられていて、そこに割り下を加えて、長ネギを刻んだものを大量に乗せる。長ネギに火が通ってきたら、どじょうと長ネギを一緒に食べる。好みで七味や山椒を振って食べる。どじょうというよりむしろ、長ネギをどじょうを使って美味しくたくさん食べる、といった風情である。定番の追加トッピングとして「ささがきごぼう」があるのだが、ごぼうの味が支配的になってしまうので、2枚目の鍋からにしたい。ところが、同行者が最初からごぼうを乗せるのが好み、ごぼうがないと物足りない、という人だったことがある。このときは、「1枚目で素の味を楽しんで、2枚目からごぼうを追加しませんか、どうせ4枚は食べるのだし」というような話をして納得してもらったが、頑固者同士(あるいは少食な人)だと困ったことになっていたかもしれない。

どじょう鍋

某居酒屋チェーンのすき焼きは、鍋に油を敷いただけであとは勝手に作れ、しかも1人前からOK、というありがたい内容だった。これに割り下(卓上には醤油があるので砂糖だけでも良いのだが)が出てくるので、好みの味に仕上げることができる。肉を軽く焼いてから割り下をかけて、あまり甘くない方が良いので飲んでいる純米酒と醤油を少し足す。

独りですき焼き、というのは本当に落ち着いて食べられて快適だ(焼肉にも同じことがいえるが)。肉は全部自分のものだし(2人で肉が5切れなんかだとメンドクサイものだ)、卵は使わなくて良いし(せっかくの肉や割り下が黄身の味になってしまうし、冷めてしまう)、味付けも自分の思うままにできる。すき焼きというのは、たかだか親から教わったという程度の話なのに「こうでなきゃならん」的な頑迷な人が多い典型例ではないだろうか。もちろん、地方色というものはあるのだが。

別の見方をすると、大勢で食うべきではない鍋料理の筆頭なのかもしれない。例えばこれが「寄せ鍋」などになると、誰も本格なものを知らなくて自信がないので、問題は起こりにくい。ただし寄せ鍋にしてもすき焼きにしても、名店とされているところでは、その店の流儀を全員が受け入れることになるので、それはそれで悪くないことだろう。

ありがたいことに、近所には1人前の鍋を出してくれる店がいくつかある。それもあって、最近はよく独りで鍋を食べるようになった。もやしたっぷりの牛ホルモン鍋(もちろんホルモンもたっぷり)は、通年提供で大変にありがたいし、店は冷房が効いているので夏でも暑くないのが良い。鍋は、腹にやさしいし、野菜、肉、魚など、いろいろな素材が食べられるのも良い。特に、加熱してくたっとなった野菜をたくさん食べられる。

外で食べる鍋は、たいていは卓上コンロで煮立たせるだけで出来上がるようになっていて、これなら鍋の作り方などで馬脚を現す心配もない。春菊が底の方に隠れていて呆れたりすることもあるが、そこは点火前に材料の配置を確認して、上に移動させたりするのである。

あるとき、ポン酢で食べる「ちり鍋」が食べたいな、と思っていたら、チェーンの居酒屋に「鱈ちり湯豆腐鍋」というのがあった。残念なことに春菊が下の方にあったので、引っ張り出して一番上に乗せてから火を点けた。しかしこういう鍋は、中途半端でごった煮的な「寄せ鍋もどき」などより、テーマがはっきりしているし、なにより安くてありがたい。

とはいえこれは、独りで食べるから良いのである。全部、自分が食べるのだ、という安心感から始まって、2人で食べたりすると、お里が知れたり馬脚を現してしまう可能性もなくはない。

そういうわけで、1人前の鍋を独りで食べているのだが、やはり鍋は寄せ鍋に止めを刺す。本格な寄せ鍋は、材料の火の通りやすさに合わせて事前に湯がくなどの下拵えがされているので、鍋全体に火が通ったときには、中に入っているすべての食材がどれも食べ頃になっているものだ。だから、さっさと食べてしまわなければならない。

広島で食べた牡蠣の土手鍋も忘れられない。仲居さんが見事な手際で牡蠣も野菜も、すべてを完璧に食べ頃の状態にして取り分けてくれる。「客に任せてしまっては、この美味しさを体験できずに終わるだろう」という強い意思を感じさせられた。

もう一つ忘れられないのは、津波に被災する前の奥尻島の民宿で食べた「ウニ鍋」。ウニと豆腐と長ネギだけで出汁は塩味。囲炉裏端で酒を飲みながら、囲炉裏に吊るした鉄鍋から自分で取って食べる方式だった。

鍋料理は絶滅寸前、ということもいえる。多くの家庭や安い居酒屋で食べる鍋は、鍋料理というよりは単なる「ごった煮」だったりする。材料を入れる順番も何もあったもんではない。最初からすべての材料が下拵えもなく入っていて、煮立たせるだけである。火の通りやすさ、加熱し過ぎると不味くなってしまう材料、などには頓着しない。

手軽といえば手軽だし、客の側が無知であるが故に台無しにしてしまう場合もあるだろう。鍋や焼肉というのは、客に仕上げを任せるというものなので、客にどこまで何をさせるか、の見極めの結果でもある。何より、安い店であれば、あまり多くを望むのも酷であるし無粋である。

また、材料の種類が多過ぎる、いろいろなものが入り過ぎていると感じられることも多い。インドカレーもそうであるが、鍋というものは、メインの食材とそれに合うものをどうやったらシンプルに美味しく食べられるか、というテーマが明確になっているべきなのだ。

最後に、懐かしく、かつ大好きな鍋を二つ紹介しておきたい。私の「お里」(父は札幌の薄野で居酒屋をやっていた)はこの程度である、という馬脚でもあるが、「ハタハタ鍋」と「鶏団子鍋」である。

・ハタハタ鍋

材料は、大量のハタハタ(少なくとも1人10尾くらいは欲しい)、白菜、長ネギ、お好みで豆腐。この段階で、ハタハタが希少魚となっている今では、もう失われた鍋だと知れる。ハタハタは鱗がないので、アタマを落とすだけで下拵えは楽である。

昆布とかつおの醤油出汁に野菜を入れてから、ただただハタハタを煮ては食い煮ては食いというものである。プツプツとしたブリ子の歯ごたえも楽しいが、やはり身はオスの方がが美味い(シシャモなんかもそうである)。子供の頃は、こうやってハタハタを20尾くらい食べていた。

・鶏団子鍋

材料は、鶏ひき肉、白菜、長ネギくらいが必須であとは適当でOK。エノキやシイタケ(マイタケは出汁の色が悪くなるので今ひとつ)、豆腐、春菊などを入れても良いし、別になくても構わない。

鶏ひき肉は、つなぎに全卵と小麦粉を少し入れて、酒、しょうゆ、おろしショウガの搾り汁で薄く下味を付けて、スリ鉢で軽く当たって滑らかにする。出汁は、昆布とかつおの醤油味。東京の蕎麦屋の鴨南蛮をイメージしてちょっと濃いめの味にする。隠し味に少量のバターを落とす。

出汁に野菜を入れて煮立たせたら、鶏のひき肉をスプーン2本で丸く整えて投入して、火が通る端から食べる。

どちらの鍋も、最初にすべてを鍋に入れてしまわずに、魚も肉も逐次投入で「煮え端」の美味さを味わうのが肝要だ。豆腐なども同様だ。白菜の根元など火が通りにくいものは、最初に入れておく。

 

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田邊 俊雅(たなべ・としまさ)

北海道札幌市出身。システムエンジニア、IT分野の専門雑誌編集、Webメディア編集・運営、読者コミュニティの運営などを経験後、2006年にWebを主な事業ドメインとする「有限会社ハイブリッドメディア・ラボ」を設立。2014年、新規事業として富士山麓で「cafe TRAIL」を開店。2019年の閉店後も、師と仰ぐインド人シェフのアドバイスを受けながら、日本の食材を生かしたインドカレーを研究している。