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エリートと教養5 文系と理系

エリートと教養5 文系と理系

2020.05.26

Updated by Yoichiro Murakami on May 26, 2020, 14:55 pm JST

高等教育を文系と理系に分ける、という制度上の仕組みは、日本ではすでに戦前からありました。旧制高等学校は、本来は大学予備門の役割を果たす組織として発足しました。つまり、今の高等学校と違って「高等教育に準じるもの」という位置づけであったことになります。一八八六年に高等中学校という呼称で始まったものを嚆矢とします。

エリートと教養5 文系と理系

頭初は、一部(法、文)、二部(理、工、農)、三部(医)という区分けがあったようです。ここでもすでに、文系・理系への振り分けが制度として始まっています。その後、学制の改革が重なりますが、一八九四年に高等学校大学予科と名称が変わり、さらに一九〇一年になって単に高等学校となります。そこでは、文甲、文乙、文丙、理甲、理乙、理丙という組織上の区別がありました。

甲、乙、丙は、習得する外国語の区別と並行しており、それぞれ英、独、仏に相当しますが、理乙は医学関係で使われる言語がドイツ語を主とするところから、事実上医学、薬学、農学を専攻しようとする学生のための組織でありました。つまり、高等教育における文系と理系の峻別は、日本の高等教育とともに始まり、牢固として今日に至っていることになります。

それどころか今では、中等教育に属する高等学校の段階で、すでに理系と文系の分離が行われています。生徒たちも、そうした制度上の分離を、自身の本質的な特性の差異と見なして選択するような習慣に、早くから慣れてしまっているのが通常です。そのメルクマールとなるのが、数学への距離である、というのも常識のようです。数学が良くできるから理系へ、数学が嫌いだから文系へ、というわけです。

全く余計なことかもしれないことを敢えて付け加えます。東京大学では、構造が大学院組織を主体としているので、大学院での話として書きます。東京大学での数学専攻課程は、理学系からも、工学系からも絶縁して、独自の課程を建てています。つまり数学は、理工系の主人でも召使いでもないという主張を鮮明にした結果でしょう。

話を戻します。旧制の教育制度においても、すでに見たような文系・理系の区別は、ほとんどアプリオリに存在していましたが、それが人間一人ひとりの本質的な特性の差異である、という意識は、学生たちの間にはなかったように思います。といっても、私は、旧制度を経験しているわけではなく、自分の親の世代のことから類推するのみなのですが。

父親は一九〇一年生まれの医師、大正時代に高等学校(理乙)を経験した人でしたが、その頃の友人たちと集まって話すことは、カントだったり、ニーチェだったり、ドストイェフスキーだったり、トマス・マンだったり、集めたレコードで聴く音楽は、ベートーヴェンだったり、フランクだったり、ストラヴィンスキーだったり、およそ「理系」らしからぬ話題ばかりだったようです。彼らはドイツ語組ですから、愛読するのは岩波文庫のモデルになったレクラム文庫でしたが、父親の蔵書として残っている膨大なレクラム(当時のことですから、うんざりするような読み難い髭文字のドイツ語ですが)の大部分は、文芸書(それも、ドイツは勿論ですが、ロシアやフランスの作家たちの作品の翻訳も多数に及んでいます)の類でした。

父が小・中学生であった私に読ませた書物といえば、漱石は別としても、文芸では上記のドストイェフスキーやマンはもちろん、トルストイ、ロマン・ロラン、ルソー、マルタン・デュ=ガールなどなど、さらにデカルトの『方法序説』であり、カントの『第一批判』であり、ポアンカレの『科学と方法』であり、ハルナックの『基督教の本質』であり、アーレニウスの『史的にみたる科学的宇宙観の変遷』であり、倉田百三の『愛と認識の出発』であり、徳富蘆花の『自然と人生』であり、幸田露伴の『五重塔』であり、、、。判っても判らなくとも、とにかく読め、でした。

お判りの通り、すべて岩波文庫(今では新訳に改稿されているものもあります)、文理ごちゃごちゃの、すべて今でも書棚に残っている、我が青春の残骸です。無論、父はすべて自分で読んでいたはずですから、医師を目指す上で制度上は一応「理系」にいたとしても、背後にある文化的な枠組みは、理系と文系などという区分はまるでなかったとしかいいようがありません。そして、このような傾向は、私の父親個人のものではなく、父親の世代の高等教育を受けた人間に共通する特性であった、と私は確信を持っていうことができます。

しかし、父親から「教養」というような言葉は一度も聞いたことがありませんでした。つまり、現代において文系・理系の分離を問題にしようとする際に、ほとんど常に背景となるのは教養という視点、あるいはリベラル・アーツという視点なのですが、かつて旧制の現場では、教養というような概念が意識的に課題化されてはいなかった、と考えられます。勿論、私たちは「大正教養主義」という概念を持っています。しかし、教養という言葉が普通の辞書に現れるのは、もっと後の話です。しかも、最初のうちは、「教養」というのは文字通り「教え養う」ことだったようです。例えば木下尚江のある小説の一節、「実子として教養してくれ」と良人が、外にできた子供の養育を妻に依頼する場面、などがその用例でした。

これは正確な根拠があっての話ではありませんが、ドイツ語の<Bildung>の訳語として「教養」が使い始められたのが、現代的な意味での「教養」の用法が普及していくきっかけだったのでは、と私は推測しています。

しかし、考えてみると、ヨーロッパ本来の<artes liberales>(ラテン語)あるいは<liberal arts>(英語)も、三学と四科に分かれ、三学は人文系、四科は自然系という特性であるということも可能です。人間を対象にした知的探求と、自然を対象にしたそれとの間には、自ずから基本的な差異が生じるのは、別段批判すべきことではなく、まして非難の対象になることではないでしょう。

だとすれば問題は、文系と理系の区別・文理ではなく、むしろそうした系を固定化し、専門化することにあるのではないでしょうか。つまり、「教養」という現代における概念が主張しようとするのは、よくいわれる「文理融合」なのではなく、「反専門化」というべきなのではないでしょうか。

エリートと教養5 文系と理系

専門化という日本語を英語にしようとすると、実に多くの言葉が頭に浮かびます。最も安直な答えは<specialization>でしょうか。思いつくままに挙げてみましょうか。<compartmentalization>、<expertization>、<twiggism>などというのもあります。少し意味がずれますが<trivialization>も類似の概念です。

このような専門化現象と対立するのが教養主義と考えれば、現在文科省でも真面目に考慮され始めている「後期教養教育」という概念も素直に理解できます。つまり、大学院においても、あるいは大学院だからこそむしろ、教養教育、つまり専門の領域だけに視線を固定してしまうことから抜け出すための教育が必要である、という考え方です。

重ねて書きます。問題は文・理の乖離というよりは、極端な専門化現象にこそあるのではないでしょうか。

ただ、現実の制度の問題に戻れば、一人の人間が十五歳くらいの年齢から先、高等教育を受けても、理科系の学問に一切関わりを持たずに社会に出ていくというのは、非常に偏頗な状況であることは確かです。高校一年生で理科に見切りをつけた若者にも、理科的な「教養」を培う機会を用意しておくことは、社会として絶対に必要なことだと思います。同時に理科系を選択した若者にも、人間とは、社会とは、といった問題を考える機会を用意することも、決定的に重要だと思います。

つまり、自然科学から制度上切り離されてしまった若者たち、人間・社会から制度上切り離されてしまった若者たち、彼ら双方を何らかの形で「救済」する方法を、制度が提供することは、私たちにとって喫緊の課題であることになります。

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村上 陽一郎(むらかみ・よういちろう)

上智大学理工学部、東京大学教養学部、同学先端科学技術研究センター、国際基督教大学(ICU)、東京理科大学、ウィーン工科大学などを経て、東洋英和女学院大学学長で現役を退く。東大、ICU名誉教授。専攻は科学史・科学哲学・科学社会学。幼少より能楽の訓練を受ける一方、チェロのアマチュア演奏家として活動を続ける。