安藤 橋本治さんって色々な意味で本当に「大きい」人でした。どういうところから始めたらいいのかちょっと見当もつかないくらいの……。
高橋 うん、橋本さんについて語るのにぼくらよりもっと適した人がいるとは思うんだけど、そんなこというと、誰がいちばん適しているのかってことになってしまうので(笑)。だから、この対談は「ぼくらの橋本治」ってことでいいのではないでしょうか。
安藤 そうですね。
高橋 ぼくは橋本さんの駒場祭のポスターを知っていました。というか、ぼくらの同世代にはたくさんいたと思います。名前は知らなかったけど。だから橋本さんが作家デビューして出てきた時、「ああ、あの人か」って腑に落ちました。ぼくは五〇年代生まれの世代で、自分が文学の世界に踏み出すことに不安があったんですね。前の世代の作家たちは、中上健次ですら、この日本文学の中でやってやるという感じだった。でも、ぼくたちの世代は絶対に新しい言葉や新しいスタイルが必要だと思っていました。じゃあ新しいってなんなのか、それが難しくて手探りしていたところに、村上春樹さんが『風の歌を聴け』でデビューしたんですね。これは何度も書いてますが、作品が載った「群像」を本屋で手にとって、もう二ページくらいで、ヤバいと思ってその先は読まなかった。
安藤 なるほど。
高橋 そして、この頃に橋本さんの『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』(79)が出たんです。ぼくはこの評論集に、ほんとうに大きな影響を受けていると思います。それまで影響を受けていたのは先行するおじさん世代、父の世代だったのが、橋本さんははじめてのほぼ同世代の作家でした。当時はうまく言語化できなかったけれどびっくりしました。ぼくは、もともと評論や批評をやりたかった、江藤淳のような批評家になりたかったんです。でも、やっぱり小説で新しいことをやろうと思って転向したんですね。だから、村上春樹には正面から衝撃を受けたけど、橋本治を読んだ時には、批評で新しいことができている! と、後ろからやられた気がしました。「あっこれかっ!」と、くり返し読みました。『花咲く乙女たち…』に出ているマンガは全部読んだなあ。それまでもマンガは好きで読んでいたけど、橋本さんみたいな読み方はしてなかった。マンガが文芸批評の対象になるという発想がなかったんです。新しいものをつくろうと思っていたくせに、自分は実はすごく保守的なんだなという衝撃があって……。おそらく小説だったら対抗できたかもしれないけど、自分がいったん捨てた批評の言葉をかくも鮮やかに、しかも口語調で橋本さんはやった。これは驚くと同時に、勇気をもらいました。
安藤 とても興味深いお話ですね。
高橋 うん、だから、『桃尻娘』(78)も話題になりましたが、ぼくは『花咲く乙女たち…』が本当にショッだった。この本を読んでショックを受けた人がいたらぼくの仲間です(笑)。批評の世界には、小林秀雄がいて、江藤淳がいて、吉本隆明がいて、彼らが「批評の言葉」をつくったんです。その上で、橋本さんは批評の新しい言葉をつくった。穂村(弘)さんたちが口語短歌でやったようにね。後年、橋本さんは『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』(02)で小林秀雄賞をとりましたけど、『花咲く乙女たち…』の時すでに批評の形を変えていたんです。これが、ぼくと橋本治の最初の出会いです。
安藤 私は河出文庫ではじめて橋本治と出会ったのですが、同時期に澁澤龍彥を読んでいたんです。突拍子もないかもしれませんが、橋本さんと澁澤さんって、なにか共通するものがあったんですよ。あとでもう一度澁澤の話に戻りたいと思いますが、二人とも実は「幻想文学」を志向していました。ただその幻想は、明晰な言葉できっちりと構築されたものだったのですが……。橋本さんは九〇年代に国書刊行会から出た「日本幻想文学集成」というシリーズで、川端康成、三島由紀夫、久生十蘭、芥川龍之介という四人の巻の編者を担当しているんです。
高橋 そんなのやってたんだ。
安藤 そうなんですよ。三島の巻の解説を発展させたものが『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』になったのですが、私が一番おもしろいと思ったのは、実は芥川龍之介の巻でした。そこで橋本さんは「芥川は可哀想だ」と書いています。芥川こそ、まさに新しい口語文体をつくりたかったんだと。芥川はエッセイや小説というジャンルを超えて、大変なイマジネーションと言葉の力だけで、ただただ新しい「文」だけを書こうとしていた。だけど、当時の文学の制度のようなものに押しつぶされてしまった。つまり、芥川はエッセイを書いても小説を書いても、他の誰もが真似のできないあの文章があるからこそ芥川であり、しかもそれを文語体でも書けるのに、新しい口語体として提出しようとしてものすごく苦しんでいた。その苦しみの軌跡こそが芥川の文学なんだと橋本さんは書いている。それを読んだ時、橋本さん、自分のことを言っているのでは、と感じたんです。その上で、橋本さんは新たな口語体を創り、それを語る時に自分とは異なった者にならなければならなかった。その機微は、今度こそまさに三島の巻の解説に見事に表現されています。私も『桃尻娘』がすごく好きだったんですけれど、その物語をはじめるにあたって橋本さんは、まず最初に主人公の榊原玲奈という女子高生に成り代わって語らなければならなかった。「日本幻想文学集成」の三島由紀夫の巻で橋本さんが選ぶのが、女方を演じる六世歌右衛門をモデルにして三島が書いた「女方」です。橋本さん曰く、三島由紀夫は空っぽで、川端康成はもっと空っぽだったんだけど、ふたりの大きな違いは仮面を付けて語れるかどうかだったと(私はそう読みました)。そして三島のつけた仮面の最たるものが「女方」、男性なのに女性を演じることなんだと書いている。芥川も三島も文学の制度からはみ出している、三島は仮面をかぶってはじめて「私」を語ることができた。芥川と三島を介して、橋本さん、自分のことを語っていますよね。
高橋 まさに自分のことですよね。
安藤 『桃尻娘』の玲奈ちゃんは、よく読むと触媒になっているんです。橋本さんが、おそらくはいちばん関心を持っていたのは、木川田源一くんと磯村薫くんという後に同性愛の関係になる男の子たち、あのふたりの物語を描きたかったんじゃないでしょうか。しかも、『桃尻娘』の後に出た『愛の矢車草』(87)や『愛の帆掛船』(89)を読んでいると、男女に限らないさまざまな性愛の形が出てくる。性愛の多様性、性愛の変態性を究めようとしている。それら、あらゆる性愛を体現する者たちすべてを自分が成り代わって書いているんじゃないかとも感じます。ここで最初に戻りますが、私は当時、澁澤龍彥を読んでいたものですから、橋本治は、澁澤さんが江戸軟派文学の語彙を駆使して日本語に翻訳したサド、日本版マルキ・ド・サドを目指していたのではないかと思ったんです。フランス革命期のサドと、橋本さんの生涯のテーマである江戸後期の四世鶴屋南北とは、ほぼ同時代人ですよね。これもまた深読みではありますが、橋本さんは後に『江戸にフランス革命を!』(90)という本を書きますが、あれって……
高橋 サドだよね(笑)。
安藤 そうなんですよ! 南北とサドを一つに重ね合わせなければならない、という宣言ですよね。サドも自分の小説の中に破格の評論、奇怪な哲学論文のようなものを入れてきますよね。
高橋 入れてますねえ。
安藤 それから南北も、これもまた非常に複雑な戯曲を構築していきます。『四谷怪談』も、無頼の主人公・伊右衛門がお岩の亡霊なんかにめげないで悪を貫き通していく話じゃないですか。悪の理論家にして悪の実践者ですよね。非常にサド的です。牽強付会な読みかもしれませんが、橋本さんの中に、なんとなくサドと南北を直結させようとする意志のようなものを感じたんです。
高橋 橋本さんの本を読んで、橋本さんのことを考えていると、いろんなものと繫がってくるんですね。ぼくもサドは大好きです。彼はすごくドライな文体で、誰よりも批評的な作家であり思想家だった。批評が小説や物語を食い破っちゃう、あるいは百パーセント批評で、でも文学になり得るってものを書いた。そんなのありか!って感じすらある(笑)。少し前に斎藤美奈子さんと、女子高生を武器として使っている小説が多いという話をしたんです。太宰治が「女生徒」を書いた時には、他にやる人もいなかったから、女学生の言葉を使うと批評的に武器になった。ただ、それからもくり返されているから、斎藤さんは「使いすぎじゃない?」って言っていて(笑)。それでぼくは、なんで女子高生なのかって考えたんですね。綿矢りさの小説でもそうですけど、女子高生ってどういうキャラクターかっていうと、本人はそんなに経験がないんですよ。でも、ものすごく頭よくて批評的、観念的なんです。同じ年頃の男はっていうと、ダメなんですよ。つまり経験がなくて、そのままがっくりきて批評性を持たない。じゃあこの経験はないけど非常に観念的な存在は何かというと、実は、近代文学のインテリがそうだったんです。でも、時代が変わって、そんなインテリがいなくなり、それを女子高生が代行している。
安藤 なるほど。
高橋 夏目漱石『それから』の代助が女子高生になったと考えるとわかりやすいですよね。インテリって本来批評的な存在だったのに、今はいるだけで嘲笑されるから、小説に出てきても様にならない。批評的な強度を持たないんです。今は「JK」って言われているけど、それが橋本さんの発見した批評的装置なんです。『桃尻娘』や『花咲く乙女たち…』の主たる読者は、「女子高生」だと考えると面白い。女子高生が女子高生に話していると思うと、共有している文化について饒舌に喋っていると読める。知識人はこういったマンガを読まないから、読者じゃない。ということは、真の批評家たる女子高生に向かって女子高生が語っている形になっている。それにぼくは打たれたと思います。
安藤 当時、河出文庫の澁澤龍彥を熱狂的に読んでいた層も、ほぼ女子高生から女子大生だったと思うんですよ。あるいは大人になることができなかった少年たち。いずれも観念的な存在です。橋本さんも澁澤さんも、いわゆるアカデミズムには属しておらず、まさに「文」だけで生きた人ですよね。そして片やサド、片や南北みたいなところがあり、しかもサドも南北も女性を語り手に用いていた。男がサドを語ってもなんにもおもしろくないですよね。だから、サドはジュスティーヌやジュリエットだし、南北ならば桜姫に語らせる。まさに観念的かつ批評的な存在は女性であるというテーゼを地でいっていますよね。女性を語り手にできる幅広さと言ってしまうと少し違うかもしれませんが、それを橋本さんは新しい形で復活させると同時に、高橋さんがおっしゃったようにそこに新しい語りの可能性を見出していた。
高橋 マイノリティの語り、なんですよね。
安藤 そうです。よく「おんなこども」ってバカにするじゃないですか。でも、「おんなこども」の方が批評的な感性とそれを表現する豊かな言葉を持っているわけです。男って抽象的な論理しか持っていないので。
高橋 かつては力あったんですけどね、百年ぐらい前は(笑)。
安藤 それがもうどうしようもなくなってきた時に、橋本さんの語りが一気に出てきた気がします。
高橋 橋本さんとは何回か対談させていただいたんですが、忘れられないエピソードがあるんです。たしか対談後の雑談で、橋本さんの所に来るストーカー的なファンの話になりました。吉本(隆明)さんの所にも熱狂的な読者が来ていたみたいですが、橋本さんの所にはちょっと変わった人が来るらしくて、その中に統合失調症のストーカーみたいな人がいたんですって。橋本さん、毎回その人に付き合って何時間もずっと話していたそうです。
安藤 すごいですね。
高橋 「何を話したんですか?」って聞いたら、「その人に、自分が病気だってことを自覚させようと思って」っておっしゃった。統合失調症って、誤解を承知であえて簡単にいうと、自分のつくった言語空間に閉じ込められている人なんですね。橋本さんは医者でもないのに、そういう人をその言語の壁から出させようとしたんです。でも、橋本さんが批評でやっていることってそういうことでしたよね。橋本さんの書き方って、徹底して「説得」なんですよ。あらゆる偏見や常識をとっぱらってフラットになった状態で、一対一の人間として説得していく。「こういう言葉がありますけど、こういう意味があるんです。いいですか?」みたいにすべてきちんと説明していくから、ものすごく長くなる。説得できないであろう人をも、説得しようとし続けようとする。これが橋本さんの処方、根本ですよね。
安藤 なるほど。
高橋 普通は途中であきらめるじゃないですか、「もうやだ、ムリ!」って(笑)。通常の言語を用いるぼくらには、限界を超えて壁の向こうまで説得するのは不可能なんです。でも橋本さんみたいなクレイジーな人は、徹底的に、あるいは違う言語をつくって壁の向こう側まで行ってしまう。橋本さん以外に、そういう問題意識を持つ人はほとんどいなかった。橋本さんは晩年に長篇小説を書いたり、文学史もやるようになったけど、それまでは、いわゆるそういう普通の仕事をするまでの壮大な準備期間だったんじゃないかな(笑)。自分の読者を、自分の表現が伝わるための空間や環境、そして言葉をまずつくっていくための準備期間。つまりそれは、読者だけじゃなくて読者と自分がいる言語空間、時空間、この時空間をまず知って考えて、共通貨幣をつくるようなことに近い。数十年がかりですよね。ほとんどの作家は、ただ作品を書いているだけなのに。
安藤 そう考えるとすごいですよね……。
高橋 だから、ぼくがずっと思っていたのは、「どうして文学の関係者は橋本治を無視するんだ」ってことでした。それはほとんど憤りに近い。十年ぐらい前、ある新聞記者の人が橋本さんをインタビューするにあたって文学関係の自社記事を探したら、0件だったんだって! 0件ですよ、橋本治を文学という項目で調べると0になる。だから「文学」にとって、ずっとよそ者だったんです。
安藤 完全な異端ですよね。人に通じる言葉をつくる、というのはまさに批評の世界で吉本隆明がやってきたことですよね。あんなに難しいことを、しかも万人に向けて書いて、いまここで新たな歴史を、オルタナティヴな歴史をつくり直そうとする。そのためには、それを表現する言葉の発生と構造を徹底的に究め尽くさなければならない。『言語にとって美とはなにか』『共同幻想論』『心的現象論序説』は、そのための壮大な準備とも言えますよね。そうしなければ相手には、読者には伝わらない。そういう思いがあったのではないでしょうか。
高橋 本人たちはお互いに言及していないけど、橋本治と吉本隆明はものすごく似てると思います。
安藤 本当にそうですよね、私も橋本さんと吉本さんがやろうとしていたことは重なると思っています。橋本さんは小説も書いていますが、著作の数としては批評の方が断然多い。橋本さんがやろうとしていたのは、いま自分が話している言葉をどう相手に伝えるのかということだったはずです。先ほどお話しした芥川論に戻れば、自分は芥川のようにジャンルを超えて「文」を書けるんだけど、それだけでは相手には充分に伝わらないという実感があった。だからこそ、そのために物語と歴史をもう一度整理し直して、それから自分なりの歴史観と言語観を持って、それらを全部提示してからじゃないと読者には真に向き合えないと思っていたはずです。
高橋 かつては「知的な巨人」という存在がありました。今は分業化が進んだためか、社会から知的なものが要求されなくなって、なんでも専門家に訊くようになった。『芸術へのチチェローネ』の林達夫とか、なんといっても南方熊楠のような、ジャンルを超えて発信できる知的巨人は、戦争体験者がいなくなるのと同時に姿を消したように思います。
安藤 最晩年……というと亡くなったことを実感して悲しいのですが、最晩年の歴史小説を読んでいると、やっぱり橋本さんは、近代日本の最大の断絶は一九六八年だったと考えていたんじゃないでしょうか。『草薙の剣』でも、世代を超えた登場人物たちが、六八年に何かが変わるという地熱みたいなものを感じていたという一節があって、それは橋本さんの実感でもあったと思います。その「地熱」の在処を確かめるためにずっと書いていたところがあるんじゃないかと。
高橋 六十八年に橋本さんは二十歳ですよね。
安藤 そうなんです。二十歳に感じたことを、近代日本の全歴史的なパースペクティブの中で「自分の体験したあの年はいったいなんだったんだろうか」ということをずっと考えつづけていたように感じます。
高橋 やっぱり橋本さんって一種の「理解魔」なんですよね。なんでもわかろうとする。その正反対にあるのが、この言葉はあんまり好きじゃないんですけど……「わからなくてもいいんだ」という意味での反知性主義です。誰も巨人たり得ないし、全体を理解することなんて不可能だし、AIにまかせてぼくらは蛸壺に入ってればいい、っていうこのすごく怖い考え方に橋本さんは抵抗していたんじゃないでしょうか。橋本さんが理解魔だったのは、何かを知るのがおもしろいというより、何かを知っていくプロセスで世界が広がっていくからだと思います。どの本もそうですよ。『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』だって、橋本さんの場合は執筆の動機も三島に興味があるとか、自分のテーマに三島を使うとかじゃない。まず、「頼まれたから」なんです(笑)。次に、「三島由紀夫のことがわからないから」「興味ないから」って、これがすごい。そして、「なんで興味ないんだろう」「なんでわからないんだろう」と反転させていく。文学の世界ではいったん決着がついたはずの三島由紀夫が、ゾンビのように蘇ってくる。そして橋本さんが描く三島由紀夫はかわいくて、いきいきしているんだよね。
安藤 確かにそうです、かわいいですよね。あの本では橋本さんが三島由紀夫になりきっていて、その深層意識のいちばんの弱点を突く。三島の一番のライバルは松本清張だったというんですよね。
高橋 みごとだよねえ。
安藤 そういう断言は、他のどんな批評家にもできない。三島と清張、手法は全然違いますが、そう言われればテーマは似ているし、互いを間違いなく意識していたはずですよね。「全然わからない」と言いながら三島の中にすうっと入っていって、成り変わってしまう。そうして「俺の最大の敵は誰だろう」と考えたからこそ発見できたことなんですよ。橋本さんには、小説、批評に限らず、全世界を自分が書き進めていく一冊の書物の中に閉じ込めたいという欲望があったと思うんです。意識の発生(個人の発生)と宇宙の発生を一つに重ね合わせて、それを書物に封じ込めようとした。サドや南北の時代は、みなそう思って小説を書いていたはずなんです。橋本さんの『小林秀雄の恵み』(07)だって、小林秀雄が論じた本居宣長がテーマですよね。少しだけずれまずが、宣長もサドや南北と同時代を生きた人です。宣長は古事記という宇宙発生論を徹底的に論じている。自分はもう近世には生きられないけれど、近世を生きた彼ら、宣長やサドや南北のやってきたことを批判を含めて生き直しちゃう、そういう普通は抱かないような大それた思いを持っていたのが橋本治なんですよね。
高橋 橋本さんには、壮大な野望があったと思います。対談した時に、いろいろなタイプの人間のモノローグが出てくるけれど、どうしたらそうなれるのか訊いたんです。そうしたら橋本さん「なろうと思ったらその人になれるんだよ」って(笑)。「八十三歳老婆」とか「二十九歳結婚できないOL」にもなんでもなれちゃうから、いくらでも書けるんだって。近代文学的にはあり得ないことをおっしゃってました(笑)。
安藤 橋本さんの書き手としての重要さはそこにありますよね。三島由紀夫と橋本治は絶対に合わなかったと思いますが、橋本さんが共感しているのは「あの人は仮面つけると告白できるんだ」ということに尽きるのだと思います。そこが橋本さんの三島由紀夫論の肝であり、自由に仮面を付け替えることができる橋本さん自身の著作活動の肝でもあったんじゃないでしょうか。まさに女方のように、男なのに女になって、女以上に女になれてしまう。橋本さんが歌舞伎好きだったのも、そういうところが大きかったように思います。
高橋 それは、橋本さんが、「自分」というものをそんなに重視してないからなんですね。「自分」という大切な存在があるから、その「自分」を消すために仮面を付けなきゃいけない。でも、ここが大事なところなんだけど、橋本さんは仮面を付ける必要がないんですよ。近現代文学で一番問題なのは、「自分」に重きを置きすぎていることだから。
安藤 いま高橋さんがおっしゃったことこそが、おそらく三島由紀夫論と小林秀雄論を貫く一つの大きなテーマだったはずです。その両著に挟まれるかたちで『蝶のゆくえ』(04)に代表される小説群があります。そこに集成された小説たちは、まさにひとつひとつの小さな物語が独立していて、しかも何者でもない「私」が主人公になっている。
高橋 そうそう。以前、橋本さんとも話したんですが、実はぼく、橋本さんの小説は「桃尻娘」シリーズ以来読んでなかったんですが、「小説すばる」で連載していた『蝶のゆくえ』を久々に読んでびっくりしたんです。なんの特徴もない普通の人が描かれていて、それぞれが典型的なキャラクターだし、たいしたエピソードもないし、ときめく物語もない。それでいて、とてつもなくおもしろい。これにね、ほんとにびっくりした。近現代文学の特徴というのは、傑出したキャラクターとか、特異なキャラクターとか異常な事件とか、非典型的なこと、つまり「他には代えがたい唯一の『自分』」を描くことですよね。さっきぼくが橋本さんの文学を「近現代的にはあり得ない」と言ったのはそこなんですよ。
安藤 しかも、橋本さんが書く文学には、そうした普通の「私」が無数にいるわけですよね。
高橋 そう、無数の「特異な」人間がいるという、近現代文学がウェイトをかけてやってきたことを、橋本さんは全部取っ払ってしまった。
安藤 取っ払って、そこいらにごろんと転がっているごく普通のもの、ごく普通の人生の中にこそ無限の可能性が秘められているわけです。
高橋 ただそこにあるだけ、それがあんなに美しいものなのか……。
安藤 だから、それ以前の『愛の帆掛船』などは、きっと全部実験なんですよ。さまざまな「私」、さまざまなシチュエーションを描き尽くすという……。近親相姦、同性愛、そして異性愛。ほとんどすべての関係性を描いている。これって橋本さんしかやっていないことですよね。
高橋 壮大な準備期間があった。でも、その後たどり着いた作品群の中に、その痕跡は消えています。
安藤 先ほどの「読者をつくった」という話にも繫がりますけど、橋本さんはきっちりと段階を踏んで誰にもできない小説世界をつくったんですよ。『桃尻娘』で玲奈ちゃんの横に木川田くんと磯村くんがいた段階で、生前最後の小説『草薙の剣』(18)を予告しているようにも見えます。ただし、『桃尻娘』から『草薙の剣』まで一直線に進むのではなく、サドのようにさまざまな異常な関係性を実験してから、なんにもない普通の関係性を書くという手順を踏んでいる。おそらく橋本さんは、芥川と久生十蘭をミックスしたような世界をつくりたかったはずです。芥川というのはエッセイでも小説でも、芥川が書けば芥川の世界になってしまいましたよね。それを十蘭のように巧緻に構成し直す。さらに言えば、橋本さんはその過程で、あえて文体というものをなくしてしまった。ゼロの文体にたどり着いた。『桃尻娘』の饒舌な文体と、『蝶のゆくえ』のニュートラルな文体って全然違いますよね。
高橋 うん、一八〇度違う。だから、本当に驚くしかなかったんですね。
安藤 ここまで自分の文体を実験できる人っていないですよ。それこそが、自分を全部なくすってことじゃないですかね……。
高橋 やっぱり橋本さんは江戸の人だから、自我なんてしょうもないものに重きを置かない。だから、今でも自我の文学を主流とする現代文学は、橋本さんみたいなのを煙たがるわけ(笑)。
安藤 あれだけ書き方が変わってしまうと、みんな理解できないと思うんですよね。でも、書き方は変わるんだけど、目指しているものは終始一貫しているのが橋本治なんですよね。
高橋 ところで、橋本さんが一冊、詩の本を出しているんです。
安藤 『大戦序曲―詩集』(85)ですね。
高橋 そうそう。でもこれは……詩じゃないんだよねえ(笑)。吉本隆明は根本的に詩人の人だけど、橋本治はそうじゃないんですよね。ぼくも詩が書けないからわかるんです。批評的な部分が有り余って、どうしても詩にならない。
安藤 批評は解釈だから、テクストを編み直す必要がある。だから詩にはならないんですよね。
高橋 どこかで無根拠に言葉を信用してないと、つまり言葉へのフェティッシュな向かい合い方がないと、詩は書けないんですよね。だから本当の批評家は詩に向いてない(笑)。吉本さんみたいに詩と批評が両方できる人はまれにいるけど、チャンネルをたぶん切り替えていますよね。あるいは、島崎藤村や富岡多惠子のように、詩と別れて小説家になる。
安藤 そうしないと書けないみたいですね。橋本さん、ミステリーや伝奇小説にも挑んでいます。これらもあまり成功しているとは言えませんが……。でも、それらすべて含めて、あらゆるジャンルに挑戦する橋本治のすごさですよね。江戸時代の文人って多作じゃないですか。絵画のジャンルでいえば、北斎なども多作で多彩です。
高橋 西鶴とかもね。
安藤 やっぱり橋本さんは、江戸の人なんですよね。多作の中に、ものすごく光るものがある。
高橋 たくさん出すことの重要さですよね。さすがの橋本治でも、少数精鋭になると自我が入ってくるとわかっていたんじゃないですか。
安藤 戦後を舞台にした三部作『巡礼』(09)『橋』(10)『リア家の人々』(10)と『草薙の剣』は、小説作品ではありますが、同時に美術史(メディア史)や文学史とも交錯し合うものですよね。
高橋 うん、最終的に橋本さんがやったのは歴史なんですね。歴史を書くということ。知的巨人がいなくなったとか、すべてが断片化しているとか、これは別の言い方をすると歴史が、歴史的な感覚がなくなってきていることなんだと思います。とりわけ平成になってから、今がどんな時代なのかよくわからないよね(笑)。
安藤 ほんと、平成になってなんにもなくなりましたよね。橋本さんと高橋さんが以前になされた対談でベルリンの壁が崩壊した直後の話をされていましたけれど、壁の崩壊が八九年で、その年に昭和天皇も亡くなり昭和が終わった。壁というのはあっちとこっちとは違うんだ、という象徴でしたよね。それがなくなってしまった。
高橋 それこそが歴史が終わった後の風景なんだと思います。それをどう描くかというと、「歴史が終わった」と書くか、歴史を編み直すしかない。そして橋本さんは歴史を編み直した。橋本さんの本の登場人物が典型でしかない人たちなのになぜおもしろいのか……それは「歴史」が書いてあるからです。主人公は歴史そのものなんですね。
安藤 そうだと思います。ひとつのフラットな物語を無数に編み込み、編み直していくことによって歴史が描き直せるんだということが大きいテーマですよね。歴史って今、公の文章とそのエビデンスだけが記録されて、すべてがデータ化されようとしています。しかし、おそらくそれは真の歴史ではないはずです。
高橋 これは本当に大変なことです。歴史を失うってことは、共同体的な主体性が失われているってことだから。
安藤 『草薙の剣』は、それぞれ生年が十歳違う主人公を六人配した物語で、十年という単位で歴史を積み重ねていく小説だと思うのですが、このような方法と構成を持った小説も、おそらくこれまで誰も書いていませんよね。
高橋 小説だけど、歴史の本でもありますよね。そして、『失われた時を求めて』や『感情教育』のフローベールに近い。フローベールって『ボヴァリー夫人』も含めて、完全に批評的な小説だから、日本ではあんまり受けませんよね。苛酷なものだし、つまらない奴しか出てこないから、楽しくないと思われている。
安藤 小説自体が批評になっているので、読み手が批評できないんですよね。フローベールって『ボヴァリー夫人』と並行して、『聖アントワーヌの誘惑』という空想の怪物たちが無数に出てくる博物誌のような作品を書き続けているんです。それが両立している。小説の起源にある荒唐無稽なものを体現している。
高橋 そういう意味では、フローベールだって、いわゆる「文学」の中心にいる人たちにとっては煙たい、アウトサイダーだったわけですよ。文壇の中枢を、くだらないってバカにしていた。
安藤 プルーストの『失われた時を求めて』も、さまざまな記憶の百科全集、記憶の博物誌でもありますよね。小説の中に、香りとか色彩とか、感覚世界のすべてを入れようとしている。性愛の博物誌でもあります。サドやフローベール、さらには南北などと同様に。
高橋 当たり前ですけど、『失われた…』の主人公も時間ですよね。
安藤 そうです。博物誌は同時に自然の歴史そのものですから。
高橋 そう考えて、橋本治は誰に一番近いかっていうと、二葉亭四迷になるんじゃないでしょうか。小説書くのはつまんないとか、俺はロシア語やっていたいとか言いながら「みなさん作家でけっこうですね、ぼくは違うよ」というあの感じ(笑)、ぼくは四迷が好きなんだけど、実は四迷こそ、日本文学のひとつの中心でもあった。つまり橋本治は、本当の日本文学の中心そのものだった(笑)。
安藤 四迷は、近世のものと現代のものを繫いだ人でもありますよね。近世の江戸文学を取り入れつつ、外国語を日本語に翻訳することで言文一致を切り拓いていった。しかも、それを全部ひとりでやっている。
高橋 そう、それから翻訳者という役割がありますよね。翻訳って本当に重要な仕事で、ぼくも少しやったことあるからわかるけど、言葉への接し方が変わります。普通は母語を無限に信頼して書くけど、翻訳者になって言葉がある種交換可能なものになると、言葉の見え方がまったく異なってくるんです。言葉を疑うようになる。
安藤 橋本さんもまた優れた翻訳者です。その最初の目覚ましい達成である『桃尻語訳 枕草子』(87)は一切余計な文章を入れずに、本当に正確に、逐語的に翻訳していますよね。
高橋 訳として本当に素晴らしいよね。だって「春って曙よ」ですよ。ほぼ訳してない(笑)。この無理に訳さないっていうのも、真の翻訳者が持っている力ですよね。橋本さんは『桃尻語訳 百人一首』(03)で百人一首を現代語に訳しているんですけど、字数が一緒なんですよ。枕詞も入っているのに! もう考えられない。翻訳してない人は言葉をすごいものだって思うけど……
安藤 要するに、自我が肥大しちゃっているわけですよね。
高橋 そう、でも翻訳者というのは、言葉を即物的に見るから、ある意味野蛮な超訳ができるんですよ。翻訳は大変だって橋本さんもおっしゃってました。『窯変 源氏物語』(91‐93)を書いていた時は、ずっと平安時代に移り住んでいたから現代に戻るのが大変だったって(笑)。平安時代に行けるんですよ、橋本さんは。源氏物語の世界と現代の世界は違うものだとわかってなお行ける。行って戻って来られる。
安藤 未熟なものですが、私も多少なりとも翻訳をしたことがあります。そうした経験から言うと、橋本さんってまさに「間」だと思うんですよね。現代と、源氏や枕草子などが書かれた古代(中世)の時間と空間の間で、さまざまな言葉を発明しているんです。
高橋 発明しながら、しかも時間を超えて移動していくじゃないですか。ぼくたちは「今」に縛り付けられてしまって歴史を実感できないけど、橋本さんは言語を通してできているわけですね。
安藤 橋本さんが歴史を書く時になぜ小説という表現を選んだかというと、高橋さんがこれまでおっしゃったことが答えになると思います。つまり、歴史は今データになりつつある。そこに真の歴史はなくて、時間と空間の「間」を移動して、他の時間、他の空間を生きる他者になりきってしまうことではじめて歴史の真実に到達することができる。そのための小説なんですね。現在とはかけ離れた時代を生きている人に憑依しないと歴史なんて書けない、再構築できないってことが骨身に沁みたんだと思います。
高橋 当たり前だけど、『源氏物語』でも『平家物語』でも当時は新作だったんだから。
安藤 これもよく言われることですが、フランス語の「イストワール」という単語は、物語と歴史という両方の意味を含むじゃないですか(ついでに言うと日常の「つまらない物事」も意味します)。橋本さんが小説を書く感覚も、「イストワール」を紡ぐという感覚に近いものだったと思います。読み解くことによってそこに身を置くことができるし、他の人とまったく異なった視点から時間と空間を捉え直すことができる。
高橋 そうすれば、死んでデータになったものが生き返ってくるわけだよね。でも、本来言葉の機能ってそういうものなんですよ。
安藤 言葉の持つ二つの側面、データとして刻み込む機能とそれを物語として蘇らせる機能を一番敏感に感じてなければいけないのが、小説家や批評家だと思います。
高橋 近現代文学の罪のひとつが、「歴史小説」というジャンルをつくってしまったこと。そういうジャンルで、歴史作家がいて史料読んで書いている。それっておかしいよね。
安藤 おかしいですよね。史料通りに書かなきゃいけないんだったら、データの方が良いわけで(笑)。
高橋 近現代文学が発達する傍らで、歴史をデータにしちゃった。
安藤 そう、そこを語り直していかないと、明確で強い目的をもった歴史が正しいという精神になっちゃうんですよ。
高橋 橋本さんが歴史小説で一般人を描くというやり方は、フランス歴史学のアナール学派のアラン・コルバンにも通じてますよね。コルバンも、ある村の役所の出生記録から無作為に選んだ村人の伝記を書くということをやりました。『記録を残さなかった男の歴史──ある木靴職人の世界』ですね。
安藤 そうそう、ドラマティックなことはまったく起こらないけど、逆にそこに歴史の真実があるわけですよね。
高橋 死んだデータを蘇らせるのが歴史学だというコルバンの考え方、それって、文学の発想ですよね。
安藤 コルバンたちがやったことはまさに文学であり、橋本さんは最後にそれをやろうとしたわけです。
高橋 『草薙の剣』を平成の終わりで書いたなんて、まるで自分の最後もわかっていたような感じですよね。十代から六十代までの人物が出てくるけど、今読んでみると、橋本さんがどこにいるのかわからない。
安藤 ……たぶん、物語の内側にはいないんですよ。
高橋 書かれざる主人公だったのかもしれない。
安藤 橋本さんは物語の外側にいるんですよ。『草薙の剣』の最年長の主人公は六十代で、橋本さんはさらにその上、七十を迎えようとしていました。橋本さんは、文楽もお好きですよね。文楽って、舞台の外側にいる太夫が語ってないと何の意味もないですよね。橋本さんは物語の外側の、ちょうど太夫の位置にいたはずです。
高橋 文楽もそうだし、浄瑠璃の本も書いています。橋本さんは、ぼくたちが捨ててきたものを全部ひとつずつ拾って、まとめあげて、編み直して……
安藤 新しいものにした。
高橋 うん、読めるものにして手渡してくれたんだよね。別に情報として新しい何かが加わったわけじゃなくて、解釈し直したものを。
安藤 その解釈し直すことこそが批評なんだと私は思っているんです。橋本さんは、なによりも批評を実践した。批評して、つまり解釈し直して、言葉によって新しい世界を広げることを目指していたんだと思います。
高橋 ぼくは、橋本さんの『完本チャンバラ時代劇講座』(86)が本当に好きなんですが、何がすごいって、ぼくはチャンバラになんの興味もない。だから出た時は「えーなに?」とか思ったんだけど、食い入るように読んだ。それで、まったく自分に興味がないものをこんなに感動的におもしろく読ませるのってどういうことだろうとしばらく考えました。橋本さんは、究極的にテーマはなんでもいいんですよね。人が何に興味をひかれるとか、好きなものとどういう関係を取り結ぶとか、あらゆるものに通底する批評的な姿勢をただチャンバラを使ってやっただけ。本人もチャンバラは好きだったみたいだけど。で、ぼくも読み終わったらチャンバラ好きになってた(笑)。こんな素晴らしいことはない。
安藤 どの本もそうですよね。もうひとつ、橋本さんってさまざまな文体の実験をしているけれど、同時に言葉で情景を浮き上がらせることが抜群に上手い人ですよね。フローベールみたいな濃縮された描写ではなくて、ものすごくシンプルな言葉が並べられているだけなんだけど、そこに絵が見える。
高橋 抽象的で観念的というわけでもないんですよね。そこが橋本さんの編み物にも繫がる気がする。
安藤 そうそう、具体的ですよね。
高橋 ぼくは、編み物の本も買いました。まったくやらないけど(笑)。
安藤 チャンバラに興味がない人にも、編み物にも興味がない人も読める本をつくる人だったんですよ。
安藤 橋本さんの小説が、高橋さんの書き方に影響を与えたことはありますか?
高橋 ぼくは『日本文学盛衰史』からいわゆる歴史小説を書き始めて、いま「ヒロヒト」という作品を「新潮」で書いていますが、歴史小説の文体は即物的で、遠くから見ているような形であればいいなと思っているんです。橋本さんの文体はすごい影響力あるから、受けないようにしてる(笑)。
安藤 なるほど(笑)。
高橋 ひとつひとつの文章を短くして、事件もなく内面も簡単にずーっと流れて単純に書いている。そうすると気持ちがいいんです。
安藤 『桃尻娘』であれだけ意識的かつ技巧的に書いていたのに、『草薙の剣』は空気みたいな無作為な文章ですもんね。
高橋 橋本さんが「ちくま」(二〇一八年七月号)に「平成の末期に平成を代表する人たちが死んでいっている」というようなことを書いてたんです。
安藤 予言的ですね。
高橋 昭和の終わりには、手塚治虫と美空ひばりが亡くなったという話も書いてありましたが、まさか橋本さん本人がそこに加わるとは……。
安藤 純文学の賞をとったのは、『草薙の剣』が初めてですよね。
高橋 すごく良かったと思います。つまり、純文学、あるいは日本の近現代文学はずっと橋本治を拒否していたけど、最後にひれ伏した。昭和を総括する小説だから、認めざるを得なかったと思います。歴史家の言葉でなく、事実だけを書くのでなく、世界を再現して、しかも解釈が入って、そこに昭和という像を提出するのが作家の仕事だとしたら、一番きちんとやったのは橋本さんだから。もう全文学界を代表して、お礼を申し上げるしかない。
安藤 そうですね。橋本さんは、さまざまなことをやった人だと思われていますけれど、順番を踏んで自分の文体を変えながら見事に日本の歴史そのものをつくり直した人ですよね。
高橋 橋本さんは『広告批評』の創刊号から最終号まで、ずっと巻頭を書かれていましたよね。いつも、ああでもない、こうでもないって、結論が出ない話を書いていた。広告コピーというのは、戦後の豊かな日本を支えた言葉のひとつの典型です。「サブカルチャー」という言葉がある時期からよく使われるようになったけど、そのひとつの拠点であり最先端の場所が『広告批評』という雑誌で、橋本さんはその雑誌の巻頭で時代をずっと考察していた……。
安藤 浮世絵って、あんなものはオリジナルな絵画じゃない、複製可能なまさにコピーだからという理由で、日本が近代になった時に捨てられちゃいましたよね。だけどそこに描かれているもの、その描き方、見せ方の技術の方が問題なんだということで、ヨーロッパという外部を経由して芸術の王道に返り咲いた。なんとなく、橋本さんの今後の評価も、そういった運命をたどるんじゃないかと感じています。
高橋 橋本さんはサブカルチャーの人だって言われてるもんね。
安藤 サブカルチャーの方が時代の刻印を押されている。だからこそ、メインストリームでは不可能な実験ができたんだと思うんです。だからこそ、北斎だって、御用絵師たちには許されない奇想天外なことをやれたわけじゃないですか。そこに時代を揺り動かす力が秘められていた。
高橋 百年経ってわかるわけだよね。
安藤 ひょっとしたら橋本さんも、後世の歴史家たちが、われわれの時代であるこの五十年ぐらいを再検討する際に「やはり橋本治が書いたものを読まないとダメだ」みたいな感じで帰ってくるんじゃないでしょうか。
高橋 これほど幅広く仕事した人はいないですからね。ジャンルを横断すれば話が尽きないけど、翻訳ってことでいうと、源氏や『双調 平家物語』(98‐07)に至るまで、橋本さんの歴史感覚って千年単位なんです。橋本さんの中では、清少納言も紫式部も同時代人ですよ。自分が訳している相手の机のところまで行って、同化しているんです。だから「春って曙よ」になる。学者や、普通の翻訳家だと「解釈」になるけれど。
安藤 そう、普通は「春は曙がよい」となりますよね。でも、「よい」とかそういう評価は原文でも言っていない。だから橋本さんは「春って曙よ」とするんです。価値判断は読めば一目瞭然ではないか、と。
高橋 現場まで行ってその世界に入る、それを千年の時間で橋本さんができるってことは大きな希望ですよね。ぼくたちもじゃあ百年、二百年と跳んで、そこに立つことができるかもしれない。「歴史は失われていない」ということをずっと言おうとしてたんじゃないのかな。平成には歴史がなかった。時間がなくなるという経験をぼくたちがしている今こそ、橋本治ですよね。
安藤 平成の間、橋本さんは基本的には歴史を書き続けていたんですよね。
高橋 抵抗するようにね。
安藤 歴史的な感覚が無化されちゃう時代にあえて源氏物語や平家物語に取り組んでいた。しかも『双調 平家物語』は平家を飛び出しちゃいますからね(笑)。本当にこの三十年間、橋本さんは時代の流れに抗いながら歴史をつくり直してきた気がします。
高橋 橋本さんの源氏と平家は、まさに『失われた時を求めて』だよね。
安藤 確かにそうですね。
高橋 近現代のシリーズは『感情教育』で……そういう風に考えると世界文学の人ですね。
安藤 翻訳を介して生まれてくるものこそが、世界文学だと思うんですよ。「アメリカ文学」や「フランス文学」のような国単位の歴史に分類されるのではなくて、その「間」に生まれてくるものですよね。橋本さんは外国語の翻訳はしなかったかもしれないけれど、考えてみたら最初から最後まで翻訳をし続けてきたんですね。晩年の仕事のひとつに、「落語世界文学全集」があります。私たちが読めるのは「ハムレット」の落語版『おいぼれハムレット』(18)と、未完となった「異邦人」ですが、まさに近世と近代、江戸と世界、時間と空間のハイブリッドですよね。
高橋 やりたいことは明確だったと思います。近現代文学の主流から橋本さんは無視されるんだけど、結局最初から近現代文学をやってました。落語だって、日本の口語訳文のルーツが圓朝であることはよく知られています。
安藤 最初からど真ん中ですよね。
高橋 世界文学っていうのは単なるナショナルな文学の集合体じゃない。ゲーテは「国民文学を超えたところに世界文学はある」と言っています。他者の言語を翻訳という操作を通して知ることで、交配、ハイブリッドが起きる。翻訳したものは元の国の文学でもないし、翻訳された国の文学でもない、なにか中間的なものが生まれるんですよね。
安藤 悪い意味で言うと雑種なんですけれど、雑種こそが新しいものを生むわけですよね。どこにも属することのない新しいものを。だから雑種ばっかりですよね、橋本さんが生み出したもの(笑)。
高橋 ひと言で言うと「雑然」。
安藤 雑誌もまた「雑」なメディア。雑なものこそが新しいんですね。
高橋 走りながら書き捨てていきましたよね。ぼくらも負けないで、走りながら書き捨てていきましょう。
(二〇一九年三月十九日)
(たかはし・げんいちろう/小説家)
(あんどう・れいじ/文芸評論家)
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登録はこちら1948年東京生まれ。東京大学在学中、駒場祭のポスター「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」で話題を集める。イラストレーターとして活動中の1977年に小説『桃尻娘』が小説現代新人賞佳作となり作家デビュー。以後、小説・エッセイ・古典の現代語訳・批評・戯曲などあらゆる分野で、40年にわたり八面六臂の執筆活動を行う。この講義に関連する著作としては、『日本の女帝の物語』(集英社新書)、『双調平家物語ノート1 権力の日本人』『双調平家物語ノート2 院政の日本人』(ともに講談社)などがある。2019年1月29日没。