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「ここには何もない」と住民もつぶやく高齢で過疎な中山間地域をどう維持するか。奈良県庁42年の福野博昭氏が勧める「おもしろいチャレンジ」 - 日本を変える創生する未来「人」その20

2021.03.19

Updated by SAGOJO on March 19, 2021, 10:47 am JST

奈良県庁職員として42年。地元奈良市出身の福野博昭氏は、フットワーク軽く様々な地域へ足を運び、人と人をつないできたベテランのスーパー公務員だ。この3月で定年を迎える福野氏が、そのキャリアの終盤に取り組んできたのが、「奥大和(おくやまと)地域」と呼ばれる県南部・東部地域のプロデュースである。

奈良市が「まち全体が世界遺産」といわれる一方で、奥大和地域には目立った観光スポットは少ない。多くのヨソモノ(観光客)が訪れることもない、過疎化と高齢化の大波が押し寄せる中山間地域である。時代の流れに任せたままであれば、遠くない将来、人が住む場所ではなくなってしまうかもしれない。

地方創生と一言で表現しても、地域の特性はそれぞれ異なる。地元の人自らが「特に何もないから過疎化が進むのも仕方ない」と、集落の存続に諦めの念を抱いているエリアも日本にはたくさんあるだろう。むしろ、そうした場所の方が多いのではないか。今回紹介する福野氏のチャレンジは、そんな地域の創生に取り組む多くの人たちにとって大きな刺激となるに違いない。

少子高齢化と過疎化が進む中山間地域で何ができるか?

福野氏が県職員として奥大和地域に関わり始めたのは、12年ほど前。2010年の「平城遷都1300年記念事業」を前にして、奈良県全体で観光情報の発信に力を入れていた頃だった。

「県外の人から見れば、奈良県全体が盛り上がっているように見えたかもしれませんが、記念事業の中心は世界遺産の集中する奈良市。観光客も奈良市に集中するだけです。でも、奈良県は奈良市だけじゃない」

▲奈良県知事公室次長(奥大和移住・交流推進室長事務取扱) 福野博昭氏(右)

そこで福野氏は、観光客に注目されていない南部エリアの観光を盛り上げようと、吉野郡十津川村に目を付けた。

十津川村は奈良県最南端に位置し、三重県や和歌山県と県境を接する日本一面積の大きな村。東京23区よりも広い面積だが、人口はわずか3000人余りの山村だ。アクセスは、いずれの方面からも最寄りの電車駅から公共バスに乗り換え3、4時間。「秘境」といえばロマンチックだが、アクセスが不便なことに変わりない。

▲高野山から熊野本宮大社にいたる世界遺産・熊野古道の小辺路(こへち)

だからこその「資源」もある。豊かな森に囲まれ、温泉も湧く。それに熊野参詣道小辺路、大峯奥駈道という世界遺産に登録された二つの山道が縦断している。いずれも熊野本宮大社へと続く参詣路である。だたし、素人の山歩きには難しい険しいルートでもある。そのため、和歌山県側からアクセスするメジャーな「中辺路」(なかへち)や、大阪から始まり中辺路へと続く「紀伊路」、三重県側の「伊勢路」などと比べると訪れる人は少ない。

このように、他地域から人を呼び、留める力に乏しかったのである。少子高齢化と過疎化が進む、中山間地域の典型だったのだ。そんな地域で何ができるか。福野氏がまず考えたのは、宿泊施設を増やすことだった。

新たなビジネスモデルを提案実行しつつ、同時に既存の施設も復興する

当然のことだが、他地域から人を呼ぶ(=観光客を受け入れる)ためには宿泊施設が必須になる。無ければ、一時的に観光客が立ち寄ることはあっても、その土地に「旅行者がお金を落とすこと」にはなかなか繋がらない。とはいえ、宿泊施設を増やそうにも、一人の自治体職員が「ホテルを建てる」ことは現実的ではない。

もちろん十津川村にも、古くから各集落に民宿や旅館などが数軒あった。宿泊施設を増やして、ただでさえ少ない観光客を奪い合うわけにはいかない。そこで福野氏は「新たな宿泊モデル」を提案した。

「まず始めたのが農家民宿です。九州での先行事例を知って、これならゆくゆくは空き家の増加問題にも対応できると直感しました」

▲農家民宿の視察で訪れた三重県熊野市にある「農家民宿やまもと」

農業体験や自然体験を伴う「農家民宿」(グリーンツーリズムとも呼ばれる)を始めたのだ。高齢化の進む過疎地に付きまとう問題の一つが空き家。農家民宿は、空き家対策と誘客とに同時に対処できる可能性を秘めている。旅館業法が2003年に規制緩和されていたことも追い風だった。

さらに、同時並行的に十津川温泉街の振興にも着手した。

「2010年より前の話です。地方であればあるほどネット集客は当たり前ではなく、旅行会社のツアー企画以外には観光客を呼び込む選択肢がほとんどなかった。そこで研修会を開いて、旅館業者とともにネットによる情報発信や集客、プランの組み方を一緒に学びました。地域の強みや弱みを語り合うワークショップも開きました。オーナーの人たちも、そこで自分たちの地域のアピールポイントを一緒に見出していきました」

▲十津川村神納川地区にある神湯荘の大露天風呂

福野氏は、吉野郡吉野町(吉野山)でも同様の取り組みを勧めた。そればかりではない。十津川村武蔵地区では、築100年の古民家を再生した「大森の郷」のオープンにも関わった。

東洋文化研究者で、日本各地で古民家の再生を手がけてきたアレックス・カー氏のプロデュースだ。国の空き家活用関連補助金を活用してリノベーションし、現在は武蔵地区の住民が経営している。

▲大森の郷のホームページ

次々とプロジェクトを立ち上げて実行・実現してきた福野氏の働きに弾みを付けるかのように、2011年には奈良県南部地域の振興を一手に担う「南部振興課」が県庁内に発足した。これにより、従来の組織の縦割りに縛られず、南部地域での施策を柔軟に企画・実行できるようになったという。南部振興課は現在、南部東部振興課と奥大和移住・交流推進室に改称され、福野氏は知事公室次長として、南部東部振興・移住交流担当に就いている。

「人が来るわけない、放っておいてくれ」。住民が気付かない地域の魅力を再発見、住民の心もリピート客も掴む

「大森の郷」は、コロナ禍にの状況下にあっても客室稼働率50%以上を保っている。またそれ以外の、奥大和地域の観光産業もコロナの影響は大きく出ていないという。なぜ、客足を維持できているのか。

▲十津川村にまたがる国特別名勝の大峡谷・瀞峡(どろきょう)

「そもそも団体観光客をターゲットにしていません。旅好きで、一人旅や少人数のグループが訪れる地としての魅力を打ち出していました。10年かけてじわじわと集客数が増えていたし、一度訪れてくれた人たちの満足度が高いからリピート客も多い。そういう状況が、コロナの影響を限定的にしてくれたのだと思います」と福野氏は分析する。

観光客の満足度とリピート率を高く保っている一例が、前述した農家民宿だ。もう少し、この取り組みを紐解こう。

福野氏は、十津川村神納川(かんのがわ)地区での取り組みを「特に忘れがたい」と語る。神納川地区は、つづら折りの山深い県道を登った末にようやく辿り着く、標高300メートル余りに位置する5集落を指す。高齢化と過疎化が著しい。

そんな神納川地区の農家民宿では、実施1年目の2009年に宿泊者数500人、翌2010年に1000人を達成した。好調なスタートダッシュが切れた理由として、福野氏は「この場所の魅力を精査して、旅行情報誌に広告を出すときに、神納川の暮らしに焦点を当ててPRしたことが功を奏した」と述懐する。

▲十津川村神納川地区山天集落の「おばあ」と談笑する福野氏

「神納川地区には昔ながらの暮らしが生きています。そのまま飲めるほど澄んだ水の流れる川は絶好の遊び場です。そういう水で育った野菜はもちろん美味しい。鹿肉や猪肉などのジビエも味わえます。『他(の観光地)と競合しない』魅力をPRできたことで、読者の興味を引けたのだと思います。結果として、毎年のように来てくれる人もいる」

とはいえ、すべてがすんなりと福野氏が描いた絵の通りに進んだわけではない。そもそも農家民宿を提案したときには、住民の多くが反対したのだ。

「同じ十津川村でもここは温泉街とは違う。見るべき場所もない神納川地区に人が来るわけがない。放っておいてくれ」

「見るべき場所がない」という声は、地方創生の文脈で地域住民からよく聞かれるものだ。「見るべき」対象を歴史文化財や観光施設、名物料理などのことだと思い込んでいるからだ。しかし、他所から来る旅行者が求めているのは、そうした体験ばかりではない。福野氏は渋る住民に対し、「きれいな星空がある。透き通った川がある。とにかく一回やってみよう」と説得した。

▲山天集落の農家民宿「吉村」にて

初めて神納川地区に宿泊者が訪れたとき、夜に地元の人たちとバーベキューをした。そこで福野氏はふいに、野外ライトのコンセントをぱっと抜いた。

街灯も何もない場所だ。一時騒然としたが、頭上には天の川がはっきりと見えた。地元の人たちも、はぁと息を飲み、感動した。地元にいるからこそ見えていなかった魅力に、地域住民が気付いた瞬間だった。

「もともとそこにあるもの」の魅力(資源)に地域住民が気付いていない、というのは今や観光業界では通説だが、そうした魅力を「再発見」し、地域住民と共有することが大切なのだろう。こうした経験を経て、農家民宿は軌道に乗っていった。

さらに、農家民宿は、思わぬ効果ももたらしたという。

▲十津川村果無(はてなし)集落

2011年9月、年の半ばで宿泊者1000人の受け入れを達成していた神納川地区を台風が襲った。大規模な水害に見舞われて集落は孤立し、電気も電話も止まってしまった。そんな折に集落同士で小まめに情報交換することで助け合うことができたのは、「農家民宿を始めたことがきっかけになって、集落ごとの交流が生まれていたから」と、住民たちは後に語りあったという。

人口減少に伴い、ローカルな地域間交流や結び付きが希薄になりつつあったところに、農家民宿への取り組みがそうしたネットワークの再構築にも繋がったわけだ。

全国の自治体職員へのメッセージ「仕事はおもしろくなる」「遊ぶことが重要」の真意

福野氏の実践をかいつまんで紹介するだけでも、その行動力に驚いてしまう。自治体職員という立場上、思うように動けないこともあるはずなのに。そういう煩悶を抱えているであろう自治体の職員らに対し、福野氏はこうメッセージを送る。

「自分は奈良県庁の〇〇課でなく『福野博昭』でいつも働いています。一個人としての『好き』や『それはおかしい』を行動の原点にしてほしい。好奇心があれば、仕事は必ずおもしろくなる。好奇心を芽生えさせるには、何としても時間をつくって遊ぶことです」

▲吉野郡川上村にある絶品焼きそばがウリの「喫茶秀」にて

肩書きではなく一人の人間として働く、というのは福野氏の仕事哲学だろう。しかし「好奇心を持って仕事をおもしろくする」ためにはどうしたら良いのだろう。まして自治体職員に対し「時間をつくって遊ぶこと」を勧めるのはどういうことなのだろうか。

公務員は、一人ひとりに担当業務が割り振られている。責任の所在は明確で業務分担がわかりやすい構造だが、「割り振られた業務を忠実にこなすだけで終わるのはつまらない」と福野氏。

「何のためにその担当になったか。その仕事の目標は何か。身近な人の幸せにどうつながるか。それを考えて動くことで、仕事の本質が見えてきます。そして、目の前の仕事の上に行ってみたり、下に行ってみたり、横にはみ出してみたりする。そうやって動いてみると、その時でないと見えないものが見えたり、会えない人に出会えます」

だからこそ、「イベントもプロモーションもやる、拠点も作る。おもしろいと思ったら首を突っ込む。とにかくやってみること。止まっていてはいけない」(福野氏)というように行動するのだという。

▲十津川村笹の滝

仕事を自分事に引き付けて、好奇心を持ち、アクションを起こす。そうすれば「仕事がおもしろくなる」ということだ。

農家民宿も、福野氏が訪問先の九州で見て、聞いて、出会った人がきっかけで、結果として仕事に還元されたもの。仕事をおもしろくするためには、行動せよ、ということでもあるだろう。では、「遊ぶこと」を勧めるのはなぜか。

これは、どこかを訪れるときのモチベーション、あるいは姿勢のことである。

「仕事目的で行ったら、仕事を済ませることだけ考えてしまう。観光目的なら観光地巡りに熱中してしまう。でも、『遊びに行く』と思うと、いろいろなことに興味が湧いてくるし、出会った人とも気軽に話せるからアイデアも膨らみます。出会った相手も『仕事で来ました』というと構えてしまうけれど、『遊びに来た』というとすぐに打ち解けてくれます」

▲県南部・下北山村の移住交流体験住宅「むらんち」

仕事を遊びに、という心構えは気付きや学びを豊かにする。

「あちこち『遊びに』行って、人と会って話を聞くことが価値になります。本を読んだりネットで調べたり、誰かがセットした講演を聞きに行ったりするよりも、当事者から直接聞くのが大事。それらが、いつかどこかで、仕事にも返ってくる」

自治体職員という仕事においても、「みんなを幸せにしたい」「国民のために頑張る」という姿勢で取り組むばかりでは、モチベーションが続かないかもしれない。そんなとき、「遊べ」という福野氏のメッセージは、きっと、多くの自治体職員の背中を押すことだろう。

若い世代の力で県庁は変わる。人口減のスピードを遅らせるためのアイデアを

「若い世代はアンテナが高いから、これから日本は良くなるよ」

今年3月末で定年退職する福野氏は、こう期待を口にする。コロナ禍は、はからずも価値観の転換期となり、福野氏自身もこの期間に新規事業をたくさん提案したが、若い職員からの提案にも「おもしろい」ものがたくさんあったからだ。

▲うつ病などの患者がシェアハウス型で生活できる宿泊型転地療養サービス「ムラカラ」(下北山村)

「これからは考える人、チャレンジする人が輝く時代。職員の1割が『考える』ようになったら、県庁は大きく変わる」

各地の自治体職員に意識変革がもたらされれば、地方創生のさまざまな場面にも変化が起こるかもしれない。また、福野氏は、「外から人が来るようになり、地元住民の意識も変化してきた」とも話す。地元の人がゲストハウスや喫茶店を開いたり、福野氏が携わったコワーキングスペースでUターンした人が事務所を構えたりと、新しいチャレンジが広がってきたのだ。ここでも、若い力を感じている。若い世代は地方創生の意識が高く、各地とのネットワークを形成している。このつながりは、新たな人を呼ぶ。

▲十津川村の芸術発信拠点であり、一棟貸し宿でもある「noad」

小さな息吹は、そこかしこに生まれている。しかし一方で、高齢化や人口流出という大きな流れに真っ向から抗えるものではないのが現状だ。こうしたファンづくりや関係人口づくりは、地域の縮小スピードをわずかに遅らせる程度のことかもしれない。だが、何もせずに指をくわえているだけよりも、はるかに希望がある。

こうした動きを福野氏は「観光地ならではの地方創生モデル」と比較して、こう話す。

「旅行者を移住につなげるモデルとして、観光(交流人口)を底辺に、真ん中に関係人口、移住者を頂点にした三角形を描くことがあります。でもこれは、多くの観光客が来る地域でのことだと思います。そういう地域以外では、一つの大きな三角形を目指すのではなく、線みたいに細く尖った三角形をたくさん作ることが大切だと思っています」

つまり、小さなつながり(交流)であっても、そこに訪れる人を確実にファン(関係人口)にし、移住につなげていく、ということだろう。一つひとつは小さくとも、確実に移住者を増やしていく。そういう窓口(細く尖った三角形)をたくさん作っていく。それは、目立った観光地がなく高齢化の進む過疎地が採り得る「生存戦略」の一案だろう。

福野氏は、定年後も奥大和地域に関わり続ける、と宣言する。奈良の山間から、「遊びながら」地方創生のチャレンジを続ける福野博昭氏を、創生する未来「人」認定20号とする。

(取材・文:伊藤恵子 編集:杉田研人 企画・制作:SAGOJO 監修:伊嶋謙二)

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