「通信がつかえない、かつマスコミも来てくれないでは孤立するという不安感」石巻赤十字病院 阿部 雅昭氏(前編)

2012.03.16

Updated by Tatsuya Kurosaka on 3月 16, 2012, 17:00 pm JST

東日本大震災で、津波で大きな被害を受けた宮城県石巻市。地域の中核医療施設として、また一時は庁舎の冠水で機能を失った石巻市役所に代わって災害対策本部となっていたのが石巻赤十字病院だ。テレビの報道番組で「食料が足りない」と必死に訴えていた病院スタッフの姿を記憶している読者も多いのではないだろうか。

だがその姿は、緊急時にこそ必要な外部との連絡手段が「通信規制」によって断たれてしまった現場の、まさに窮余の一策だったという。石巻赤十字病院の阿部雅昭氏が語る、救命の最前線からみた災害時の通信のあり方には、あまりにも問題が多すぎた。(インタビュー実施日 2011年10月28日 聞き手:クロサカタツヤ)

▼石巻赤十字病院 企画調整課 課長 阿部雅昭氏
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100億円寄付するならそのお金で切れない通信システムを

──今回の震災では、通信に多くの不満があるとうかがいました。

阿部:私が一番疑問なのは、携帯電話は地震が起きるとすぐに規制することです。あれが当たり前だと思っているのが間違いだと思います。

そういう危機的な時ほど使えるようにするのが、通信事業者の使命ではないのでしょうか。それを「制限しています」とあたりまえのように公表する。それに対してマスコミも誰も疑問に思わないでいるのも間違いだと思います。

──被災地でお話を伺うと、総じて皆さんその点について指摘されます。特にケータイは日常生活でも110/119番の発信に使う。そして、一番必要な震災発生時に、自分の端末が壊れたならいざ知らず、インフラ側で全部切れているというのはどういうことかと。

阿部:切れているのではなくて、切るんです。それが間違いなのです。根本はそこだと思います。だから簡単な話で、むしろ増強するようなシステムを作ればいいだけのことなんです。

それも今回が初めてではなくて、何回も繰り返しているわけじゃないですか。それなのに、今の日本の技術をもってしてもできないというのは、おかしな話です。通信料が高いと言われているにもかかわらずですよ。

その結果、孫さんも100億円を寄付できるくらい儲けているわけじゃないですか。100億円寄付するのもいいけれど、それを使って地震でも切れないシステムを作るべきです。

──石巻では、地震直後、どのくらいまで通信が使えましたか。

阿部:私はソフトバンクでiPhoneなんですが、直後は若干使えたような記憶があるんです。ドコモはダメだったと思います。他はよくわからないですが、ソフトバンクだけは、少しだけ使えたような気がします。それはいろんな人の話もそうでした。ただ、気仙沼だと逆になっていたり、その地域によって違うようですが。

受発信規制をかけなかったというウィルコムについても、病院だからPHSもありますし、当院の担当のものはいろんな手を使って通信を取ろうとしましたが、それでPHSが使えたとは聞いていない。確実ではないですが、たぶん使えなかったと思います。

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マスコミから「石巻」の文字が消えたら見捨てられるという思い

──どういった先に連絡を取ろうとされたのですか。

阿部:連絡を取るのは日赤の関連施設で、支部が仙台、本社が東京にあります。応援を求めるとか、被害状況を伝えるとか、そういうことでの連絡を取りたかったのですが、ほとんど駄目でした。

あとは宮城県庁の医療整備課が災害拠点病院担当なので、そことも連絡を取りたかった。ただ、県庁だと無線がありますが、その無線が通じなかったんです。だから、しばらくやりとりができなかった。

石巻市役所は電話が不通でしたが、市役所の防災無線というのがありまして、それは通じていました。それで市役所とは連絡がとれました。

あとは常備していた衛星電話も通じたみたいです。衛星電話はNTTも持ってきました。ただ衛星電話は、アマチュア無線と同じように、受信と送信で片方ずつしか話せないので、とても話しづらい。だからちょっと大変だったという話を聞いています。

他には、災害時優先電話が総務課長の所にありましたが、それも使い物にならなかったですね。総じて、石巻は陸の孤島だったと思います。

▼地震による地盤沈下で、津波が引いた後も住宅地の道路は冠水するようになってしまった。(撮影日:2011年10月28日 宮城県石巻市内)
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──ケータイはおろか、多くの手段があまり機能せず、情報が取れなくなった。

阿部:病院は非常用発電が動いているのでテレビが見られました。ただ、テレビでは被災直後から2日間くらいは、石巻の情報は流れなかったんですね。ラジオはあまり聞いていなかった。なので、これまで経験したことのない孤立感を感じました。

石巻の被害がこれほど大きいとは、最初は信じられませんでした。私たちも想定外で、だんだん被害が大きいというのがわかって来ると、それにも係わらず「なぜ石巻がテレビに映らないんだろう」と思い始めました。

──これも東京発の問題ですが、取材したほぼ被災地のすべての方が「テレビって原発しか流していない」ということをかなり言われました。

阿部:3日目になって初めてマスコミが病院に来たという状況だったので、それまでの間は完全に孤立してしまうのではないかという不安感がありました。通信が使えない、かつマスコミも来てくれないというので、これは非常に焦りました。

病院の災害対策マニュアルでは、マスコミに関しては"対応"ではなく"対策"になっていました。プライバシーの問題もありますので、通常マスコミと向かい合う時は、記者会見場のみに入れて、院内には一切入れないとなっていました。

でも、被害状況からして、そういうことを言っている場合ではなかった。二日分を取り戻すためにどんどん情報発信をしないといけないと考えました。

それから、災害発生からまもなく、放送が原発に切り替わりました。テレビでも一番最初に原発が出て、官房長官も原発のことだけ記者会見で話している。本当にあれは頭に来ました。原発のことで記者会見することは当然です。ただ、原発のことを話した後に津波の被災地の状況も話さなければ被災者は国から見捨てられたように感じます。

そのため、原発の影に隠れないように、こちらからどんどん情報出そうと思った。あと石巻市役所も被害が大きくて情報を出せないでいると感じたのでこの病院からも情報を出さなかったら、マスコミの中から石巻という文字が消えてしまうと思って、ムキになって情報を発信しました。

被災から一ヶ月たってからは、テレビでバラエティ番組が始まりました。それからも、これ以上世間から絶対に忘れられないようにということで、情報発信をし続けました。その結果、当院はマスコミに取り上げられて、NHKスペシャルにも出ました。

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平時とは逆の発想で情報発信し続けた

──通信も含めて、失われた情報発信の手段を、マスコミに求めた、ということですね。

阿部:私の方で立てた基本方針として、現状を伝えるというのと、今後の課題や問題提起のために、病院の職員、応援に来た医療チームにもお願いして、広報には協力してくださいということを言った。合同救護チームのミーティングにもマスコミを入れて、全部フリーで取材させています。

本当は病院で本人の許可なく患者さんを映すことはNGですが、そのときはそんなことを言ってられない。患者の顔が写っても何でも、とにかくなんでも、このときは撮らせました。すこし落ち着いた頃からは、きちんと許可をとってから撮るようにしました。

九日目に救出されたお祖母さんと孫の時にも、マスコミが数多く来ました。患者よりマスコミの方が先に病院に来ているような状況でしたから、これば個別対応が難しいということで、急遽記者会見を開きました。このときに、マスコミの人たちと全員、名刺交換をして、後からこれ以外のテーマでも取材をお願いしました。

あとは可能な限り、こういう写真を撮りたいとか、ここの職員に聞きたいといった要望も聞き、資料も差し上げました。ゴールデンウィーク明けくらいまでは、私も家が被災してホテル住まいでしたが、電話がばんばん掛かってきましたから、休日もなく対応していました。

私としては、こういう緊急時の場合、取材は基本的に受けるべきだと実感しました。その効果はもちろんあります。情報を発信するところにメディアが集まりますので、同じテーマでも複数のメディアが取り上げてくれますし、やっぱり好意的に報道してくれます。

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結論としては、今までは病院にとってマスコミは"対策"するものであったけど、災害活動ではむしろ情報発信をしてメディアの行動力を活用する。この間、日赤の医学会があったので、そういう発表をしました。

──それは画期的というか、まったく平時とは逆転の発想ですね。

阿部:そうですね。宮城県は南三陸町の名前はよく出たと思うんです。それはなぜかというと、町長が毎日記者会見をしていたからです。なので、マスコミがそこに行って情報発信をした。

それに比べて石巻市役所は、被害が甚大かつ広範囲で情報を発信するところまで手が回らなかったと思います。また、市長のキャラクターや、リーダーシップとかの違いもあると思います。被害状況で言えば、石巻の市役所は一番大変なんです。

(中編に続く)

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クロサカタツヤ(くろさか・たつや)

株式会社企(くわだて)代表。慶應義塾大学・大学院(政策・メディア研究科)在学中からインターネットビジネスの企画設計を手がける。三菱総合研究所にて情報通信事業のコンサルティング、次世代技術推進、国内外の政策調査・推進プロジェクトに従事。2007年1月に独立し、戦略立案・事業設計を中心としたコンサルティングや、経営戦略・資本政策・ M&Aなどのアドバイス、また政府系プロジェクトの支援等を提供している。

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