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村上陽一郎

エリートと教養19 現代日本語考 8 思い付き日本語論「接続詞や副詞的フレーズ」

2021.05.19

Updated by Yoichiro Murakami on May 19, 2021, 12:40 pm JST

現在使われている日本語の話になると、気になることが多くて、自分のことは棚に上げて、小言幸兵衛のように文句ばかりを連ねたくなります。山崎正和さんではないですが、「不機嫌な時代」になってしまいます。少し反省して、日本語の特性について、折々感じていることを不機嫌でなく述べてみたいと思います。とは言っても、別段、言語学者でもなく、他の外国語を数多く熟知しているわけでもなく、文芸の専門家でもない私が、これから書いていくことの大半、あるいはすべては、すでに誰かが指摘していることの二番煎じになるでしょうけれど。

何から始めましょうか。これは本当に誰もが指摘していることですが、例えば欧語に比べて日本語の著しい特徴の一つは、主語と用言の間がかなり離れていて、その文章が肯定文なのか否定文なのかが、直ちには分明でない点です。「私は明日開かれるその会に出席します」なのか「私は明日開かれるその会には出席しません」なのかは、最後まで聞かないと、あるいは読まないと判りません。英語でしたら<I will join>か<I can’t join>で、最初に片が付いてしまいます。無論、どちらが良いと言っているわけではありません。

村上陽一郎そこで、日本語ではいろいろな工夫をして、早い時期に結論の部分が予想できるような配慮をしています。例えば先の例文ですと、最初に「喜んで」という副詞を加えて肯定文であることを予想させますし、「残念ながら」を冒頭に置けば、否定文であることはそこで判るようになります。実際、日本語ではこうした副詞や接続詞を、文章の冒頭に置くことで、次に置かれている文章の内容を予想させるようなレトリックが、少なくありません。

勿論、英語でも、否定文だったら<unfortunately>などを冒頭に置くことはありましょう。しかし、「残念ながら」と<unfortunately>とは、微妙にその働きが違うように思われます。こうした日本語の工夫は、接続詞や接続的副詞が多用されることとも関わっているのではないでしょうか。

最も一般的なものとしては、「今、言ったこと」の敷衍、あるいは肯定的つながりを導く「だから」、「ゆえに」、「したがって」、「ですから」などという順接の接続詞、逆に否定(部分的、あるいは全面的な)を導く「しかし」、「けれども」、「でも」などという逆接の接続詞が挙げられるでしょう。自分で文章を書いていても、使用頻度が極めて高いことに気付きます。もっとも、これらの言葉は、「順接」だとか「逆接」という文法用語がちゃんと用意されているくらいで、もともと前の文と次の文とをその言葉本来の働きをしながら繋ぐ役割、つまり接続詞なのですから、当たり前といえば当たり前でしょう。

しかし(と、また使いますが、ついでに言えば、この前のパラグラフで私が使った「あるいは」、「もっとも」、「もともと」なども、接続詞には分類されないものも含めて、同じ様な働きをする言葉たちです)、文頭に置かれて「今、言ったこと」に対して、次に言い手、書き手がどう反応するのかを、聞き手、読み手に予想させる表現は、接続詞以外にも実に多様です。

「とはいえ」、「そうは言っても」、「言うに事欠いて」のように、意味は少しづつ異なるものの逆接的あるいは否定的機能を表現する言葉、「そういえば」、「おっしゃる通り」、「言われてみれば」、「言わずと知れた」などの順接的あるいは肯定的機能の表現は、直接的に「言う」という言葉を織り込んでいます。

順接でも逆接でもないというものでは、つい先ほど使った「ついでに言えば」なども、同類でしょう。「言う」に拘らなければ、これと同じ働きをするものとしては「因みに」があります。「今、言ったこと」と直接の繋がりではない、しかし多少脇道でも関わりはある、ということを導く働きのある言葉でしょう。

こういった表現が豊富に用意されているということは、最初に述べた日本語の文の組み立てが文の結尾にならないと伝うべきことが判然としない、という特徴を補うための工夫であると考えて良いのではないでしょうか。

村上陽一郎

小さなことですが、この工夫は助詞の使い方にまで及んでいます。最初に挙げた文例で「私は明日開かれるその会に出席します」と「私は明日開かれるその会には出席しません」を比べてみて下さい。後者で加えられた助詞「は」は、他の会には出席するのかもしれない、という意味の含みも伝えることができますが、意味上の第一の働きとしては「出席しない」という否定的結論を導いています。

勿論、他の言語でも、同じ様な働きをする語や表現は豊かにあります。退屈な英語の講演を聞かされて、少しうんざりしているときに、話し手が<Lastly>とか、少し気取って<Lastly but not least>など言えば、「やれやれ、この先はもう話はあまり長くはないな」とほっとしますし、<Interestingly enough>と切り出せば、「なんだ、なんだ?」と座り直したりもするでしょう。

そもそも(これもその一つですが)、文頭に置かれた接続詞、副詞、あるいは副詞的フレーズには、まさしく、これから述べようとすることを意味論的に誘導する働きがあるのです。ただ、そう言ってしまえば、すべての議論は終わりますし、比較言語学的に綿密な調査をすれば、日本語においてそのような働きをする表現が目立って多いわけではない、という結論が出るかもしれません。

しかし、少なくとも私たちは、文の結尾まで話者の言いたいことがはっきりしない、という日本語の構造的特徴に対処する方法の一つとして、そういう使い方を、意識的、無意識的に多用しているのではないか、という推測はそれほど間違ってはいないと思います。

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村上 陽一郎(むらかみ・よういちろう)

上智大学理工学部、東京大学教養学部、同学先端科学技術研究センター、国際基督教大学(ICU)、東京理科大学、ウィーン工科大学などを経て、東洋英和女学院大学学長で現役を退く。東大、ICU名誉教授。専攻は科学史・科学哲学・科学社会学。幼少より能楽の訓練を受ける一方、チェロのアマチュア演奏家として活動を続ける。