妙な話から始めますが、日本国憲法第八九条の内容をご存じでしょうか。そこには「公金」は「公の支配に属しない慈善、教育、博愛」の施設に支出してはいけない、という意味のことが明確に書かれています。実はその前に、「宗教」に対しても同様の記述があります。よく総理大臣や閣僚が靖国神社に参拝するときに、榊代は自ら出費した、と態々断る習慣があるのは、この項の縛りを意識してのことです。
しかし、宗教施設の次に「私立の教育」、つまり私立学校に公金を支出してはならない、とあるのは何事でしょうか。現在、私学助成金というもので、小学校から大学・大学院に至るまで、私立学校の経営が成り立っています。まさしくここでは、憲法が違反されていることは明白のように見えます。
さらにいえば、私立学校の中には、いわゆるミッション・スクールと呼ばれ、キリスト教教育の一環として、礼拝などの宗教行事が行われているものも多く、他方では仏教教育に専念する学校も少なくありません。
こういった意味で私学助成は、憲法八九条の宗教への縛りも含めて、すべてに違背しているように見えます。いや「見えます」という表現は誤りで「違背しています」と書かなければならないでしょう。この現状を追認するのであれば、九条云々などよりも真っ先に憲法改正が必要とされる項目の一つが、この第八九条のはずです。
まあ、憲法九条の場合と同じく、これが憲法違反ではない、という理屈付けが今ではいろいろと考え出されていることも、付け加えなければなりません。しかし、この第八九条が作られた背景を考えてみることも、必要なことかもしれません。
これも、現憲法が占領軍の意向に沿って造られたことを示す、一つの明らかな証でもありましょう。要するに戦時中、天皇を頂点とする国家神道の名の下で、宗教による国家支配が行われていた、という判断が強く影響したことは確かでしょう。太平洋戦争の時代には、小学校に、ちょうど各家庭に神棚を置くことが奨励されたように、天皇の御真影と教育勅語が収められた奉安殿が設けられ、その前では校長から生徒に至るまで、姿勢を正して礼拝することが求められました。
もっとも、それより遥かに前の明治二十四(1891)年一月、第一高等中学校(後の第一高等学校)において、前年に発布された教育勅語の奉読式が挙行された際、同校に奉職していた内村鑑三が、勅語の御真筆(コピーであったはず)の前で敬礼をしたが、最敬礼にはなっていなかった、と学生たちが騒ぎ出し、結局、内村は同校を辞めることになった、という事件がありました。世にいうところの内村不敬事件です。
プロテスタント系でも、有力な神学者であった植村正久は、礼拝する対象は自分たちが信じる神のみである、という主張を公にし、同じプロテスタント系で、いわゆる熊本バンドのメンバーの一人であった金森通倫は、皇室崇拝や神社・仏閣の前での礼拝などは、一種の儀礼として、キリスト教徒にも許される旨の発言をして、キリスト教内部でも意見が分かれるという現象も起きましたが、宗教と教育の接点における深刻な問題が提起されたわけです。
因みに、お前はどう考えるのか、と問われたら、私は金森流です、と答えます。私はキリスト教信徒のはしくれですが、神社前で二拝、二柏手という決まりごとを守るのに抵抗はありませんし、仏閣での拝礼もいたします。自分のその行為に、自分としては単なる儀礼の意味しか認めていませんし、他方、そうした聖域で、何事のおはしますかは知らねども、忝く、と感じれば、それはそれで認めて良いし、だからといって自分の信じる神を裏切ることにはならないと思っているからです。
別の観点からいえば、日本の禅仏教とカトリシズムの間には、長い間のうちに密接な関係ができています。西の伝統では、山田無文老師(1900-1988)によって始められた臨済禅の禅文化研究所が、第二代の平田精耕老師(1924-2008)に受け継がれて、東西霊性の相互浸透という課題を掲げて活動してきました。平田老師には筆者も親交を戴きましたが、永らく天龍寺の管長を務められました。京大の哲学科を卒業され、ドイツに留学の経験もある、れっきとした西洋哲学、宗教の専門家でもありました。
また、曹洞禅の弟子丸泰仙老師(1914-1982)は、ヨーロッパでの禅普及の責任者として、フランスを中心に、その思想界に大きな影響を与えた方であり、カトリックの修道院と日本の禅寺との間に、僧侶と司祭の相互交流も実行されてきましたし、この伝統は今も続いています。
東の伝統は、イエズス会の上智大学に主動されています。大学には秋川神冥窟という座禅のための庵があって、大学内にも座禅会が定期的に開かれています。現在の主導者は、哲学科の教授であり、ドイツ名家の出で、俊才と謳われた神父クラウス・リーゼンフーバー名誉教授ですが、その前は、東大工学部出身という異色の過去を持ちながら、神父となり、かつ禅に傾倒した門脇佳吉師(1926-2017)でした。ところで、神冥窟を開いたのは愛宮真備(えのみや・まきび、1898-1990)愛雲軒老師です。
これには多少の説明が必要でしょう。愛宮師はドイツ生まれ、ラサール(Hugo Lassalle)という名を持つイエズス会司祭でした。愛宮真備は日本に帰化したとき、東大寺造営の責任者でもあった当代随一の知識人吉備真備(695-775)を慕っての命名であった、と聞いています。というのも、ラサール師の前半生は広島に捧げられたといってもよく、今では重要文化財に指定されている世界平和記念聖堂の建堂に心血を注いだからです。この聖堂は、広島教区の司教座聖堂(カテドラル)であり、本来、幟町教会としても親しまれてきましたが、今は宗派を超えた、広島からの平和発信の根拠地の一つのように考えられています。
何故、彼は広島にそれほど拘ったのか。彼はイエズス会の命を受けて日本に赴任すると、社会活動などに挺身していましたが、会の要職に指名され、上智大学の神父館に縛り込まれるのを避けて、広島に移住し、そこにイエズス会の本部を置きます。そして1945年8月6日を迎えます。彼はそこで重傷を負います。その経験が聖堂建設へと駆り立てたのでしょう。
しかし、すでに西国にいる間に、彼は禅にも関心を持ち、接心を経験したりしていたようです。広島郊外に神冥窟を造っていました。その後、東京に呼び戻されて、上智大学で教えるようになりますが、それが彼の「カトリック禅」あるいは「禅カトリシズム」とでもいうべきものへと発展したわけです。なお、余談ですが、私の大学院時代の論文指導教授山崎正一師は、西欧近代哲学の専門的研究者であると同時に、臨済禅の興禅寺の住持でした。ところで、愛宮師の一生は、とても短い文章では語りきれない内容を持っていますが、ここは詳述の場ではないので、ここまでにして、話を戻しましょう。
日本国憲法の第二十条には、こうあります。「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」。この条文は、実は二つの別のことをいっています。前半は、個人が、どのような宗教を信じようと、あるいは様々な宗教からどんな距離を置こうと、それは当の個人の自由であって、これは誰も妨げてはならないことが述べられています。後半は、いわゆる「政教分離」の原則であって、政治が特定の宗教によって影響を受けることを、根本的に否定しているものということができます。
しかし、考えてみると、先に述べたミッション・スクールや仏教の学校では、生徒たちに、当該の宗教の理念を強制しているように思われます。いや、そんなことをいえば、そもそも家庭教育からして問題になりませんか。一般に主要なキリスト教の諸派の家庭では、子供が生まれると、赤ちゃんに洗礼を施します。幼児洗礼と呼びます。もっとも、洗礼という多くの信者にとっては決定的な出来事の意味を認めない派もないことはありません。
そもそも洗礼とは何か。ユダヤ教の段階で、異教徒が改宗してユダヤ教徒になる際に、水によって浄められる習慣はすでに、続いていたといわれています。しかし、洗礼者ヨハネの出現とその行いは、イエスにも洗礼を授けたという事態を迎えて、洗礼という行為の意味に飛躍的な重要性を与えた、と解釈されるのが普通です。その結果として、新約の世界では、洗礼は神と信徒との間で交わされる契約であって、いったん交わされたこの契約は、人間の側の都合で破棄したり、無効にしたりすることはできない、というのが公式の(例えばカトリックの)解釈になります。同じような契約には、結婚と、聖職者になる際の誓約があります。
プロテスタントでも、結婚の式において、牧師は、二人の手を結ばせ、その上に自らの手も置いた上で、神の前に両者が結婚によって結ばれたことを宣言した後、神の手によって結ばれたこの関係は、何人も離すことができない、と言葉を添えるのが普通です。他方、カトリックでは、現在も聖職者(神父、司祭)は独身性(celibacy = 英語)が守られ、これを圧して結婚すると、司祭として働けなくなります。
実は、これには例外的措置があります。プロテスタントの聖職者(男性牧師)は、通常は妻帯が自由ですが、カトリシズムでは、神の前で男女が契約を結んだものである結婚は、これも人間の都合で破棄も、無効化もできないことになっていて(これが、カトリックで離婚が認められない理由です)、そういう妻帯したプロテスタントの聖職者が、カトリックに改宗し、聖職者として認められれば、その結婚生活は有効とみなされることになっています。ですから、世界にはカトリックの司祭でありながら、妻帯している人が絶無ではないことになります。
しかし、通常は司祭が結婚すると「司祭職の停止」という処置を受けますが、「司祭であること」自体は、生涯にわたって撤回も無効化もできないのです。そこは、通常の仏教の世界における「得度」と「還俗」との関係とは、少し違うことになりましょう。一般的に仏教では、いったん還俗した元僧侶が「再出家」することは十分あり得ますが、カトリシズムでは「再」ということはあり得ないからです。
洗礼にもいろいろな形があり得ます。ある宗派では、本当に川に放り込む、ということを習慣にしています(もっとも、幼児洗礼にそれが適用されることはないはずですが)。幼児洗礼の場合、多くは額に聖水を注ぐ、程度の儀式に終わるのが普通です。いずれにしても、神に代わるべき聖職者の手で行われる洗礼は、それだけ、決定的な意味を持っていると考えられています。
幼児洗礼は、その決定的な意味を持つ信仰上の行為を、本人の意志を問うことができない誕生したばかりの赤ちゃんに定めてしまうのですから、幼児洗礼を認めない宗派があってもおかしくないとは思います。しかし、幼児洗礼がいけないならば、一般に教育とは何なのでしょうか。別段、宗教養育でなくても構いません。自分の明確な意志と選択の判断基準を持たない子供たちに、大人たちの間の既存の価値を教え込むことが、教育の一つの側面です。それが全く疑問視されないのは何故でしょう。宗教的価値を子供に強制することは悪で、既存の社会の価値観を子供に強制するのは善という価値観は、問題にしないで良いのでしょうか。
人間は一人では生きていけない。社会の中で育まれ、社会の中で、一人の人間として認められる存在になる。
それはその通りでしょう。しかし、異文化に触れたある種の人々の体験が語ることは、自分が何故別の文化のなかで育てられてしまったのか、その運命を呪いたい、と感じるのだそうです。文化に選択ができるなら、幼児のときに文化の選択ができなかったことを、根底から残念に思うことも人間にはあるようです。
では、こうした問題に対処の方法はあるのでしょうか。話題は宗教を離れるようですが、暫くは我慢をして下さい。それは、ヒトが人間になる、ということです。ヒトは、他の生物に比べると際立った特徴があります。ここでいう特徴は、普通にいわれる「万物の霊長」などの表現に代表される「優れている」というものとは違います。むしろ、マイナスの特徴です。
他の生物(特に哺乳類と比べてみましょう)が持つ健全な「本能」が壊れているのがヒトではないか、というのが私の判断です。欲望の肥大化を抑制する装置が壊れている、あるいは少なくとも脆弱になっているということです。
人間は同族である仲間を大量に、組織的に殺戮します。食欲でも、人間は満腹してもなお、食べ続けます。古代ローマの上流社会では、夕景から始まった食事は、深夜近くにまで及び、満腹した人は、席を外し、喉に指を差し込んで食べたものを戻して、再び食卓に着く、というような習慣さえあったといいます。
生殖という、本来は生物にとって究極的な課題である性的な欲望も、生理的な時期など無視して、人間は只管追求し続ける、場合によっては、子孫を残すという目的を全く離れた、同性や幼児を対象とした欲望も、満足させようとします。これらの過剰な欲望は、他の哺乳類では、まず認められない現象であり、それは、彼らに与えられている「本能」による抑制が働いているからでしょう。しかし人間は、、、。
そこで人間はどうしたか。社会の中で自発的にルールを作って、そのルールを欲望規制装置とする、ということを考え出しました。その最も制度的に整備されたものが宗教であった、と考えてはどうでしょうか。人間を超越する力を持った何者かを想定し、その命令として、行動や判断に規制を加えるのです。
典型的なのがユダヤ民族です。モーゼに与えられたという神話の中で、神が人間に科した『十戒』の「するなかれ」という命令形。「(人を)殺すなかれ」、「盗むなかれ」、「姦淫するなかれ」、「偽証するなかれ」、「隣人を貪るなかれ」、「偶像を造るなかれ」、「神の名を濫りに呼ぶなかれ」、十の規範の中の七つまでが禁止の項目です。そのうちの五つは、人間の日常的な欲望の抑制という形をとっています。
そして、ユダヤ教が、律法の宗教であることは、律法学者や新約聖書のなかで批判的に語られるファリサイ人たちが、人間として生きていくときに、自らの行動を約する社会規範、ルールに可能な限り忠実であらんと努力する中に、鮮やかに語られています。
それが宗教の本来の姿と考えられているのです。このルールの原理主義的遵守の現代の象徴は、イスラエルの幾つかのホテルに見られます。高層ホテルには当然、何種類かのエレヴェーターがあって、急行、特別急行とでもいうべきものもあります。しかし、必ず各階に止まるというエレヴェーターが幾つか用意されています。第四戒「安息日を守るべし」のルールに忠実に従おうとすれば、その日は、エレヴェーターのボタンを押すことさえ、慎むべきことになる、だから、各階止まりのエレヴェーターが必要になるのです。
無論新約の世界におけるイエスは、このように硬直した行動規範遵守に対して異を唱えたわけですが、そのイエスもまた、人間の限りない欲望の行く手を、ユダヤ教とは別の形で、強く抑制しようとしました。
詳述する資格が私にはないので、簡単にしか触れられませんが、仏教においても、「戒律」が重んじられることは、知られていますし、「破戒」の結果は、地獄の責め苦を負わなければならない、と人々は戒められてきました。
いずれにしても、人間は、本能の壊れを自覚したときに、乳児を取り巻く社会全体の教育制度の中で、その社会が、多くの場合、宗教を根拠に準備した行動規範を学び、習得させせることによって、その子供が社会の一員として受け入れられる存在とする、という仕組みを作り上げてきたのだと思います。そこでようやく「人々の間」にある存在としての「人間」という存在が、成立するわけです。
つまり、人間は、宗教を持つことによって、初めて人間となり得た、といっても過言ではないと思います。やがて、人間性に対する無限の信頼を標榜するヨーロッパ近代思想の中で、例えばその代表者の一人E.カントは、そうした人間の行動を律する道徳の起源について、人間を超越する何者かに求めることを潔しとせず、人間そのものの中に求めることができる、という楽観的な見通しを語ることになりますが、それはまた別の物語ということになるでしょう。
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登録はこちら上智大学理工学部、東京大学教養学部、同学先端科学技術研究センター、国際基督教大学(ICU)、東京理科大学、ウィーン工科大学などを経て、東洋英和女学院大学学長で現役を退く。東大、ICU名誉教授。専攻は科学史・科学哲学・科学社会学。幼少より能楽の訓練を受ける一方、チェロのアマチュア演奏家として活動を続ける。