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ネットワーク中立性の死とともに我々は現在のインターネットを失うのか?

2013.11.14

Updated by yomoyomo on November 14, 2013, 18:00 pm JST

先週 Wired.com に「我々はじきにネット中立性を失う――我々が知るインターネットとともに(We're About to Lose Net Neutrality - And the Internet as We Know It)」という論説が公開されました。

「ネット中立性は死刑囚だ。その執行日は決まってないが、数日後かもしれないし、よくても数ヶ月後だろう」という物騒な文章から始まるこの記事は、連邦通信委員会(FCC)が2010年に定めたネット中立性規則を、米ベライゾンによる異議を認めて首都ワシントンの連邦控訴裁が無効にすることを懸念するものです。

これを書いたのは、ネット中立性とインターネットの自由の問題をずっと追っている弁護士にして、今年『On Internet Freedom』という電子書籍を発表している Marvin Ammori で、ネット中立性の支持者の立場からの意見なのは明らかですが、そもそも「ネット中立性」とはなんでしょうか?

ネット中立性(Net Neutrality)、あるいはネットワーク中立性(Network Neutrality)とも言われますが、あらゆるコンテンツ、サイト、プラットフォームを平等に扱うことで最大限有用な公共情報ネットワークが実現するというネットワーク設計原理のことです。

この言葉はコロンビア法科大学院の教授ティム・ウー(Tim Wu)が10年前に提唱したもので(3年前に当時出たばかりの彼の新刊について文章を書きましたが、昨年その邦訳『マスタースイッチ 「正しい独裁者」を模索するアメリカ』が出ています)、上記の定義も彼の Network Neutrality FAQ から引いたものですが、ウーはネットワーク中立性という原理を説明するのに、配電網を例にとります。配電網こそ中立的なネットワークの見本であり、コンセントにつなぐのがトースターだろうがテレビだろうがアイロンだろうが、またそれを作ったのがどのメーカーだろうが関係なく我々はコンセントを挿して電気を使えます。

この配電網の中立性が家電市場のイノベーションの巨大な波を支えたように、情報ネットワークはあまり何かに特化しないほうが価値を増すことが多いという意味で、同じことがインターネットにも言えるとウーは説きます。このネットワーク中立性の議論は、ネットワーク設計原理という意味でインターネットにおける end-to-end の原則と類似するところがあり、ローレンス・レッシグの『コモンズ』における end-to-end 原則の重要性の詳細な議論は、ネットワーク中立性の話にも大体当てはまります。

ネットワーク中立性が取りざたされるようになった背景には、ウーがこの言葉を言い出した2000年代はじめ、AT&Tやベライゾンなどの電話事業者やISPやCATV会社といった通信事業者が、一般ユーザ向けサービスの通信帯域を著しく制限する一方で追加料金を支払う企業ユーザを優先したり、P2P ソフトウェアなど特定のアプリケーションや自社の競合相手のコンテンツをブロックするようなインターネットの中立性、オープン性に反するサービスを強制するのではという懸念がありました。

しかし、通信事業者にももちろん言い分があり、特に P2P ファイル共有や動画音声配信によって急増するインターネットトラフィックにこのままでは耐えられなくなるので、サービスの複線化や部分的なブロッキングはやむをえないというものです。また通信事業者には、自分たちはインターネットのために高速回線の設備投資を強いられ、その回収に苦しむ一方で、Google や Yahoo! といったインターネットサービス企業に「タダ乗り」されているという不満も募っていました。

このように大企業の通信事業者や映画会社などがネットワーク中立性に反対なのに対し、上で名前を挙げたウーやレッシグ、「インターネットの父」の一人とされるヴィントン・サーフや World Wide Web の発明者ティム・バーナーズ=リー、そして Google などのネット企業はネットワーク中立性を支持する立場でした。

ワタシ自身もはっきり後者寄りな考えだったわけですが、2005年にアメリカ連邦通信委員会(FCC)にネットワーク中立性を支持するブロードバンド政策綱領を打ち出したあたりで、急激に中立性が損なわれるようなことにはなさそうだとこの問題について調べて追うのをやめていました。

再びこの言葉を目にしたのは、2010年にGoogle とベライゾンが「開かれたインターネット」に向けた方針を発表したときで、ネットワーク中立性に対して意見を異にしていたネット企業と電話事業者の代表選手がなんで共同発表したのかといぶかしく思ったものですが、これには理由があり、「開かれたインターネット」というくらいで基本的にはネットワーク中立性を支持する立場を提案しているようで、その規制対象から無線ネットワークを除外し、また追加的な優先サービスの提供を認めるという二点において反対者の意見を取り入れていました。

ネットワーク中立性の最大の支持者のはずの Google が反対派に妥協して手を組みやがって、とネットワーク中立性の擁護者たちは激怒したわけですが、鈍いワタシなどこの報道でネットワーク中立性を巡りまだ紛争中なのに気付いたくらいです。

そして今年の秋にはFCC によるネット中立性規則に対してベライゾンが提訴して口頭弁論が始まり、本文の冒頭で取り上げた Marvin Ammori の文章につながるわけですが、この訴訟にあわせたように公開された The Internet Must Go という短編ドキュメンタリーが少し話題になりました。このドキュメンタリーはジョン・ウーリーというマーケットリサーチャーが某 ISP 企業から依頼を受け、電話事業者や通信事業者、そして映画会社などが望む「より高速できれいな」インターネットを売り込む旅に出た模様を撮影したもので、現在全編がリークされてしまい、YouTube で視聴できます

......というのはすべてウソです。すいません。

この短編作品のことを知ったのは Boing Boing で Colbertesque mockumentary about the quest to kill Net Neutrality という的確に紹介されているのを読んだのが最初です。Colbertesque という単語は造語ですが、-esque で「〜のような、〜風の」といった意味になり、例えば Pythonesque だと「モンティ・パイソン的な」という意味になります(これはホントです)。よって Colbertesque は「Colbert 的な」となりますが、これはアメリカのスティーヴン・コルベア(Stephen Colbert)のことを指しています。

これは余談ですが、いまだ彼の姓、並びにそれを冠した彼の番組 The Colbert Report のことを未だに「コルバート」と表記する翻訳者がいるのは嘆かわしいことです。彼の番組のことを知っていれば絶対に「コルバート」とはならないはずなのに。

さて、スティーヴン・コルベアは(ビル・オライリーをモデルとする)保守ガチガチの司会者を演じる芸風で有名なコメディアンで、2006年にホワイトハウスの記者クラブ晩餐会で当時の大統領ジョージ・W・ブッシュを前に行ったスピーチをご存知の方もいるでしょう(参考:ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記Long Tail World)。

つまりこの作品は、主人公がネット中立性を殺そうとする側を演じるモキュメンタリー(擬似ドキュメンタリー、フェイクドキュメンタリー)なのです。

マーケットリサーチャーのジョン・ウーリー(もちろん実在の人物ではなく役者が演じています)が売り込むあるべきインターネットのサービス料金体系が昔 reddit などで話題になったネタ画像そのままで笑ってしまいましたが(要は CATV サービスの料金体系を模したもの)、ウーリーはその reddit や ZipCar といったネット企業の創業者、ティム・ウーやローレンス・レッシグ、『閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義』のイーライ・パリサー、そしてオバマ大統領誕生時には FCC の政権移行作業チームの舵取りも行ったミシガン大学法学部の教授スーザン・クロフォードなどこの問題のエキスパートたちにことごとくやりこめられるわけですが、レッシグに教えられて電話会社に牛耳られてブロードバンド回線を導入できないノースカロライナ州に出向いて呆然となるところがフックになっていますが、基本的にはネットワーク中立性の教則ビデオといってもよい作りだったりします。

登場する論客による解説は独立した動画も用意されており、本編からリンク一つで飛べる親切設計になっています。字幕もない英語の動画なんて見ていられるかという向きもあるでしょうが、YouTube の字幕(キャプション)機能で比較的補える類の動画ではあるので、この問題に興味がある方はご覧になることをお勧めします。が、そうでなければモキュメンタリーとして大した作品ではない、とも正直に書いておきます。

ここでようやく今回のタイトルに掲げたタイトルにいたるのですが、ワタシ自身は今もネットワーク中立性を支持していることは確かですが、今回のベライゾンによる訴訟の結果でインターネットが死ぬかと言われると疑問を感じます。というか、10年前とは我々ユーザとインターネットの関係も変わっています。

例えば、Google は今年においても、同社のブロードバンド事業である Google Fiber に関して、ユーザが回線にサーバを接続することを禁止しています。ここでもやはり Google は裏切り者だと批判されましたが、10年前だったらその批判はもっと激しかったはずです。しかし、クラウドサービス全盛の現在、自宅サーバを必要とするユーザはずっと減っているのではないでしょうか。

思えば2010年末の時点で「自分もかつてはガチガチのネット中立性支持者だったが、「無条件の」ネット中立性の考えは、いずれ消え失せると思う」と書いたティム・オライリーは、こうなることを予見していたのかもしれません。

個人的には「企業やアプリケーションで通信を差別するのはダメだが、アプリケーションの種類を差別するのはかまわない。動画を音声よりも低い優先度にしたり、大量データダウンロードをリアルタイム通信が必要なものよりも低い優先度にしてもよい」というのはどうよと思いますが。

それより個人的に疑問なのは、どうしてインターネット利用料金の従量課金がもっと議論にならないのかということです。これこそティム・ウーが言うところの配電網のアナロジーに沿った解決策でしょうに。アプリケーションごとの優先順位づけをするよりも、ましてや特定アプリケーションの帯域を絞るよりも、度をこえて通信量を使ったユーザからそれに応じた料金を取るべきだと思うのですが、従量課金という解決策は意外に大きな議論になっていません。

最初にこの従量課金という解決策の話を読んだときは、せっかくブロードバンド回線が定額で使い放題になったってのに、嫌なことを言い出すものだと顔をしかめた覚えがありますが、間違っていたのは当方だったようで、この点についてワタシはかつてと立場を変えたといえるでしょう。

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yomoyomo

雑文書き/翻訳者。1973年生まれ。著書に『情報共有の未来』(達人出版会)、訳書に『デジタル音楽の行方』(翔泳社)、『Wiki Way』(ソフトバンク クリエイティブ)、『ウェブログ・ハンドブック』(毎日コミュニケーションズ)がある。ネットを中心にコラムから翻訳まで横断的に執筆活動を続ける。