
IT業界、とりわけ企業向けのシステム構築に関する領域では、「Fit to Standard」という言葉があります。これは「システムに合わせて業務を変えること」を指します。例えば、ベンダー企業がつくったパッケージ製品を、自社向けにカスタマイズなどせず、標準機能のまま導入します。そして、何か業務と齟齬があれば、標準機能に則って業務プロセスを変えます。これが、「Fit to Standard」です。昨今は、システム導入において、高スピードと低コストが強く求められるため、時間と費用とメンテナンスに手間がかかるカスタマイズよりも、「Fit to Standard」が求められるケースが増えました。ちなみに、「業務に合わせてシステムを変更すること」は「Fit & Gap」といいます。
Standard、という言葉に思いをはせ、そもそも「標準化」(Standard化する)とはなんぞやと紐解いてみます。経済産業省は、“標準化とは、「もの」や「事柄」の単純化、秩序化、試験・評価⽅法の統⼀により、製品やサービスの互換性・品質・性能・安全性の確保、利便性を向上するもの”と定義しています(標準化とは METI/経済産業省)。そして、新技術や製品をつくり普及させるには、経営戦略として標準化を行い、標準の利用側(ルールテイカー)から、標準の主導側(ルールメイカー)になれ、といわれます。確かにビジネスにおいて、自社が標準になることが肝要で、その恩恵は多大であることは自明です。市場競争に勝って最終的にデファクト・スタンダード(事実上の標準)になってもいいけれど、当初より標準になってしまえ、というのも納得の戦略でしょう。
さて、システムの話に戻ります。「Fit to Standard」において、「Standard = 標準」とは、ベンダーが用意した標準機能です。システム導入企業は、ベンダー標準の「利用者」、ということになります。「それじゃ、ベンダーにメリットがあるだけでは?」という声が聞こえてきます。もちろん、そのような面は否定できません。ベンダーだって自社が「標準」になることが、経営上の重要課題です。とはいえ、ベンダーが示す「標準」が、自社の「標準」よりも優れていることもあり、柔軟に取り込むことが功を奏することもあるでしょう。どうしても相手の「標準」に従うことが気になるのであれば、自分たちにとってクリティカルではない領域を選抜すればいいのです。気取って経営用語で表現すれば、コア業務とノンコア業務を切り分けて考えよう、という感じでしょうか。
何にせよ、根幹として必要なのは<自社の「標準」>に対する自覚です。
ITやビジネスの話は横において、「標準の利用側(ルールテイカー)から、標準の主導側(ルールメイカー)」という言葉は、実生活においても通じる言葉です。おそらく私たちは「自分は自分、独自の存在」と自認していたとしても、何かしらの外側から与えられた「標準」でできています。私は生まれてこのかた日本在住なので、海外の人から見れば「日本的標準」に染まりきっていることでしょう。それ以外にも複数の「標準」が私のなかにあるはずです。ただ、この自分のなかにある「標準」に触れることは、とても難しい。というのも、空気のように当然の存在だからです。とはいえ、ルールメイカーになるには、言い換えれば、創造的であるためには、この「標準」を飼い慣らさなくてはなりません。
では、「標準」を飼い慣らすには、何が必要でしょうか。その第一歩は、自分を構成する「標準」に気付くことから始まります。ただ、先に述べた通り、「標準」は、空気のように無自覚な存在であり、無意識の底にあるので、引っ張り上げなくてはなりません。それを手っ取り早く行う方法は、<自分以外の「標準」に触れること>です。別の「標準」に触れることで得られる感情を、「なぜ私はそう思うのか?」と突き詰めることが、自分の「標準」を知るきっかけになります。
例えば、他人に会うことや、海外に行くことは、自分以外の「標準」に触れるための手段の一つでしょう。とはいえ、すぐに会える身近な他人は、自分と似た環境で似た視点を持つことが多く、小さな齟齬はあれど、大きな違和感を感じる機会は少ないでしょう。また、海外なんて簡単に行くことができません。
そこで、気軽な手段の一つとして「現代アートを鑑賞すること」をおすすめします。その理由は主に三つあります。
まず、現代アートには何かを問題提起する作品が多いこと、です。現代アートの主流は、コンセプチュアル・アートといわれる、作品に込めたアイデアや思想などを重視するものです。さらにアーティストは、独自性を出そうと日々研鑚を積んでいます。そのため、自分の「標準」にはないメッセージ性を持つ多様な作品に出会う可能性が高いのです。また、アーティストの思考/志向が露出するが故に、不快になることさえあります。「心地よくない」という感情には、「なぜ私はそう思うのか?」という問いが極めて立てやすく、内省が捗ります。
次に、現代アートは文字に頼り過ぎないこと、です。私たちの日常では、問題提起は論説、エッセイ、はてはSNSまで、文字によることが圧倒的です。一方で、それ以外の表現を駆使してくるのが現代アートです。文字言語ではない、別の媒体によってアーティストの主張を届ける現代アートは、我々の日常的な「標準」から外れており、それ故に刺激があります。
最後に、現代アートは制作者が生存している、もしくは自分と同時代を生きたことがあるため、作品背景を汲み取りやすく、内在する意図を読みやすいことです。作品に込めたアイデアや思想、その伝え方など、すべてが自分の「標準」と大きく異なっていては、何も理解できず終わってしまうかもしれません。その回避策として、少し自身のバックグラウンドと似ているものに触れることが挙げられます。したがって、「現代」のアート作品がおすすめなのです。
自分のなかにある「標準」、いわば「常識」に気が付けば、そのままそれに準拠するか、破壊するか、他の何かを取り入れるか、次の道が見えてくるはずです。
現代アート初心者の方に向け、おすすめの鑑賞方法について以前触れておりますので、どうぞこちらもご覧ください。
作品の解釈に明確な正解は存在しない研究開発のネタをアート/デザインの現場から探る(No.1) – WirelessWire News
情報技術開発株式会社 経営企画部・マネージャー
早稲田大学第一文学部美術史学専修卒、早稲田大学大学院経営管理研究科(Waseda Business School)にてMBA取得。技術調査部門や新規事業チーム、マーケティング・プロモーション企画職などを経て、現職。2024年4月より「シュレディンガーの水曜日」編集長を兼務。