2014年3月11日で、東日本大震災から3年が経つ。
2013年2月21日の産経新聞Web版に「津波到達2分前、夫へ最後のメール 亡き妻の携帯、家族の元へ」というタイトルの記事が報じられた。以下に記事の一部を引用しておく。
(以下引用、下線筆者)
「津波到達2分前、夫へ最後のメール 亡き妻の携帯、家族の元へ」(2013年2月21日)
一昨年3月11日の東日本大震災で甚大な津波被害を受けた岩手県陸前高田市の復興現場から1台の携帯電話が見つかった。持ち主は津波の犠牲になった同市職員、福田晃子(こうこ)さん=当時(54)。大量の海水をかぶったはずの携帯電話は電源が入り、そこには当日のメールが残されていた。「私は大丈夫、まだ揺れている」「大丈夫? 私たちは公園に避難中」。震災から2年近い時間を経て家族の元に戻った遺品は多くのものを語りかけた。(写真報道局 鈴木健児)■電源が入った
福田さんの携帯電話は陸前高田市民会館の解体現場にあった。今月15日、作業員が1階部分で見つけたと記者に手渡したものだ。壊滅的被害を受けた同市中心部では、市役所や体育館などの解体作業が今も続いている。市指定の避難先だった市民会館には大津波が襲い、多くの死傷者を出した。作業現場では、今もカメラや腕時計などが見つかっている。晃子さんの携帯電話もその一つだった。
持ち主が分かれば、と電源コードをつないだ。多分だめだろう、という記者の予想と異なり、電源が入った。通話履歴にあった「自宅」に電話すると、母、金沢雅子さん(78)が応対に出た。「晃子は津波で亡くなりました。私の娘で『こうこ』と読みます」
(以下省略、ここまで)
産経新聞Webの写真を見ると、その携帯電話端末は富士通の「らくらくホン6」であろう。同端末は防水機能を備えている。今でこそ多くのメーカーから防水機能に対応した端末が出荷されているが、富士通は昔から防水機能の携帯電話に強かった。
震災から2年経過して発見されて入電してみたところ、電源が入り、携帯電話でのメールのやり取りがそのまま残っていたというから、凄いことである。「らくらくホン6」のサイトには「泥がついても洗い流せるから安心」と記されているが、今回のケースを見ると、津波で大量の海水をかぶってから2年経過しても携帯電話は電源が入り、データが残っていたことがわかった。「らくらくホン6」の防水機能の技術力を物語っている。
防水機能は現在では多くの携帯電話で対応しているが、改めてその技術力を感じると同時に、今後の端末購入時における「防水機能」対応の重要性を知ったエピソードであった。そしてこのような技術力は世界中で受け入れられるのではないだろうか。
改めて東日本大震災に被災された方々のご冥福をお祈り申し上げます。
【参照情報】
・「津波到達2分前、夫へ最後のメール 亡き妻の携帯、家族の元へ」(産経新聞Web版)
・らくらくホン6(富士通)
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登録はこちら2010年12月より情報通信総合研究所にてグローバルガバナンスにおける情報通信の果たす役割や技術動向に関する調査・研究に従事している。情報通信技術の発展によって世界は大きく変わってきたが、それらはグローバルガバナンスの中でどのような位置付けにあるのか、そして国際秩序と日本社会にどのような影響を与えて、未来をどのように変えていくのかを研究している。修士(国際政治学)、修士(社会デザイン学)。近著では「情報通信アウトルック2014:ICTの浸透が変える未来」(NTT出版・共著)、「情報通信アウトルック2013:ビッグデータが社会を変える」(NTT出版・共著)など。