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プログラマーと感情、経営者と夢、そして現実

2013.08.31

Updated by Ryo Shimizu on August 31, 2013, 00:04 am JST

 不景気な話題が続きますが、先日、あるビジネスを展開している知人から、実はビジネスを畳もうと思ってる、という話を聞きました。

 
 彼はプログラミングもできる経営者で、いわばこの連載ではむしろ筆者に近い立場の人ではあるのですが、プログラマーが経営をやれば全て上手く行く、というわけにはいかないのが、難しいところです。

 彼がビジネスを畳むことに成った理由はいくつか複合的な原因があるのですが、非常に平たく言えば、「自分が売りたいと思うものと、それを買いたいと思う人のマッチングが上手く行かなかった」ということでした。

 そしていつのまにか、本当に売りたいものではなく、売れはするが売りたくはないモノの売り上げに頼らなければ経営が立ち行かなくなった、ということでした。

 「じゃあそっちを売ればいいじゃない」

 と言うと、

 「そんなビジネスに人生賭けるつもりはさらさらないよ」

 とアッサリ言うのでした。

 プログラマー出身の経営者には、こういう、わりとあきらめのいい人が多いように思えます。
 それはなぜか、自分自身がプログラマーであるという視点と、経営をプログラミングだと考えると、プログラマーはプログラムに対して見切りをつけるのが早い、という特徴があるのではないかと思いました。

 プログラマー出身の経営者で、たとえ会社をつぶしても、自分の人生が破滅するほどの借金を背負うような目に遭う人は、まず滅多に見たことがありません。とりあえずすぐに思い当たる人は一人も居ません。

 みんな、自分の会社がつぶれても、なにか飄々として暮らしている人が多いような気がします。

 プログラマーにとって、プログラミングによって作られたプログラムは、それなりに愛着があるものの、あくまでも成果物の一つに過ぎません。

 仮にプログラムが完成して、ある程度は動いているとしても、時代に着いて行けなくなったり、作っている途中でプログラマー自身のレベルがあがったりすると、そのプログラムを放棄して新しいプログラムを一から書き直したくなることがあります。

 そのとき、自分が手塩にかけて育ててきたプログラムを放棄する、というのはプログラマーなら誰でも経験していることです。プログラム全体でなくても、明らかに間違って作ってしまったプログラムの一部分、一モジュールを切り捨て、ゼロから設計をし直す、というのはそれほど面倒なことでもありません。

 これを会社に当てはめると、あるビジネスモデル(プログラム)が上手く行かないと思ったら、それをあっさりと捨ててピボットできる、ということになります。

 そこに一切の偏愛や感情は持たないのがプログラマーという人種の大多数を占めるのではないかと思います。

 例えば、子供の頃から大切に使ってきたタオルとか枕とか、ぬいぐるみとか、犬でも、盆栽でもいいですが、そういうものと違い、子供の頃から大切に育ててきたプログラムというのは、原理的にあり得ないのです。10年経てば世の中のトレンドは様変わりし、全く使えないものになります。

 プログラムというのはあくまでもその時点の成果物であり、それを作り出すことによってプログラマー自身が成長し、また同時にそのプログラムの欠点を知ることでより優れたアーキテクチャを設計できるようになります。

 一度色あせて見えてしまった過去の作品は、もう二度と輝きをもって見えることはありません。
 自分が次に作るアーキテクチャ、これから書くプログラムこそが常に最高傑作となるわけです。

 会社経営の場合、たとえばある事業部門が不採算部門だったとしても、それを簡単に切り離していいかどうかの選択は非常に重要になります。そして人間と人間の関係がありますから、もしその事業部門を切り離すということになれば、普通は非常に苦しい葛藤があります。

 しかしそうした感情と、組織(システム)としての合理性を冷静に切り離して考えることができるのがプログラマーという人種の持つ強さではないかと思うのです。

 以前、ライブドアがイケイケだった頃、なぜM&Aを繰り返しながら経営の効率化が図れるのか、ということが話題になったことがありました。

 たとえばライブドアを買収したエッヂは、旧ライブドア社の社員の年収を平均700万円から数分の一にまで下げ、大半の社員を整理解雇したそうです。残ったのは数人だったと聞きます。

 こういう「大ナタ」を振るうような大規模なリストラは、長年続いたしがらみにがんじがらめになった経営者には出来ません。

 収入は変わらないのに支出が激減するわけですから、それはライブドアは儲かるはずです。
 エッヂはライブドアに社名変更し、そこからあの事件まで拡大の一途を続けるわけです。

 経営者に求められるのは冷静かつ冷酷な判断能力と実行力です。
 その意味で、社員の個人的存在と距離を置いて、組織を単なるシステムとして冷静に判断できるプログラマー経営者は多少は得していると言えます。

 しかし一方で、冒頭の知人は、純粋に儲かる商売よりも自分の拘りを優先しようとしていました。

 だからビジネスを畳むという判断も、「窮地に陥って、仕方なく」ではなく、「余裕のあるときにさっさと、淡々と」行うことができたわけです。

 どんなビジネスモデルでも形態を変化させずに無限に続くものはそうありませんから、あるビジネスモデルを試して、ダメならさっさと撤退する。こういう姿勢が、「勝てないまでも負けない」経営者のあるべき姿と言えると思います。

 そこには経営者個人が持つ夢や美学といったものが絡んできます。

 経営者は、冷静かつ冷酷であると同時に、大きな夢を抱くべき職業です。
 その夢の大きさが、人を巻き込み、顧客を巻き込み、関わる人全てを巻き込んで、ポジティブなフィードバックループを生む。これが経営のダイナミズムです。

 一方で夢の実現のためには、常に冷静な判断が必要です。
 君子豹変す、という言葉通り、ある時点では正しかったことが、すぐ次の時点では誤りになります。問題はいかに自分で陥りがちな「つまらない拘り」を捨てて新しい事実に順応できるかです。

 君子が豹変できるのではなく、豹変できる人だけが君子足りうるのではないかと、個人的には思います。

 これは本当かどうか解りませんが、あるとき、Vodafoneを買収したばかりの孫正義さんが、創業時に自ら手がけたソフトバンクの出版事業部に出向いて行き、

 「君たち、なんで今頃、紙の本なんか作ってるの?」

 と冗談ぽく言ったことがあるそうです。

 それを聞いた人は「あんたが始めたんや」と思ったそうですが、この変わり身の早さこそがソフトバンクが快進撃を維持できる大きな理由の一つであると思います。

 ちなみにソフトバンクの出版部門であるソフトバンク・クリエイティブは未だに紙の本でも成功を続けていますが、いち早く電子書籍に参入し、成功を収めています。 

 おそらくこの話が笑い話になるほど、孫社長は愛され、彼の方針変更の重要性が理解されているのでしょう。

 自分の決定に重みを持たせようとするとどうしてもスピードが落ちます。
 その落ちたスピードは、ともすれば致命傷になります。社長が面子を保とうとすればするほど、会社の合理的な判断が遅れて行くことになります。

 経営トップたる者は、誰よりも早く手を打たなければなりません。
 そのためには、朝令暮改も辞さない覚悟が必要です。

 シリコンバレーのスタートアップ界隈では、あるビジネスモデルを試したけれども上手く行かなそうなので同じ組織で違うビジネスモデルを試すことを「ピボット」と呼びます。あるビジネスモデルに執着しすぎると、ピボットできる地点を逸脱してしまってその組織は失敗します。

 私が起業を志す人に良く「起業するなら一人で始めて他人を雇った方がいいよ」と言うのはそういう理由もあります。

 友人と始めると、どうしても初期に意見が対立したときに、「なぜお前が社長なんだ」という議論が生まれます。「社長としてちゃんとしてくれ」という台詞は良く聞きます。出会った時の関係性が、対等な友人である以上、組織としての意思決定を完全に社長に任せられないのです。

 しかし経営の全責任を追うのは社長ただ一人です。私がCEO(最高経営責任者)と名乗るのは、それが日本企業における社長の実質的な権限を解りやすく説明したものだからです。実は欧米では社長とCEOが分かれていることも少なくありません。しかし日本においては、代表取締役社長とはまぎれもなくCEOなのです。

 
 他人を雇う場合、どちらにせよ上下関係はハッキリしています。
 ついてこれなければ、その人は辞めて行くだけです。

 実は私が会社を作って最初に雇ったアルバイトの男性は、数週間で辞めてしまいました。
 専門学校の先生に紹介されて雇い始めたのですが、当時はあまりに会社の規模が小さく、オフィスもなく、彼のイメージする「仕事」とほど遠い業務形態だったためでしょう。

 それから曲がりなりにもオフィスのようなものを構えるようになってようやく人が居着く会社を作れるようになりました。

 それでも、社員というのは本人の感情とは無関係に、なにかの事情で辞めて行ったり入ってきたり、とにかく入れ替わって行くものです。

 友人と会社をスタートすると友人が去るときに余計な辛さを感じることに成ります。
 私も昔は、中学・高校時代の友人を雇い入れるなどの間違いを犯したことがあります。

 でも、彼ら・彼女らとの別れは、決して楽しいものではありませんでした。
 悪いことをした、と今でも後悔しています。

 プログラムに例えるとすれば、あるコードが肉親の形見だったとします。
 そのコードには異常な執着があり、そのコードを取り除くのがどうしてもいやだという状態でプログラムを組めば、間違いなくいびつなものができあがります。

 であれば、プログラムを構成する個々のコードについて、特別な感情を抱かないよう仕事と感情を切り分けるようになっていなければなりません。

 一方で、そうは言っても、長年一緒に働いていると、独特の信頼関係が生まれてきます。苦しいプロジェクトをともにやり遂げた仲間とは、戦友のような感情が自然に芽生えます。
 

 そうした人たちが仮に様々な事情で会社を去ることになったとしても、私は彼らのことを忘れたことはありませんし、時々、会って酒を飲むこともあります。それは仕事と切り離して人間と人間の付き合いをしているからです。

 人間的な感情と経営者としての冷徹さを切り離しつつ、同時に実現するのは、それほど簡単ではありません。

 しかし、それができないとやはり会社は大きくならないのです。

 私も、未だに社員と衝突することはしょっちゅうあります。
 役員との衝突も数多くあります。
 その都度、私は感情と事実を切り離して対応するよう、心がけています。

 相手が感情を爆発させることもあります。それに呼応して、私も感情的に対処しなければならないこともあります。

 しかし結局は、最後に、冷静かつ冷酷に相手を諭します。人間的に相手を尊重していること、能力を認めていることを伝えつつ、しかし現実的にはこういうことになっている、それには対処しなければならない、そのためにはあなたのやり方ではダメだし、それを受け入れたくないという気持ちには添えないと伝えます。できるだけ、私vs相手という構造から、現実vs相手+私という構造であることを理解してもらいます。

 しかし衝突するような社員は滅多に辞めません。
 それは、そうした社員は社長と同様に会社と事業を愛しているからです。

 経営者は社員と夢を共有する仕事です。そして夢には感情のほとばしりがつきものです。
 そのうえで、なお、冷酷な現実とも向き合わなければなりません。

 冒頭の知人は、既に新しいビジネスの芽を探し始めています。
 ビジネスを畳むというのに、彼からは悲壮感がまるで感じられません。

 ビジネスを畳むけど、リストラはしないそうです。
 同じメンバーで異なるビジネスモデルをやる。つまり、ピボットをするということです。

 プログラマーは同じ部品を使って全く異なるものを作る名人でもあります。
 例えばわずか8個の命令から成るプログラム言語「brainf*ck」は、チューリング完全なので、理論上はありとあらゆるプログラムを動作させることができます。

 人間ほど汎用的な存在はないので、同じ人間を使って別のビジネスモデルを構築するということも、プログラマーなら大胆な発想で行うことが比較的容易なのでしょう。

 夢と現実、感情と事実の間で揺れながら淡々と仕事をこなしていく。
 これが経営者の生き様なのです。
 プログラマーでも、そうでなくても。

 辛いところですね。

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清水 亮(しみず・りょう)

新潟県長岡市生まれ。プログラマーとして世界を放浪した末、 '17年にソニーCSLとWiL LLC.とともにギリア株式会社を設立し、「ヒトとAIの共生環境」の構築に情熱を捧げる。 '17年より東京大学先端科学技術研究センター客員研究員を兼務。著書として「教養としてのプログラミング入門(中央公論社)」「よくわかる人工知能 (KADOKAWA)」「プログラミングバカ一代(晶文社)」など。