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従業員サクセスとパートナーサクセスがカスタマーサクセスを産む、三方美人の経営新時代

2022.01.24

Updated by Ryo Shimizu on January 24, 2022, 14:20 pm JST

最近は、ニュースサイトを開くと連日のように、会社内での不当な扱いや飲食店で店主が従業員を暴行するなどといった言語道断なニュースが流れてきて憂鬱な気分になることが少なくない。

暴行は論外としても、飲食店ではどれだけ出された料理が美味しくても、店主が客の前で店員を怒鳴りつけていたりして、「飯がまずくなる」経験をしたことが何度かある。

実際、筆者も何年か前に港区にある予約が取れないことで有名らしい有名オーナーシェフのお店に行ったことがある。
もともと知人が予約していたのだが、仕事の急用でどうしてもいけなくなったとかで、急遽代打で行ってくれるよう頼まれたのだ。

有名店でもあるし、初めて行くお店でもあったので少しワクワクしていた。なにしろ、一人当たり何万円もする豪華コースなのだ。こんなものは滅多なことでは食べられない。

ところが実際に行ってみると、ガッカリするどころか頭に来てしまった。とにかく、店主がオープンキッチンで店員を怒鳴り散らすのである。
何度「飯がまずくなるから裏でやってくれ」と言いたくなったのを我慢したか知れない。自分が叱られたわけではなかったが、やはり気分の良いものではなかった。そもそも、叱られるような接客を受けているのは目の前にいる我々(顧客)である。接客面を含めてトータルで上質な体験を提供するようにするのがオーナー(経営)の仕事ではないのか。

金額の大小に関わらず、こういう経験をしたことは、誰でも一度や二度、あるのではないだろうか。

ところで、デロイト・デジタル社では、最近「人間体験(HX;Human eXperience)」を中心としたデジタルトランスフォーメーション(DX)を標榜しているらしい。

デロイト・デジタルの定義するHXとは、「CX+EX+PX」であるという。それぞれが、顧客体験(CX;Customer eXperience)、従業員体験(EX;Employee eXperience)、そしてパートナー体験(PX;Partner eXperience)だという。

20年前の20世紀、顧客体験という概念はほとんど浸透していなかった。
一般的に売る側と買う側はほとんど敵対するものだと考えられていて、売り手は「できるだけ高く売りつけたい」と考え、買い手は「できるだけ安く買いたい」という単純な対立構造のモデルしか持っていなかった。

たとえば、90年代末期には中古ゲーム問題というものが当時あった。
ゲーム会社にしてみれば、ゲームソフトを買って、つまらなかったらすぐに飽きて中古ショップに売られてしまうと、本来ゲームソフトを新品で買うはずだった顧客からの売り上げを失ってしまう。人気ソフトを転売目的で大量購入して横流しするなどの問題も発生した。また、人気ソフトを手に入れるため、発売日に学校を休んで行列したり、とにかく「もの」を売ることが人気のものになればなるほど難しい時代だった。

これを業界団体が総力をあげてゲームソフトの中古流通を差し止めようとしたのだが、これは結局実現しなかった。
中古問題だけではなく、人気ゲームと不人気なゲームを抱き合わせで売る「抱き合わせ商法」なども批判にさらされた。

つまり、「黙っていても売れるものを、黙っていたら売れないものと組み合わせて消費者に売りつける」という、売り手の論理と、「欲しいソフトはたとえ中古でも欲しい」と考える買い手の論理が真っ向から衝突していたのである。さらにここに中古ソフト販売店も絡んできて事態は混沌を極める一方だった。

銀座まるかんの創業者で、1993年から2003年まで長者番付(高額納税者番付)で連続10位以内に入り、1997年と2003年には一位だったことで知られる実業家、斎藤一人は、2003年の著書「変な人が書いた成功法則」の中で、早くも顧客ファーストの考え方を提唱していた。2003年に会社を作った時に読んだのだが、当時「こんな考え方があるのか。確かに変わっているな」と感じたのを今でも覚えている。

この頃、カスタマーファーストを我々に見える形で最初に実現し、大成功した会社はApple Computer社(当時)だ。

1998年にアップルに戻ったジョブズは、まず直営店を作ることにした。
なぜ直営店が必要だったのかと言えば、当時、コンピュータと言えば家電量販店で買うもので、家電量販店の店員にとって、市場シェアが数パーセントしかないアップル製品を売るのは気が進まなかった。

結果的に、たくさんのWindowsマシンの片隅にアップル製品がポツンと置かれていて、これではアップル製品の魅力は伝わらない。それどころか、1998年当時は、家電量販店の店員はアップル製品を買おうとする素人の客がいたら、必死で止めるだろうと思われた。万が一、これであのゲームが動かないとか、このソフトが動かないとかクレームをつけられたら面倒だからだ。

そこでジョブズはやり方を根底から変えることにした。
まず、直営店、アップルストアを作り、そこでアップル製品についてなら修理から使い方の相談まで全て対応できるようにした。
それまでは単に「クレーム対応窓口」と呼ばれ、誰もがやりたがらなかったユーザーサポートの仕事を「ジーニアスバー」と呼び、そこで働く人たちは自分たちはアップル製品の天才(ジーニアス)なんだと誇りを持って働けるようにした。

そこで働く全社員がアップルのファンであり、アップルストアはキリスト教の教会のように、アップルの魅力を布教して回った。

ジョブズの改革はカスタマーサポートに留まらなかった。そもそも、ジョブズが戻ってきた当時のアップル社は深刻な財政難に直面しており、数ヶ月先に破産することは目に見えていた。

それどころか、アップルで働く全ての従業員たちは、自分たちに自信をなくしていた。従業員だけではなく、アップル製品を使うユーザーまでもが自虐的なムードを纏っていた。実際、アップル製品はWindowsに比べてどんどん見劣りしていき、そもそもの魅力がなんだったのかさえ思い出せなくなっていた。

アップル製品のデザインは野暮ったく、処理は重く、値段は高く、動くソフトは少なかった。
これを買おうというのはよほどの変わり者だし、アップル製品を選んだユーザーは自分たちを負け犬とさえ思っていた。

そこでスティーブ・ジョブズが打ち出したのが、あの伝説的キャンペーン、「Think Different」である。
Think Differentは、予算がない中で最高の効果を挙げた。
予算がないので新規の映像を作らず、古い映画や記録映像の引用を多用した。
画面に登場するのは、ガンジーやアインシュタイン、ジョン・レノンやマーチン・ルーサー・キング二世といった、まさに世界を変えた天才・傑物たち。しかし同時に、周囲からは厄介者、変わり者扱いされた人々だった。

そこをナレーションがまとめる。

「彼らはクレイジーだと言われるが、私たちは天才だと思う」

このキャンペーンは、何より従業員の意識、既存のアップルユーザーの意識を変えることに成功した。
アップル製品を作ることは誇らしく、売ることも誇らしく、買うこと、使うことさえ誇らしくなった。

今、巷のスターバックスやタリーズに行くと、ドヤ顔でMacBookAirを広げている人、ドヤ顔でiPad Proを広げている人が目につくのは、偶然ではない。
我々は四半世紀ほども前から仕掛けられていた、巧妙なマーケティングキャンペーンの成果を目にしているに過ぎないのだ。

そしてアップルはアップル製品を正式に扱う代理店制度を新たに始めた。家電量販店といえど、この資格をえなければアップル製品を扱うことはできない。
結果として、アップルはパートナー体験(PX;Partner eXperience)も大きく変えた。

アップル製品を売ることは誇りであり、アップル製品に詳しいことは自慢になった。
今ならそれは当たり前というか、むしろ少し古い価値観のようにさえ感じると思うが、こんなことを24年前に予想できた人はいなかった。
スティーブ・ジョブズ本人だって、「そうなったら良いだろうなあ」と思ってはいただろうが、実現するとは思っていなかったに違いない。

ビジネス系の分析で、アップルを例に出すのはもはやとっくに陳腐なのだが、それでも例に出さざるを得ないほど良いケーススタディが沢山ある。

ではこれはアップルだけだろうか?
当然、違う。

たとえば、Amazonのジェフ・ベソスは1999年のインタビューで「Amazonとは、エンド・ツー・エンドのユーザー体験である」とハッキリ言っている。
このネタは、先週インテックス大阪で開催された、デロイト・デジタルの森正弥さんの講演で知った。

当時、ユーザー体験の真逆をやっていたのが、ジョブスをして「あれなら彼らの得意分野で勝てる」と言わせた、日本の家電メーカーだ。
実際、ジョブズはその後、日本の家電メーカーの得意分野でほとんど独占的市場だった携帯用音楽プレイヤー市場で圧倒的な成功を収める。

iPodの発売後、既に同様のハードディスク内蔵音楽プレイヤーを発売していた日本の電気メーカーは分解して驚いたという。「こんなのうちじゃとても商品にできない」と思ったそうだ。

要は、最初のiPodは「壊れやすくて日本の家電メーカーの品質基準に達しない」設計だったのだ。
それどころか別の家電メーカーでは、どんどん顧客と対立方向を強めていた。たとえば、独自の非オープンな圧縮方式や、著作権管理機能付きのCD、極め付きは恐ろしく使いにくい専用の携帯音楽プレイヤー管理ソフトで、それまで他のメーカーが出していた音楽プレイヤーは、MP3さえ突っ込めばなんでも再生できていたが、それが全くできない仕様に変更された。20世紀末の日本がいかに一般消費者を敵視していたか思い出せるのではないだろうか。

そもそも「品質管理基準」とは何をベースに決められるか。
修理費や交換にかかわるコストだ。

要は顧客からできるだけ文句を言われたくないので壊れにくい製品を作らなければならないという、日本の製造業らしいバッドノウハウである。
それが良かった時代も確かにあった。

しかし体験がハードウェア単体の体験から、ソフトウェアとハードウェアを混成した体験に変化していることを見落としたため、日本の家電メーカーは全て、アップルに完敗したのである。

もう一つ、アップルにとってiPodはiPhone、そしてiPadへとつながる大戦略の第一歩に過ぎなかったことも大きい。
それほどの大戦略が前提にあるのであれば、初代の故障率などなんの問題もない。

そもそも初代はMacintosh専用であり、当時は市場シェア数パーセントしかない泡沫商品だった。
全世界が首を傾げたのは、なぜそんなものを作る必要があるか、だ。

外からは、iPodのヒットは「スマッシュヒット」というよりも「まぐれあたり」に見えた。
しかし実際には、iPodを開発したトニー・ファデルはGeneral Magic社で経験を積んだコンピュータ技術者である。単なる音楽プレイヤーを思いつきで作るはずがなかった。この辺りの顛末は、最近日本語でも見れるようになった映画「General Magic」に詳しい。

これに比べると、日本の家電メーカーはどの会社も満遍なく、「ソフトウェア」への理解が足りてなかった。
日本だけではない。たとえば、当時のMicrosoftも、「消費者を敵だ」と考える典型的な企業として有名だった。

Microsoftのビル・ゲイツは創業まもない頃、「ホビイストへの手紙(Open letter to hobiist)」を書いた。

これは、違法コピーに悩んだゲイツが「ホームブリューコンピュータクラブ(Homebrew Computer Club)」をはじめとするコンピュータを趣味として使う人々のコミュニティに次々と速達で送りつけた。

これは「うちのソフトを違法にコピーしないでちゃんと対価を払ってくれ。払うべきだ。払わない人は盗人だ」という、悲鳴にも似た内容の手紙だったが、こんな手紙に効果があるわけがなかった。

それが商用ソフトであることは当然、誰でも知っていて、それでも違法コピーで使ってる人がゲイツの手紙を見たくらいで改心するわけがない。
そして、逆に「ホームブリューコンピュータクラブ」に起源を持つアップルは、これに対して「私たちの哲学は、私たちのマシンにソフトウェアを無料または最小限のコストで提供することです」という広告を発表し、AppleIIのBASICは無料であると強調した。当然、アメリカではAppleIIが売れに売れた。

Microsoftは消費者から直接お金をとることを諦め、メーカーと契約してメーカーからライセンス料をもらう戦略に切り替えた。
この結果、アメリカ国内ではAppleIIが圧倒的な市場シェアを獲得することになった。

アメリカ国内では勝負にならなかったので、日本の電機メーカーのほぼ全社と契約し、日本ではほとんど全てのBASICがMicrosoft製のものになった。この辺りは、マイクロソフト株式会社の初代社長を務めた古川享の僕が伝えたかったこと、古川享のパソコン秘史 に詳しい。当時、ワールドワイドのMicrosoftの売り上げの大半は日本の電機メーカーからのライセンス料金だったという。

コピーに対する寛容性というものが、結果的に勝負を真逆にしたという話は他にも枚挙にいとまがない。
たとえば、コピープロテクトをかけたワープロソフトと、全くかけなかったワープロソフトでは、コピープロテクトのないワープロソフトが圧勝し、最終的にデファクトスタンダードになったので、大企業や官公庁、公共機関がきちんと人数分の正規ライセンスを購入するようになって利益が出るようになったという話もある。

当時、ソフトが入っていたフロッピーディスクというのは壊れやすく、よく壊れた。一太郎はコピープロテクトがかかっていなかったので、いくらでもコピーできた。結果、CXが向上した。

さて、CX先進企業が成長してきたのが過去20年間だったが、これからの時代はあくまでもCX(顧客体験)だけでなく、EX(従業員体験)とPX(パートナー体験)も重要だとデロイト・デジタルは説く。

あるサービスを別のサービスに切り替えるためにかかる手間やお金を「スイッチングコスト」と呼ぶが、DX化(IT化)が進んだ現代の社会では、このスイッチングコストが極端に下がっている。

たとえば、海外ではUberのドライバーが競合サービスであるLyftのドライバーを兼ねていることも珍しくない。
ドライバーがLyftの方を好きなら、同じ呼び出しでも、UberよりもLyftの方を優先する。すると、Uberのユーザーはドライバーが捕まらず、CXが低下し、反対にLyftのCXは向上することになる。

UberやLyftのようなサービスにとってドライバーは利害関係者であり、重要なパートナーのはずだ。
つまり、ドライバーにいかに自社を好きになってもらうか、がCXを左右してしまうのである。

実際、もう三年も前だが、北米にいった時に、Uberで来たドライバーに「Uberだとあまりポイントがつかないから、次からLyftで呼んでくれ」と言われたことが何度かある。

日本でもUberEatsと、それに似たようなデリバリーサービスがあるが、UberEats配達員の友達に聞くと、UberEatsで働くことは、「一種のゲーム」となっているのだという。

たとえば雨の日はポイントアップとか、1日で何キロ走ったらボーナスポイントとか、そういうモチベーションを上げる仕組みが入っている。これもPX、EXの類だろう。

EX(従業員体験)として、最近日本で注目を集めているのはUniposという会社のサービスだ。
このサービスは、ピアボーナスと呼ばれ、同じ会社で働いている人同士が、「清水さん、助かったよ、ありがとね」とか「斉藤さん、今日のプレゼンよかったよ」と言いいながら、一円単位のボーナスを送りあうシステムだ。

いわば、仕事での関わりの感謝の気持ちを可視化してお金にしているだけなのだが、これを導入すると離職率が一気に下がるのだという。
EXを測る一つの指標として期間内離職率というものが確かにあるだろう。

もしもその従業員が、仕事の内容に満足し、仕事を通じて得られる自分の成長に満足し、給料に納得していたとすれば、敢えて転職する積極的な理由は失われる。だからその会社が「働きやすい会社であるかどうか(=EXが高いか)」は離職率を見れば一発でわかるのだが、離職率の高い会社ほど離職率を公開したがらないので、自分の会社が相対的にどれくらい離職率が高いのか低いのかわからないことが多い。筆者の会社の場合、学生アルバイトを除けば退職者は一年間に数パーセントくらいしかいないので、そこまでEXが低いわけではないとは思うが、EXについて考えるのは経営者として第一優先すべき事柄だと思っている。

低賃金の重労働が一時期問題になったAmazonは、倉庫で働くスタッフにデータサイエンティストになるためのトレーニングを16時間受けられるようにするなどの人事施策を行なっている。これもEXを高める仕組みだろう。

また、最近は大企業が社内ベンチャーの立ち上げを奨励したり、電通が「インプットホリデー」を導入して社員が積極的にイベントや美術館に行けるようにしたり、EX向上のための工夫をすることが活発になってきている。最近だとYahooが週休3日制を導入したり、全国どこからでも勤務可能にしたりする施策を導入したが、これもEX向上のための一つの工夫だろう。

UberやLyftのPX(パートナー体験)が低下するとCX(顧客体験)も低下するのと同じように、EX(従業員体験)が低下するとCXも低下する。
これはB2BでもB2Cでも同様である。

在宅ワークが一気に増え、EXは一時的に世界全体が低下した。
だからこそ、新しい働き方のあり方、オフィスのあり方が問われ始めているのだろうと思う。

たとえば筆者はライターとしてはかなりわがままな方である。
それはライターが本業ではないからだが、そんな筆者でも大人しく何年も本欄に寄稿を続けることができるのは、このWirelessWireNewsという媒体が「いつ書いても、何を書いてもいい」という非常に緩いルールで運用されているからだ。

これもまたEX(筆者は従業員ではないからPXか)の一例だろう。

デジタル化がこんなに進行した現在、人間というのはもっと自由な働き方ができるはずだし、働くとは本来、楽しくて仕方がないことであり、それは一緒に働く人も、自分にお金を払う人も、自分自身も笑顔で毎日を過ごせるということなのだ。

もちろんそんなに簡単にはいかないだろうが、どうすればそれを実現することができるか、頭を悩ませる日々である。

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清水 亮(しみず・りょう)

新潟県長岡市生まれ。1990年代よりプログラマーとしてゲーム業界、モバイル業界などで数社の立ち上げに関わる。現在も現役のプログラマーとして日夜AI開発に情熱を捧げている。

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