ISN公開セミナー「東日本大震災と自治体ICT」レポート【前編】
2012.01.18
Updated by Tatsuya Kurosaka on January 18, 2012, 14:00 pm JST
2012.01.18
Updated by Tatsuya Kurosaka on January 18, 2012, 14:00 pm JST
東日本大震災被災地自治体ICT担当連絡会(ISN)[PDF]が主催する公開セミナー「東日本大震災と自治体ICT」が昨年11月25日、仙台市において開かれた。
ISNとは、被災した自治体間で情報共有を行っていくことが被災地復興や避難住民の支援につながるとの考えにもとづき、被災自治体における課題を共有し、連携を深めるため、自治体のICT担当者間で情報共有する場として設立された団体。宮城県と仙台市が発起人となって、現在43の自治体が参加し、ネット上での掲示板運営、企業などからの支援とそれを必要とする被災自治体のマッチング、自治体の機能回復や被災者支援業務の推進を行っている。
このセミナーでは、被災地自治体におけるICTがどのような課題に直面し、それを解決していったのか、また再び災害が発生した場合にどのような対応が可能なのかといったことについて、現場で立ち向かった担当者が自ら報告を行った。そのセミナーの模様をレポートする。なお、プレゼンテーションで使用されたデータは、セミナーのウェブページにてすべて公開されているので、そちらも参照されたい。
▼登壇者の自治体の所在地 ※名古屋市の綱島氏は陸前高田市復旧のサポート
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まず、登壇したのは岩手県山田町企画財政課電算係長の船越海平氏。「停電をきっかけに決意したこと」と題して、自らの被災体験と、山田町におけるICTの復興プロセスについて語った。
船越氏は自身も自動車で移動中に津波に襲われ、車ごと300メートル押し流された。瓦礫やガラスの破片が大量に含まれる水の中を泳いで脱出し、全身が傷だらけの状態で町役場に避難したという。停電し、明かりも暖房もなく、また防災無線以外の固定電話や携帯電話などの通信手段が途絶えた中、凍えながらICT担当として自分に何ができるか考え続けたそうだ。
その結果、船越氏は「電算課は電気がないと仕事にならない。これまで電気についてはまったくの受け身で、自分で調達するという事は思いもよらなかった。しかし、財政課長の『待っていては駄目だ』との言葉で我に返り、少ないガソリンでクルマを駆り、盛岡まで移動しました」と語る。
これにより6台の発電機を確保したものの、電源ケーブルなどが足りないため発電機を3階のサーバールームに設置しなければならなかった。6台の発電機が使用するガソリンが一日に350リットル。18リットルのポリタンクで20個分だ。また、被災直後でガソリンが非常に貴重な状況だっため、保管は離れた場所で厳重に行っていた。船越氏は、電源確保は自分ひとりの責任と決めていたため、怪我を押して毎日ひとりで3階まで燃料を運んだそうだ。「これがもっともきつかった」と船越氏は振り返る。
発電機を確保できたのち、ICT担当として、サーバーを再起動した直後にまず行ったのは、住民記録システムからの最新データのバックアップだ。安否確認や今後の事務手続きなどに必要なるためだ。
また、電気について調達に苦労したのが紙だそうだ。事務手続き用の専用紙のほか、プリンター用の通常の紙の確保にも苦労したという。「日本全体が被災したため、紙の入手もギリギリでした。停電で街全体の明かりが消えている中、発電機で役場だけが明るいため、夜には皆が役場に集まってきた。災害時には紙だけが正確な情報を伝えるので、役場での紙切れは許されません」
山田町では、固定回線の復旧が遅れたため、通信の回復は携帯電話の回復に掛かっていた。最初に回復したのはNTTドコモで、3月20日に役場付近で使用可能になった。3G回線を使ったインターネット接続が可能になったことで、外部との通信手段が利用可能となった。しかし役場内のLANが使えないため、役場内外との連絡手段としてウェブメールを使用した。
また、役場内で共有が必要なデータの運用も、インターネットを活用した。船越氏は、VPNの構築に時間が掛かると判断し、行政としてある程度の安全を確保した上で利用できるクラウドサービスとして、マイクロソフトが提供するSkyDriveを利用した。これによって、エクセルデータをブラウザーから直接編集できるようになり、効率もよくなったという。
最後に、船越氏は「正確に情報を伝え、被害を最小限に押さえることができるのが、ICTの持つ力だと信じている」と力強く語った。
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続いて登壇したのは陸前高田市総務部総務課行政係長の高橋良明氏。「陸前髙田市の情報システム復旧に向けた取り組み」というテーマで、同市のICTに関する被災と復旧について語った。
報道などでよく知られるように、陸前高田の市庁舎は津波によって4階部分まで浸水した。庁舎内にあったサーバールームも壁が倒壊し、流れてきた瓦礫で埋まっていた。中には自動販売機まで含まれていたそうだ。しかし、幸いなことに、回収したハードディスクから住基データを復旧することができたという。
電気は、直後から停止。固定回線も、NTT局舎が市役所のすぐ裏にあったため、市役所の被災とほぼ同時に断線となった。ケータイはメールのみしばらく使えていたが、こちらもしばらくして不通となった。この時点で市役所として唯一の通信手段は、2台の衛星携帯電話のみとなった。このため2名の職員が24時間体制で張り付き、外部との連絡にあたったという。この状況は3月18日に携帯電話が応急復旧するまで続いた。
市役所が使用不可能となったため学校給食センターに設置した災害対策本部では、3月14日より発電機による電気が使用可能となった。しかし、発電機による電力供給が不安定なため、パソコンなどのIT機器を利用することはできず、サーバーも電力不足で不安定な状態だった。
陸前髙田市の人口は約2万4千人におよび、コンピュータなしに事務手続きを継続することは困難だ。このため、失ったサーバールームの代替準備が課題となり、仮庁舎の建築と同時に進めることになった。3月22日には建築業者と最初の打合せを実施し、さらに4月26日の打合せを経て、7月3日にはサーバールームが引き渡された。7月25日には、各種システムやインターネット回線、総合行政ネットワーク(LGWAN)などの運用が本格開始している。
津波で失ったサーバー類の設置については、既存のシステム導入を行った業者の協力が大きかったという。「機器のスペックの割り出しや数量の確認、スケジュールの調整などは、混乱しておりまして自分たちで行うのは無理と判断しまして、既存システムを納入した業者に無理を言ってお願いしました」(高橋氏)
高橋氏は、情報システムの復旧に当たって「震災前に近い状況に、いかに早く回復させるかを考えた。サーバーのスペックや数が確定しない中でサーバールームの設計を行ったため、サーバー類についてはできるだけ省スペース、低消費電力を考えた」という。
課題としては、回収したハードディスクや、外部業者からの提供などによってデータの復旧を図ったものの、どうしても埋められない部分があることだという。これに関しては、地道な作業を行うしかないという。「サーバーなどは時間とお金があれば復旧できるが、データはそうはいきません。データのバックアップには十分な対応をとる必要があります」(高橋氏)
そして「使えて当たり前と思っているものが、突然全部使えなくなったときにどうすればいいのか。あらかじめ検討する必要があると思います」とまとめた。
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続いて登壇したのは、名古屋市総務局企画部情報化推進課の綱島謙氏。綱島氏は、名古屋市が行っている被災自治体への支援の一環として、陸前高田市に派遣され、主にICT関係の支援を担当した。地元では普段、名古屋市の認証基盤に関するシステムの運用保守などを行っている。今回は、陸前高田市における災害支援での体験をまとめたものを「名古屋市から見た被災地自治体のICT」としてプレゼンした。
名古屋市では震災直後の3月16日に「名古屋市被災地域支援本部」を設置、3月19日の先遣調査を経て、4月22日より職員の第一次派遣を開始した。これまでに、のべ23業務約110名の職員が派遣されている。綱島氏も第一次派遣から参加しており、9月30日までもうひとりの職員と共に交代で、陸前髙田に常駐していた。現地での支援の様子は、名古屋市のウェブサイトにてレポートされている。
綱島氏が最初に到着した時点で、仮庁舎のサーバールームは未着工、本来のICT担当者が被災により不在、パソコンが津波で流出、電力不足など、ありとあらゆるものが不足していた。3Gや衛星によるインターネットが一部復旧していたり、住民情報システムや財務会計システムなど一部のシステムが仮サーバーで仮復旧している状況だったという。
「状況を簡単に言えば、ICT担当という人、機器を設置する場所、動かす電気、サーバーなど機器そのもの、そして通信回線がない、もしくは足りないと言える状況だった」(綱島氏)
復旧支援に当たっての課題の一つが、事務処理のために職員が使用する300台以上のパソコンの確保だ。これについてはISNから90台の支援があったほか、多くの支援による台数は確保できたという。しかし、OSのエディションやバージョンが一致していなかったり、機種がバラバラで再セットアップディスクが付属していなかったりするなどのため、作業が繁雑になってしまったという。
その他に行った支援活動は、OSやアプリケーションのライセンス一時使用許諾を得るためのマイクロソフトとの調整、衛星回線を利用した仮設のインターネット環境の設置、仮庁舎や学校給食センターなど主要な公的施設を結ぶLANの構築などを行った。
また、陸前高田市への支援の中で、綱島氏が気付いた特に重要なポイントが、バックアップの問題だという。庁舎が被害を受けた場合、遠隔地にバックアップしたデータが命綱になる。しかし、陸前高田市の場合は、遠隔地への保管が月に1回だったため、最新の稼働データからは欠落が生じた。この事情は、大都市の名古屋でも同様で、さらに人口が多い分だけデータの欠落も増える。従って、月に1回の遠隔地へのバックアップでは無意味で、平常時からネットワークやクラウドの有効利用が必要となる。
しかも、名古屋のように大都市ではデータ量も膨大となるため、基幹回線の速度や帯域もネックとなってくる。また、クラウド上にデータのみならず、システムも移行するという手法もあるが、通信回線が不通となった場合は、データやシステムがクラウド上で無事だったとしても、使えないということを認識しておく必要があるという。
支援する立場から見た被災地自治体のICTシステム復旧については、「一つは業務システムだけではなく、人やパソコンの確保というICT環境から考えておかないといけない。次に、バックアップデータはリアルタイムに近いデータでないと効率的な復旧ができない。そして、データだけでなくシステムを稼働させる環境の確保が必須で、クラウド化しても通信回線は必須だ」とまとめた。
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4番目には石巻市企画部情報政策課の佐藤将氏が登壇し、「被災地でなにが起こり、情報システムはどうなったのか?」と題して講演した。
石巻のICTシステムの概要は、コンピュータ数が約3千、市庁舎や支所、学校などの公的機関を光ファイバ網によるネットワークで結び「東北の自治体でも最大規模らしい」そうだ。サーバーは分散配置したり、ファイルサーバーのレプリケーションを行うなど、可能な部分でのディザスタ・リカバリーは実施していた。
また、石巻では「阪神大震災級自身でも動き続けるように」システム導入の際に配慮していた。サーバーラックはアンカー止めや免震装置を導入し、基幹ネットワークは冗長化、一部への自家発電導入する一方、パソコンやプリンターは落下やむなしとするなど、「どこの市町村も規模の大小はあれ、対策の水準はだいたいこのくらい」というレベルには達していた。
では、3月11日、それらの情報システムとネットワークはどうなったのか。まず、市内全域で停電し、沿岸部の支所などの設備は津波の直撃を受けていた。中間ノードが落ちたことで市内のネットワークも切断されていった。ただし「後からわかったことですが、直接津波を受けたところ以外の光ファイバはほぼ無傷だった。直撃を受けたところ以外は、ほぼ直すこともなく動いた」と、地震そのものに対しては光ファイバが堅牢であったことをアピール。
市庁舎内のサーバーも大きな損害を受けた。「免震装置自体が外れてラックが傾いた状態になっていました。地震の直後に手動でサーバー停止をしたので、代替のデータ保全は行えました」「サーバー室のフリーアクセスフロアも浸水して、電源やネットワークケーブルはすべて水没してしまいました。床上は免れましたが、ケーブル類はすべて交換になりました」(佐藤氏)
さらに石巻市役所の周囲が1メートルから1.5メートルの冠水となり、市役所への出入りもままならない状態となっていた。通信に関しても、NTTの石巻MA局を初めとして市内にある4つのNTT設備が損壊、固定回線、携帯電話とも震災後数日にかけて不通となっていた。
復旧については、3月中に電源が回復し、サーバー室の水抜きも完了したものの、電源やネットワークなどのケーブルが不足したため、サーバーを立ち上げることはできず、ほぼすべてのサービスが復旧させるのに4月の連休直前まで掛かったという。一方、被害が大きかった光ファイバ網は、総延長が約250キロメートルのうち、約50キロメートルが津波によって流出していた。復旧には億単位の金額が必要なため、総務省の補助金を待っての作業となり、10月頭くらいには概ね復旧した。
また、復旧作業と並行して罹災証明や義援金・支援金などの震災特有の事務処理スキームの具体化作業も開始した。これらは西宮市の震災支援システムを採用することに決定し、4月中にはある程度のテストが可能な所までいった。
これらの経験から佐藤氏は「基本的には電気がないとなにもできないのがICTの悲しいところ。電気がなくても重要拠点に関しては動き続ける施策をとらないと拙い。ただし、石巻市規模でサーバーやネットワーク機器に非常用電源設備をつけると1箇所につき5千万円くらい掛かる」とのべ、電源の重要性を訴えつつも、現状は費用との兼ね合いで断念せざる得ないことを説明した。
光ファイバ網については、リング網で構築するのが、構成的にも費用的にも妥当だとしながらも、今夏の震災のように両端のノードが落ちる場合があることがあらためて明らかになったことから、重要拠点を中心にハーフメッシュ化を目指すという。さらに、帯域幅に付いても、震災後にネットワーク経由でバックアップを行うようにしたため、1Gbpsの回線でも足りなくなってきており、こちらもコストとの兼ね合いに頭を悩ませている。
また、先述の西宮市の災害支援システムも大変有益だったが、実際に動かしてみたことで判明したこともあるという。「一番困ったのが法律の追従についてはもう少し作り込みがいる。例えば、マンションが被災した場合、一つの建物に対して複数の人間に罹災証明を発行する必要があるが、システム上でそれが区別できない。このため改修や現場でExcelによるサブシステムが必要となった」(佐藤氏)
最後に、佐藤氏からは住民の集団避難が発生するような事態についての懸念が示された。福島県のように原発事故によって自治体ごと避難した場合、住民票などの行政システムをどうやって持って行くのか、現状では手段がないという。「クラウドを積極的に使ってもいいのかなと思いつつも、パブリックなクラウドに住民のデータを置くことに対して、コンセンサスが得られるのか今のところわからない」と、問題が技術的な懸念だけにとどまらない現状を訴えた。
(つづく)
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登録はこちら株式会社企(くわだて)代表。慶應義塾大学・大学院(政策・メディア研究科)在学中からインターネットビジネスの企画設計を手がける。三菱総合研究所にて情報通信事業のコンサルティング、次世代技術推進、国内外の政策調査・推進プロジェクトに従事。2007年1月に独立し、戦略立案・事業設計を中心としたコンサルティングや、経営戦略・資本政策・ M&Aなどのアドバイス、また政府系プロジェクトの支援等を提供している。