画像はイメージです original image: Marina Andrejchenko / stock.adobe.com
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現在の株式会社は、イギリス東インド会社の2年後(1602年)に設立されたオランダ東インド会社にその原型を見ることができる。オランダ版には、1)出資した額以上の責任が発生しない(有限責任)、2)株式を自分の好きなタイミングで譲渡(売買)可能、というイギリス版にはない大きな二つの特徴があった(世界初の証券取引所はアムステルダムに設置された)(注1)。
江戸時代の鎖国で唯一貿易が許されたのがオランダなのは、「キリスト教の布教活動をしないと(幕府に)約束したから」が教科書的な答えの定番だが、実際には「はるか遠い極東まで交易のために定期的に出かけることに伴うリスクを回避できる制度設計があったのがオランダだけだった」が本当のところだろう。
ご承知のように、この株式会社なるものは主に三つの資本、すなわちヒト・モノ・カネで構成されているが(注2)、それぞれに対応する形で市場(market)がある。すなわち、ヒト=労働市場、モノ=産業(サービスや財)市場、そしてカネ=金融市場だ。しかし(東インド会社がそうであったように)会社は「出資」という金融的行為からスタートするのが普通なので、市場を時間的な発生順序で並べ替えると金融→産業→労働になる。
つまり、経済は金融から始まり、産業が活性化することで人手が足りなくなり、雇用創出のための労働市場が盛り上がる、という循環を切れ目なく繰り返す。経済の主たる目的は最終的には雇用(労働)の創出・確保にある、ということになる。
ヒト・モノ・カネのうち、最も資本効率(総資産利益率:ROA、あるいは自己資本比率:ROEなどを指数にすることが多い)が高いのは、いうまでもなくカネである。従って、どうしても労働生産性を上げたいのであれば、モノを作ったり、ヒトを雇ったりせず、金融サービス業に徹するのが最も効率が良い。資本主義に最も忠実なのはデイトレーダー(day trader)、ということになる。
実際、一人当たりのGDPが世界最高のルクセンブルクで行われているビジネスの大半は、金融サービス業だ(注3)。しかし、人口60万人程度の小国と比較したところで意味はない。1億を超える日本国民が全員金融業を実践していたら、国としては破綻する、というか国家の体を成さなくなるだろう。労働生産性が高いことが必ずしも正義とは限らないことがわかる。コメやクルマなどという労働生産性の低いモノを作ってくれる人がいないと、生活基盤そのものは豊かにならないし、福祉(介護)・医療・教育のようにそもそも労働生産性でカウントできない仕事の方がむしろ「付加価値」が高いのはいうまでもない。
そう考えると、「DXで労働生産性の向上を目指す」必要はないとまではいわないが、「DXで雇用を創出する」がより切実な目標となるはずである。雇用創出が労働生産性向上に優先するのは当たり前だ。雇用さえ確保されれば、労働者は経営者に指示されなくとも生産性を向上させようと知恵を絞るだろう(そのほうがラクだからである)。ただし、同時に経営者には、従業員が知恵を絞る必要のない労働生産性の高いビジネスモデルを創出する責務がある。それができない経営者に限って、「従業員の労働生産性を上げるぞ」と(雑誌や新聞のインタビューで)で気炎を揚げていたりして、事態はかなり深刻なのである。
仕事は、a)論理的・機械的な作業と、b)情緒の発露(=感情労働)で構成される。実際にはこの二つは、DNAの二重螺旋(らせん)のように絡み合っているので分離するのは難しいが、DXの最大のミッションはaを仮想化・自動化することにある。ヒトはbに専念できる、ということだ。そうなると身体的なハンディキャップを抱えている人や体力に不安のある人も、労働市場に参入しやすくなることが容易に想像できる(e.g. リモート監視観察業務、オンライン授業の講師、など)。
「死ぬまで楽しく働く」ということが、かなり現実的になるのである。特にbが良いのは、個性を発揮しやすく状況依存度が高いので、優劣を付け難く、評価しにくいという点にある。良くも悪くも世の中には「同一労働」など存在しない。
加えてDXは、雇用の裾野を広げるためだけにあるわけではない。一人の人間がさらに別の仕事を獲得するチャンスを増やすことにも寄与する。コメを作っている若者が農閑期にはプログラミングで稼ぐ、あるいは、従来の形式ではとても手に負えなかったコンサルティング業がリモート形式でよければ(副業として)受注可能、などという事例が急増するだろう。
そうなると、古典的な業種・職種区分にほとんど意味がなくなってくる。アンケートによく出現する「業種」および「職種」の区分選択に真面目に答えようとした時に、自分がどの業種に属するのか判断に悩む局面が急増するはずである。一人の人間が複数の「業種」を抱えやすくなるのがDX、という表現もできるだろう。これをさらに推し進めると「主たる業務が全部副業」ということになり、リスク分散できるので、特定の業界で何かアクシデントがあったとしてもその影響を軽微に抑えることができるはずだ。
「主たる業務が全部副業」は、実は最高の働き方だ。農業、林業から始まる日本標準産業分類を全て足し合わせ、消費者目線から見直すと「生活」という言葉が浮上してくる。生活とは「全ての標準産業分類に足を突っ込んでいる働き方」に他ならない。
しかし、主たる業務が全部副業で構成される状態にいる資格があるのは、ある程度キャリアを積んだ人だろう。「若いけど何でもできる人」は多くの場合、それぞれのレベル(専門性)が低いことが多いので(発注者サイドからすると)少々リスクが高い。社会人になったらまずは10年程度、特定の専門分野を徹底的に深めた方が、その後の横展開的副業に良い傾向をもたらすはずである(寿命が伸びているので、10年はもはやそれほどの長さではない)。
例えば、美術系の学校でデザインの基本を徹底的に学んで、社会人になってからデザイン業務に没頭している人が作るウエブは、プログラマーが見よう見まねで作ったものとは品質が決定的に異なる。パッと見ただけでは判別がつきにくいが、ディテールの処理が緻密なので、長時間使っていても疲れなかったりするのである。
経済産業省が『DXレポート2』を公表しているが、ここでいう「社会課題の解決や新たな価値、体験の提供が 迅速になされ、安心・安全な社会が実現し、デジタルを活用してグローバルで活躍する競争力の高い企業や、カーボンニュートラルをはじめとした世界の持続的発展に貢献する産業が生まれる」というような、抽象度が高く、かつ達成できないことが明白な目標を掲げるのではなく、もっとシンプルに「とにかく雇用を増やすためにDXを活用するのだ」と言い切ったほうが私たち国民にとても分かりやすく伝わるのではないだろうか。
最近は、サステナビリティ・トランスフォーメーション(SX)なる言葉すら出現しているらしいが、この国にそんなことを議論できる資格があるとも思えない。2001年(平成13年)に廃止された経済企画庁が1956年(昭和31年)に作成した年次経済報告書は「もはや戦後ではない」という名セリフで有名だが、この報告書の結語の中に、すでに「トランスフォーメーション」という言葉が出現していて「近代化」という意味で利用している(注4)。
では、「近代化」とは一体何なのか。この時にイメージされた近代化と、今、必要とされている近代化は何が違うのか。2021年のNHKの大河ドラマの主人公が渋沢栄一なのはなぜか、と併せて考えてみたい、と思う。
注1)
『金融の基本』田渕直也(日本実業出版社、2019)を参考にした。
注2)
社会共通資本、あるいは社会関係資本などの議論も面白いのだが、とりあえず今回は割愛。
注3)
国内総生産(GDP:gross domestic product)は、生産額のグロス金額と勘違いしやすい日本語になっているが、実際には付加価値(利益)の総額である。この付加価値の総額は、所得の総額や、需要(使ったお金)の総額と必ず一致する。ある程度の期間経過後に、この三つの数字が必ず一緒になることを「三面等価の原則」という。
注4)
歴代の年次経済報告書(経済白書)をざっと眺めてみたのだが、注目に値するのは、この昭和31年版と、平成12年版(経済企画庁として最後の白書)の二つではないか、と感じた。
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登録はこちら日経BP社の全ての初期ウェブメディアのプロデュース業務・統括業務を経て、2004年にスタイル株式会社を設立。WirelessWire News、Modern Times、localknowledgeなどのウェブメディアの発行人兼プロデューサ。理工系大学や国立研究開発法人など、研究開発にフォーカスした団体のウエブサイトの開発・運営も得意とする。早稲田大学大学院国際情報通信研究科非常勤講師(1997-2003年)、情報処理推進機構(IPA)Ai社会実装推進委員、著書に『会社をつくれば自由になれる』(インプレス、2018年) など。