前回は『史記』を閉じ、白い紙を開くところで終わりました。項羽の沈黙や、記録に残らなかった選択が、歴史の続きを動かしていました。では、紙の上の「何もない」は、何をしているのでしょうか。書の作品は、墨のあるところだけではでき […]
2026.10.30
今度は「本物の本紀」を開く 前回、自分の研究歴を振り返り、履歴書はその人についての小さな「本紀」だ、と書きました。年と肩書を並べれば人生は妙にまっすぐに見えますが、実際には脇道や行き止まり、後から効いてくる出会いの方が多 […]
2026.10.29
履歴書は、小さな「本紀」である 研究者の経歴は、年表にすると妙にまっすぐです。何年にどこへ移り、何を研究し、どんな論文を書いたか。出来事を年月順に並べると、あたかも最初から行き先を知っていた人が、予定された駅を順番に通過 […]
2026.09.10
一本道ではない世界を、どう描くか 一本の熊手を手にしたサルが、少し離れたところにある餌を引き寄せる。私が長年続けてきた脳研究は、そんな素朴な場面から始まりました。 サルの頭頂葉には、手に触れたものだけでなく、手の近くに見 […]
2026.08.27
抗生物質の発見 生と死の間にある、あるいは生きているものと生きていない、そのちょうど中間の位置にいる存在、それがヴィルスでしょう。私たちは、ここ数年間、新型コロナヴィルスの世界的流行で、ヴィルスなるものにいやというほど突 […]
2026.07.06
「物」と「もの」 科学というのは、基本的に唯物論です。その知的系譜は、歴史的に見れば、デカルトの所論に行き着くと私は考えています。急いで付け加えますが、勿論デカルトが「唯物論者」だというわけではありません。デカルトの所論 […]
2026.06.22
別れてしまった「近代」という友 『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』を2001年に書き上げた後、橋本治は「ふっと」小林秀雄のことを思ったという。それまで橋本は、小林の著作を『本居宣長』しか読んだことがなかった。198 […]
2026.06.10
現代アートは「勝てば官軍」? 近年、映画館で作品をみる機会がだいぶ減ったが、二年ほど前に久しぶりに出向いて、これは面白いと感じたのが『TAR/ター』という映画である。このタイトルは主人公である女性指揮者の名字だが、ブラン […]
2026.06.09
胎児は「人間」ではない 前項で生者と死者との関係に関して、幾つかの論点を指摘しました。本稿では、「ヒト」の定義に絡む生と死を考えてみたいと思います。と言っても、生物学的な「ヒト」の定義は「ホモ・サピエンス」という種の定義 […]
2026.06.08
私たちの研究チームは、まだ地球上にない高齢者のケアを探求している。今回紹介するのは「読経」の健康への効果を検証する研究である。仏教には只管打坐と専修念仏という2つの柱があるともいわれる。只管打坐は世界の医学者が注目する「 […]
2026.06.05