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「被災者が、何が欲しくて、何が必要かという情報がまったくなかった」──おおふなとさいがいエフエム運営責任者 佐藤 健氏(後編)

2011.10.18

Updated by Tatsuya Kurosaka on October 18, 2011, 14:30 pm JST

ケータイが使えない中、情報支援として送られてきたパソコンも、使いこなせる人のいるところに届くとは限らない。そんな状況の中、突貫工事で立ち上げられたおおふなと災害FMは、被災者の立場で、必要とする情報を発信する放送局として、多くの被災者の情報源となっている。マスメディアにはできない、災害ラジオ局の果たす役割について、運営責任者の佐藤 健氏に引き続き話をうかがった。

▼おおふなとさいがいエフエム運営責任者 佐藤 健氏(岩手県大船渡市在住)背中の「78.5MHz」は、おおふなとさいがいエフエムの周波数
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地震速報以外に、情報源としての機能を果たさなかったテレビ

──テレビに関してですが、今回あちこちで情報収集手段としてテレビが機能しなかったという話をうかがいました。震災直後から見ていていかがでしたか。

佐藤:まったく役に立ちませんでした。言いたくはないですが、テレビの情報は震災直後からほぼ原発だけだった。被災地の人が知りたい情報は、被災地の情報なんですよ。原発も確かに大事なことではあるんですけど、それよりはまず自分たちの生活を立て直さないといけない状況では、遠くの原発の話を毎日やられても情報としての意味が無いですよね。

震災直後からある程度はテレビを見ていて、直後には気仙沼の火災や大船渡の津波の映像が、全国放送の番組で流れていましたけど、1週間を境にほぼ原発に替わってしまった。だから、TVに関しては情報源としての機能はほとんど果たしていないですね。

それに1週間から2週間、長いところでは2ヶ月間も停電していたので、そもそもTVが見られなかったところも多かったんです。親類や知人がいる、近隣の釜石や宮古がどうなっているのか。そんな私たちの求める情報が、テレビからは得られなかった。

ただ、地震速報に関しては確実に出ますから、あれだけは助かりました。警報や注意報が出るかどうかだけ確認したいんですよ。だから番組はなんでもいいんです。アニメが流れていようが、何が流れていようが、速報さえ見れればいいという感じだった。

──そのため震災以降、テレビの存在価値が希薄になっています。私もある避難所で「地震速報のために付けておかないといけないけども、付けていて出てくる画面が、あまりにひどい、見たくない映像ばかりなので、どうすればいいんだ。カバーでも掛ければいいのか」と言われました。「見なければいい」という話ではないんですね。

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役所に担当者がいなかったFM局を、3日間で立ち上げ

──そこで、皆さんが今本当に必要としているローカルな情報が手に入らない状況を、解消されようと思ったのが「おおふなとさいがいエフエム」の発端になったのでしょうか。

佐藤:そうですね。とにかく何かできないかなっていうことと、同じ被災者が何が欲しくて、何が必要かという情報がまったくなかったので、それを電波で飛ばせればいいんじゃないかと思い参加させてもらった。

当時は市の広報誌も出ていない状況だったので、行政から出る情報をすぐに市民に届けられる情報伝達手段として、ラジオは最高だと思いました。私自身が欲しい情報が、イコール皆さんが欲しい情報だと認識していたので、自分が欲しい情報をかき集めて放送すれば、必ず役に立つんじゃないかと。

──どういう段取りで「おおふなとさいがいエフエム」を立ち上げられたんですか。

佐藤:初めは奥州FMさんから、役所の防災管理室の方に「災害時の情報伝達にはFM放送が有用なのでやらないか」というお話が来て、役所内で協議した結果立ち上げが決まったんですよ。こういったことは広報活動だということで、広報に担当課としてFMを設置しますというところまでは決まったんですけども、人材がいなかった。

そこで、広報誌の印刷をしている印刷会社の社長さんを経由して、私に話しが回ってきた。説明を聞きに行ったのが3月27日のことで、機材を奥州FMさんが持ち込んでいて、アンテナがすでに庁舎の上に立っていて、明日から試験放送することになっていた。そのままレクチャーを受けて28日に試験放送をし、31日に本放送スタート。なので3日間で立ち上げたことになります。

原稿は、当時毎日出ていた市の記者会見発表資料が、被害状況からライフラインの復旧状況まで全部載っていたので、それの言葉をすべて話し言葉に変えて読んでいました。

▼地震発生時に読み上げる原稿は、放送室内に常時掲示されている
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──かなり突貫だったんですね。

佐藤:突貫もいいところでした。逆に「FMってこんな簡単に立ち上がるんだ」と思いました。ただ、私が機材を引っ張ったわけではなく、もともと奥州FMさんがやろうとしていたものに乗っかって、たまたま私が全部責任を背負っちゃったというのがきっかけだったんです。

実際にスタートしてからは、淡々とやってましたね、人を確保しないといけないので高校生に頼んだり、あとはボランティアを募ったり。ただ、今回のラジオ局には合わない人もたくさん来たので、それを断る嫌な役回りもやりました。

渡辺謙さんなど外部からの著名人の方も支援に来ていただいたので、その対応をしたりとかして、バタバタと過ぎたという感じでした。でも、大変という感覚は無いんです。世の中がバタバタしているので、とにかく出していれば必要としている人に伝わるでしょうという気持ちでやっていました。

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きめ細かな情報ニーズと、情報を取りに行けない層のギャップを埋める

──結果的に相当多くの方が聞いていましたよね。

佐藤:そうですね。避難所なんかは特にラジオを一日中つけていましたし、あとはクルマでも聞けましたし。内容で注目されたのは義援金の申し込みとか、仮設住宅の受付とか、そういった情報です。それを毎日流したので、やっぱり役に立ったと思います。

あとは地元の高校生を使ったことで、逆に勇気づけられたとか、あの声で救われたという意見もありました。アナウンサーではなくて、地元の人間がしゃべるっていうのは、それだけで安心感がありますよね。

そういう意味では、プロはいらなかった。元司会者や元アナウンサーという方も来ましたが、被災していない人が来ても、被災者の気持ちが分かった放送ができないのは現時点では拙いと判断して、お断りしました。少々恨まれているかもしれませんが。

▼おおふなとさいがいエフエムのロゴとマスコットキャラクターは、佐藤さんの制作
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──でも、求められているものがそこにある以上はしょうが無いですよね。

佐藤:行政主導だと、形式にこだわってしまっていたかもしれません。ただ私は行政ではなく民間の人間なので、批判されようが何しようが、痛くも痒くもないなと思って。

──ラジオを聴いてもらう上での課題は何かありますか。

佐藤:岩手の沿岸地区にはコミュニティラジオがもともと無いんですよ。だから、地元のコミュニティラジオを聞くっていう習慣がまったくないので、そこで周知して聞いて貰うというのは、もともと局がある地域とは違うつらさがありましたよね。

ただ、ラジオ自体は、誰でも聴けるものです。今からスマホを使ってください、パソコンを使ってくださいというよりも、ラジオでスイッチポンというのは圧倒的に簡単です。

情報はできるだけきめ細やかに伝えられないと意味が無い一方で、能動的に取りに行くことができないからこその状況だと考えるならば、そこを埋め続けるニーズというのは復旧復興の目処がつくまで必要だと思います。

いま、この活動を継続させるために、いろいろなことを考えて、取り組んでいます。コミュニティ局設立だとか、各放送局連携とかという話しがいろいろ来ます。でも、それはあとあとの話しで、最低でもここ1年2年の間、災害FMとして継続できれば良いんじゃないかと思う。

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防災メディアとして根付かせるために、総務省のトップダウンに期待

──この先、災害ラジオを続けるべき理由は、何でしょうか。

佐藤:いまだに余震が多いですし、仮に同じレベルの地震がまた起きて、津波が来たら、またライフラインストップします。その状況を担えるのがラジオなので、今のうちに聴取率を上げておいて、何かあったらすぐに対応できるようにしたいんです。

防災管理室と連携して防災を担うとか、あとは市民参加型で皆さんに出演してもらい「どこどこの誰々さんが出ていたよね」とか「今度どこどこの娘が出るんだって、じゃあ聞こうか」と、そういうコミュニケーションのとれるツールになればいいんじゃないかなと思います。それが根付けば安否確認にも使えますから。

だから、ここ1〜2年が勝負だなと思っています。電話が不通で電気も停電して、さあどうするというときに「じゃあラジオつけよう」となる。そこまで持って行ければいいと思っているんです。でも、いろいろと壁があるんです。とにかく役所の壁を取っ払って、市民が自由に使えるアイテムとして作り込めないかなと思っています。

──継続のための障害は何かありますか。

佐藤:行政との距離感は難しい課題です。こうした非常時は、行政への風当たりがどうしても強くなるので、ラジオが行政批判を行うメディアになってしまうのではないか、と思っている向きも一部にはあるようです。

ただ、緊急時や今後また何らかの被害が出た際の情報手段として、前述のような役割を果たすのであれば、行政との連携は不可避です。それを実現するには、単純に予算面というより、行政や議会にこの活動への理解をもっと深めてもらう必要がある。そのためには彼らに「これは継続すべき活動だ」と思ってもらうことが大事だと思っています。

その意味で、総務省の動きには注目しています。基礎自治体はトップダウンに弱いので、総務省の方から「ラジオと防災を絡めてこういう市民のメディアのひとつにしなさい」という指示が出れば、自治体は積極的になります。それが一番早いのかなと思っています。

いくらこちらから市役所に提案しても、もどかしいところなんですよ。できることは一杯あるのに、できないつらさがある。スピード感のある判断をしてもらえると、ありがたいですね。

▼スタジオ内の佐藤さん
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──総務省では、テレビの越境放送を考えているようです。それ自体に意味がないとは言わないんですが、ただ、佐藤さんのお話をうかがっていると、被災地で求められていることとは、ちょっと違うんじゃないかという思いがあります。総務省への具体的な要望はありますか?

佐藤:それよりも、臨時災害ラジオ局をすべてサイマル化して、どこでも聴けるという状態を義務づけるようにして欲しいです。今は、各放送局の判断でやっていますが、それを免許交付の際に義務化する。

例えば宮古でやっているのは、画面は道路を映して音声はラジオというやり方。臨時災害FM局のサイマルを義務づけて連携をすれば、関東に避難している人でも地元のニュースが聴ける。この方が簡単だしすぐにできるんですよね。

総務省が「義務です」といえば、やるしかないじゃないですか。予算措置もあればありがたいですが、まずはそういう現場のボトルネックを解消するところに、総務省ならではの方法で支援していただきたいです。

(了)

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クロサカタツヤ(くろさか・たつや)

株式会社企(くわだて)代表。慶應義塾大学・大学院(政策・メディア研究科)在学中からインターネットビジネスの企画設計を手がける。三菱総合研究所にて情報通信事業のコンサルティング、次世代技術推進、国内外の政策調査・推進プロジェクトに従事。2007年1月に独立し、戦略立案・事業設計を中心としたコンサルティングや、経営戦略・資本政策・ M&Aなどのアドバイス、また政府系プロジェクトの支援等を提供している。