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ダッハウ強制収容所、解放から70年

Every day, every minute, every breath we take, is a GIFT

2015.04.30

Updated by Hitoshi Sato on 4月 30, 2015, 20:53 pm JST

1945年4月29日、ダッハウ強制収容所の監視塔は連合軍に占領され、白旗が翻り解放された。今年で70年を迎える。ダッハウ強制収容所とは、ドイツ・バイエルン州・ミュンヘンの北西15キロほどのところにある都市ダッハウに存在したナチスドイツの強制収容所である。

1933年に第一次世界大戦の際に火薬工場として使われていたダッハウの町の廃工場を利用して建設されたダッハウ強制収容所はナチスの強制収容所の中ではオラニエンブルク強制収容所と並んで最も古い強制収容所で、後に建設された多くの強制収容所のモデルとなった。

収容所への列車の移送は必要以上に時間がかかり、降ろされるまでに何時間も待たされたそうだ。恐怖に打ち震える犠牲者たちは、列車の扉が開くなり殴られ、選別され、多くの人がガス室に送られた。生き残った者らも虐待された。ガス室では30分から40分で2,000人を殺していたそうだ。

収容所の中では、秩序も仲間意識もなくなっていくらしい。囚人は根源の生存本能をのぞいて、分かちあって助け合う心も、しばらくすると抑制と人間性も失っていくそうだ。その段階に至った時点で、囚人たちは人間でなくなるらしい。

ダッハウではドイツ空軍のために、ユダヤ人囚人を用いて「超高度実験」と「冷却実験」という非人道的な実験が多く行われた。

「超高度実験」は、高度の低気圧に人間がどこまで耐えられるかを調べるために行われた。実験に使われた囚人はほとんどが死亡し、生き残った者も重大な後遺症を残した。「冷却実験」は冷たい海面に落ちたパイロットを救出できるかどうかを調べるための実験で、冷たい水面につけるなどして囚人を凍死させた後、蘇生が可能かどうか様々な実験が行われた。このような殺人的な実験も、ナチス全体の中では、一部であって、ナチスはユダヤ人や囚人を用いて、とんでもない非人道的な実験を欧州各地の収容所で行っていたのだ。

強制収容所のシステムを理論的に分析する研究はあまり見かけない。強制収容所は殺害のために作られ、役目が終わったら、すなわち当初の目的であるユダヤ民族の壊滅が達成されたら解体される予定だったからだろう。一方で、強制収容所の博物館化や、戦後の想起文化において強制収容所が果たしてきた役割についての記憶研究の文献は非常に多い。日本でも強制収容所での悲惨な生活、体験を生還者が綴った本を日本語で読むことができる。

強制収容所を訪れて、その場に立ってみると、考えさせられることがたくさんある。人間が同じ人間に対して、ここまで壮絶なことを行うことができるのか、と目を覆いたくなるような展示物ばかりである。これが本当に20世紀のヨーロッパで起きたことなのか、と疑ってしまうが、それらは全て事実である。

ダッハウだけでなくナチスの強制収容所は世界各地から社会科見学の学生など訪問客が非常に多い。21世紀の現代社会で平和な暮らしをしている我々が強制収容所を訪問しても、収容所での犠牲者の苦しみや不安、怒り、猜疑心の完全な追随は不可能であろう。なぜなら、我々は収容所をただ訪問するだけなのだ。電車で20分でミュンヘンに戻れば美味しい食事もビールもある。ホテルには暖かいベッドもある。意味不明な理由で、突然銃殺されたり、ガス室で殺される不安もない。

当時のユダヤ人らの犠牲者はどうやってそのような状況を耐えてきたのだろうか。普通の生活が一転し、死に追いやられるのだ。彼らの恐怖に思いを馳せても、想像することもできない。

この悲惨な歴史からまだ100年も経っていないのだ。そしてジェノサイドは1945年で終わったのではない。21世紀の現在でも、戦争や民族浄化、特定民族を対象にしたジェノサイドは続いている。

ホロコーストの犠牲者を想い、彼らが何よりも欲していた「人間としての普通の生活」ができることへの感謝を忘れず、この歴史から目を背けてはならない。

▼ダッハウ強制収容所のガス室。シャワー室と騙されてガス室に送られたが、焼却炉の煙突から死者を焼いた煙が出ていたことから、多くの囚人はシャワー室でないことに気が付いていただろう。
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▼ダッハウ強制収容所の焼却炉。ガス室は脱衣所、待つ場所、ガス室、処理室、焼却炉と非常に効率的な設計になっている。
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▼ダッハウの囚人のトイレ(戦後に当時のものと同じように製作した)20150430-sato-3

▼ダッハウの囚人のベッド(戦後に当時のものと同じように製作した)定員250人の収容棟20棟には囚人が1,600人ずつ詰め込まれていた。20150430-sato-4

▼ダッハウの「ARBEITE MACHT FREI」(労働は自由への道)。20150430-sato-5

▼広大なダッハウ収容所(木は戦後に植えた)アメリカ軍は32,000人の囚人を見付けたそうだ。囚人管理を体系化するため、ダッハウの収容者はブロックごとに250人ずつに分けられた。各ブロックにSS軍曹のブロック指導者を設置し、ブロック指導者の上にSS曹長の連絡指導者を置き、管理にあたらせた。20150430-sato-6

▼ダッハウ強制収容所に隣接する囚人を使った工場跡地。ダッハウ強制収容所にも、隣接した工場があり、そこでは囚人らが労働をしていた。20150430-sato-7

▼有刺鉄線のフェンスも当時は電流が流れていた。多くの囚人が苦しい生活から解放されるため、わざと電流に身を投げ自殺した。20150430-sato-8

▼ダッハウ強制収容所での悲惨な光景が展示されている。「超高度実験」と「冷却実験」によって死んだ囚人も多い。20150430-sato-9

▼強制収容所内にある記念碑20150430-sato-10

▼ダッハウ強制収容所の正門20150430-sato-11

▼ダッハウ強制収容所のガス室内部20150430-sato-12

▼ダッハウ強制収容の囚人用の洗面所20150430-sato-13

▼ダッハウ強制収容所の中にある博物館。残虐な写真、展示が多い。世界中から社会科見学が来ている。ユダヤ人も多いらしい。20150430-sato-14

▼ダッハウ強制収容所内の博物館。「12歳以下の子供は入らない方が良い」というアドバイスあり。大人でも耐えられないような写真や展示物が多い。20150430-sato-15

▼鞭打ち台20150430-sato-16

▼ダッハウ強制収容所で起きた蛮行が記されている写真が多い。20150430-sato-17

▼ショップがあり、多数の言語でのホロコースト関連の書籍が多数販売されていた。日本語の本はなかった。20150430-sato-18

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佐藤 仁(さとう・ひとし)

2010年12月より情報通信総合研究所にてグローバルガバナンスにおける情報通信の果たす役割や技術動向に関する調査・研究に従事している。情報通信技術の発展によって世界は大きく変わってきたが、それらはグローバルガバナンスの中でどのような位置付けにあるのか、そして国際秩序と日本社会にどのような影響を与えて、未来をどのように変えていくのかを研究している。修士(国際政治学)、修士(社会デザイン学)。近著では「情報通信アウトルック2014:ICTの浸透が変える未来」(NTT出版・共著)、「情報通信アウトルック2013:ビッグデータが社会を変える」(NTT出版・共著)など。

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