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デジタル アーキテクチャ 跳躍 イメージ

DXとはデジタルによるアーキテクチャの書き換えのことである

2020.07.01

Updated by Shigeru Takeda on July 1, 2020, 12:44 pm JST

デジタルトランスフォーメーション(Digital transformation;DX)が何を意味するのか(注1)については議論百出という状態が長らく続いているが、これを最初に提唱したエリック・ストルターマンの論文(Information technology and the good life)が2004年のものということもあるので、ここでの彼の想いを詮索することは、さほど重要ではない。

そもそもこの論文、「情報通信技術が人を幸せにしたとは言い難い状況が続いているので、何とかしないとマズいと思う」と指摘しているに過ぎない。常日頃からその問題に頭を抱えている当方からすれば「あんたに言われるまでもない」である。しかし一方で、一流メディアの優秀な記者までが「DX=デジタル化」というあまりにもシンプルな前提で記事を書いているのを見ていると「さすがにそれはちょっと違うだろ」と言いたくなる。これではIT業界がわざわざDXというバズワードを担いだ意味がない。

「IT化は単なるデジタル化(=業務の置き換え)だが、DXは仕事のステージをアップデートする」と表現する人もいるが、単なるデジタル化だけでも世界観は簡単に変えられる場合がある。例えば、前近代的な帳簿しか知らなかった人にとっての表計算ソフトは異次元の価値を提供するだろう。

また、「単なるスピードアップはDXではない」という考え方もあるらしいが、スピードがある閾値(threshold)を超えてくると周りの風景やできることが変わってくるので(クルマの運転がこれに近い感覚だろうか)、これがDXではないとは言い切れない。

さらには、「DXはIT化に出遅れた企業のもの」という考え方もあるらしいが、これは少々意味不明だ。最先端(?)の企業ほど次々と新しいDXを創出し、それを自分自身が必要としている。「機械学習などのアルゴリズムを使ってるからDX」という理屈は完全に間違い、ということで片付けておこう。

DXで着目すべきは、最初のD(digital)よりはむしろその次のX(transformation)だ。トランスフォームとは業態・構造・物性などが変質することを指すが、筆者としてはこの中でも「構造」という言葉に着目したい。構造を変えれば行動が変わる。すると今まで見えなかったものが見えてくることがある。

逆に「切符は買うもの、切手は貼るもの、パスワードは覚えておくもの、満員電車には揺られるもの、ハンコは必須、銀行には振込手数料を払う」といった、我々が普段当たり前に受け入れている非常識は、さっさと消えて欲しいものだったりする。デジタルテクノロジーがこういうときに役立つことがあるのは否定しないが、これは必要条件でも十分条件でもない。

法律を書き換えるだけでも、トランスフォーメーションはいとも簡単に実現できることがある。トランスフォーメーションが書き換えるべき対象は、ある種のアーキテクチャ(設計思想)で、これにデジタルが力を貸す場合をDXと呼ぶのが良いのではないだろうか。

例えば、小選挙区制が不愉快な制度だと考える人でも、中選挙区制になればいそいそと投票所に出向く可能性がある。このように、人の行動が少し変わり、そしてその先に見えてくるものが新しい価値を見せてくれるのであれば、それは、十分にX(transformation)に値する。

これに加えて、鈴木健氏が『なめらかな社会とその敵』(注2)で提言したように、有権者の一票を分割して「30%をA候補、40%をB候補、残りの30%は棄権として白票を投じる」というようなアイデアを実現しようとすると、デジタルは必須になることがお分りいただけるだろう(これが実装された時の国会が果たして理想のものになるのかどうかはよく分からない)。

さらにわかりやすいサンプルとして、米国で日常的に行われているフェアユース(fair use:米国著作権法107条)について考えてみよう。これは、原著作者の了承を取らなくともフェア(公正)なユース(利用法)であれば、どんどん使って良い、という法律だ。特に教育分野では重宝される。例えば、教材としてある小説を引用する時に「いちいち原著者の許可など取らずにさっさと使っちまいな。問題があるようだったら、後から議論すりゃあいいんだよ。でも多分問題ないよ」というお墨付きを与えているのだ。

日本国内では、このあたりがホワイトリスト方式、すなわち法律であらかじめ認められたものだけをフェアユースの対象とすることにしているところが貧乏くさい。フェアユースの集大成として、巨大なプラットフォームになったものとしてYouTube(これもサービス開始当初はかなりグレーなサービスとして各方面から批判されていた)が挙げられる。このようなプラットフォームが日本から出現しないのは、技術力が劣るからではなく、旧態依然とした法令遵守を奨励する態度にその敗因があると考えられる。

まずはオープンにして、何か問題が起きたらその都度対処し、現状に合わせてルールを最適化していく、という方針を採らずにプラットフォームを名乗るのは不可能である。

しかし、コロナ禍がこの古臭い慣習を破壊した。テレワークや授業のオンライン化において、もはや日本国内も「なし崩し的な事実上のフェアユース」になっている。政府自らが「学校に行くな」と言っているのだから、このような状況は黙認せざるを得ない。そもそも、ホワイトリスト形式が制度としてはおかしいことをコロナ禍が証明し、DXとしてのウェブ会議がそれを後押ししたという構造が見て取れる。ウェブ会議それ自体は、大昔からある技術だが、これがコピーライトの概念を書き換えるようになれば、DXと名乗る資格があると考えられる。

あるいは、ZOOM飲み会を5人程度でやっているとする。そのうちの一人が部屋でBGMを流している。そうなると、そのBGMはインターネットを通して他の4人も聴くところとなる。明らかな公衆送信権違反だ。しかしある夜、このようなグループが日本国内だけでも何万という数になったとしても、JASRACはそれらのユーザーを全て摘発しようとするだろうか。むしろ、そのBGMが広告となって有料のストリーミングダウンロード、あるいはCDの販売につながることで原著作者にメリットを返すことができると考えるのが自然だろう。

公共性とは、そのサービスの理念が高邁なものか、法律を遵守しているかなどではなく、単にユーザー数の多寡で決まるクールな事象だ。コロナ禍がなければ、初診からオンライン診療が可能になることもなかっただろう。日本という国は、いつの時代でも外圧がないとアーキテクチャを変えようとしない。

ともあれ、トランスフォーメーションとは、具体的にはアーキテクチャの再設計・再構築を指すことだ、としたい。これはローレンス・レッシグが2001年に指摘していた「アーキテクチャによる規制」とほぼ同じ概念だと考えて良い。レッシグによれば、様々な社会制度は法律、規範、市場、そしてアーキテクチャで制御できる、という(ただしこの論考は、法律による制御とアーキテクチャによる制御の境目が曖昧なような気がする)。

さらに古い話を持ち出せば、ジェームズ・ギブソンが提唱していた「アフォーダンス:affordance」がある。これは、環境が動物に対して行動につながる何かを提供する(=affordする)という意味である。例えば「椅子はそれ自身の形状が、人に対して座れ、というメッセージを発している」という話である。これも一種のアーキテクチャ論と考えることができる。脱線ついでにいえば、ヤーコプ・フォン・ユクスキュルが提案する「環世界:Umwelt」はギブソンの考えの源流になっているように思う(注3)。

アーキテクチャの変更時にデジタルがどう関わるかで、トランスフォーメーションはいくつかの種類に分類できる。

A)単なる法律の見直しや制度設計の変更で済むもの。デジタル不要
B)デジタルが上記Aをアシストすることで、価値が高度化される場合
C)デジタルテクノロジーがなければアーキテクチャを書き換えることができない場合

Cが正真正銘のDXだが、BもDXだという強弁も許容範囲とは思う。ただし、順序が重要だ。いうまでもなく、まずは最もカネがかからず、妙な電力を必要としないAを検討すべきで、これをデジタルがアシストする場合がある、という順序で考えないと本末転倒なことになりかねない。日本のデジタル化の最大の弱点は、それ(=デジタル化)自体が目的化していることにある。結果として、なんでもかんでもとりあえずデジタルに置き換えることを目的とする「勘違いしたBのパターン」が突出していることにお気付きの方も多いはずだ。

直近では、持続化給付金の申請が分かりやすい例だろうか。申請自体は、確かにデジタルで受け付けるようにはなった(要求仕様書を作れるスタッフが行政に存在しないのでインタフェースは劣悪だが)。しかし、基本的なAの見直しをせず、単純に手続きの一番最初のステップをデジタル化しただけなので、いつまでたっても給付金が振り込まれない。何しろ、ウェブで受け付けたデータを紙に出力し、それをさらに職員総出で手書きで書き写しているというのだから、開いた口が塞がらない。

これは、職員が無能なのではなく、基本的な手続き(プロセス)自体に問題があるのだ。アーキテクチャというカッコいい言葉は、手続きというわかりやすい言葉にパラフレーズできる(注4)。腐った制度の単なるデジタル化は、我々の貴重な税金がIT業界の中でもとりわけ無能な大企業への寄付になることを手助けしているだけだ。アホらしいアナログな手続きによって振り込みに30日間を要するところが、デジタル化で29日間になっただけ、だったりする訳である。もはやお笑いである。

DXに限らず、「デジタル」が接頭語になっている言葉や団体名には注意した方が良い。先に述べたAの議論をスキップしている場合が大半だからだ。入力(リクエスト)からサービスの出力まで、5段階のステップで構成されている行政サービスがあったとしよう。「デジタル」で始まる団体は、このステップそれぞれをデジタル化しようとする。

しかし、その前に考えなければならないのは「こんなにステップが必要なのか」ということなのだ。デジタルで5ステップを要するのと、同じサービスがアナログの1ステップで終了してしまうのと、どちらがエレガントかは明らかであろう。そしてさらに、この1ステップをデジタル化できるなら、それはDXを名乗る資格がある。

残念ながら日本国内には、AをIT企業や霞が関の技官が率先して実施できる文化も、「アーキテクチャ」も存在しない。そもそもアーキテクチャという概念自体が欠落している国のような気がする。そして、それを変えていくべきという風土も存在しない。私たちが普段利用している情報環境の大半が、海外産であることの大きな理由の一つがこれだろう。

経産省の傘下にあるIPA(独立行政法人 情報処理推進機構)が昨年12月にキックオフした「デジタルアーキテクチャ・デザインセンター」も、冒頭に「デジタル」が付加されてしまった時点でアウトだ。特に「産業アーキテクチャ」を説明するこのページで「産業アーキテクチャとは、異なる事業者間・社会全体でのビッグデータやシステムの連携を可能にする、全体の設計図のこと」と言い切っている時点でかなり絶望的だ。これは単なるデータ連携とそのインタフェースの話に過ぎない。アーキテクチャや産業を語るときに、金融や経済を考慮しない全体の設計図など無意味であることすらわからないのだろうか。

注1)
ちなみに私の世代における「DX」は、「ある特定の乗用車における最下位グレードに付けられる記号」だ。例えば一時期のトヨタ・クラウンは最高級グレードが「ロイヤルサルーンG」、その次が「ロイヤルサルーン」そして「スーパーサルーンエクストラ」がきて、その下が「スーパーサルーン」、さらに格落ちして「スーパーデラックス」、そして全ての装備を簡略化した最下位グレードが「(単なる)デラックス(DX)」だったりした。悪い冗談としか思えない言葉のオンパレードだが、DXの名誉のためにいえば、高級車の最下位グレードは、基本設計・性能は最高級クラスと同一であるにも関わらず下手をすると価格が半分だったりするので、最も賢い買い物であることもまた事実である。資金に余裕のある馬鹿ほどオプションてんこ盛りの「ロイヤルサルーンG」を所望するのである。

注2)
なめらかな社会とその敵』鈴木健(勁草書房、2013)

注3)
ダニ(tick)の一生は、
1)哺乳類を探す(ダニは視覚がないので熱源を探索する)
2)見つけたら落下もしくは吸着する
3)柔らかいところを探して針を刺す
という三つの動作が全てである。ヒトから見たら随分貧弱な生涯のように思えるかもしれないが、ダニの世界では、それが最高の人生なのだ。ユクスキュルは生物ごとに世界観(環)が異なるものであることを説明した。豊かで楽しいとヒト自身が考える一生も、他の生物からは「あんなこと(e.g. 戦争)繰り返していて何が面白いんだろうね。妙な動物だよね」と思われているかもよ、ということだ。自分自身を神の視点においてメタ認知を繰り返していると、思い当たるフシだらけだったりするからイヤになる。ともあれ、ヒトが知覚する環境がヒトの行動を規定していることは確かで、このとき環境自体がアーキテクチャを提供していると言い換えることができる。

注4)
手続きは少なければよい、というわけでもない。特に、芸能・儀式・サービスデザイン分野(e.g. 宿泊業、結婚式場など)では手続き自体が作品だし、調理に至っては段取りと順序が生命線だ。ある種の価値を創出しようとするときには、そこにストーリーと時間のデザインをパッケージした「ナラティブ・アプローチ」(物語性からのアプローチ)が必須になる場合がある。このことは頭の片隅に入れておこう。

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竹田 茂 (たけだ・しげる)

新潟県上越市出身。日経BP社にてBizTech(現在のnikkeibp.net)の立ち上げを皮切りに同社の様々なインターネット事業の企画・開発を統括/プロデュース後、2004年にスタイル株式会社を設立。主にB2B分野にフォーカスしたWebメディアを創刊・運営。早稲田大学大学院国際情報通信研究科非常勤講師(1997-2003年)。著書に『会社をつくれば自由になれる』(インプレス、2018年)など。