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川を見ると思い出すこと

2022.08.24

Updated by Toshimasa TANABE on August 24, 2022, 14:22 pm JST

冒頭の写真は、1970年代半ばの夏休みに撮影した湧網線(既に廃線)、小雨の中を9600型蒸気機関車が網走川を渡るところである。並行している国道の橋から撮影した。当時は、札幌に住んでいたので、全廃目前の蒸気機関車を北海道各地に撮影に行った。

実はこの写真は、Wikipediaの湧網線のページに採用されているが、ネガをスキャンしたデータをflickrで「CC0」(Creative CommonsのPublic Domainライセンス)で公開しているからである。ちなみにWikipediaでは、他にも蒸気機関車のC57やD61のページに私の写真が採用されていて、とても嬉しく思っている。頭が下がるのは、冒頭の湧網線の写真は、Wikipedia掲載にあたって、左端の山のキズを修復している点である。

札幌市内を貫流しているのが豊平川である。自転車で冬以外は毎日のように走りに行っていた。サイクリングロードが整備されていたので、バスを乗り継いで行くような上流の山の中まで容易に行くことができた。

札幌という町は、南側に広がる山を源とする豊平川が石狩平野に流れ出るところにできた「扇状地」の上に発展した都市である。つまり、南端部が一番標高が高くて水がキレイなわけで、南端部に浄水場を造れば、市内全域に自然流下で容易に水道水を供給することが可能だった。山から流れてきた水を1回使うだけなので、都会の水道水にしては美味い水だった。最近では、市街地が広がったので、水源が複数になり、いろいろと給水のための設備も必要になっているようではある。

首都圏で一番長く住んだのは、横浜市の鶴見川の近くだった。ここもサイクリングロードが整備されていたので、町田あたりまで良く自転車で行った。信号もないし、体感できないくらいのごくわずかな上り坂のアスファルトの道は、電車を乗り継いで行くよりはるかに快適だった。

一時は、日本で一番汚い川、などといわれた鶴見川ではあるが、しょっちゅうボラが跳ねていたし、河原のブルーシートに暮らす人が巨大な鯉を釣ったりしていた。秋になるとハゼが良く釣れたし、ハゼに混じってセイゴ(スズキの幼魚)なども釣れたりした。

鶴見川はかつては暴れ川で、駅前の居酒屋の女将さんの話によれば、「子供の頃は、しょっちゅうボートで避難したけれど、意外に楽しかった」のだという。インターネットで見付けた古い文献には、「鶴見川が川崎側に氾濫、多摩川も川崎側に溢れ、川に挟まれている川崎や鶴見あたり一帯が海になった」などという記述もあった。最近の鶴見川は、日産スタジアム周辺の巨大遊水地をはじめとして「流域治水」の成功例として取り上げられることも多くなったが、昔は大変だったようだ。

若い頃に奥鬼怒の温泉で知り合った温泉の先輩に教えてもらったのが、宮城・岩手県境の栗駒山中にあった「湯の倉温泉」である。川岸の露天風呂に浸かって、のぼせてくると川に飛び込む、というのが楽しみだった。露天風呂の目の前の川は、少し下流の岩が丁度良くせき止めてくれていて、水深数十センチで30メートル四方くらいのプール状の淀みになっていた。とはいえ最上流域なので、水は良く澄んでいて渓流魚がたくさんいた。

この宿は、客室に電気がないランプの宿で、不思議とうるさく感じない川のせせらぎを聞きながら酒(ビールは川の水で冷やしてくれている)を飲んで、暗くなったら早い時間に寝てしまうのが作法だった。また行こう、と思っているうちに、地震で発生した土砂ダムによって川の水位が上がり、宿は完全に水没してしまい、再訪は叶わなくなった。

Modern Timesに掲載されている佐藤秀明氏による数々の美しい川の写真は、いろいろなことを思い出させてくれる。私自身はカヌーイストではないが、3月に亡くなった野田知佑さんの本は大好きだったし、最近だとオダギリジョー監督、柄本明主演の川を舞台にした映画『ある船頭の話』が素晴らしかった。

四季は川に映える
川に映る日本
極地にはフル・ライフがある/野田知佑を偲んで

「本当のDX」を考えるウェブメディア『Modern Times』創刊「本当のDX」を考えるウェブメディア『Modern Times

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田邊 俊雅(たなべ・としまさ)

北海道札幌市出身。システムエンジニア、IT分野の専門雑誌編集、Webメディア編集・運営、読者コミュニティの運営などを経験後、2006年にWebを主な事業ドメインとする「有限会社ハイブリッドメディア・ラボ」を設立。2014年、新規事業として富士山麓で「cafe TRAIL」を開店。2019年の閉店後も、師と仰ぐインド人シェフのアドバイスを受けながら、日本の食材を生かしたインドカレーを研究している。