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生成的な場、ユーザ参加型研究がもたらす多様性、そして巨人の肩

2013.08.01

Updated by yomoyomo on August 1, 2013, 18:00 pm JST

6月半ば、Maker Conference Tokyo 2013 にあわせて上京したのですが、その前日に高須正和さんを訪ねてチームラボ株式会社に出向きました。

201308011800.jpg普段田舎に隠棲しており、また性格的に極度の人見知りのため、自分から申し出て会社訪問すること自体稀なのですが、今回高須さんに挨拶に伺ったのは、その前に献本いただいた(高須さんも寄稿している)江渡浩一郎+ニコニコ学会β実行委員会『進化するアカデミア 「ユーザー参加型研究」が連れてくる未来』のお礼を伝えることと、この本並びにニコニコ学会βについてお話を伺いたいというのもありました。

さらにいえば、今にして思えば Maker Conference Tokyo 2013 自体の参加も後述するようにこの本に関係したところがあり、すべてはこの文章を書くためだったようにすら思えてきます。

『進化するアカデミア 「ユーザー参加型研究」が連れてくる未来』は、昨年の『ニコニコ学会βを研究してみた』に続くニコニコ学会βについて二冊目の本になります。

『ニコニコ学会βを研究してみた』が2011年12月に開催された第1回ニコニコ学会βシンポジウムの紙上再現に加え、研究者へのインタビューなど内容を補強する独自コンテンツを収録した本だったのに対し、『進化するアカデミア 「ユーザー参加型研究」が連れてくる未来』は、なぜ江渡浩一郎委員長(をはじめとする関係者)がニコニコ学会βを作ろうと考えたのか、ニコニコ学会βが何を目的にし、何をやりたいのかというところから今一度語りなおす本です。

これは『ニコニコ学会βを研究してみた』の読書記録にも書いた話ですが、ニコニコ学会βが始まると知り、江渡さんが関わっていることは意外には思わなかったものの、委員長という主導的な役割を担うというのにワタシは驚いたものです。この本は、当時自分が感じた意外さに対する答えにもなっていました。

本書は、著者が「創造性を加速する仕組み」の研究者である話から始まります。そして著者が属するアカデミアの世界の「学会」は、まさに「創造性を加速する仕組み」として考案されたものなのですが、現在ではその「学会」に堅苦しく機動的でないイメージが定着しているのも確かです。

そこで著者は、学会という研究者コミュニティをウェブのように「誰でも発表でき、誰でも意見をいえる」仕組みへと発展させることによって、既存の研究者以外も取り込んだ新しい形の学会を作れるのではないかと考えます。その構想の実現がニコニコ学会βなわけですが、なぜその学会の対象がニコニコになるのか?

ここで話は少し横道にそれますが、ワタシは同じく江渡さんの著書『パターン、Wiki、XP』について Eternal Principle of the Inherited Mind という文章を書いたとき、この本の中で使われている「生成的(generative)」という言葉を最も重要なキーワードとして挙げました。

ワタシは、『進化するアカデミア』を『パターン、Wiki、XP』に続く本として読んだのですが、それは『進化するアカデミア』が「生成的(generative)」な場を巡る実践についての本になっているからです。

ここで先ほどの、何故学会の対象がニコニコでなければならないのかという問いに戻ります。その答えは、生成的なプラットフォームが、日本発のウェブサービスではニコニコ動画しかなかったから、とワタシは解釈しています。本書の表現を借りれば、同じ動画サイトである YouTube が「機械的な情報集約のメカニズムによって得られる集合知」を目指すのに対し、ニコニコ動画は「人間が積極的に関与するコミュニティとしての集合知」を実現している違いがあり、江渡さんは後者こそ学会を実現する場として適しているとみたわけです。

ニコニコ学会βがやろうとしていることと一部重なっていたり、親和性のある既存のムーブメントもいくつかあります。例えば、Ideas worth spreading(広める価値のあるアイデア)を謳う TED 並びにそのフランチャイズコミュニティ TEDx、また今年クリス・アンダーソンの『MAKERS―21世紀の産業革命が始まる』の刊行とともに日本でも一層の注目が集まる Maker ムーブメントがすぐに浮かびます。

実際、江渡さんや高須さんなどニコニコ学会β関係者で TEDx に関わっている人は多いですし、オライリージャパンが主催する Maker Conference や Maker Faire などのイベントについても同様です。そのように重なり合う部分は確かにあれども、またそのいずれも「学会」でないという前提を差し引いても、これらはニコニコ学会βを包含しえないのです。

例えば、プレゼンテーションの場として TED は大変洗練されていますが、その洗練並びに一種のエリート主義は、ニコニコ学会βが目指す「研究」の敷居を下げることとそれで得られる多様性(diverse)とは明らかに方向性が違います。

ここで冒頭に書いた Maker Conference Tokyo 2013 の話に戻るのですが、事前に一番楽しみにしていたのは、マーク・フラウエンフェルダー『Make:』編集長の基調講演などより、セッション「参加者駆動型イベントの未来 ― Makeからニコニコ学会βまで」でした。ワタシ自身、Maker ムーブメントとニコニコ学会が目指すものところの共通点と差異を見極めたい気持ちがありました。

ただ「Maker ムーブメント」という言葉にも微妙なところがあり、同じ Maker Faire という名前を冠していても、東京とアメリカ西海岸ではかなり様相が異なり(後者について知りたければ、高須正和さんのレポートを読まれるのがよいでしょう)、この言葉が意味するところがアメリカと日本ではいろいろ違いがあるのに改めて気付かされました。

それより個人的に面白いと思ったのは、このセッションにおける江渡浩一郎さんと発言とそれで浮かび上がった一種のアンビバレンツです。

学問が過去の研究の蓄積の上に成り立つことを指す「巨人の肩の上に立つ」という(一般にアイザック・ニュートンのものとされる)言葉がありますが、モデレータの城一裕氏が、起源を問わない作品の派生(リミックス)のあり方として「巨人の肩を降りる」というブラッド・トルメルの表現を引いたとき、江渡さんはエリック・レイモンドの「ノウアスフィアの開墾」におけるハッカー規範を引き合いに出しながら、それを認めては科学や研究ではなくなると断じました。

実を言うと、ワタシは江渡さんの厳しい調子に最初意外さを感じました。ニコニコ学会βの「新規性にこだわらない」という姿勢は、ニコニコ動画が誘発するN次創作とも親和性がありそうな「巨人の肩を降りる」という言葉に近いのではないかと思ったからです。しかし、それは間違っていたようです。

確かにニコニコ学会βは「研究」の敷居を下げ、その新規性にこだわらないことで「研究」の多様性を希求していますが、だからといってそれは「研究」そのものの規範を曲げるものではないのです。

実はここにニコニコ学会βの一種の矛盾がある、と書くと怒られるかもしれませんが、ワタシは同時にそこに面白さも感じます。江渡さんはインタビューで、ニコニコ学会βは「ある程度荒れてくれなくちゃ困るというところもある」と語っています。「すごく良くできた研究発表ばかりの場になってしまうと、せっかく「ユーザー参加型」にしたのに、こんなにレベルの高い発表ばかりでは俺は発表できないと思われてしまう」と。

しかし、『進化するアカデミア』において江渡さんは、「研究者はまず、レベル1で最強の勇者に挑むべきだ」とも書いています。つまり、研究においてもその道との最高水準とレベル1たる自分との関係性をマッピングできていたほうがよいということですが、この言葉に江渡さんの厳しい姿勢を感じます。

そして、実際ここまでのニコニコ学会βシンポジウムにおける研究100連発を見ても、優れた研究者たちが『進化するアカデミア』にも書かれるように相当な緊張感をもって、質の高さとエンターテイメント性の両立した研究を発表しています。少なくとも、ちょっと見た目が派手なネタで受けを取れればよしというノリは皆無です。上でワタシは TED について「一種のエリート主義」と書きましたが、ニコニコ学会βにも、出し惜しみはしないという方針とあわせ、安易な妥協のない目線の高さを感じ、そこに清々しさを覚えます。

これからニコニコ学会βがユーザ参加型研究の場として成功するかどうかは、おもしろさ勝負であったり、サイエンスとアートの境目にあるような「研究してみた」に対してどこまで目利きとしての役割を果たせるかにかかっているのかもしれません。ここでまた「巨人の肩」を引き合いに出すなら、新規性を問わないというのは「研究してみた」に対して「そこには既に巨人の肩があるから」と言い立てて潰すことはしないということで、これから求められるのは、徒手空拳な「研究してみた」から文脈を読み取り、適切な「巨人の肩に乗せる」手助けなのでしょう。

さて、ニコニコ学会βはその活動期間として、5年という期限を明確に設けています。高須さんは、江渡さんは5年で終わるつもりはないのではないか、と漏らしており、ワタシもそんな気がするのですが、5年という期限を設けたのも現実的な方針に思えます。

なぜなら、5年後もニコニコ動画が生成的な場か、5年後より「学会」に適したプラットフォームが存在するか、誰も予想がつかないからです。先日 NTT がドワンゴの株式の約5%を取得し、またその研究技術を提供する発表がありましたが、5年後ドワンゴがどうなっているか、やはり予断を許しません。それくらいネットサービスの栄枯盛衰は激しいということですが、いずれにしてもこれからニコニコ学会βが生成的な場であり続け、「研究」の多様性を体現することを願ってやみません。

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yomoyomo

雑文書き/翻訳者。1973年生まれ。著書に『情報共有の未来』(達人出版会)、訳書に『デジタル音楽の行方』(翔泳社)、『Wiki Way』(ソフトバンク クリエイティブ)、『ウェブログ・ハンドブック』(毎日コミュニケーションズ)がある。ネットを中心にコラムから翻訳まで横断的に執筆活動を続ける。