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村上陽一郎

エリートと教養18 現代日本語考 7 「がぁでぇ調」のこと

2021.04.27

Updated by Yoichiro Murakami on April 27, 2021, 23:14 pm JST

自らの不敏を曝け出すので、恥ずかしいが、かつて私は、現代世間で流行っている(と思った)話し方、「何々がぁ、どうとかしてぇ」の太字の部分をことさら強調する話し方が、まことに聞き苦しいと書いた。ここには、実は重大な誤認があった。この現象は、もともと「現代」のものではなかったのである。

かつて、敬愛する作曲家で音楽評論家である柴田南雄さんから、ご著書『聴く歓び』(新潮社、昭和五十八年)を戴いて、いつもながら暖かみと鋭さとを兼ね備えた、切れ味の見事な文章に惚れ惚れしながら、確かに隅から隅まで読んだ。確かに、と強調し直すが、最初から最後まで、楽しみ味わいながらきちんと読んだのである。

ここでもう一つ恥の上塗りになるのだが、柴田さんのこのエッセイ集の中に「がぁでぇ調」というタイトルの文章があったこと、その中で柴田さんが、この現象に目覚ましいご自身の解釈を加えておられたことを、まるで失念してしまっていたのだ。

無論、このタイトル自身がすでに明らかにしているように、ここで柴田さんは、私が「聞き苦しい」と書いたポイントを主題的に論じられている。しかも、私のように、聞き苦しいが、この話癖はどこから来たのだろう、と放り出さずに、きちんとしたご自分の推理、解釈を記しておられたのである。それにしても「がぁでぇ調」と名付けるとは、言いも言ったり。

要するに私は、この話し方を「昨今」のこととして理解していたが、それは全くの誤りで、すでにほとんど半世紀前に、音楽家の鋭い耳は、この現象を正面から捉えて、日本語論の一つとして論ずべき、と考えておられたことになる。柴田さんの記述は、とても魅力的なので、先ずは現象の説明の部分を引用してみる。

 要するにセンテンス全体のアーティキュレーションは無視され、言葉の要素ごとに、その末尾にアクセントの強調とリズムの引き伸ばしが必ず来る。以前の日本語の話し言葉にはなかった、平坦で単調な、無個性で規格的なエロキューションが成立している。
日本語の乱れ、ということがさかんに指摘されるが、抽象的な、あるいは活字になった文章や文字の視覚からの議論が多く、この聴覚上の乱れはあまり本気でとり上げられず、おそらく教育の現場でも放置されているのではあるまいか。耳からのことは二の次、というのは、これも日本語的特徴にちがいない。(同書一二二ページ)

村上陽一郎まことに意を尽くしている。「耳から」の言葉を日本語論として捉える視点の欠如は、まさしく音楽家ならではの指摘であるし、「教育の現場」云々も、放置されるどころか、私の実見(「実聴」とすべきかも)では、現在では先生方が率先して、この「がぁでぇ調」を使って話されている。生徒たちがそれを話し方の「乱れ」と気付かされるはずもない。

NHKが、日本語の正統性を守る砦とは、すでにお世辞にも言えないが、ともかく、その解説者やアナウンサーにさえ、この話し方は蔓延している。TVなどで、たまに、本当にたまに、この話し方の片鱗も見せずに話をする方に出会うと、心からホッとするし、それだけで、大袈裟ながら話し手に敬意さえ覚える。

ある機会に、私がこの現象を話題にした時、さる大学関係者の方が、それは例の学生紛争(特に一九六八年に始まった新左翼を主体とする学生運動)での、学生たちのアジ演説が発端ではないか、と反応されたことがある。「我々わぁ、学校当局がぁ、不当にもぉ ・・・ 断固ぉ、粉砕するぞぉ」という例のあれである。この説は、実は柴田さんも書いておられる。引用してみよう。

 よく、学生のアジ演説の調子からの影響さ、という意見が出るが、果たしてそうだろうか。彼らがマイクを握った時、子供の時の口調が口をついて出た、とも考えられる。鶏と卵とどちらが先か。わたくしは昭和三十五年に入学した女子の大学生がすでにこの口調に染まっていたのを経験しているから、彼女らがもし、その習慣を小学校以来身につけていたとすると、昭和二十年代の後半にはすでにこれが発生していたことになる。(同上)

ええっ、と思う。学生のアジ演説が激越を極めたのは、一九六八年(昭和四十三年)の学
生運動だが、この「がぁでぇ調」はすでに昭和三十五年(一九六〇年)の学生が身に付けていたのだから、アジ演説由来説への反論が可能、という趣意で、柴田さんは書かれている。しかしこの文章はまた、図らずも「がぁでぇ調」の発端が一九六〇年以前であることをも物語っている。そうだとすると、この話癖は今から見れば半世紀をはるかに超える歴史を持つことになるではないか。

そこで「がぁでぇ調」起源に関する柴田説だが、それは日本語の問題であると同時に、日本の歴史と社会の問題でもあるということになる。「われわれは、個人が大小の集団に向かって、事を分けて意見を述べる習慣を持っていなかったから、そのための文体も発声法も存在しなかった。 ・・・ 書き言葉はあくまでも書き言葉で、それを美しい響きと抑揚で声に出すことはなかった」という指摘は、まことに説得的である。

明治期以後、日本語の朗読や演説(柴田さんの言葉では「獅子吼調」)はあったが、戦後「個人として集団の中で発言するチャンスが激増した時、それにふさわしい文体と調子を、誰も知らなかった」がゆえに、「小学生たちは、口語を基調にして、テレかくしのために、あるいはけじめをつけようと、やたらと単語の末尾にアクセントづけとフェルマータづけをして、いちいちダメ押しをするみたいな」習慣ができ上がった、というのが柴田さんの解釈である。

そうだとすると、この習慣は、子供たちの間から始まった、ということになる。その際、教師が注意を怠ったのでは、とまで柴田さんは言う。

村上陽一郎

そういえば、私の現在の仕事のなかに、高校生を相手にしたある種のセミナーというものがある。出てくる出てくる生徒たちの誰もが、極端な「がぁでぇ調」なので、時に「その話し方は、日本語としてとても聞き苦しいものだと思う人たちがいるのだから、気を付けたら」と注意することがある。学校の先生が臨席されるときもあるのだが、一様に怪訝な顔をなさる。

柴田説のように、すでに昭和三十年代の学校現場でさえ、咎めだてがなかったとすれば、現在の学校で、全く問題にされていない現状は、その当然の結果であろう。そして、そうであれば、TVなどに出てくるタレントたちが、一様にその話し方で押し通して恬として恥じないのも、不思議ではないことになる。

私の注意などは、結局、蟷螂の斧に過ぎないらしい。この病弊、私は明確な「病弊」だと信ずるが、どうも付ける薬はないようである。

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村上 陽一郎(むらかみ・よういちろう)

上智大学理工学部、東京大学教養学部、同学先端科学技術研究センター、国際基督教大学(ICU)、東京理科大学、ウィーン工科大学などを経て、東洋英和女学院大学学長で現役を退く。東大、ICU名誉教授。専攻は科学史・科学哲学・科学社会学。幼少より能楽の訓練を受ける一方、チェロのアマチュア演奏家として活動を続ける。