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なぜ私たちには「忘れられる権利」が必要なのか? ・前編 【対談】KDDI総研・高崎晴夫氏、東京大学・生貝直人氏

テーマ4:「忘れられる権利の理想と現実」

2014.10.23

Updated by 特集:プライバシーとパーソナルデータ編集部 on October 23, 2014, 11:00 am JST

もともと検索エンジンの検索結果を取扱い対象としていた「忘れられる権利」は、ここにきて「データベースと人間・社会」という広義の議論を呼び起こしつつある。討議が敷衍する中で、検索エンジンの先には何が対象となるのか。そしてそれらによって生じるであろう「本当の課題」とは何か。

「忘れられる権利」について、そもそもの発端とその課題について、この分野におけるエキスパートであるKDDI総研 主席研究員の高崎晴夫氏と東京大学大学院情報学環 特任講師の生貝直人氏による対談をお送りする(司会進行:JIPDEC)。

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「忘れられる権利」の削除対象は検索エンジンの結果のみ?

──「忘れられる権利」について、日本でもいろいろ議論を呼んでいます。

生貝:現在、EU司法裁判所の判決の文脈で議論されている「忘れられる権利」は、ある人の名前を検索した時の検索エンジンの検索結果から、その人に関する特定の情報を消すという、かなり限定された議論です。

──検索エンジンの検索結果だけ、ですか?

生貝:はい。現在EUで審議されているデータ保護規則からの流れからもあり、EU司法裁判所も自覚的に「忘れられる権利」というキーワードを使っているため、この言葉が使われることが多いのは事実です。ただ、欧州でも「right to be de-listed」つまり「リスト化されない権利」というような表現の方が、誤解がないのではという提案もされています。これは、狭義の「忘れられる権利」とも言えます。

一方で、例えばレンタルビデオの利用履歴など、ビジネス的な理由から事業者が蓄積しているけれど、もしかするとプライバシーに影響を与えるかもしれない幅広いデータは、いつまでも残されるべきかという問題があります。この「私たちの情報はどこまで覚えられているべきなのか」という意味での、広義の「忘れられる権利」についての議論が、検索結果からの削除という狭義の方を発端にして広範囲で呼び起こされました。広義と狭義の「忘れられる権利」の二通りがあることで、どうしても議論の錯綜を招いている面もありますが、議論が活発になったこと自体は研究者として肯定的に捉えています。

──日本でも検索エンジンの結果表示画面から、特定の情報へのリンク削除を求めた裁判が、京都地裁と東京地裁においてそれぞれ異なる判決が出ました。日本でも「忘れられる権利」が整備されるのか、という議論が起きています。

高崎:欧州の議論に限定すれば、元々は、欧州のデータ保護指令の中に定められた「削除権」を整理して、児童保護の観点から、子ども達がアップロードしたデータが取り返しの付かない事態を招かないように対処しよう、というところに端を発したもの。そこからにもう少し一般化して対象を広げようということになったのが現在の状況です。

あとデータ保護に関して様々な検討を行っているEU 29条作業部会(※脚注1)の報告書によれば、技術的な観点から3つオプションが提案されていますが、データそのものを消すというのは実効上あり得ません。従って、リンカビリティを外すというのが現実的な解だというのが共通認識になりつつあります。つまり、現実的かつ実効的に、できることを手当てしたという位置づけで見た方がよいと思います。「忘れられる権利」が出てきた当初は、「データを消すのか」や「トレーサビリティはあるのか」と混乱した議論がありましたけど、現在は落ち着いた議論になって来ています。

※脚注1
EU29条作業部会
1995年に欧州議会で採択された「EUデータ保護指令」の第29条に基づいて設置される、個人データの取扱いに係る個人の保護に関する助言機関。本指令を基にした加盟国ごとの措置が統一的なものとなるよう、あらゆる問題点について検討を行う。

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検索エンジンがプライバシーに与える影響が大きくなっている

──欧州における狭義の「忘れられる権利」とは、検索エンジンが蓄積するデータそのものの削除ではなく、そのデータへの将来的なアクセス、すなわちリンカビリティを対象にしました。なぜ明確に検索エンジンがターゲットとなっているのでしょうか。

生貝:ここ数年で急速に、インターネット上に拡散される情報が、私たちの現実世界の評判や現実生活に影響を与えることが多くなってきました。例えば、初めての人と会うときには、事前にGoogleでその名前を検索して評判を調べるという人も増えてきていると思います。それどころか、アメリカでは企業の採用担当者、あるいは大学入試の審査担当者の半分以上が候補者の名前をインターネットで検索し、それが選考結果に影響を与えているとも言われています。

現実問題として、私たちは検索エンジンを使って、あらゆる知識を得るようになってきている。そして検索エンジンが、我々ひとりひとりの人生に与える実際的な影響が、とりわけプライバシーとして表現されるべき領域において、急速に大きくなってきているというのが、「忘れられる権利」の背景にある大きなテーマです。

──確かに、有名人を中心に、ネットで罵詈雑言を投げつけられているケースは少なくないですね。その起点が検索エンジンである、という考え方なのですね。

生貝:誰もが平等に被害にあうというわけではなく、有名人であるほど被害を受けやすい傾向はあります。ただし、公人に当たる人のプライバシーに関しては、公共の利益との兼ね合いを踏まえ、日本や世界でもこれまでに比較的限定された形で議論されています。また、それ以外の有名人というのも、いわゆる有名税というのでしょうか、ある程度はそういったことを我慢しながら生活している部分があると思います。

しかし一般人でも、たとえば女性はターゲットになりやすいという指摘もあります。アメリカの法学者たちに強く衝撃を与えた事例として、全米有数のイェール大学のロースクールで、優秀な女子学生がネット掲示板できわめて攻撃的なことを書かれるという事件がありました。その情報がネットに広まった結果として、女子学生は卒業時に就職先も見つからなかった。この経緯はさまざまな論文などでも紹介されているのですが、僕もこの問題を考える時に非常に影響を受けています。

情報は自由であるべきだけれど、しかしさすがにそれが多くの人々のプライバシー、あるいは人生そのものに甚大な影響を与えるようになってきた現在のような状況は、ある程度どうにかしなければならない。だから我々が知識を得るゲートウェイになっている検索エンジンにお願いをすることが必要ではないか、という考えが社会全体で拡大してきたというのが、この問題を巡る議論の基本的な背景だと理解しています。

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「忘れられる権利」の次のターゲットはSNSなのか

──一方で、検索エンジンについては、ひとまず規制対象とする流れができています。そして人間へのインパクトということを考えたときに、次のターゲットは何でしょう?

高崎:最終的に向かうのは、やはりプロファイリングでしょう。現在の「忘れられる権利」は、データそのものでなくリンカビリティを対象とする。ということは、検索エンジンからは見えなくなったとしても「それでも事業者はデータを持っているだろう」となる。

やはり、外からは見えないところだから、ブラックボックスにはなかなか手を出せない。とすると、データを処理した結果であるプロファイリングにどのような規制がかけられるかが、問題となります。一般的に制限する方向で検討するというあたりで、今は議論が止まっていますが、最終的にはそこが問題として再噴出するでしょう。

生貝:今回のEU忘れられる権利判決が典型的ですが、そのサービスがもたらす情報の集積に、どのくらいのプライバシーインパクトがあるのかということを、その時々の技術水準や産業状況、あるいは人々の利用実態を考慮した上で、常に結論を修正し続ける必要があります。技術水準や社会的状況の変化の中で、次はSNSが問題だという議論になっていく場合もあると思います。

──検索エンジンの次にあるものとして、SNSの問題は大きくなってきていますね。

生貝:「忘れられる権利」が必要になってきた、もうひとつの背景というのは、やはりここ十年ほどのWeb2.0やCGMの流れがあります。Web1.0の時代は基本的に企業ですとか、研究者が書いたものをホームページにアップして、普通の人々はそれを見に行くだけだったのが、だんだんとユーザー自身による情報発信が、インターネット上に流れる情報のかなりの部分を占めるようになってきました。そのような状況で、人を中傷したり、あるいは酔った勢いで恥ずかし写真を載せてしまったり、といったことがどうしても起きてしまいます。そして、そうしたアクションの中核にソーシャルネットワークがあります。

ただ、SNSによるプライバシーインパクトが今後甚大になり、特別な法的措置が必要になったとき、それはもしかしたら「忘れられる権利」という方法ではない可能性もあります。さきほど高崎さんがおっしゃったような、子どもの情報については、アメリカではカリフォルニア州で「消しゴム法」(※脚注2)という、子どもが情報をアップロードするときは、ちゃんと注意書きをして、自分自身が消せるような機能を付けないといけないという規制があります。また、そもそも今のFacebookのように、SNSのような閉じられたスペースにおける検索機能の提供自体が忌避されたり、法律的な規制がかかったりする可能性もあります。

常に何がプライバシーインパクトなのか、そしてそのプラットフォームやシステム、データベースのあり方に応じて、「忘れられる権利」の違った形、ないしはまったく違ったプライバシー対応のあり方というのが論じられていくでしょう。「忘れられる権利」というのは、人々のプライバシーを保護するためのいくつもの選択肢の中で、今の社会状況と検索エンジンという支配的なプラットフォームの性質に合わせた、対応のあり方のひとつにすぎません。

──プロファイリングによって日常生活への影響が甚大になり、それをSNSが支えている、という構図で、そこでは「忘れられる権利」の形態では不十分のように思えます。

高崎:特にアメリカではパブリック空間とプライベート空間の切り分けがあって、パブリック空間に関しては合理的なプライバシーへの期待が持てないというのが一般的な理解でした。これまでは匿名的にSNSを利用していれば、そこでゴミみたいな投稿をしても大丈夫だった。でも今は、プロファイリングなどのデータ結合によって、匿名性がまったくなくなっている。パブリック空間であってもプライバシーを何かの形で守って上げないと、合理的な期待ができないとする従来のとらえ方ではもう対応できない状況に来ています。実に難しい問題です。

──極端に言えば、ユーザーにネットを使うな、外に出るな、というに等しい状態です。

生貝:今年のパーソナルデータの内閣官房の検討会でも、プロファイリングという概念が課題の一つとして触れられましたが、おそらく今回の個人情報保護法の改正では具体的な対応は困難と思われます。しかし、この問題にどう法律的に対応していくかは、忘れられる権利との関係でも、極めて重要なところだと考えています。

(中編に続く)

※脚注2
消しゴム法
2013年9月にカリフォルニア州知事が署名し2015年1月1日より施行予定の、未成年のプライバシー保護のための法律。未成年によるすべてのソーシャルメディアへの投稿に、後からいつでも削除できるように「削除ボタン」の設置を義務づけるというもの。

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情報通信技術の発展により、生活のあらゆる場面で我々の行動を記録した「パーソナルデータ」をさまざまな事業者が自動的に取得し、蓄積する時代となっています。利用者のプライバシーの確保と、パーソナルデータの特性を生かした「利用者にメリットがある」「公益に資する」有用なアプリケーション・サービスの提供を両立するためのヒントを探ります。(本特集はWirelessWire News編集部と一般財団法人日本情報経済社会推進協会(JIPDEC)の共同企画です)