カッコいい農家「トラ男」のプロデュースは秋田創生のはじめの一歩。若手農家集団を率いる武田昌大氏が描く“蜘蛛の巣モデル“の地方活性化ビジョンとは - 日本を変える創生する未来「人」その17
2020.10.21
Updated by 創生する未来 on October 21, 2020, 11:23 am JST
2020.10.21
Updated by 創生する未来 on October 21, 2020, 11:23 am JST
県の人口が100万人を割り、全国で最も人口減少率の高い秋田県。そんな秋田を拠点に「農業」や「食」をキーワードに地域創生に取り組む若者がいる。株式会社kedama代表の武田昌大氏だ。秋田県の若きコメ農家を集め「トラ男」(トラクターに乗る男前の略称)と名付けてブランディングし、彼らの作るオリジナルブランド米をネット販売する会社を立ち上げて一躍有名になった。
しかし、武田氏自身は農家出身ではなく、農業に関する知識も全く無かったのだと打ち明ける。今や内閣府認定の地域活性化伝道師や総務省地域力創造アドバイザーとして、年間50もの地域のまちづくりのサポートに飛び回る武田氏だが、ゼロからどのように事業を起こし成功したのか。そのプロセスと、農業や食のプロジェクトを通じて感じた地域創生への壁、この先のビジョンについて話を聞いた。
「どちらかというと秋田が嫌いで、田舎が嫌いなタイプでした」
1985年に秋田県鷹巣町(現・北秋田市)で生まれた武田昌大氏は、少年時代をこう振り返る。人を楽しませる仕事がしたい、と小学校6年生の卒業文集には「ゲーム会社に入りたい」と夢を綴っていた。だが、生まれ育った町にはゲームセンターもカラオケも無い。都会とデジタル業界に憧れを抱いていた武田少年は、田舎に魅力を感じられずにいた。
夢を叶えるため、立命館大学に新設された情報理工学部メディア情報学科に1期生として入学。卒業後は東京で、念願のデジタルコンテンツ業界に就職した。子供時代の夢を実現させ、都会で充実した社会人生活を送っていた。しかし、今から11年前、24歳の時の秋田への帰省が人生の大きな転換点となった。
「僕の町は、駅を降りると商店街があるんですが、シャッターがほとんど閉まっていて人が一人もいなかったんですよ。18歳までその町にいて、たった6年離れただけで全く風景が変わっていた。『ふるさとがなくなるかもしれない』と漠然とした危機感に駆られました。何かしなきゃ、と思った。子供の頃からの夢も叶ったし、次の人生の目標は『秋田を元気にする』にしよう、と思ったんです」
東京に戻り、はやる心を抑えられずに「秋田 東京 イベント」とネット検索して見つかった、新宿歌舞伎町の雑居ビルが会場のイベントに飛び込み参加した。秋田の食材や音楽、お笑いが楽しめるそのイベントには約200人の参加者が集まっていた。しかも、主催者は武田氏よりも年下だった。
「自分よりも年下の人たちが、既に東京で行動に移してこれだけの人を集めていて、すごいと思ったと同時に悔しくて。そのイベントを主催していた任意団体の『WE LOVE AKITA』に入って、まずは地域活性とはなんなのかを勉強しようと思った」
東京での仕事のかたわら、同団体のボランティアとして秋田の県産品(野菜)を売るファーマーズマーケットに参加した。これが武田氏との農業との出会いとなった。
ファーマーズマーケットといっても、農家側は野菜を箱詰めして秋田から送料をかけて運び、高い出店費を払うだけ。実際に客と接して販売するのは都会のサラリーマン、という構造。客との接点はわずかな時間だし、単発イベントだから客はリピート購入できないという状況だった。武田氏は、そこに違和感を覚えたという。
「特に僕は、野菜のことを何も知らなかった。どんな味か、どうやって作っているのかなどを聞かれても何も答えられない。自分の無知に苛立ちました。同時に、秋田や農業の魅力にも気付かせてもらった。それで、月曜から金曜は東京で働いて、土日は秋田に帰って農家を回ってみようと思い立ったんです」
地元秋田に農家の知り合いはいなかったが、一番最初は農作業をしているおばあちゃんにぶっつけ本番で声をかけた。そこから秋田全域、人から人への紹介で、なんと3カ月間で100人の農家と話をすることができたという。
「最初から100人もの人達から話を聞こうと思っていたわけじゃないです。農家のおじいちゃんやおばあちゃんから『おまえ、おもしろいな。○○さんに会ったことあるか?』と、どんどん紹介されるようになって。こっちも農業についてわからないことを100個くらいリストアップして、その質問リストの答えを埋めていくようにしました。全く知識のないところからだんだん専門用語もわかるようになって、最終的には農家さんと対等にお話できるくらい知識も付きました」
農家数珠つなぎのインタビュー取材で、農業界の不思議な仕組みを知り、疑問を抱くようにもなった。
「丹精込めて作った米も、適当に作った米も地域ごとブランドごとに混ぜられて(販売されて)しまうと知った時は衝撃を受けました。同じ価格で買い取られて、しかも安い。100人の農家さんに会う中で、正直、適当にやられている農家さんも居たんです。こだわって作った米とちょっと手を抜いて作った米が何の差もなく流通しているのは、農業界のヨソモノとしてはとても違和感を感じました」
もちろん、この仕組みが米を安定供給するための仕組みとして優れていることも、農家へのインタビューから理解してはいた。ただ、ファーマーズマーケットの時と同様、生産者と消費者との乖離に違和感を覚えたのだ。そこで今度は、東京のスーパーの米売り場で主婦100人にヒアリングすることにした。
「実家から米が送られてきていたので、自分で米を買う習慣がなかった。どうやって売られているのか知らなかったし、主婦がどんな基準で米を選んでいるのか疑問に思ったんです。そこで、米売り場で『なんでその米を買うんですか?』と突撃で聞いていたら、3人目くらいで店員さんに怒られました」
それでもめげずにインタビューを続け、結果、スーパーで販売される米からは「価格」「品種(ブランドイメージ)」「鮮度(精米日)」の三つの情報しか得られないのだと気が付いた。消費者が米を選ぶ基準がこれしかないのだ。
「どうやって作られているのか、こだわりは何なのか、そもそも誰が作っている米なのか、といったことは売り場ではわからない。説明してくれる人もいない。もちろん『味』もわからない。買い手にとっては知らない『謎の米』が並んでいるわけです」
米の品種は全国にあまたある、味や食感を追求して作っているブランド米もたくさんある。しかしそれは、スーパーの店頭では伝わらない。だからもし、こだわって作ったものを売ろうと思ったら、スーパーなどを舞台にして売っちゃいけない。直接消費者に売る、別の流通の仕組みが必要だと考えたという。
武田氏は、農家へのインタビューの中でも、農家が儲からない理由の一つが流通・販売部分を既存の仕組みに丸ご任せているからだと気付いてもいた。だから、こだわって作っているのなら自分たちで売るべきだ、と感じていたという。
制度的にも規制緩和があった。かつては農協に卸さずに流通する米は、食糧管理法に違反する「ヤミ米」と呼ばれ厳しく規制管理されていたが、「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律」 (1995年施行)以降は、徐々に規制緩和され、端的にいえば農家が直接流通・販売できる土台が整っていた。ただ、多くの農家は、「法律が変わったことは知っていても、農協に卸すのが当たり前だと思っていたし、自分で売る方法を分かっている人も少なかった」と武田氏は話す。
武田氏が動き出した2010年頃には、アマゾンや楽天などのECサイトを利用して1万軒ほどの生産者が直販を始めていたが、武田氏は「大手サイトにお金(手数料)を払うのではなく、自社ECサイトを立ち上げて販売しよう」と思った。そこで、インタビューした農家の中から、武田氏と同世代の専業農家3代目の3人に白羽の矢を立て、「自分たちのブランドを立ち上げて、ネット販売してみませんか」と提案した。
TAKAOさん、TAKUMIさん、YUTAKAさんという3人の農家を選んだのは、3農家ともこだわって米を作っていて、田んぼの立地の違いから、育つ米の個性が異なるからだという。ただ、東京から来たゲーム会社の人間から「オリジナル米のネット販売話」を持ちかけられた3人からは、当然「怪しい!」と訝しまれてしまった。
「僕が全部タダでやります、手数料も取らないし、売上も全部あげます、なんて話したので余計に最初は怪しまれました。でも、農業の未来を熱く語って、とにかく情熱をぶつけたから納得してくれた」
こうして2010年10月、平均年齢25歳の若者の農業チーム、torao.jpが結成された。武田氏は、このために平日は東京で仕事をしながら、デジタルハリウッド大学社会人大学院やウェブデザインの専門スクールにも通い、ECサイトの作り方も学んだ。さらに、週末は秋田に帰省し農家たちと打ち合わせという、とにかくがむしゃらに多忙な日々を送った。
「リスクも背負えないし、こちらもタダでやるチャレンジだったので最初の年(2010年)は全部で300kgだけの販売でした。でも4カ月で完売して。ネット販売だけじゃなくて、東京で新米のおむすびを作って食べるイベントも開きました」
秋田の農家は冬季、除雪仕事に従事するのが常。収穫から降雪するまでのわずかな期間のイベントには、メンバーも東京を訪れイベントに参加した。幸運にも立ち上げから半年でNHKの「クローズアップ現代」に取り上げられ、認知度も上がった。そこから年々、1トン、3トン、10トンと順調に販売量を増やし、昨年収穫分では20トン弱の販売となった。
現在、自社ECサイトでの売り上げは3割ほど。他に毎月届く定期便、飲食店への卸し、イベントでの販売、海外での販売と販路を拡大してきた。さらに、2017年には東京日本橋に、昼は秋田の米を堪能できる「おむすびスタンド」、夜は秋田の日本酒の立ち飲み屋になる飲食店「ANDON」をオープン。2020年4月には、東京下北沢でANDON2号店も開いた。
また武田氏は、生産者である「トラ男」メンバーにツイッターを教え、農作業中の出来事などをつぶやいてもらうことにした。生産者の顔が見える仕組み作りの一つだ。
すると、少しずつ「トラ男」一人ひとりにファンが生まれ、バレンタインデーにチョコが届くほどになった。東京でのリアルイベントもそうだが、草の根的に確実な販路やファンを増やす活動を続けてきたことが結果に結びついてきたといえる。
話は前後するが、「トラ男」や商品名などのネーミングにもこだわりがある。
「もともと『○○さんの有機栽培米』のような商品はありました。でも、ネーミングは子供でも覚えやすいことが大事だと思っていた。当時、草食系男子や森ガールなど言葉の掛け合わせが流行っていましたが、『農業系男子』だとダサい。それで長靴、鎌とか農業系のワードと、ボーイとか王子とか男系のワードを書き出して、東京で仕事をしながら言葉の掛け算を考えました。かっこい農業を目指したいと思っていたのでトラクター×男前でトラ男が良いんじゃないかと決めました」
商品名も「燃える愛菜家TAKUMI米」「金色の山男YUTAKA米」「水田の貴公子TAKAO米」など、生産者名を前面に出し、キャッチーなコピーを付けた。一からのブランディングにはネーミングの力も必須だった。
こうして順調に、無我夢中に、「トラ男」のプロジェクトを推し進めていた2014年、武田氏はふと我に返ったという。
「僕のビジネスは秋田の米を県外で売ること。秋田にお金は入ってくるけど人が入ってくるわけじゃない。秋田に人口が増えるビジネスをやらないと、と思った。農業体験で秋田に来てくれる人はいたけれど、滞在できる場所がなかったので、そういう拠点を作ろうと思った」
秋田に着地できる拠点作りのため空き物件を探す中で、2014年5月、五城目町にある築133年の茅葺き古民家のオーナーに出会ったが、同年8月に解体する予定となっていた。茅葺き屋根を一面直すのに1000万ほどかかるからだ。
「素晴らしい古民家でも、維持修繕費の問題で取り壊されていく現実を知り、こういう物件を残す仕組みが必要だと思った。多くの人たちが少しずつお金を出して維持費を分散する仕組みを作らないと、と思った」
武田氏は、古民家オーナーと会ったその日、東京へ戻る夜行バスの車中でその仕組みを考えた。
よくある古民家ゲストハウスのように「宿」にしてしまうと、地域の人が来なくなってしまう。地域住民との交流の場にもするためには、古民家を「村」と考えよう、そこに集う人を「村民」と呼ぼう。年会費は「年貢」と呼べば良い。土間では音楽ライブ「一揆」を開いて、「村歌(ソング)」を歌おう。「村」に行けない人も楽しめるように、行けなくても現地に知り合いができるように、都民と現地を繋ぐオンライン飲み会を開こう。それを「寄合」と呼んだらどうか。
車中でここまで考えて、東京に到着した朝には企画書を書き、オーナーに連絡。するとすぐにオーナーから地元起業家を紹介され、なんとその月の内にチームビルディングが完了した。こうして、全国各地に住む「村民」が少額の「年貢」を払うことで、古民家を維持する仕組み「シェアビレッジ」は動き出す。村民は、年貢の額により宿泊券などの特典を受けられる。現在、47都道府県に2700人の村民が存在する。「トラ男」と同様、キャッチーでわかりやすいネーミングも、受け入れられてきた大きな要因の一つである。
「このプロジェクトは横展開が可能です。地元に管理者としてやる気のある人がいればできる。ただ、この人材確保が難しい。2016年には香川県の古民家でもシェアビレッジを始めましたが、台風で壊れてしまった。物件が災害に弱いところも難しいポイントです。今年から香川の別物件でリスタートしています」
シェアビレッジは、いわゆる関係人口を増やす試みとして、全国の過疎地域で展開できる方法論に違いない。
「まだあの『シャッター商店街』の風景は変わっていない。直接、あの町の活性を取り戻すには、地元に住んでまちづくりをやらなきゃと思った。だから、2年前から地元の町中に事務所を作ってそこに住むようにしています。地元のまちづくりに携わること、これが今後の目標ですね」
一方で、これまで取り組んできた農業や食のプロデュースも推し進めていくつもりだ。
「ようやく米の生産、流通、消費までを全部一人で見られるようになった。今後は、秋田のほかの食材も、消費まで一貫したプロデュースができればと思う。枝豆やジュンサイのコンセプトショップを作って、全国に広げていくとか。秋田だけじゃなくて、青森のリンゴとかどんなものでもやってみたい。そういう食の総合プロデューサーになるための修行中ですね」
生産者と消費者、アナログとデジタル、秋田と東京の「間に立つ」立場から、ウチでのまちづくりもソトでの秋田のPRもやっていきたいのだと武田氏は語る。
また、開業10年を迎える「トラ男」のプロジェクトも次のフェーズへと向かっている。売り先や消費者を獲得していく段階は一定の成果を得たからだ。
「お客さんが農業体験で来ることはありますが、移住までには至らないので、次は『人(移住者)が増えていく農業』を考えています。トラ男の元に新規就農者を受け入れて、新たな農業従事者を増やしていく。作り手を増やす未来に携わっていきたい」
そのための青写真も描いている。農作物がいかに育つかだけでなく、新規就農者が一人前の農家に育っていくプロセスも発信していくことで、消費者には一つの作物が生まれるまでの「物語」も消費してもらう。「最初の年は変な野菜ができて大失敗、でも良い。ドキュメンタリー性や物語性の付加価値で、ファンのようなお客さんが得られる」と考えるからだ。
さらに「海外にもおむすび屋さんを作りたい」と描く未来は多方面に渡る。
「旅行者(関係人口)が増えるようなことも、移住者が増えそうなことも、一つに限るのではなくいろんな間口を作っていくことが大事だと思う。(海外の)おむすび屋さんで米に感動して秋田に来てくれるかもしれない。蜘蛛の巣モデルというか、蟻地獄モデルというか。結局、何がフックになって引っかかるかわからないんだから、多角的になんでもやっていきたい」
地方創生を掲げる自治体関係者から「何から始めれば良いかわからない」という声をたびたび聞くが、武田氏の「とにかくなんでもやっていく」という姿勢こそが、その答えなのかもしれない。そのためにはアイデアと、何より情熱と行動力なくしては成り立たないのはいうまでもないだろう。ただ、一人でも熱い想いを持った人がいれば、周囲の人たちを巻き込んで大きなプロジェクトとして動かせることを、武田氏は示してくれている。農業と食を軸に、方途を尽くして地方活性に尽力する武田昌大氏を創生する未来「人」認定17号とする。
(取材・文:杉田研人 企画・制作:SAGOJO 監修:伊嶋謙二)
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