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遊牧民 自動車 イメージ

④自動運転車に住むことによる、社会の変化

2017.03.01

Updated by Shinya Matsuura on March 1, 2017, 06:00 am UTC

自動運転車に住む人が増えることで発生する問題

人間が定住する生き物というのは、近代社会の定義に過ぎない。食料を狩猟と採取に頼っていた太古の人類は、移動することにより生活していた。定住生活が始まるのは農耕という技術を手にしてからだ。その後も放牧の民は移動を常とする生活を送ってきた。国民国家が地球上に国境を張り巡らし、移動を制限するようになった今も、少数ながら放牧の民は存在する。居住性を高めた自動運転車の出現は、定住を基本とした我々の社会の中に、常に移動し続ける新たなライフスタイルを生み出す可能性がある。それはチャンスでもあり危機でもある。

自動運転車は、設計によっては「住居がちぎれて移動できるようになったもの」とすることができる。移動する住居で生活できるとなると、文字通りの「ノマド(遊牧民)」生活が可能になる。

が、これは必ずしも好ましい社会の発展につながらない可能性がある。日本以上にクルマ社会である米国では、貧困層が家を持たずに自動車で生活するということが起きている。自動車による移動の自由を失うと、通勤すらままならなくなるので、せっぱ詰まった時に自動車ではなく家を手放すのだ。

このような形での「貧困に強いられた自動車生活」は、決して社会を豊かにしない。むしろディストピアへの近道と言えるかも知れない。

米国社会で自動運転車が一般化し、低価格化すると、今のままでは自動運転車に住む貧困層が増えるだろう。それも半端なく増える可能性がある。一切の運転を車両に任せるレベル4の自動運転車は、ハンドルやドライバーズシートを必要としない。それだけ室内空間のレイアウトは自由になるわけで、より一層住居に近づけることができる。そんな自動運転車に住む貧困層が増えると、自動運転機能が故障した場合はどうなるのかとか(おそらく、ボンネットを開けて自分で修理する範疇を超えるだろう。カネがなければ修理できないはずだ)、どんどん移動する過程で育つ子どもにどうやって教育を施すかとか、様々な問題が噴出すると見ておかなくてはならない。

このあたり、日本はまだ割と脳天気に構えているところがある。先般、連載40周年でめでたく完結したギャグマンガ『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(秋本治)には「我が夢フェラーリ」というエピソードがある(単行本52巻収録、1988年6月初版)。普通のお父さんが、なにをとち狂ったか全財産をはたいてフェラーリのスポーツカーを買ってしまい、一家全員でフェラーリを住居にしてしまったという話だ。ボンネットを開けると子どもが寝ていたり(ミッドシップレイアウトなのでエンジンは後ろ)、ラジエターでお湯を沸かしてお茶を入れたりというギャグが炸裂する。

この『こち亀』のエピソードは、バブル景気の時代の「ひょっとしたら、俺もフェラーリが買えるかも」という気分を先取りしたもので、悲壮感はなかった。が、これが『こち亀』から遡ること18年の映画『どですかでん』(黒澤明監督、1970年)となると、そうもいってはいられない。『どですかでん』には、廃車の中に住む乞食の親子が登場する。親は豪邸を夢想し、夢を語るばかりで、物乞いによる生活を支えているのは子どもだ。終幕近く、子どもは死に、親は夢の中の豪邸にプールを幻視する。

『どですかでん』の親にとって廃車は仮の住まいであり、実際に住むべきは豪邸であった。しかし彼は実際に豪邸に住むことはない。ただ夢見るだけだ。それが1970年における黒澤明にとってのリアリティであった。

自動運転車によるノマド生活の実現を考えるには、ここがポイントとなる。つまり、豪邸に移り住むのではなく、今住んでいる廃車を、自動運転という新しい技術によって豪邸としていくことを考えねばならない。

現在の社会では自動運転車に住める層は限られている

現在の社会における様々なインフラストラクチャーとの整合性を考えると、自動運転車が実現したとしても、当初から快適なノマド生活ができるのは、あまり物を持たず、子どもも持たない家庭に限られるだろう。また、住居としての自動運転車には、内蔵動力を切った状態でも快適に過ごすための給電、給水、排泄を含めた排水といった社会インフラへの接続が必要だ。「トイレなんかコンビニや道の駅に依存すればいい」といっても、そのような生活を楽しめるのは「不便もまた楽し」の境地に至った一部の人々だけだろうし、そもそも自動運転車ノマド生活者が増えれば、簡単にインフラ不足に陥るだろう。つまり、自動運転車の導入と同時に、「自動運転車をより一層便利に使うための社会インフラの建設」も必要なのだ。

自動運転車が社会に入ることで、確かに社会は変化する。自動運転車の導入と並行して、自動運転車をより便利に使うための社会インフラが整備されれば、社会はより快適で便利なものになっていくのである。

(続く)

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松浦晋也(まつうら・しんや)

「自動運転の論点」編集委員。ノンフィクション・ライター。宇宙作家クラブ会員。 1962年東京都出身。日経BP社記者を経て2000年に独立。航空宇宙分野、メカニカル・エンジニアリング、パソコン、通信・放送分野などで執筆活動を行っている。自動車1台、バイク2台、自転車7台の乗り物持ち。