画像はイメージです original image: polack / stock.adobe.com
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2度目の緊急事態宣言が発行されるにあたり、1月5日頃からSNS上で多くの賛否の議論があった。浅学の極みだが、その中で改めて学んだことがある。「日本の病院は、80%が民間であり、公的病院は20%である」という事実だ。厚生労働省のサイトに都道府県別の病院数データがあるので参照いただきたい(都道府県別公的病院数と公的病院病床数比率)。
このような構造は、世界の国々とはかなり異なる状況のようだ。
これも厚生労働省の資料だが、この資料の中の図表22にあるように、アメリカ、イギリス、フランスでは大半の病院が公的機関であり、ドイツ、中国でも50%は公的機関、これに対して日本はわすか20%なのである。
▼世界の医療提供体制(厚生労働省の資料から抜粋)
さらに、日本で感染症対策のような病床を持っている病院についても、厚生労働省の資料に示されているが、この20%に属する医療機関が中心のようだ(感染症指定医療機関の指定状況)。 国や自治体がコロナ患者の受け入れを指示できるのは公立病院だけであり、民間病院に対しては「お願い」をするしかないという。医療法にも医師法にも、行政が民間病院に対して命令するための法的根拠を日本は持ち合わせていない。
平時であれば、国民皆保険を維持している日本は、世界にも誇れる医療提供体制を持っていると理解して間違いないのだろう。しかし、その皆保険の医療の大半は、民間病院によって維持されていることになる。そして、今回のコロナ禍のような「危機」対応については、日本ではその民間病院にはあまり期待できず、医療資源の20%である公的病院が担っているのが現状、ということが判った。
「総力戦」をしようとしても、法的整備がないために実現が難しいのだ。民間医療機関は、平時の医療を支えても、有事の医療の支えとしてはあまり期待できないことが、今回の経験で明らかになった。1日の新規感染者数が50,000人と、日本より数字一桁大きいイギリスでは、ほとんどが公的病院であるため、十分かどうかは別にしても、行政のイニシアチブのもとに「総力戦」をしていることになる。
地震大国である日本は、自然災害という危機対応への経験値はそこそこ積んできた。一方で、安全保障分野の危機管理については、自衛隊がそれなりの装備・体制を保有して努力してはいるものの、その能力を活用するための法的整備は不十分なままだ。万が一、本当の危機に直面したときの政治的混乱は避けられないだろう。そして今回、日本の医療も平常時を前提としたものである、ということが明らかになった。非常時に対応するための法整備、制度設計が不十分であることをコロナ禍が明らかにしたのである。
振り返ってみると、ワクチン開発もリードしているのは、イギリス、アメリカ、中国、ロシアである。彼らは、安全保障の一環としてワクチン開発を行っているので競争になる。昨年3月、アメリカ海軍の原子力空母「セオドア・ルーズベルト」が、太平洋を航行中に1200人以上の乗組員が新型コロナウイルスに集団感染し、このうち1人が死亡したことを覚えているだろうか。まさに、安全保障上の危機即応体制に大きな懸念が出たのである。このようなリスクを最小化するためにも、競争に参戦した国にとってはワクチン開発は武器開発と同じ位置付けにあるはずだ。Yahooニュースの記事(世界のワクチン開発競争に日本が「負けた」理由)によれば、モデルナのワクチン開発にはDARPA(アメリカ国防高等計画局)の支援があるという。
自国民の生命の安全を外国に頼る、という意味では、日本が「国産ワクチン」を手にできていないことは、安全保障上の政策の欠落といえるだろう。
日本とイスラエルは、いずれも国民皆保険制度を採用している点で共通しているが、その運用方法には違いがある。日本では、自営業か会社員かなどの勤務形態に応じて、国民は、国民健康保険、協会けんぽ、健康保険組合、共済組合などに加入する。一方、イスラエルでは、国民は「HMO(Health Maintenance Organization)」とされている4機関のいずれかを選択して加入する。4機関とは、「Clalit」「Maccabi」「Meuhedet」「Leumit」である。
これらHMOの4機関は、保険組合機能だけでなく、医師をはじめ医療スタッフを雇用し、実際に医療機関を運営している。Maccabiの例では、ホームページによれば、地域の医療センターが6カ所にあり、国中に合計150の支所とクリニックを抱えている。医師の数も数千と記載されており、国民は自分の居住域に良い病院があったり、求めるサービスを提供するHMOを選んで加入することができる。
・YouTubeのMaccabiのサービス紹介動画「Maccabi Healthcare Services」
HMOは非政府、非営利の組織ではあるが、このようにそれぞれの傘下の医療機関、医師・医療スタッフを組織化しているので、何処かの地域の病院でスタッフ不足が懸念されるときの融通なども、HMOのマネジメントの一環として可能になる。例えば、東京の医療機関で病床が不足した時に埼玉の医療機関に協力を要請するというようなことも、日本では自治体間の調整、医師会の調整など、様々な障壁が考えられるが、イスラエルであれば、HMOが効率的にマネジメントすることができるのである。
2018年8月28日の記事、『ディジタルヘルス改革の張本人が語るイスラエルの戦略的な取り組み』でも紹介したが、イスラエルでは保健省のリーダシップの下、HMOが中心となってディジタルヘルスの取り組みが20年以上前から行われてきた。インフラとなるネットワークが構築され、個人の医療・治療情報を電子化してデータベースとして蓄積し、これらのデータは医療機関だけではなく、企業・研究機関も利用することができるようにした。その結果、国として提供するヘルスケア・サービスの質的、量的な向上、地域格差の是正が図られているのである。
それだけではなく、安全保障上の戦略からもディジタル化が進められてきたのだ。イスラエルでは敵対する国・組織との国境近辺での紛争が今でも発生する。例えば、不幸にして兵士が負傷した場合、彼らは負傷者をテルアビブの病院に運ぶのではなく、極力その場で治療を行うそうだ。国境近辺の十分な設備が無い場所での医療行為も、ディジタルネットワークを経由して個人のカルテを参照し、中核病院の医師のアドバイスを得ることで可能になる。イスラエルが強力にディジタルヘルスを推進してきたのも、まさに「医療は安全保障の一環」と捉えているためである。
とはいえ、重症者数や死者数がこのシステムで抑えられているか、というと実はそうでもない。1月10日時点で重症者数1,027、死者数3,671なので、人口900万人の国としては決して少なくはない。これには、国民性や宗教など他の要因があるだろう。ただ、ワクチン接種が急速に進んでいるのは、あちこちに臨時の接種センターを設けたことが奏功している。これは、過去にテロ攻撃による死傷者で血液不足となったときに、献血センターを国中に設けたのと同じやり方のようだ。国家として危機管理対応で動いていることは間違いない。
日本政府、地方自治体は、様々な施策により国民の行動変容を促しているが、医療体制については、医療従事者の使命感に頼ったままの状況が続いていると指摘しても、大きく間違ってはいないだろう。日本の現状の保険制度は、年金と健康保険がセットになっているが、そこから健康保険部分を切り離し、イスラエルのHMOのような中央集権組織に変えることも必要なのかもしれない。年金制度には危機管理の視点は不要だが、医療には危機管理の視点が不可欠だからだ。これらの質の異なるものをひと括りで扱う現行制度は見直す必要があるのではないだろうか。
今回のコロナ禍での経験を奇貨とし、現行制度のまま民間医療機関への「お願い」、医師の使命感へのタダ乗り、などを続けるのではなく、「安全保障としての医療」のあるべき姿を検討することこそ国会、行政に求められることだ。
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登録はこちらNTT武蔵野電気通信研究所にて液晶デバイス関連の研究開発業務に従事後、外資系メーカー、新規参入通信事業者のマネジメントを歴任し、2007年ネクシム・コミュニケーションズ株式会社代表取締役に就任。2014年にネクシムの株式譲渡後、海外(主にイスラエル)企業の日本市場進出を支援するコンサル業務を開始。MITスローンスクール卒業。日本イスラエル親善協会ビジネス交流委員。E-mail: hitoshi.arai@alum.mit.edu