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スマートフォン、ウェアラブルの先にあるヒューマン・エンハンスメント

Human Enhancement, post smartphones and wearable devices

2015.04.27

Updated by Ryo Shimizu on 4月 27, 2015, 08:38 am JST

私たちはなぜスマートフォンを欲しいと考えるのでしょうか。

そしてスマートフォン以外のデバイス、例えばApple WatchやGoogle Glassなどは、なぜ気になってしまうのでしょうか。

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こうした道具によって人間自身の能力を拡張すること全般を、「ヒューマン・オーギュメンテーション(Human Augmentation)」と呼んできましたが、最近ではより明快に「ヒューマン・エンハンスメント(Human Enhancement)」と呼ぶようです。

実は、私たちが普段から触れているマウスやマウスカーソル、ハイパーリンクといった考え方は、ダグラス・エンゲルバートが設立した研究機関、オーギュメンテーション研究所(ARC;Augumentation Research Center)によって生まれました。

この発想の源流にあるのは、ヴァネヴァー・ブッシュのMemex(メメックス)というアイデアにあります。

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Memexはデジタルコンピュータ登場以前のアイデアで、無数の論文をマイクロフィルムに納め、収めたマイクロフィルムを素早く検索できるようにした仕組みです。MemexはMemory Extender(記憶拡張器)の略とされました。

ブッシュは、将来的にはMemexのマイクロフィルムを真空チューブで他のデスクと交換したりすることによってネットワーク化し、巨大な知の構造を作れるだろうと予言しました。

このMemexのアイデアが開陳された論文、「As We May Think」は世界中の科学者に衝撃を与え、そのうち一人がダグラス・エンゲルバートでした。

Memexを電子化したものがエンゲルバートのNLS(oN Line System)となり、それがアラン・ケイによってGUIになり、ジョブズとゲイツによってMacとWindowsになっていきました。

言ってみれば、コンピュータ産業の歴史とは、ヒューマン・エンハンスメントの歴史そのものなのです。

ただ、人間の能力を拡張するのは何もコンピュータだけではありません。

たとえば何の変哲もない眼鏡があります。

しかしメガネがなければ現在のような文明の進歩はあり得ません。

メガネが発明されたのは13世紀頃と言われています。イタリアのベネツィアのガラス工芸技術が精緻なガラス細工を実現し、それがメガネとなりました。

しかし凸レンズのみで、いわば遠視用のメガネしかありませんでした。

近視用メガネに必要な凹レンズが発明されたのは300年後の16世紀です。

レンズの発明はメガネよりずっと古く、1000年以上前の紀元前3世紀と言われています。

レンズは何に使われていたかと言うと、火おこしです。

火起こしを経験したことがある人は解ると思いますが、火をおこすというのは極めて大変な仕事です。このため、レンズで太陽光を集めて火をおこすというやり方がしばらく使われていました。

このためのレンズが、モノを見るために使われだし、メガネへと発展することによって文明は飛躍的に進歩するようになりました。

メガネがない世界を想像してみてください。

日本人の6割は近視と言われていますが、もしメガネがなかったら、彼らも文字も読み書きできず、まっすぐ歩くことも困難で、すぐに交通事故で死んでしまうかもしれません。

しかしメガネが発明されたおかげで、近視の人たちも不自由なく暮らすことができるようになりました。

日本人に近視が多い理由はいくつか説がありますが、たとえば進化心理学的なアプローチで考えれば、「近視の方が生き残りやすくなった」ということになるでしょう。

現代文明の発展に不可欠な文字や図、数式といったものを多数扱う人々、いわゆる知的労働者に価値が出た結果、近視傾向の強い遺伝子が生き残ったという説です。近視なら文字は見えます。しかし近視だと危険を察知する能力が低いのでそのままでは死亡する確率は格段に高まります。

戦争が盛んにおこなわれていた頃は、むしろ近視は欠点でした。遠くにいる敵を察知できたほうが有利だからです。

しかしメガネが発明されたことによって近視の遺伝的欠点はカバーされ、生存率が上がったと考えられます。

メガネは視覚のヒューマン・エンハンスメントと言えます。

 

その延長上にあったのが、Google Glassやテレパシー・ワンといったメガネ型ウェアラブルデバイスでた。

しかし実際にはなかなか思い通りにはいかなかったようです。

頭でイメージする「こうなったら便利なはず」というものと、実際に実現可能なものの間には大きなへだたりがあります。

本当に視覚そのものを拡張して何をしたいのか、という「What」が解決されない限り、ただデバイスだけを作ってもダメだということです。

残念ながら今のところGoogle Glassでなければどうしてもいけないというアプリケーションは生まれなかったようです。

個人的には、ジョギングの最中に地図や時間が見れたら便利なのでは?と思いますが、それなら何も頭部に装着しなくてもAppleWatchのような腕時計型のウェアラブルデバイスで十分かもしれません。

しかし私もPebble、G Watch Rと、複数の腕時計型ウェアラブルデバイスを試してみましたが、走っている時以外はやっぱり何か邪魔です。

また、画面が常時消えていたり、毎日充電するというのが意外に時計として不便で、結局は手巻きゼンマイ式の腕時計に戻ってしまいました。

ウェアラブルデバイスに期待が集まるのも、本質的にはそれが人間の能力を根本的に拡張するものだからです。

人間にはどうやら、種として自らの能力を拡張したいと望む欲望があるようなのです。

世代を超えて、いや、同じ世代の中でも、互いに影響を与え、進歩し続けるという性質を持っているのはおそらく人間だけなのではないでしょうか。

ビーバーはダムを作り、燕は巣を作りますが、それが時代を超えて進化してきたというよりも、たまたまダムや巣を作る性質の遺伝子が生き残ったと考える方が自然です。

しかし人間の場合は、特定の行動ではなく、「人工的な進化(ヒューマン・エンハンスメント)を望むこと」という強烈な欲求が遺伝子に組み込まれており、それが新製品への興味として人々を駆り立てるのかもしれません。

たとえば私が燕になったとしましょう。

まず一つ目の巣を作ったら、二つ目はもっと違った巣を作りたくなります。三つめは、巣をもっと大きくしたり、二つ繋げたり、いろいろな形を工夫するでしょう。

しかし実際にはそんな燕はいないでしょう。もしいるとすれば我々人類はもっと独創的な燕の巣をたくさん発見しているはずです。

つまり進化への渇望、変化への強い欲求こそが人間性の根幹を成す重要部分なのかもしれません。

そしてそれこそが人間が様々な環境に適応し、海底から宇宙の果てまで、ありとあらゆる地域に人間を送り込むことを可能にしてきた理由ではないでしょうか。

私はずっと不思議でした。

エベレスト登頂を目指す人、月への有人宇宙飛行を目指す人、飛行機に乗りたがる人、電車に乗りたがる人。

なぜ人は、それがしたいのだろうか。

しかし間違いなく、前人未踏の地に人やモノを送り込むという事業は、心を揺さぶられるのです。

それは人間が持っている本能的な欲求である「進化への渇望」を、人類全体で満たすからなのかもしれません。

例えば、アポロ計画はソビエトの宇宙計画と争っていました。

結果的にソビエトはアポロ計画に遅れをとってしまいましたが、ソビエトで宇宙開発をしていた人たちはアポロ計画が成功したのを見て、内心、言葉にはできない、してはならない敗北感と同時に深い感動を覚えていたのではないか、と私は思うのです。

アポロ計画とて、ライバルにソビエトがいなければ、あれほどの巨費を投じることはできませんでした。

そしてただ人を月に送り込み、月の石を持ち帰るという、ただそれだけのために、国家が威信をかけて戦った、そのあとは、爽やかなスポーツマンのように、本当はお互いに拍手を送りたいという気分だったのではないか。そう思うのです。

なぜならライバルもまた掛け替えのない仲間だからです。

アポロ計画で実際に人類初の月着陸を成し遂げたのはたった二人の人間でした。

しかしそのたった二人を支えていたのは、60億の人類全体です。

だからこそニール・アームストロングの残した名言は、今も名言として記録されているのではないでしょうか。

「この一歩は個人としてはただの一歩だが、人類にとっては大いなる飛躍である」

ここ、「人類」と言ってもらえたこと、ソビエトの人たちは感動したんじゃないかなと思います。
私は子供の頃は僕はなんとも思わなかったのですが。今は心に沁みます。

これ、もし「アメリカ合衆国にとって」みたいな言葉を使っていたとしたらすぐに忘れ去られていたかもしれません。

この瞬間、NASAも、アメリカ合衆国も、その同盟国も、敵国も関係なく、人類が一つの大きな偉業を成し遂げたのです。

これも一つの、進化への渇望といえますね。

こうした進化への渇望を我々が持っている限り、常に何かしらの新製品が生まれ続けるでしょう。

ヒューマン・エンハンスメントという言葉は非常に適用範囲の広い言葉です。

義手や義足、医学や薬学、バイオテクノロジーなどもヒューマン・エンハンスメントという言葉に含まれます。

そして我々の専門分野であるコンピュータ科学も、もちろんヒューマン・エンハンスメントの一分野です。

このコンピュータ科学におけるこの分野のパイオニアはアイヴァン・サザーランドでした。
彼はSketchPadという、世界初のインタラクティブコンピュータを作ったのちにヘッドマウントディスプレイを発明し、コンピュータによる人間の拡張といったテーマに取り組みました。

それから様々なソフトウェアが開発され、それに追従して様々なハードウェアが開発されました。

これはどちらかが必ず先行するわけではなく、ソフトウェアがハードウェアの先を行く場合もあれば、その逆もありました。

抜きつ抜かれつしながら、二人三脚で人類は進化しています。

その意味では現在のコンピュータはハードウェアがやや先行している印象があります。

ウェアラブルデバイスにしても、Android WearやApple Watch、Google Glassといったデバイスが先行していますが、それを真に活用するソフトウェアはまだ見つかっていないという印象です。

もちろんApple Watchが発売されたことで、iOS利用率の高い日本ではこれまで以上にウェアラブルデバイスのソフト開発は進んでいくでしょうが、あれだけ世界が注目したGoogle GlassもAndroid Wearもどうもキラーアプリに恵まれなかったことを考えると、Apple Watchの開発者の皆様にはどうか頑張っていただきたいと思うのです。

個人的には小さなアプリを2,3個は思いつくのですが、それを大々的に「バーン」とやってみんなが大喜びする、というイメージが頭に描けないので、この領域への参入は消極的です。

しかしデバイスが増えるということは基本的にいいことです。

それは選択肢が増えるということを意味するわけですから。

通知に関しては、携帯電話の通知ですら鬱陶しくてオフにしているのになぜまた通知を受け取らなければならないのかが未だにわかりません。たぶんむしろApple Watchのような腕時計型デバイスは通知のための装置ではなく入力装置として活用することを考えた方がいいのではないかと思うのです。たとえばプレゼン中に歩行するとページが歩行に合わせて切り替わっていくとか、アニメーションの進行速度が変わるとか、手をサッと振るとページが切り替わるとかです。そんな機能がついてるかどうかは知りませんが、少なくとも歩数計はついてるはずですからね。

心拍数に応じて音楽のボリュームを下げるのもいいかもしれません。

プレゼンで興奮して盛り上がってくるとBGMのボリュームが下がっていくとかですね。

ソフトウェア屋としては、ハードウェアが先行している今が力の見せどころというわけです。

これからどんなソフトが出てくるか楽しみですね

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清水 亮(しみず・りょう)

1976年新潟県長岡市うまれ。6歳の頃からプログラミングを始め、16歳で3DCGライブラリを開発、以後、リアルタイム3DCG技術者としてのキャリアを歩むが、21歳より米MicrosoftにてDirectXの仕事に携わった後、99年、ドワンゴで携帯電話事業を立上げる。'03年より独立し、現職。'05年独立行政法人IPAより天才プログラマーとして認定される。

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