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個人ブログ回帰と「大きなインターネット」への忌避感、もしくは、まだTwitterで消耗してるの?

2014.09.17

Updated by yomoyomo on September 17, 2014, 15:00 pm UTC

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(cc) Image by Jennifer Boyer

前回の最後に次回予告めいたことを書いたのですが、こういうときに限ってその通りにいかないもので、その後取り上げたい別の話題に出くわしたため、予告した文章はこの次に回すことにします。しかし、(ちょっとややこしいですが)今回の文章は内容的に前回とつながっています。

今回まず取り上げるのは、スコット・ローゼンバーグ(Scott Rosenberg)の「"Bloggy to the core" indeed」で、そこで話題になるのはズバリ、個人のブログの復活の兆しです。

今になってブログの復活!? と言われるかもしれません。このエントリの冒頭に掲げられた GIF 画像は、モンティ・パイソンの映画『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』で、エリック・アイドルが死体を集めて回る場面からとられたもので、そのあたり皮肉というか照れも感じますが、彼が書くのはなぜか自分が知った人で最近ブログをもっと書きたいという人が多いんだよねという話です。

なんだそれだけかと言われそうですが、Obvious Filter で最初期のブロガーとして有名だった Michael Sippey、Gawkerの共同創始者にしていくつもの有名ゴシップサイトを手がけた Elizabeth Spiers、そして2011年の設立以来急激に成長を続けるデジタルメディア Vox Media の編集者 Lockhart Steele とその筋で知られた人たちが、偶然にも(?)時期を同じくして(彼らが仕事でやっているような複数編集者、寄稿者を抱えるメディアブログではなく)個人ブログへの回帰を表明したことに、ローゼンバーグや、やはりブログ草創期からの古参 Jason Kottke が飛びついたわけです。

拙訳『ウェブログ・ハンドブック―ブログの作成と運営に関する実践的なアドバイス』でも「仲間のジャーナリスト達の嘲笑に逆らい、ウェブログという新しい形態を擁護した」人と紹介され、後に『ブログ誕生―総表現社会を切り拓いてきた人々とメディア』(以前にも紹介したことがありますが、本当に良い本です)を書いたローゼンバーグとしては、この機運が純粋に嬉しいようですが、果たしてこれがトレンドだと言えるのでしょうか。何人かの個人ブログへの動きに何らかの必然性があるのでしょうか。

そういうわけでローゼンバーグの次のブログ投稿「The hive mind migrates」に移るわけですが、ブログ回帰はソーシャルネットワークと関係があるとローゼンバーグは指摘します。ブログと SNS はゼロサムゲームで、SNS が栄えればブログは下火になるみたいなことが言われてきたが、実際はもっと複雑なのだ、とローゼンバーグは書きます。確かに何か書き、投稿し、それを共有する点においては両者とも共通しています。

しかし、徐々にあまり目立たない形でソーシャルネットワークのプラットフォームからの離脱が起きているのではないかとローゼンバーグは見ているようで、その根拠とするのはコミュニティベースのオンラインサービスが辿るサイクル、どんな成功したサービスからもいずれはアーリーアダプターは情熱を失い離れ、新しいホームに移っていくのは自然なプロセスであり避けられないというよく言われる話で、それが今 Twitter に起きているのかもしれないとローゼンバーグは指摘します。

そこで紹介するのが、「A Eulogy for Twitter(Twitter追悼)」、そして「The end of Big Twitter(巨大なTwitterの終わり)」という文章ですが、前者はモバイルインターネット時代のプラットフォームとしての Twitter の変節、後者は現在の Twitter に我慢ならなくなった人たちの離脱について書かれたものです。

後者の文章で著者の Alan Jacobs が嘆くのは、かつては自分にとって Twitter は玄関のポーチのようなもので、もちろんそこは外から見える空間ではあるが、基本的に知った人と交流し、時折そこを通りかかった人と会話を交わすような場所だったのが、ユーザベースが巨大になるにつれ、いきなり知らない人から汚い言葉を投げかけられたり、前後の発言も読まない文脈を理解しない反応やジョークにマジレスされるような騒々しく、愚かしく、悲しい S/N 比の低い場所になってしまったことです。ポーチにいるつもりが、気がつけばブロードウェイの真ん中にいたような。

Jacobs の文章は、自分に対するヘイトに満ちた反応を(面白がって、あるいは晒しのつもりなどいろいろ理由はあるでしょうが)リツイートすることの弊害など他にも面白い論点を含むのですが、確かにこれはその人の意見が面白いと思ってフォローしてくれた人たちに、その価値基準に反するツイートをいやおうなしに見せることになるわけで、自分の価値観でもって選択したはずのタイムラインでクソに出くわしてしまうという指摘にはハッとさせられました。

実は Twitter という場の変節とそこからの離脱というテーマについては、日本でもほぼ同時期にクロサカタツヤ氏が「SNSの終わり」「「Twitterをやめました」、SNSが直面する分かれ道」で書いたことともかなり共通するところがあります。

ただ、これらの文章に対する反応には冷ややかなものが多かったように思いますし、率直に言って筆者も同様でした。これについて説明するのは積み重なった印象と個人の感覚について書くことになるので難しく、またクロサカタツヤ氏の仕事にはずっと敬意を払ってきたのに、それについて書くことでその評言のみが氏に対する評価とみなされるのは避けたいのですが、一つだけ書いておけば、はじめから「SNSの終わり」などと書かずに(Alan Jacobs がそうであるように)「自分にとって Twitter は有意義でなくなったので止める」と書けば随分印象は違ったろうにとは思います。

ワタシが今回紹介したローゼンバーグの文章を知ったのは、ニコラス・カー先生の「Big Internet」という文章ででした。Alan Jacobs の文章タイトルにある「Big Twitter」とは多分単純にユーザベースの巨大さをあらわしたものでしょうが、ニコラス・カーが言う「Big Internet」とは、冒頭を読めばユーザベースの巨大さの話ではなく、「大きな政府/小さな政府」という言葉に対応するものだと分かります。つまり、「Big Internet」とは前回の文章でも述べたプラットフォーム(=国家)が権限を拡大し、そのユーザ(=国民)への介入を強めるインターネットというわけです。

そうした意味で最近の Twitter を巡るニュースを見ると、「お気に入り」を自動リツイートする機能の追加に留まらず、ユーザのタイムラインが時系列順でなく(Facebook のように)独自のアルゴリズムに従い表示されるようになると報道され、ディック・コストロ CEO が慌てて否定した騒動にしろ、写真共有サービス Twitpic の終了の話にしろ、「Buy」ボタンを実装してコマース分野に本格参入の話にしろ、かつての(Twitpic などの)サードパーティとの連携を前提とするシンプルさはとうに失われ、ユーザの交流に介在する「大きな」プラットフォーム志向という方向性が見えてきます。

当たり前ですが Twitter は営利企業であり、しかも上場企業なので、その方向性自体に文句をつけても仕方がないのでしょう。個々のケースを見れば、例えば Twitpic の件など商標問題として考えればやむをえないという見方がありますし、それに既に写真共有サービスは Twitter 自身が手がけており、Twitpic 終了の影響は限定的です。しかし、それでも「売れない時代を支えてくれた彼女が邪魔になったので追い出す」という典型的クズの所行といった見方が出るのは不思議ではないでしょうし、何よりタイムラインへの介在は Twitter の美点を決定的に損ないかねません。

ローゼンバーグは、個人ブログがまたホットなものになることはないだろうが、優れた人たちの Twitter や Facebook への不満が限界に達するにつれ、ブログに戻るってのもアリじゃんとなるのではないかと希望的観測を述べています。フレッド・ウィルソンが今回のブログ復権の話題を受け、すべてをコントロールでき、何でも自分を満足させることができる場として個人ブログをとらえていることは、ユーザへの介在を強める「大きな」プラットフォームとの対比を考えると興味深いです。

ワタシ自身は、個人ブログの復権といっても限定的なものでしょうし、(スコット・ローゼンバーグやニコラス・カーやフレッド・ウィルソンや何よりワタシ自身がそうですが!)140字に収まらないまとまった文章を書くことに価値を置いている人間はそんな復権とは関係なく、ずっとブログ書いてるよ! と思うわけです。また Twitter にしても、今のところ引き払う予定はありません。

ただそれはそれとして、例えばエヴァン・ウィリアムズが立ち上げたブログプラットフォームにして、プラットフォームとパブリッシャーを掛け合わせた造語「プラティッシャー(Platisher)」の一つにも挙げられる Medium にとってこのトレンド(?)はどう作用するかは少し気になるところです。

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yomoyomo

雑文書き/翻訳者。1973年生まれ。著書に『情報共有の未来』(達人出版会)、訳書に『デジタル音楽の行方』(翔泳社)、『Wiki Way』(ソフトバンク クリエイティブ)、『ウェブログ・ハンドブック』(毎日コミュニケーションズ)がある。ネットを中心にコラムから翻訳まで横断的に執筆活動を続ける。