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日本文化の転換点、「近代化=西洋化」ではなかった

2023.07.03

Updated by WirelessWire News編集部 on July 3, 2023, 17:24 pm JST

「近代化すなわち西洋化」とはいえない

日清・日露戦争を前後する時期については、未だ明確にされていないところが多々残されている。ヨーロッパで19世紀に起こった国民国家が同じ法律の下での国民の平等に向かう流れをアジアでは日本が唯一、受けとめ、それを実現した。「殖産興業、富国強兵」を合言葉に、国家が発行する貨幣に支えられた資本主義経済を発展させ、産業革命が進行した時期であることは、今日、誰しもが認めよう。

しかし、それを第二次世界大戦後の日本でそうしてきたように、「近代化すなわち西洋化」のようにまとめることには無理がある。国民国家を形成し、1889年に大日本帝国憲法が公布されたのは西洋に倣ってのことだが、その憲法が古代から万世一系の皇室を仰いでいることは、西洋にはない日本の「伝統」を誇る態度を伴っていた。

「武士道」ブームも、また修養の季節に禅宗や陽明学が盛んになったことも西洋化とはいえない。そこで今日では、近代化すなわち技術革新(欧化)と伝統思想(国粋)のせめぎあいの図式(scheme)で読みとる見方が盛んになっているのかもしれない。

家内工業・手工業を盛んにした「開物」思想

ところが、その「殖産興業」は、江戸中後期に諸藩が藩政改革に乗り出したころからの機運であり、天地自然から産物を開発することを意味する「開物」思想に支えられ、新のみならず、鉱山や材木、果樹、染料など地場産業の開発が盛んになった。醸造や織物、藺草による畳表から刃物に至る家内工業・手工業を盛んにし、全国市場が展開するまでになっていた。

今日では、それによって洪水の多発や水質汚染などの被害が全国各地に頻発し、農民の一揆や訴訟も多発していたことが掘り起こされている。だが、それらの被害は大規模に及ばず、一揆などもさほど大きなものにならなかった。当該諸藩によって代替地の提供による補償や鉱山事業は休止されるなど、比較的穏当な対策が講じられたためという(安藤精一『近世公害史の研究』吉川弘文館、1992)。

それは、しかし、自然との調和を重んじる伝統思想によるものではなく、また、基本的に農民の農閑期の仕事であり、諸藩は、石高制のもとで稲作の減収は避けなければならなかったからである。

※この本文は2023年1月13日発売『日露戦争の時代 日本文化の転換点』(平凡社)の一部を抜粋し、ModernTimesが若干の編集を加えたものです。

※本稿は、モダンタイムズに掲載された記事の抜粋です(この記事の全文を読む)。
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