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「音楽 その光と塩」 6. クラシック音楽とエンターテインメント

「音楽 その光と塩」 6. クラシック音楽とエンターテインメント

2020.08.17

Updated by Youichirou Murakami on August 17, 2020, 16:48 pm JST

クラシック音楽、とりわけ声楽の世界では、エンターテインメントとの領域区分はかなり曖昧になります。クラシックの歌手と認められている人の中には、ほとんどクラシック音楽の教育を受けなかった人もいました。まあ、現在では余りありそうにない話でしょうが。

「音楽 その光と塩」 6. クラシック音楽とエンターテインメント

日本で典型的なのは、不世出のテノールとして一世を風靡した藤原義江です。彼の幼少期は、イギリス人(スコットランド出身)の父親と芸者との間に生まれたという条件と時代の雰囲気から、生活や教育についての不幸を抱えていたといわれます。日本人離れした風貌を買われて、沢田正二郎の新国劇に参加したこともありました。しかし、股旅ものや任侠ものを売り物にする新国劇には、充分な活躍場所は、当然、なかったはずです。

結局は、浅草オペラで少しずつ頭角を現します。もっとも、ここで最初の妻となった、遥かにオペラで先輩の歌手・安藤文子に寵愛されたことが、出世の原動力となっていましたし、その後の生涯を通じての彼の派手な女性遍歴の最初であったといえましょう。

浅草オペラというのは、「オペラ」とは銘打っていますが、アメリカのヴォードヴィル(後にミュージカルに発展する)やウィーンのオペレッタなど、それに日本の寄席芸などを加味した完全なエンターテインメントでありました。雌伏期はあったにせよ、正式には大正中期に始まり、関東大威震災で劇場を失って終わる、という十年に足りない僅かな期間でしたが、原信子、清水金太郎(シミキン)、田谷力三、二村定一、榎本健一(エノケン)らが、活躍の舞台を求めました。『椿姫』のような本格的なオペラの上演を試みたこともあったようですが、オッフェンバックの『天国と地獄』や、今では母国フランスでもほとんど忘れ去られている作曲家オーベールの『フラ・ディアボロ』など、非常に大衆的な演目で人気を博しました。

熱狂的ファンは「ペラゴロ」(オペラ狂いの「ごろつき」)と呼ばれましたが、結構この時期の知識人たちが、そのリストに名を連ねています。少し意外かもしれないのは、宮沢賢治です。彼が音楽好きで、チェロを弾いたのは、作品『セロ弾きのゴーシュ』にも現れていますし、また、彼の愛用の楽器が記念館に残されていて、チェリストの藤原真理がその楽器を使って賢治ゆかりの音楽を奏でた『風のかたみ~宮沢賢治へのオマージュ』というCDも発売されています。その賢治が浅草オペラに夢中で、彼の演劇作品といってよい『飢餓陣営』(「バナナン大将」として親しまれている)は、浅草オペラに刺激されて書き上げたもの、というようなことは、賢治の人となりからすれば多少意外に感じられます。

さて藤原義江ですが、そういう生い立ちの彼が本格的にオペラの舞台に立つようになったときにも、楽譜はほとんど読めず、歌唱は完全な独学であった、といえます。その後、彼は多くのパトロンに恵まれ、ヨーロッパへの遊学も繰り返し、その間、本格的に声楽を学ぼうとした時期もあったのでしょうが、本質的には彼の歌は天性に頼ったものでした。『出船の港』、『沖の鴎』、『鉾をおさめて』など、民謡調も織り込んだ日本の歌曲などは、クラシック畑の音楽家のポピュラーな曲の演奏と通常は受け取られますが、結局は、彼の出発点であったエンターテインメント性の発露でもありました。

私は、藤原義江を論じようとすると、直ぐに戦後アメリカが生んだテノールのスター、マリオ・ランツァを思い出します。マリオは、『歌劇王カルーソ』という映画に主演していて、この映画は日本でも公開されました。しかし、それ以外には日本ではあまり知られないままに終わってしまったような気がします。

戦後、愉しみといえばラジオしかなかった頃、しかも局としては、東京ではNHKの第一放送と第二放送、それに占領軍のためのAFRS(Armed Forces Radio Service, コールサインはWVTR-TOKYO、その後、FEN=Far East Network、現在はAFN=American Forces Networkと名を変えています)の三局だけ。AFRSを聴いていると、夜のゴールデンタイムに「ハリウッドボウル」という音楽番組があって、そこにほとんど毎回のように出演していたのが、マリオ・ランツァでした。

今でも忘れられないのは、彼が歌ったロッシーニの歌曲『ラ・ダンツァ』を初めてそのラジオで聞いた時でした。原語嫌いのアメリカで、珍しくこの曲のタイトルは原語のイタリア語で紹介され、碌に英語力も持ち合わせない小学六年生の私が何とか聴き取ったそのイタリア語のタイトルを、永年憧れとともに記憶に仕舞い続けました。後にカルーソの映画でも、確かこの曲は披露されましたから、マリオの十八番の一つだったのでしょう。後で楽譜を見ると、タランテラのような急速な細かい「譜づら」のこの歌曲は、歌好きだった私でも、とてもついていけないものの一つです。

ところで、こうして名前はイタリア系にしても、生粋のアメリカ生まれの抜群のテノール、マリオ・ランツァの名前は私の頭に刷り込まれていて、後年、アメリカに渡った何度目かのときに、音楽好きの知人にその名前を出しましたが、彼女は全く関心を示さず、そういえばそんな歌手もいたかしらね、といった具合で、すっかり音楽界から忘れられた存在になっていました。その理由は、追々聞いた話である程度は納得しましたが、ポイントの一つは、彼は歌手・音楽家としての基礎的な教育と訓練を全く受けないまま、一時期スターダムにのし上がった人物だった、というところにあったようです。歌手としての彼の不幸は、そのことを自覚しつつありながら、スター扱いされ、映画にも出演し、海外のオペラハウスからも声がかかったりしたことだったのでしょう。それを受けるだけの勇気が持てないままに、恐らくはそうしたプレッシャーから、極端に太ったり、過度の飲酒、睡眠障害など、精神的に不安定になった結果、四十歳になる前に没したのです。

藤原義江は、理解者や出資者に恵まれ、艶福家という表現では不十分に見えるほどの女性関係にも恵まれ(?)、最後は帝国ホテルの社長・犬丸徹三の好意で、ホテルの一室を住処として(私も、一度ホテルの食堂で紹介を受けたことがあります。もう、好好爺でしかありませんでしたが、ある種のオーラは感じました)、食事など一切の面倒を見て貰いながら、晩節を全うしました。藤原義江に比べれば、マリオは全く悲惨な最期ということになりますが、どちらも母国で不世出のテノールと称されながら、その実、クラシック音楽の基礎からは遠い存在だった二人です。歌の世界では、往々にしてこういうことが起こり得たというのが、面白いところです。

逆に、正規のクラシック音楽の訓練を受けた上で、エンターテインメントの方へと転身した人もいます。私の記憶に最も鮮明なのは、藤山一郎です。幼少の頃からピアノを学んだ彼は、東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽部)に入学、ハイ・バリトンとして将来を嘱望される歌い手に育ちつつあった頃です。実家が経済的に非常に追い詰められ、借金返済のために、レコード会社で歌を吹き込むアルバイトを始めます。その当時、学校では外部での演奏活動を厳しく禁じていましたので、本名の増永丈夫ではなく藤山一郎というネームを使うことにしたといいます。

古賀政男の『酒は涙か溜息か』、『丘を越えて』が、まさしく藤山の出世作ですが、一度は学校側にばれて、停学、放校になりかけますが、多くの人々の助けで何とか切り抜け、卒業時は首席であったといいます。暫くは、オペラのアリアなどを歌うときは本名で、流行歌を歌うときは藤山一郎で、という二足の草鞋を履いていたそうです。晩年には、再びクラシック音楽に接することもあったようですが、基本は流行歌、それもめりはりの利いた見事な日本語の発音と媚のない表現、譜割を崩さないかっちりした歌い方(ある人はそれを「楷書の歌手」と表現しました)で、歌手のお手本のような存在になりました。そうした彼の音楽の裏には、クラシック音楽出身という自負が働いていた、と見ることもできましょう。

例えば、戦後のスター・美空ひばりと比べると、おおよその事情が分かると思います。私は、美空ひばりの天分を評価するに吝かではないつもりです。特に、人があまり言及しない彼女の唄うジャズでは、その発音にほとほと感心させられます。英語の基本的訓練も、学校風という意味では、ほとんど受けていないはずの彼女が、いわば原曲のレコードを耳からだけで聴き取って、それを自らの表現にそっくり移し替える、よほど良い耳と表現力がなければ、絶対にできない技です。彼女の英語の歌を聴いた人は、ネイティヴの歌い手だと思うでしょう。藤山一郎は、ドレミファの「レ」と「ラ」とは違う発音で、どちらも日本語のラ行ではない、ということがあったと聞きますが、美空ひばりの場合、そのような理論抜きに明確な区別ができていたと思います。それは本当に天才的だと思います。

また、地声とファルセットとの使い分け方も、地道な発声の訓練を重ねたというよりは、自己管理の中から生み出した、これも天才的な技術に違いありません。私が彼女の歌で特に好きなのは、比較的晩年の『みだれ髪』です。この曲ほど、彼女の技巧が冴えて聴かれるものはないとさえ思います。それに、彼女の歌にしては、どちらかというと憂愁の思いだけが表に出た、ある種の清潔さがあります。人の心を擽り煽る媚が薄らいでいます。

しかし。しかしです。ひばりの歌が持つ下品さは、聴く人間の非常に「品下る」情動をこれでもかと根こそぎ動かそうとする、普通の言葉でいえばやはり「媚び」ですが、それに私は耐えられません。ちょうどその対極に置かれるのが、藤山一郎の歌だと思います。そこからは、美空ひばりの歌が造り出すような種類の「感動」は、生まれないでしょうが。

そういう意味で、聴衆への媚を感じてしまうのは、やはりイタリア系(これはイタリア国籍というだけでなく、歌の種類としての意味です)の歌です。オペラで有名なアリアの中で、原曲にない(でも、当然テノールの聴かせどころとしては許される)ハイ音を長々と響かせて、歌い切った瞬間の爆発的なブラヴォーと拍手を強要する(無論、聴衆は「強要されている」などとは感じないのですが)習慣には、私はやはりどうしても馴染めません。カンツォーネやナポリ民謡でも同じことです。無論、自分にそんな芸当ができない僻みもあるに違いないとは思います。でも、「これ見よがし」というより「これ聴きよがし」な技への嫌悪感を完全に払拭することが、どうしてもできません。それが、音楽の世界で私が、どちらかというとオペラにいつも距離を置く理由です。頑なで偏屈、というご批判も充分に受け取りますが。

また話は飛びますが、向田邦子の名随筆集の一つに『夜中の薔薇』があります。その中に、彼女が大熊一夫氏のリサイタルに出かけて行った日のことが綴られています。向田さんも簡潔に紹介していますが、大熊さんは私の後輩で、オーケストラではトロンボーンを吹いていましたが、朝日新聞科学部に就職し、ある精神病院に意図的に入院して、患者の扱いの誤りを克明に暴いた記事で有名になった人です。日本の精神医療の在り方に一石を投じ、その後も、医療や福祉の世界にジャーナリストとしてかかわり続けてきました(大阪大学の教授にもなりましたが)。

彼は一方で声楽に専心し、アマチュアの域を超えて、何回かバリトンの音楽会を開いてきました。その彼の音楽を聴いた向田さんの鋭いコメントが書かれています。彼にないのは「さもしさと媚である」。そして、プロのオペラ歌手は、それがないとやっていけないのだろうが、という言葉がさり気なく付け加えられています。この最後にさりげなく付け加えられた言葉、彼女は自身が毒舌家であることを随所で認めていますが、寸鉄人を刺すものとなって、私には響きます。

とはいえ、エンターテインメント側の音楽がいつも大衆への「媚び」を抱えている、というわけではありません。例えばミュージカル『サウンド・オヴ・ミュージック』を挙げてみます。そこに登場する歌のすべてが、極めて清潔な叙情に溢れています。誰も、男性歌手に「三点C」のハイトーンなど期待していません。

音楽から離れて、伝統芸能である落語を例に取りましょうか。私にとっては、おおよそ貴重な存在であった黒門町の師匠(桂文楽、八代目)にせよ、あるいは三遊亭圓生(六代目)にせよ、あるいは少し若くなって柳家小さん(五代目)にせよ、人の低劣な心を揺すぶって笑いを取ろうなどとは、一切試みたことがない師匠たちでした。その芸には、品性があり、格調があり、清潔さがあり、自己満足とは対極にある、自己韜晦の風情に彩られていました。

「音楽 その光と塩」 6. クラシック音楽とエンターテインメント

最近、自宅に初めてきちんとしたTVセットを入れたので、TVを観る機会が格段に増えましたが、そこで画面を支配しているのは、何というか、カメラの向こう側にいる人々に「媚びる」ことさえ忘れて、自分たちだけで笑い合っている、見るに堪えない「芸」と名乗るのも烏滸がましいような振る舞いを披露している芸人さんたちです。どこまで奇抜な恰好ができるか、奇妙な芸名を付けられるのか、恥の文化であるはずの私たち日本の社会で、何故あそこまで恥を忘れられるのか、首を傾げるばかりです。

いささか本題から逸脱しました。エンターテインメントだから、人間の俗悪な心性に訴え、それを刺激しなければならない、などということは決してありません。クラシックであっても、そういう好ましくない心性に寄りかかろうとする芸がないわけでもないのです。山本周五郎は、純文学と大衆文学との区分けを断固拒否しました。その心意気を思い出してみようではありませんか。

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村上 陽一郎(むらかみ・よういちろう)

上智大学理工学部、東京大学教養学部、同学先端科学技術研究センター、国際基督教大学(ICU)、東京理科大学、ウィーン工科大学などを経て、東洋英和女学院大学学長で現役を退く。東大、ICU名誉教授。専攻は科学史・科学哲学・科学社会学。幼少より能楽の訓練を受ける一方、チェロのアマチュア演奏家として活動を続ける。