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フィジカルAIとラディカル・アトムズ

フィジカルAIとラディカル・アトムズ

August 21, 2026

清水 亮 ryo_shimizu

新潟県長岡市生まれ。1990年代よりプログラマーとしてゲーム業界、モバイル業界などで数社の立ち上げに関わる。現在も現役のプログラマーとして日夜AI開発に情熱を捧げている。

フィジカルAIとは何か――それは本当に新しい概念なのか

最近、「フィジカルAI」という言葉を頻繁に聞くようになった。

生成AIの次はフィジカルAIだ、2026年はフィジカルAI元年だ、これからAIはロボットの身体を手に入れる、といった具合である。

しかし、フィジカルAIとは一体なんなのか。

自動運転車はフィジカルAIなのか。ドローンはどうか。ルンバはどうか。昔から工場にあるロボットアームもフィジカルAIなのか。

結論から言えば、フィジカルAIとは「物理世界を認識し、判断し、実際に働きかけるAI」の総称である。

カメラやセンサーで周囲を観測し、状況を理解し、次の行動を決め、モーターなどを動かす。そして、自分の行動によって世界がどう変化したかを再び観測する。

つまり、

知覚 → 判断 → 行動 → 再び知覚

というループを、現実世界の中で回すAIである。

ドローンはフィジカルAIなのか

たとえばドローンを考えてみよう。

人間がプロポを使って操縦するドローンは、基本的にはラジコンである。ジャイロセンサーを使って姿勢を安定させていても、それは高度な自動制御ではあるが、わざわざフィジカルAIと呼ぶ必要はない。

GPSで指定された地点を順番に飛ぶドローンも、従来のオートパイロットの範囲に入る。

一方、カメラで周囲の地形を認識し、未知の障害物を避け、その場で経路を変更し、対象物を探して追跡するドローンなら、これはフィジカルAIと呼んでよい。

したがって、「ドローンはフィジカルAIか」という問いには、イエスともノーとも答えられる。

問題は機械の形ではない。

その機械が、あらかじめ書かれた手順を再生しているだけなのか。それとも、世界を観測し、状況に応じて行動を変えているのか。その違いである。

そんなものは昔からあった

ここで当然、「それは昔からロボティクスと呼ばれていたものではないか」という疑問が出てくる。

その通りである。

コンピュータビジョンも、経路計画も、ロボット制御も、強化学習も数十年前から存在する。自動運転や自律飛行するドローンも、生成AIよりずっと前から研究されてきた。

したがって、フィジカルAIは、突然誕生した新しい学問分野ではない。

かなりの部分は、ロボティクス、自律制御、コンピュータビジョン、組み込みAIなどと呼ばれてきた技術を、新しい言葉でまとめ直したものだ。

特にこの言葉を強く押し出しているNVIDIAは、フィジカルAIを、ロボットや自動運転車などが物理世界を知覚し、理解し、推論し、行動するための技術として説明している。NVIDIAによるフィジカルAIの説明

身も蓋もない言い方をすれば、フィジカルAIという言葉にはかなりマーケティング的な要素がある。
NVIDIAは言うまでもなくAIの会社というよりはグラフィックスチップの会社としてスタートした。グラフィックスチップの究極の目的は、コンピュータで実物そっくりの世界を描き出すことだ。

ところが実需はグラフィクスよりもAI用途の方が圧倒的に高まった。NVIDIAがグラフィックスの会社であることを意識する人は以前より相対的にずっと少なくなったはずだ。しかしNVIDIAはあくまで、グラフィックスチップの会社なのである。グラフィックスの研究を決しておろそかにしたくない。そんな思いが、デンバーで開催された世界最大のコンピュータグラフィックスの学会、SIGGRAPHで同社のジェンスン・フアンCEOがMetaのマーク・ザッカーバーグと対談するようになったきっかけでもあるだろう。

ロボットが実世界で活動するためには、膨大な機械学習が必要になる。実際の世界で機械学習をやるよりは、本物そっくりのバーチャルかつリアルタイムな世界で機械学習をした方が何倍も効率的だし安全だ。「本物そっくりのバーチャルかつリアルタイムな世界」を作るための技術が、NVIDIAの誇るグラフィックスプロセッサである。だから、AIとグラフィックスを半ば強引にくっつけて「フィジカルAI」というコンセプトに昇華したという見方もできる。

つまり、「フィジカルAI」というマーケティング用語は、NVIDIAが自社の根源であるコンピュータグラフィックスとAIをどうにか結びつけようという企みに他ならない。それが悪いとは思わない。むしろ自社の歴史を踏まえ、新しい時代にどう対応していくかというビジョンを的確に書き換えたものだと筆者は捉える。

しかし、分かりにくいのは事実だ。
筆者も頻繁に「フィジカルAIって何?」と聞かれるので一度言葉を整理しておく必要性を感じた。

これまでのロボットと何が違うのか

従来のロボットは、想定された環境では極めて正確に動く。

工場のロボットアームは、決められた位置に置かれた部品を、決められた順序で何万回でも組み立てられる。しかし部品の向きが変わったり、見たことのない物体が置かれたりすると、途端に動けなくなる。

これまでのロボット開発では、物体を見つける認識器、腕を動かす制御、衝突を避ける仕組みなどを個別に作り込み、それらを人間が接続していた。

これに対して、現在は画像、言葉、空間関係、行動を一つのモデルで結びつけるVLA、Vision-Language-Actionモデルの開発が進んでいる。

人間なら「赤い箱を青い箱の隣に置いて」と言われれば、初めて見る箱でもだいたい意味を理解できる。VLAが目指しているのは、その言葉と視覚の理解を、そのままロボットの行動へ接続することである。

Google DeepMindのGemini Roboticsも、画像や言葉を理解するだけでなく、ロボットの物理的な行動を出力するモデルとして発表された。Google DeepMindによるGemini Roboticsの発表

これまでのロボットが「プログラムされた作業を実行する機械」だったとすれば、フィジカルAIが目指しているのは、「目的を与えられると、状況を見てやり方を考える機械」である。

ここに、今回のブームの技術的な中身がある。

なぜ急に注目され始めたのか

言語モデルは、インターネット上に存在する膨大な文章から学習できた。

ところが、ロボットの行動データはインターネット上にはほとんど存在しない。

人間がコップを持つとき、指をどこに置き、どの程度の力をかけ、どの軌道で持ち上げたかというデータは、普通は記録されていない。

しかも、ロボットに現実世界で学習させるのは遅くて高価である。失敗すればコップが割れ、ロボットが壊れ、場合によっては人間が怪我をする。

そこで重要になるのが、物理シミュレーションと合成データである。

バーチャルな空間の中なら、ロボットを百万回転ばせることができる。照明、床の摩擦、物体の重量、カメラの位置などを変えながら、現実では集めにくい失敗例を大量に生成することもできる。

筆者がバーチャル空間をあえて「仮想空間」と呼ばない理由は、「バーチャル」を「仮想」と訳すのは誤訳だからだ。「ハッカー」を「コンピュータ犯罪者」と呼ぶよりもひどい誤訳である。英語本来の「バーチャル」は「本質的な」という意味である。

閑話休題、NVIDIAがフィジカルAIという言葉を積極的に使う理由もここにある。

同社は、モデルを学習するGPU、バーチャル世界を構築するOmniverse、ロボットを訓練するIsaac Sim、現場で推論するJetsonまで持っている。

つまり、フィジカルAIという言葉は技術分類であると同時に、NVIDIAがこれから作ろうとしている巨大な計算機市場の名前でもある。

フィジカルAIの本当の難しさ

現在のフィジカルAIのデモを見ると、ロボットは驚くほど賢く見える。

自然言語による指示を理解し、見たことのない物体をつかみ、途中で物を動かされても計画を立て直す。ドローンはGPSの届かない空間を飛び、自動運転車は複数のカメラ映像から道路の状態を推定する。

しかし、デモと実用の間には深い谷がある。

チャットAIが一度間違えても、文章を生成し直せば済む。画像生成AIが指を六本描いても、笑い話で終わる。

ところがロボットアームが一度判断を誤れば、人を傷つける可能性がある。自動車なら死亡事故になる。物理世界では、AIの出力を「だいたい正しい」で済ませることができない。

しかも現実世界には、摩擦、重量、慣性、反動、遅延、死角、経年劣化といった面倒な要素がある。

同じコップでも、空のコップと熱湯の入ったコップでは扱いが違う。紙コップとガラスのコップでは必要な力も違う。床が濡れていれば歩き方も変えなければならない。

言語の世界では、もっともらしい答えを返すことが知能に見えた。しかし物理世界では、世界の側が容赦なく正解を判定する。

フィジカルAIの難しさは、AIに行動を生成させることではない。その行動を十分に速く、確実に、安全に実行させることにある。

ラディカル・アトムズとの関係

フィジカルAIの話を聞いて、MITの石井裕が提唱した「ラディカル・アトムズ」を思い出す人もいるだろう。

ラディカル・アトムズとは、デジタル情報を画面上のピクセルとして表示するのではなく、物質そのものの形、色、硬さ、動きとして表現しようという構想である。

フィジカルAIとラディカル・アトムズは、対立する概念ではない。

むしろ、フィジカルAIに相当する機能は、ラディカル・アトムズの一部分に含まれていると考えたほうがよい。

物質が人間や環境に応じて自律的に姿を変えるためには、周囲を知覚し、人間の意図を理解し、どのような状態になるべきか判断し、変形を実行し、その結果を観測して修正する必要がある。

これは、そのままフィジカルAIのループである。

ただし、ラディカル・アトムズはフィジカルAIよりも広い。

フィジカルAIが主に扱うのは「物理世界で行動する知能」である。一方、ラディカル・アトムズには、知能だけでなく、形状や硬さを変える材料、アクチュエーター、触覚、人間とのインターフェース、さらには情報と物質の関係そのものが含まれる。

だから、フィジカルAIが「AIに身体を与える試み」だとすれば、ラディカル・アトムズは「情報そのものに身体を与える構想」だと言える。

自動運転車や探索ドローンはフィジカルAIだが、ラディカル・アトムズではない。車やドローンという既製の身体を、AIが操作しているだけだからだ。

一方、環境を理解し、必要に応じて自分の形や硬さを変え、椅子にも机にも道具にもなる物質があれば、それはフィジカルAIを内部に含んだラディカル・アトムズになる。

フィジカルAIはラディカル・アトムズと並ぶ未来像というより、ラディカル・アトムズへ向かう途中で必要になる知能層の一つなのである。

AIが画面の外へ出るということ

生成AIの革命は、コンピュータの中に蓄積された言葉、画像、音楽、プログラムの扱い方を変えた。

フィジカルAIが目指しているのは、その能力を画面の外へ持ち出すことだ。

ただし、現在フィジカルAIと呼ばれているものの多くは、まだ「既存の機械をAIで賢く動かす」という段階にある。

自動車は自動車の形をしている。ドローンはドローンの形をしている。ロボットアームは床に固定され、設計された可動範囲の中で腕を動かす。

AIは身体を手に入れ始めたが、その身体はまだ、人間があらかじめ設計したものにすぎない。

その先には、AIが目的に応じて道具を選び、身体を組み替え、さらには環境そのものを変形させる世界がある。

そこまで行けば、フィジカルAIは単なるロボット制御ではなくなる。そしてラディカル・アトムズが描いてきた、情報と物質の区別が消える世界に近づいていく。

現時点で「フィジカルAI」という言葉には、確かにマーケティング的な匂いがある。昔から存在する技術に、新しい看板を掛けただけに見える場面も少なくない。

しかし、大規模な基盤モデルが、言語、視覚、空間、行動を横断して扱い始めたこと自体は新しい。

ドローンも、自動車も、ロボットアームも、ミニ四駆も、機械であるだけならフィジカルAIではない。

その機械が世界を見て、状況を理解し、目的に応じて行動を変え、失敗から立て直すとき、そこにフィジカルAIが現れる。

そして、その知能が既製の身体を動かすだけでなく、物質の形や性質そのものを書き換え始めたとき、フィジカルAIはラディカル・アトムズの一部になる。

フィジカルAIとは、単にAIをロボットに載せることではない。

フィジカルAIとは、AIが画面の外の実空間へ出て、現実世界の因果関係の中に参加し始めることなのだ。