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マストドンの向こうに見える未来と、カナリアとしての業界人

Beyond the mastodon

2017.04.25

Updated by Ryo Shimizu on 4月 25, 2017, 09:17 am JST

 「面白いよなあ」

 思わずそう呟いた時、外は雨でした。

 もちろんマストドンのことです。
 マストドンが日本で紹介されてからわずか二週間。

 その間に、マストドンの全世界のユーザー数は40万人に達し、そのうちの2/3が日本人と言われます。

 まるでイナゴのような団結力。いや、もはや団結という言葉では表現できないかもしれません。
 マストドンに入ると、この十年間失われていた、熱いインターネット黎明期のにおいが漂ってくるのです。

 自身をブロガー代表と標榜する徳力基彦はコンサル先で「マストドンをウォッチすべきですか?」と聞かれて「いやあ、ウォッチする必要ないんじゃないですか」と答えたそうです。

 徳力氏はブロガー代表として振る舞うのにブログを殆ど書かないという不思議な人ですが、「あーあ」というカンジがしました。でもこんな感じがするのはいつものことなので、まあいいでしょう。

 マストドンの面白いところは、コンサバティブなWeb業界人が真っ先に否定したことです。たとえば「えふしん」という人がいます。彼はTwitterを携帯から使うモバツイというサービスをやっていました。ちなみに筆者は携帯Twitterというサービスをそれより前にやっていました。

 そもそもTwitterは確かに面白いわけですが、他人のふんどしで相撲をとってるわけです。今では誰も、いや当時も誰も知りませんが、国光という人がやっていたgumiというサービスもTwitterにインスパイアされたものでした。

 筆者は「Twitter面白いなー。だけどこれで商売するのはちょっと違うよな」と思って、携帯Twitterのユーザが1万人くらいになったときに撤退したのですが、えふしん氏はそのままビジネスにしようと躍起になっていました。でも、当たり前ですがスマートフォンが主流になったときにはついていけません。

 その、Twitterビジネスで煮え湯をのんだえふしん氏が、真っ先に否定しました。次いで、ドワンゴの江添亮氏も否定しました。いずれも技術的な観点からの「ダメ出し」です。

 これをみた筆者は「お、ならば流行る」と思ったのです。

 コンサバティブな人たちが否定的な感情を持つ時、そしてわざわざそれを表明するとき、それは本能的な防衛行動であると筆者は考えます。

 「なにか自分でコントロールできない事態が起きようとしている。これはマズい」

 という気持ちが、否定的な言動を生み出すのです。

 だって考えてみてください。彼らがミックスチャンネルを否定したのを見たことありますか?ないですよね。
 しかもマストドンというのは、2016年の2月14日からスタートしているのです。一年も前のネタです。わざわざ否定する価値もないようなちっぽけなものなのです。

 にも関わらず、複数のネット有名人が否定した。これは流行る、そう直感したのです。

 新しいものがうまれたとき、それを受け入れる側でもっとも安直な反応が「否定」です。なぜならたいていのものは流行らないからです。「あれはちょっといま話題になってるけど、○○だからダメだよ」と訳知り顔で語れば、それはそれで賢そうにみえるのです。

 とりあえず否定しておけば、なんだかよくわかった人のように見えます。
 でもね、熱狂している人がいるのは事実なんですよ。それを遠巻きに見て「あれはイケてない」と否定するのは本人はカッコイイつもりかもしれませんが、単なる思考の老化現象だと思います。iPhoneが登場した時、真っ先に否定したのは誰でしょう。西村博之ですね。思えばあれが彼の終わりの始まりだった気がします。いま彼が2chを喪い、なにをしているのかわかりませんが。

 昨日、秋葉原の海鮮丼のお店に行ったら、若者のグループが「マストドンって知ってる?」という会話をしていました。

 もうそういうレベルなのです。

 「ああ、秋葉原に会社があってよかったな」と思いました。時代の息吹を感じ取る感性が、この街にはあるからです。

 感度の高い人たちはマストドンの世界に次々と飛び込んでいってます。
 連合タイムラインを見ると、滝のような勢いでいろいろな人が会話しています。それを楽しめないと、要するに面白くないのです。

 マストドンが今面白いのは、基本的には熱があるから、勢いがあるからです。
 Twitterがどことなく窮屈に感じていた折、突然あらわれたマストドンはものすごく自由で、独立していて、活発な場に感じます。そしてマストドンは、将来的にはEmailに代わるコミュニケーション手段になる可能性すら秘めています。

 マストドンの最大の価値は、P2P2Eであることです。
 誰でも自由にインスタンスを建てることが出来、しかも立てたインスタンスを他のインスタンスと連合させることもでき、さらにいえば、連合しないこともできるのです。

 それぞれのインスタンスがそれぞれの価値観で運営され、ユーザは好きなインスタンスにアカウントを作ることが出来ます。
 そして同時に、作らないこともできるのです。これはまさしく「インターネット」的なしくみであり、クラウドの牢獄から人民を解放する福音でもあります。

 マストドンの実装自体には問題があります。先の人々はその点だけを取り上げて「マストドンはダメだ」と訳知り顔で語ります。それを見ると、彼らがなぜ有名にも関わらずこれまでビジネスで成功してこなかったのか理解できます。技術に拘りすぎて本質が見えてないのです。あくまでエンジニアとしてマストドンというソースコードやアーキテクチャを評価して、カルチャーとして評価できないのです。もっといえば、哲学を正しく評価できていないのです。

 多くの場合、技術的問題は、お金で解決できます。
 しかし哲学を解決することはできません。

 どれだけお金を投じても、gccはBSDライセンスにはなりません。
 マストドンが評価されているのは実装ではなく哲学だということにいち早く気づいた人は、自らすすんで飛び込んでいます。そして実装の問題点は、Pixivとドワンゴのエンジニアが猛烈に解決しつつあります。

 そしてマストドンの哲学がこれほど多くの人に受け入れられたということは、とてつもない可能性を秘めています。インターネットそのものが再発明される可能性があるということです。

 それほど重要なソフトウェアだからこそ、コンサバティブな人々が本能的に否定的な感情を持ち、しかも表明しなければならないという使命感を感じたのでしょう。

 彼らはカナリアのような存在と言えるでしょう。上九一色村の捜索で、サリンや毒物で最初に反応するのはカナリアでした。毒物に反応したカナリアの死が、捜査員の命を救います。

 新技術が強い言葉で否定されるとき、それはこれまでにない可能性を秘めていることの証左となります。

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清水 亮(しみず・りょう)

ユビキタスエンターテインメント代表取締役社長CEO。1976年新潟県長岡市うまれ。6歳の頃からプログラミングを始め、16歳で3DCGライブラリを開発、以後、リアルタイム3DCG技術者としてのキャリアを歩むが、21歳より米MicrosoftにてDirectXの仕事に携わった後、99年、ドワンゴで携帯電話事業を立上げる。'03年より独立し、現職。'05年独立行政法人IPAより天才プログラマーとして認定される。

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