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東北復興支援のあり方を考える(2)拡大するギャップを乗り越えるには

2012.09.06

Updated by Tatsuya Kurosaka on September 6, 2012, 18:30 pm JST

東日本大震災から1年半が経過する中、復興への道のりは険しく、事態は遅々として進まない。いま改めて被災地とどう向かい合い、何をすべきか。(社)RCF復興支援チーム代表であり、復興庁政策調査官も務める藤沢烈氏と、自らも被災者ながら災害ラジオ局やNPO(絆プロジェクト三陸)の設立・運営を通じて復興に携わる、大船渡市の佐藤健氏に、現状と展望をうかがう(なお、本稿は、東北復興支援の現状と課題」(Business Breakthrough 757ch・2012年6月13日放送)の内容を書き起こしたものである)。

(1)「支援も避難生活も、手探りではじまった」はこちら)

クロサカ:今はラジオだけではなく、NPOを立ち上げてご活動なさっていますよね。活動内容をご紹介いただいてもよろしいでしょうか。

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佐藤:そうですね、まずは子どもたちの支援をしたいと考えています。仮設住宅は学校のグラウンドに建てられているので、子どもたちの運動する場がないので、せめてイベントであるとか、防災や減災のための教育などのコンテンツ提供がしたいと考えています。

それから被災地の事業者、これから起業する方に向けての事業支援、ITの勉強会やソーシャルメディアの活用方法など、主には情報発信のノウハウに関する講習講座をさせていただこうと考えています。

あとはこれまで継続してきたイベント運営です。お笑い芸人さんやタレントさんに来ていただいたりするイベントの窓口をさせていただいています。

クロサカ:このNPOを立ち上げられたのはいつ頃でしょうか。

佐藤:今年の1月25日に内閣府の認証をいただいています。

クロサカ:今年に入ってから活動開始されたということですね。今挙げられた3つの事業は相当多岐に亘りますね。お子さんを含めて被災者の方々の心の潤いに関わる部分のサポートをされるのだと理解しましたが、お子さんが運動の場、発散の場を持てないというのは大船渡においては深刻な状況と考えるべきでしょうか?

佐藤:やはりグラウンドがないというのは野外でするスポーツの子たちにとっては致命的です。たとえば私が住んでいる仮設住宅は小学校のグランドです。天気のいい日に仮設から見える体育館の中で野球のユニフォームを来た子どもが毎日練習している、こんな切ないことはないなと思います。

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クロサカ:そうですね。私も子どもがいるので、平和な普通の社会であれば元気な子どもは放っておいても遊ぶという認識がありますが、子どもが外でのびのび遊ぶという普段は当たり前のことさえも、まだしづらい状況が続いているということですよね。

こういったことをあえてしつこくお伺いしているのは、このような被災地の現状を東京で知る手段がないんです。何に困り、何に悩んでいらっしゃるのかというのが分からない。「聞きにこいよ」という話でもあるのですが、現実問題としてはまず「とっかかり」となる情報がないといえます。

こういった情報が不足することから始まる、被災地と被災を免れた地域の間で認識のギャップが大きくなっているのではないか。これが私のいまの懸念です。

藤沢:(ギャップは)大きくなっていますね。東京で報道を見ていると被災地でのイベントやボランティアの映像を見ますが、現地にいると「誰も来てない」という雰囲気があり、夜も真っ暗です。被災地へ行かれた方であればすぐに分かるのですが、誰もいない空間はテレビも報道しませんから、そういったことは(被災地へ)来てみないとイメージしにくいことではないかと思います。

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さきほど佐藤さんが、子どもたちが運動する場がないという問題についてお話しされましたが、私も5つの被災市町村で教育関係の調査をしたことがありまして、場所の問題というのが大きくあることを知りました。運動する場や遊ぶ場、子どもたちが集まっていた広場や娯楽施設も流されてしまい遊ぶ場がありません。

またもう一つ重大なのは勉強する場がない、という問題です。仮設住宅の中ではなかなか静かに集中して勉強する場がなく、塾もなくなってしまった。地域の未来を担う子どもたちが描く将来に進むための勉強をする場が非常に不足しているというのが被災地共通の課題としてあると思います。

佐藤:遊び場の問題で言えば、公園にも仮設住宅が建っています。あとはおっしゃる通り、仮設住宅の中で勉強するというのは環境的に厳しいと思います。それこそ狭くて机も置けませんし、机一つ置いたら部屋が埋まってしまうような状況です。集会所で勉強を教えてくれたり、関東から大学生が来て勉強を教えてくださる支援団体があったりしますが、全ての場所にまんべんなく入ってもらえる訳ではないのでそこから格差も生まれてきたりもしています。

自治体によってもサポートの仕方が異なるので、それをどうやって均一化し、かつ中央へ情報伝達するかは今後の課題になると思います。

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クロサカ:被災地と一口に言っても実際は地理的状況や社会的特徴によって全く違いますよね。例えば大船渡は陸前高田のすぐ隣で、さらにその南はすぐ気仙沼、県境がありながら気仙沼も含めて気仙地方といわれるところで、文化や経済の結びつきはもともと強いですね。

住まいが陸前高田で、お父さんが気仙沼、お母さんが大船渡で働いている、というような地域ですが、しかし隣接する三つの市町村でも被災の仕方が全然違うし、気仙沼は宮城県でそれ以北は岩手県という行政区分の違いによる復興支援の違いもある。そして地形的な問題を含め、今後何をしていけばいいかということも異なりますし、また地域社会が有する資本剰余や復興の為に使えるエネルギーも異なると思います。

車でも数十分で移動できるほどの場所でもこうした違いが生まれてしまいます。こうした中で、今年震災から二年目となり、皆先へ進まなければならないが、そもそもの前提が違うという非常に難しい問題があります。復興プロセスが自治体毎に異なるという問題を今後どのように考えて行けばいいのでしょうか。

藤沢:まず、東京にいると復興が進んでいないと言われますが、それが実は必要な時間であるということをお考えいただきたい。変化がないと思われるこの時間が被災地にとって大事な時間であり変に復興を急がしてはいけないんだということをお話したいなと思います。

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横軸が時間軸、縦軸が被害の度合いです。被災直後の大きなダメージを受け、急速に復旧し、いまは、真ん中の「まちづくりのための議論」というところです。これが1年くらいかかると見てください。

この時間を短縮して行政の言うままに一気に復興を進めると、どんどん人が流出します。要するにこの町が自分たちのものだと思えなくなってしまいます。一見遅れているように見えても、多くの人が納得するための時間を取らないと、国が、県が、自治体が勝手にやっているという印象になってしまい、住民の心が離れてしまいます。

今は東京で何かする必要はありません。現地の方がゆっくりと納得いくまで今後のまちのあり方を考えるための時間が必要です。東京で出来ることは、物資などの支援ではなく関係作りです。たまに寄るでもいいですし、現地の情報を得るでもいいですし、注目し続けて、できれば現地の人と関係を作って行く、そういう時間に使っていただきたいと思います。

一見現地は静かに止まっているように見えますが、それが今の正しい姿であり、この熟成の時間を取っておくこと、現地を慌てさせないということがポイントです。

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クロサカ:佐藤さんからみた大船渡の現状と比較していまのお話はいかがですか?

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佐藤:そうですね、時間がかかることは分かります。ただ、今後のまちづくりや土地活用について仮の方針だけでも出てこないと、離れて行く人は増えてしまうと思います。それから雇用の創出にも行政と企業が取り組まないと人口流出は止まらないと思います。既に大船渡市だけで2,000人が減っています。そこだけは早めの対策が必要ではないかと感じますね。

藤沢:行政は生煮えの状態でプランを出してしまうといろんな意見や反発が出てきてしまうことを恐れているんだと思いますが、むしろ反発が出る方が健全なんですね。

神戸市は震災から5ヵ月で復興計画を出して、地元から大反発がありました。二段階方式といいますが、まず市から計画が出て、そこから本音のぶつかりあいをして1年くらい時間をかけてだんだん計画が固まって行きました。そういった掛け合いがいま現地で必要なことだと思います。

行政の方も被災されていますし、限られた行政職員がやっている中で、大きな神戸市の時にはあった余裕がない、市民と向き合う気力がないという部分もあると思います。そこはむしろNPOや外部の知見ある方々が現地に入って行政職員を支え、住民の声を受けとめておく、三位一体の関係が必要になってきていると思います。

クロサカ:ここを解いていく必要がある一方で、ものすごく難しい問題だと思います。タイミングに応じてプランが出てくるのは美しいわけですが、佐藤さんからのご指摘があったように生身の人間にとってはどんどん不安になったり、仕事のある場所があれば生活のためにそちらに移ってしまうのは自然なことだと思います。

一方で(行政が)プランを出すと、(住民から見ると)なに勝手にやってるんだ、という話になってしまう。これは被災地に限られた話ではありませんが、殴り合い寸前とも言えるような激しいディスカッションを続けながら自分たちが住む町を作り上げて行く、あるいは再生していくという経験が、ここ何十年かの日本社会は希薄になっていたということの裏返しなんだろうと思います。

被災地ではその地域社会の中で戸惑いを感じ、東京では一体自分に何が出来るんだろうという逡巡を抱えることになっているというのが現状だと思います。ひとつ言えるのはその逡巡自体は正しいのだろうということです。

それと向き合った上で、それでもなお、地元になにができるか、東京の人間はどうやって被災地と接点をもつかを考え続けるということが大事なのかなと考えます。例えば私もそうですが、通い続けていれば手ぶらでいくわけにはいかないよねと考えるようになりますので、自分のモチベーションを作って行くことが大事だと思います。

(3)人が循環する流れまで作って、復興は完成する に続く)

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クロサカタツヤ(くろさか・たつや)

株式会社企(くわだて)代表。慶應義塾大学・大学院(政策・メディア研究科)在学中からインターネットビジネスの企画設計を手がける。三菱総合研究所にて情報通信事業のコンサルティング、次世代技術推進、国内外の政策調査・推進プロジェクトに従事。2007年1月に独立し、戦略立案・事業設計を中心としたコンサルティングや、経営戦略・資本政策・ M&Aなどのアドバイス、また政府系プロジェクトの支援等を提供している。