数年前、ある宴席で速水健朗さんに、「山形浩生信者のくせにプライバシー保守派のyomoyomo」とからかわれたことがあります。おそらく速水さんは、ワタシがブルース・シュナイアーの「プライバシーの不変の価値」や電子フロンティア財団(EFF)のブログを翻訳しているのを指して言ったのだと推測します。
確かに「露出社会」とも言われるこのご時勢、プライバシーの重要性を訴えるよりも、プライバシーなんて幻想だ、もうとっくに失われていると断ずるほうが強そうだし、潔い感じがします。
しかし、個人的には一見勇ましいことを言う人こそ、刃が自分に向けられたときに醜態を晒しがちという印象があります(念のために書いておくと、上で名前を挙げた速水さんはそういう手合いではありません)。
例えば、エリック・シュミット Google 会長。彼がまだ Google の CEO だった2009年、「他人に知られたくない事がある人は、最初からそんな事をしなければよいだけ」、「秘密というのは卑劣漢のためのもの」と CNBC のインタビューで答えています。
しかし、その彼は、まさに Google の検索結果を情報源とする個人情報を元に記事を書いた CNET を Google 八分にし、一年間出入り禁止にした過去があります。またスティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実 追われる立場から追う立場へ』にも、シュミットが Google の検索エンジンから、自身が行った政治献金についての情報を削除するよう求めたが、当時 Google 幹部で現在は Facebook の COO を務めるシェリル・サンドバーグに拒絶された話があります。
ワタシ自身は、プライバシーが不変の価値かどうかはともかく、アメリカ国家安全保障局(NSA)が運営する通信監視プログラム PRISM の存在が元 CIA 職員エドワード・スノーデンによって暴露された現在、ブルース・シュナイアーの「プライバシーの不変の価値」における訴えはより切実なものになったとは考えます。言うまでもなく、PRISM は日本人の我々にとってまったく他人事ではありません。
思えばシュナイアーは、「我々は何を心配すべきか」という Edge の年頭のお題に対して「インターネットが変える権力のあり方」を挙げ、今年のはじめに「インターネットは監視状態にある」と喝破しており、そうした第一感は外さない人だと再認識しました。
正直なところ、エドワード・スノーデンのバックボーンに謎が残る点などあり不確定な要素は残るのですが(ただスノーデンが告発した PRISM の実態よりも、彼自身の動向により報道が集中する現状は好ましいものとは思えません)、2007年にブッシュ政権が始めた極秘の情報収集プログラムをオバマ政権が引き継いでいたという現実、Google や Facebook といった各国政府からの要求について積極的な情報開示を行ってきたネット大手企業もこのプログラムに関与していた(らしい)という現実には、ナイーヴと笑われそうですが非常に暗い気持ちになりました。
この期に及んでもまだ新事実が明らかになり予断を許しませんが、米国のクラウドビジネスの信用を失墜させるという指摘は当然あるでしょうし(もっともヨーロッパのほうがもっとひどいという声もありますが)、ネットサービスを通じて個人情報を収集されてきた/いる我々にとって、プライバシーの意識を問い直すよい機会なのでしょう。
とはいえ、ワタシ自身に関して言えば、今も検索エンジンは Google を使っており、DuckDuckGo に乗り換えるつもりはまだありません。Facebook や Skype や YouTube などについても、今のところは同様です。しかし、友人と Skype でバカ話をしていて、ふと「プライバシーの不変の価値」の文章が頭をよぎるのです。
...我々は自分たちの言葉が文脈を離れて受け取られるかもしれないと一瞬怖くなって急に言葉を止め、それから自分たちの被害妄想を笑い、話を続ける。だが、振る舞いが変わるにつれ、言葉も微妙に変わる。
これこそが、我々のプライバシーが奪いさられることによる自由の喪失である。これこそが東ドイツにおける生活、サダム・フセインのイラクにおける生活なのだ。つまり自分たち個人のプライベートな生活に常に光る目を許容した未来なのだ。
シュナイアーはこの文章で、「セキュリティ対プライバシー」という構図で議論されるのは誤りで、「自由対管理」と言うべきだと論じています。つまり(国家の)管理の名の下に、あまりにも(個人の)自由がないがしろにされているというわけですが、国家の情報管理に対する個人の自由の問題について、かつてワタシは「「自由の真の代償」と「自由の真価」 〜 サイバースペース独立宣言を越えて」という文章を書いたことがありますが、奇しくも今回の PRISM 問題を受け、電子フロンティア財団(EFF)はシュナイアーを理事会に迎える発表を6月末に行っており、さすが動きが早いと唸らされました。あとシュナイアーに関しては、現時点での彼の最新作『Liars and Outliers: Enabling the Trust that Society Needs to Thrive』の邦訳が早く出ることを切に願います。
タイトルに掲げた「社会的価値としてのプライバシー」の話にはまだ到達していないのですが、いい加減長くなってしまったので、ここでいったん切り、後編にもちこさせてもらいます。
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登録はこちら雑文書き/翻訳者。1973年生まれ。著書に『情報共有の未来』(達人出版会)、訳書に『デジタル音楽の行方』(翔泳社)、『Wiki Way』(ソフトバンク クリエイティブ)、『ウェブログ・ハンドブック』(毎日コミュニケーションズ)がある。ネットを中心にコラムから翻訳まで横断的に執筆活動を続ける。