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KPIや目標値はいらない。認定NPOグリーンバレー理事の大南信也氏が語る神山流の「地方創生」とは - 日本を変える 創生する未来「人」その6

2019.10.25

Updated by 創生する未来 on October 25, 2019, 20:49 pm UTC

地方創生のロールモデルとして、脚光を浴びてから10年経つ徳島県神山町。その契機は「ITベンチャーが徳島の山奥の町に続々とやってきた」というNHKの報道によるものだった。それ以降、神山町の成功をみた全国各地の自治体が、サテライトオフィスを利用した企業誘致合戦を始めるようになった。とはいえ、いくら自治体が笛を吹けど、なかなか企業が踊らず、という声も多く聞かれる。そこで第6回の創生する未来「人」では、「地方創生の聖地」とも言われる神山町で、移住促進や企業誘致を推進してきた認定NPO法人グリーンバレーの理事(神山高専担当)の大南信也氏に話をうかがった。

ローマは1日にしてならず、神山の創生は10年にしてならず

今回の取材のために指定された場所は、公民館にあたる「神山町農村環境改善センター」の1階。実は、ここに数多くのITベンチャーのサテライトオフィスを神山町に誘致してきた認定NPO法人グリーンバレーがある。そこで神山町再生のキーマンである、理事の大南信也氏が出迎えてくれた。

▲神山町農村環境改善センター。2007年に指定管理を受けたのを機に、この施設がグリーンバレーの事務局になった。

同氏は、米スタンフォード大学の大学院に留学した経験もある超エリートだ。お会いするまでは、どちらかというと強いリーダーシップのもと、仲間をぐいぐいと引っ張っていくようなイメージを抱いていたのだが、実際にはそういった人物像とはまるで違っていた。気負いがなく、オープンで、本当に好きなことを自然体で楽しめる印象だった。

1979年に神山町で家業の建設会社を継ぐために留学から戻った大南氏。そんな同氏が、後に気心の知れた仲間たちとグリーンバレーを立ち上げる伏線となる出来事が起きたのは、いまを遡ること約30年前、1990年のことだ。当時、地元の神領小学校の廊下にポツンと置いてあった外国人の女子の人形との出会いが始まりだった。

この人形は、1927年に米国から日本の小学校に贈られた12,739体の「青い目の人形」の1つだった。世界大恐慌が始まる少し前に、米国で日本移民の排斥運動が起き、日米関係は悪化の一途をたどっていた。それに心を痛めた親日家の宣教師が親善の証に、この人形を日本に送ろうと呼び掛けて実現したものだ。

この経緯を知った大南氏は、人形の里帰り計画を練った。人形に付帯してあった送り主のパスポートを手掛かりに、米国の親族までたどり着いた。そこで1991年に「アリス里帰り推進委員会」を立ち上げ、仲間ら30名の訪問団と人形を返しに行ったという。翌年には国際交流団体の「神山町国際交流協会」が結成され、大南氏を理事長とし、訪問団のメンバーであった佐藤英雄氏、岩丸潔氏、森昌槻氏らで、民民による国際交流の素地ができあがったのだ。

この4人が中心となって、2004年に神山町の地方創生を主導するNPO法人のグリーンバレーが立ち上げられた。緑に囲まれた神山町なので、シリコンバレーにあやかって名付けられた名称だ。

大南氏は「自分はラッキーやった。僕の弱点は仲間が誰でも知っている。前に進むことは得意やけど、後の手入れは得意やない(笑)。開拓するけれど、うまく行き始めたら、もう面白くなくて、もっと違うことをやりたい。すると、それぞれの局面で一番ふさわしい仲間がスーと立ち上がり、なんとなく全体をリードしてくれる。だから僕は好きなことだけを、好きなだけやれるんや」と屈託なく笑う。

▲認定NPO法人 グリーンバレー 理事(神山高専担当)の 大南信也氏。神山創生の立役者の一人だ。

大南氏にとっては、神山の創生事業は仕事というよりも、あくまで「趣味の延長」という感覚だった。だから、この取材でも気負いは微塵も感じられなかったのだ。「好きでゲートボールをやりよる人に、なんでゲートボールやるのか? とは誰も聞かない。ただ単に楽しいからやっているだけ。 グリーンバレーもまったく同じこと」と語る。

アーティスト・イン・レジデンスからワーク・イン・レジデンスへ

話を元に戻そう。人形の里帰り計画に端を発した国際交流の一環として、1990年終盤から2000年代にかけて、神山町は国際芸術村として「アーティスト・イン・レジデンス」を始めた。日本だけでなく、海外からもさまざまなジャンルのアーティストを招聘し、神山に2ヵ月ほど滞在して、作品を制作してもらうというアートプログラムだ。

実は、これが現在の神山町の成功を手繰り寄せる糸になった。神山町は、世界中からアーティストを招聘し、よそ者を柔軟に受け入れてくれるオープンでフラットな地域に変化していったのだ。国際芸術村としてうまく動き始めたころ、ちょうど神山町が移住交流支援をスタートさせ、その業務をグリーンバレーが委託することになった。

その少し前の2005年9月に、神山町全域に光ファイバー網が敷設されることになり、これをチャンスと捉えた大南氏は、神山町のアートプログラムを発信するWebサイト「イン神山」を作る計画を練っていたという。そこで四国経済産業局の知り合い経由で紹介してもらったのが「働き方研究家」である西村佳哲氏だった。

▲アートだけでなく、手に職を持つ移住者を神山に呼び込むための情報発信サイトとして機能した「イン神山」。

大南氏は「彼はアーティスト・イン・レジデンスのことをよく知っとって、神山のような片田舎のアートプログラムを面白いと感じてくれる人やった。普通の人とちょっと違う感覚を持っていたので波長があった」と回想する。その西村氏による協力のもと、2008年にイン神山のWebサイトがオープンした。

さらに西村氏は、イン神山をアートだけでなく、手に職を持つ移住者を神山町に呼び込むための情報発信サイトにして、次の一手となる「ワーク・イン・レジデンス」というコンセプトを打ち出した。つまり、これが神山町をアートからワークへと、ワーカーも含めて多くの移住者を呼び込む流れになり、2010年からのサテライトオフィス誘致への萌芽となったのだ。

もう1つ、サテライトオフィスが始まる決定的な呼び水となる出会いがあった。もともとア―ティスト・イン・レジデンスは著名な作家でなく、ジャンルフリーの若手作家に門戸を広く開いていた。このプログラムに注目していたのが、当時ニューヨークに在住していた建築家の坂東幸輔氏だった。

同氏は東京藝術大学を経て、ハーバード大学で修士を取った優秀な建築家だったが、リーマンショックの煽りを受け、現地での就職が困難になっていた。そこで神山町のアーティスト・イン・レジデンスに参加し、自分の作品を残すことで、何か活路を見出そうと考え、神山町に訪れたのだ。大南氏は当時の様子を次のように振り返る。

「彼にはこう言ったんや。グリーンバレーには、アンタほどのキャリアを持つ人に見合うような仕事がない。そのうちリーマンショックも落ち着くはずやから、いったんニューヨークに戻ったほうが良いと。そういって一度はお断りしたんやけど、彼が2010年に藝大の助手に抜擢され、それならば学生や院生と夏休みの間に神山の空き家の改修でもやらんか、という話になりました」(大南氏)。

そして彼らは翌年に「ブルーベアオフィス神山」を完成。この仕事は坂東氏と、同氏の仲間で建築家の須磨一清氏らが手掛けたものだ。不思議な縁だが、須磨氏の大学の同期が神山町に初めてサテライトオフィスを置いたSansanのCEO、寺田親弘氏だった。こうやって坂東氏や須磨氏から連なる縁の糸から、サテライトオフィスの事業が繋がっていったのだ。

「これらは、まったく予期しない出来事。ただ自分は、いま起きていることをどう面白く展開するか、その道筋を考えてきただけ。意図的なものでなく、自然な流れのなかで、あたかも小さな雪玉が転がって、いろいろなモノを付けながら、だんだんと大きくなっていたという感じやった」(大南氏)。

風向きが大きく変わった!全国ネットで放映された片田舎の神山

地方で創生事業に関わる人は、必ず何がしかの成果を求められることが普通だろう。自治体からヒモ付きの補助金が与えられれば、ある意味では当たり前のことだ。だが、最初から目先の成果を追って、見かけだけのモノを急いで作り上げても、すぐに瓦解してしまう。やはり土台となる礎から地道に積み上げていかねばならないのだ。

「自分たちにとって、地域づくりは仕事ではなかったので、何も成果を求められず、特に期限もなかった。ゆっくり物事を積み上げたら、結果的に揺るぎないものができた。これがグリーンバレーの価値なんやと思う。僕からすれば、サテライトオフィスを誘致すれば地方創生がうまく行くとか、そんな簡単なもんやない。本当の価値を生むには、普通では見えないことに気づいてくれる企業や人が必要。そういう人たちならば、神山と一緒になって多様な価値を作り上げてくれる」(大南氏)。

その神山町の見えない価値を初めて見い出してくれたのが、前出で触れたSansanの寺田親弘氏であった。同社は、名刺管理のクラウドサービスを主軸にビジネスを展開し、先ごろ一部上場を果たした新進気鋭のITベンチャーだ。Sansanとの出会いは、大南氏にとって非常に大きな出来事だった。先ごろ神山町に私学の高等専門学校をつくる計画が持ち上がったのも、寺田氏の熱い想いからくるものだった。

このSansanが神山町にサテライトオフィスを置いたのが2010年。次に2社目のダンクソフトがやってきたのが2011年。その年の12月にNHKが満を持して、神山町を全国ネットで報道した。神山町が全国区に躍り出た瞬間だ。この報道を契機に、新しい働き方を模索する企業から注目を浴びるようになったのだ。

やがてサテライトオフィス誘致のツアーも行われ、視察者が次々と神山町にやってくるようになった。移住者が宿泊できる施設「WEEK神山」なども建ち、グリーンバレーも最重要拠点としているインキュベーション施設「神山バレー・サテライトオフィス・コンプレックス」を2013年に開設した(詳しくは別稿「徳島県神山町はいかにして『地方創生の聖地』になったのか」)。

大南氏には、Sansanの寺田氏と同様に強い影響を受けた人物がいる。神山町で南仏料理レストラン「カフェ オニヴァ」を共同運営している齊藤郁子さんだ。彼女は以前から神山町に通い詰めていたそうだが、イン神山で空き家の良い物件を見つけたことを機に、Appleの社員という立場を捨て、神山町にやってきた移住組だ。2013年に南仏ワインの買い付けをしていた知り合いと共同でビストロを始めたのであった。

▲大南氏が大きな影響を受けたという南仏料理レストラン「カフェ オニヴァ」の齊藤郁子さんとその馬。かつてAppleで働いていたという。後述する「神山まるごと高専」設立準備委員会のメンバーも務めている。

大南氏は「"幸せとは一体何か?" ということを、僕に一番よく見せてくれるのが彼女なんよ(笑)。自分に対する向き合い方が真っ直ぐで、原点に立ち戻って忠実に行動するだけやなく、何事に対しても常にスクっと立ち上がれるような人。僕らがいろいろなことに揉まれても、ああやっぱりな、もうちょっとスッキリと健やかに物事に向き合わなければいかんと思わせてくれる人なんよ」と評する。

実はインタビュー後に、ほんの少しだけ齊藤さんに会う機会を得た。まったく偶然のことだったが、彼女が淡路島から馬の親子を引き取り、神山町に連れてきた夕方のことだった。「なぜ馬を飼おうと思ったのですか?」と訊ねると、「飼いたかったから」とシンプルな答えが返ってきた。そう、彼女にとっては、馬を飼うことに特別な理由なんていらなかったのだ。そこで初めて愚問であったことに筆者も気がついた。

▲淡路島から齊藤さんが連れてきた親子の馬。緑あふれる神山町で牧場をやりたかったという。写真は、馬と戯れる大南氏。

「日本人を見ていると、ほとんどの人が幸せになりたいというけれど、幸せは"なるもんやなくて感じるもんや"と。いくらちっぽけなことでも、本人が幸せと感じられたら、それが一番の幸せなんよ。神山の移住者には、そういう考え方を持つ人が多い」(大南氏)。

グリーンバレーの合言葉は「やったら、ええんちゃうん」だ。可能性をつぶさず、まずやってみる。できないことの理由をあえて探す必要はない。できることにコミットするだけだ。たぶん神山町のほとんどの移住者は、自分たちの価値観やライフスタイルを許容してくれる、この緩やかでオープンな雰囲気の神山町に惚れ込んで集まってくるのだろう。

アート、ワークの次は教育へ。未来を紡ぐ人材を育成

このように移住者が増え始め、IT企業を中心にサテライトオフィスや新しい店などが続々と置かれて活気づいてきた神山町だが、まだ大きな課題も残っている。それは人材の育成だ。一時期、消滅可能性地域として危ぶまれていた神山町だが、未来に向けて持続的に進んでいくためには、やはり最後は人の力が必要なのだ。

そこで先ごろ大南氏やSansanの寺田氏らは、神山町に私学の高等専門学校を作るプロジェクトを開始することを発表した。もし、これが実現すれば20年ぶりに新しい高専ができるそうだ。この計画は、もともと寺田氏が熱望していたもの。神山町に来た同氏が、当初から大南氏に常々と語っていたことだった。

▲プレス発表会の模様。左から電通エグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクター 国見昭仁氏、Sansan CEO 寺田親弘氏、認定NPO法人グリーンバレー理事 大南信也氏、神山町商工会会長 佐藤英雄氏、神山町長 後藤正和氏(写真提供:Sansan)。

「寺田さんは、Sansanが上場を果たしたらエネルギー関係の新事業と教育関係をやりたいと以前から話していた。だから学校を作る計画はポッと出たものやない。ただ地域の事情を考えると、中高一貫校は町民には受け入れ難い。1学年に20数名しかおらん公立中学校やから、私立に生徒が取られると公の教育が成立しなくなる。ほやけど高専ならば逆に進路の選択肢を広げるのではないかと」(大南氏)。

Sansanの寺田氏はプロジェクトの発起人として、数億円の私財の一部を寄付してまでも高専を作ることに情熱を燃やしている。すでに高校の名前も決まった。「神山まるごと高専」というユニークなものだ。

▲高専の希望予定地として挙げられている神山中学校にて。すでに校舎は耐震補強済で、建物を居抜きで使うため、プロジェクトの概算は約10憶円ほどで済むという(写真提供:Sansan)。

高専の名称から、何が「まるごと?」と疑問に思われるかもしれない。

名称にはこんな意図がある。神山町で一番の特色を出せるとすれば、それはキャンパスが学校に留まらず「町全体」になること。学んだことが机上の空論で終わらず、神山町を「まるごと実践の場」に活用できる、ということだ。まだカリキュラムは決まっていないが、もちろん構想には農業体験なども入るという。これに高専のAI、IT、ロボットといった先端技術と融合させ、新たなものを生み出そうと考えている。

生徒は、全国の都道府県にちょっと変わった子が一人でもいれば、40名のクラスができあがるだろう、と見込んでいる。もし子供たちが卒業して全国に散らばっても、大南氏はそれで構わないと割り切っているようだ。

「たとえ彼らが神山から風のように吹き抜けても、風がずっと吹き続けることが、最終的に地域に価値を生んでいく。県や町としては、もちろん神山に残ってもらいたいという気持ちもあるんやろうけど、そこまで窮屈に考える必要もない。地域へのメリットは、すぐに出てくるもんやないし、時間もかかる。短期的な効果を求めず、じっくりと腰を据えてみんと」(大南氏)。

神山まるごと高専プロジェクトは、2023年4月の開校に向けて準備が始まったばかりだ。つい先日、学校長の公募も発表された。どんな学校ができるのか楽しみだ。本プロジェクトの今後の行方については、「創生する未来」でも引き続き注視していきたいと考えている。

緩やかな形で自然に物事を進める神山流の地域創生アプローチ

今回の取材で強く感じたことは、人と人の「つながり」や「縁」のような見えない糸が、神山という町を動かしているということだった。この連載の第3回目に登場いただいた、サイボウズの中村龍太氏が語っていた「エフェクチュエーション」の手法が、地方創生の聖地ともいえる神山町でも当てはまるような気がした(詳しくは別稿「分人主義とエフェクチュエーションの手法で、パラレルワークを成功に導く『複業のパイオニア』」)。

自分が何者かを知り、誰とつながり、そして何ができるのか。さらに自分が持つ世界観や想いをコミットできる人と一緒に行動を起こしていく。やがて、その周りに共感者が自然に集まり、結果的に自分たちがやってきたことも意味づけてくれる。簡単にいうとエフェクチュエーションとはそんなアプローチなのだが、これに関しては、また別稿で掘り下げて紹介する予定だ。

最後に、大南氏が寺田氏に語ったエピソードで第6回の連載を締めたい。これは大南氏の信念でもある重要な考え方が含まれているからだ。

「寺田社長が初めて神山に訪れたとき、地域貢献したいと切り出したんやけど、そんなことは一切考える必要はないと。むしろ我々にSansanの本業が神山で成立することを、しっかりと見せてほしいと言ったんよ。そうすれば地域貢献なんて小さな話やなく、寺田さんが日本を変えることになるはずやから」(大南氏)。

地方に企業が入ってくると、どうしても受入れ側は地元貢献の話をしたがる。それは仕方がない。しかし才能を持った人たちが、本当に根付いてくれるなら、それが一番の貢献であり財産だ。大南氏は、サテライトオフィスも企業誘致ではなくて、「人材誘致」という見方をしている。Sansanのように多くの技能を持つ移住者がやって来て、その噂を聞きつけた企業がさらに多様な移住者を呼んでくる。そういう良い循環が生まれていくのだ。

しかし最初からKPIや結果だけを求めると、自由な発想は出てこない。それが目的化して、未来の可能性さえも潰してしまうのだ。もっと緩やかな形で、人と人が縁という糸を紡ぎ合いながら、ゆっくり自然に物事が進んでいくのが、まさに「神山流の地方創意のアプローチ」なのだろう。我々に地方創生に関する多くの気づきと反省を与えてくれた認定NPO法人グリンバレー理事の大南信也氏を、創生する未来「人」認定第6号とする。

(インタビュアー:伊嶋謙二 執筆:井上猛雄 写真:新田佳宏 編集:杉田研人)

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