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英語圏のnatureでは捉えきれない「自然」の概念。環境保全の推進に必要な「人文学」のアプローチ

英語圏のnatureでは捉えきれない「自然」の概念。環境保全の推進に必要な「人文学」のアプローチ

March 2, 2026

小松原織香 o_komatsubara

1982年生まれ。2016年大阪府立大学大学院人間社会学研究科人間科学専攻博士号取得。『性暴力と修復的司法: 対話の先にあるもの』(成文堂 2017年)で西尾学術奨励賞(ジェンダー法学会)受賞。『〈被害者の情念〉から〈被害者の表現〉へ―水俣病「一株運動」(1970年)における被害者・加害者対話を検討する』(『現代生命哲学研究』2018年)で社会倫理研究奨励賞(南山大学社会倫理研究所)受賞。近著は『当事者は嘘をつく』(筑摩書房 2022年)。

保全活動によって守られようとしている「自然」は、自然科学の想定するnatureでしかない

気候変動をはじめとした環境問題は全世界の注目を集める喫緊の課題である。環境問題の特徴は多国間の協力が必要なことにある。大気汚染や海洋汚染は簡単に国境を超えて広がる。また、CO2排出抑制には各国が協働で取り組まなければならない。すなわち、一国の利害を超えた地球規模の環境政策の立案が望まれている。

他方、国連をはじめとした国際的な環境政策について話し合う場は、英語が第一言語となり、欧米諸国が旗振り役となって議論を進める。最先端の技術を駆使し、統計データや将来予測が提示され、自然科学者たちが環境保全に向けた対応策を検討する、そのときに想定されている「守るべき自然」とは自然科学の想定するnatureである。これらの議論は欧米諸国が中心になって進めている。

しかしながら、環境破壊がもっとも深刻なのはグローバルサウスと呼ばれる国々だ。アフリカ、南米、アジア等の国々の貧困問題を抱えた地域こそが、環境破壊の影響を受けやすい。たとえば、自然とともに暮らす先住民は、環境の変化により、それまでの狩猟や採集の手段を奪われる。また、貧しさゆえに、汚染された危険なゴミを輸入し、集積することで現金収入を得る地域もある。環境破壊の害は弱い立場の人々に襲いかかる。かれらの声は、国際的な環境政策の議論に反映されているのだろうか。

「かまどの神様」はnatureに含まれるのか

実は、この問題は日本における環境問題の議論にも深く関わっている。日本語の「自然」の概念は、英語のnatureの語と完全に重なるわけではない。たとえば、私の祖母は「台所で流しに熱湯を流してはいけない」と説いた。なぜなら、かまどの神様が火傷をして怒るからである。祖母がどれくらい本気で私にそう言ったのかわからない。おそらく、昔の日本の流しは熱湯を捨てると配管が傷んだので、それを避けるための知恵だったのだろう。なんにせよ、祖母は「かまどには神様がいる」と当たり前に言っていた。さて、かまどの神様は自然だろうか? 人工物だろうか? かまどは人工物ではあるが、かまどの神様は人間が作り出したものではない。もちろん、人間の空想だと断じて人工物に分類してもいい。だが、日本文化に馴染みがあれば、「もしかすると自然の側ではないか」「人を超えたものだ」という直感が働く人もいるように思う。だが、自然科学者が英語で環境政策について議論する場では、natureのなかにかまどの神様は含まれていない。日本語の自然が指し示すものは、自然科学のnatureのカテゴリーとは完全には重ならない。

環境保全に実効的な政策を考えていくうえでは、人文学のアプローチが欠かせない

こうした自然概念の地域差は、文化の多様性に根ざしている。人々は異なる気候に囲まれ、異なる暮らしを営んできた。そのなかで異なる自然観が生まれてくるのは当然のことである。実は、国際機関IPBES(生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学-政策プラットフォーム)も、文化多様性に着目し、次のように述べている。

自然についての多様な概念化と可能な価値の多元性が存在するということは、この分野において政策決定をすることは困難であり、意見の相違や議論にさらされることを意味する。したがって、評価、管理、政策の目的に向けて、異なる利害関係者が明示的にまたは暗黙理に自然やその利益に対して抱く複数の価値を認識し、意思決定においてどのように扱い、対処するのかについて透明性を担保することは重要である。これは、方法論的アプローチや政策過程をデザインするなかで、世界観の影響の重要性を理解するとともに、どの世界観をあてはめる、もしくは考慮するのかについて、透明性を保つことを含む。(IPBES ‘Diverse worldviews & diverse values’ 、原文は英語。筆者訳。)

このように、環境保全を進める国際機関においても、世界の人々が持つ自然観が一つではなく、複数であり、それぞれが異なっていることを認識する重要性を述べている。さらに、IPBESは、「交流、発展、創造性のみなもととして、自然にとって生物多様性が必要なように、人間にとって文化多様性は必要である」(cultural diversity)としている。したがって、私たちは環境保全に実効的な政策を考えていくうえでは、人文学のアプローチにより世界の各地域の自然概念を理解することが不可欠なのである。

アジア12カ国の「自然」が意味するもの

それでは、どうやって各地域の自然概念を知ることができるのだろうか。私は友人のライナ・ドロズ(東京大学・特任助教)とともに、この難問に向き合うために、アジア環境哲学ネットワークを2019年に設立した。一人では世界中の自然概念を知ることはできなくても、各地域の研究者が協力すれば前に進めるかもしれない。簡単なことではない。特に、アジアはそれぞれが異なる言語を用い、歴史をたどってきた。交流するにも英語に苦手意識がある人が多い。それでも、お互いの文化的な壁を超えて、協力して環境哲学について取り組むチャレンジを始めたのだ。

そうは言っても、たった二人の初期キャリア研究者が、なんの予算も支援もなく、手作りで始めたネットワークである。私たちはウェブサイトを立ち上げ、メーリングリストを作り、個人的にスカウトしてメンバーを増やしていった。

そして、2021年、meaning of nature project(「自然の意味」プロジェクト)が始まった。このプロジェクトには、12カ国の異なる地域から15人の参加者がいた。最終的には英語の査読付き論文を執筆し、出版に至る。論文では、中国語、日本語、ベトナム語、フィリピン語、タガログ語、セブアノ語、ルマド語、インドネシア語、ビルマ語、ネパール語、クメール語、モンゴル語の「自然」の語が意味するものが記述されている。以下より、無料でアクセスできる。
Exploring the diversity of conceptualizations of nature in East and South-East Asia | Humanities and Social Sciences Communications

この論文がユニークなのは、オンライン・ワークショップを基盤にした共著論文であることだ。私たちは2021年6月にメーリングリストで参加者を募集し、7月にどんな論文を書くのかを検討するキックオフミーティングをした。さらに、10月に草稿をもとにして議論をし、11月に最終稿に向けて検討を行った。これらは全てズームのオンライン会議と、グーグルドライブを利用したワードの共同編集機能によって行われた。つまり、私たちは一度も対面で会うことなく、共著論文を完成させたのだ。2021年といえばまだまだコロナ禍の真っ最中だ。オンラインでの研究活動が盛んになった、まさにそのときに、私たちは初期キャリア研究者を中心に手探りでアジアの環境哲学の共同研究に取り組んでいた。苦労したのは、インターネットの接続回線が弱い地域の参加者がいたことだ。かれらは、カフェやレストランなど、通信環境が良いところを探して議論に加わってくれた。各地域のインフラ整備の格差を痛感した。

正直にいえば、この論文の完成度は決して高くない。たとえば、東アジア・東南アジアの自然概念の探究を謳いながらも、東アジアの重要な地域・朝鮮半島がまるまる抜けている。私たちが協力してくれる研究者を見つけられなかったからだ。また、各地域の自然概念の記述はアカデミック/非アカデミックの度合いがバラバラだ。参加したメンバーは、哲学の研究者だけではなく、法学者や活動家も含まれる。かれらは「抽象的な概念のことはわからない」と言いながら、四苦八苦して私たちの議論に参加し、自分たちの知見を用いて論文に貢献してくれた。

さらに、東アジア・東南アジアとひとくくりにしても、日本や中国のように書記言語で自然観を探究する分厚い歴史のある地域もあれば、日常生活の中にある非言語的な自然観が優勢ある地域もある。後者の地域では、文献資料が少ないし、あったとしても英語ではないので他のメンバーが確認できない。ドロズが執筆過程で一貫性のある記述になるように苦心して体裁を整えてはいるが、まだまだ各地域の記述の厚みを増して、掘り下げることはできるだろう。これは欠陥ではなく、未来へ続く可能性の話である。

「私たちは西洋とは異なる自然と共生する世界観を持っている」と公式化したとき、文化の本質化が始まる

このプロジェクトはプロセスを重視する。私たちは、あらゆる地域の資料をさばく博覧強記の大学者でもなければ、書斎で沈思黙考することで世界の謎を解く深遠な哲学者でもない。誰かが蹴り出したボールを目掛けて、みんなが走ってパスを出しながら前に進んでいく、サッカーのような研究スタイルだ。不完全ではあっても、新しい発見のある一本の論文が書けた。そうすると、新しい課題が見えてくる。そうやって、各地域の自然概念の探究は広がっていく。

私たちは、今、エコ・オリエンタリズム/エコ・ナショナリズムについてのプロジェクトに取り組んでいる。アジアにはたしかに各地域の独自の自然観がある。それらの特徴を言語化したとき、英語圏で議論されている欧米中心の発想とは異なる環境思想が生まれることがある。しかしながら、それを「私たちは西洋とは異なる自然と共生する世界観を持っている」と公式化したとき、文化の本質化が始まる。自文化礼賛がナショナリズムと結託して、一国内の自然観が一元化される危険もある。それぞれの地域が持つ自然観を尊重しながらも、自己に閉じず、他者と繋がることができるような環境思想の議論はどうすれば可能なのだろうか。再び、私たちは新しい論文の作成に挑戦している。

私たちの試みが、国際的な環境政策の議論の場に反映されるのは、いったいいつのことだろうか。初期キャリア研究者の細々とした取り組みと、国連までの距離は遠い。それでも、私たちはアジアの環境哲学のプロジェクトをスタートした。今年は11月にオンラインシンポジウムを開催する。ここでの新しい出会いと議論が、私たちに次のステップを与えてくれるかもしれない。無料で誰でも開かれるオープンな場である。あなたが興味があれば、ぜひ私たちのプロジェクトに加わってほしい。
(小松原織香/作家)

NAEPオンラインシンポジウム(2023) 参加者募集のお知らせ
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