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嗅覚測定をDXする

2022.10.12

Updated by Naohisa Iwamoto on October 12, 2022, 14:00 pm JST

これまでアナログな手段でしか対応できなかった業務を、テクノロジーを介して変革させる試みが様々な分野で取り組まれている。いわゆるデジタルトランスフォーメーション(DX)である。こうしたDXが嗅覚測定の現場にもやってきそうだ。ソニーが開発した「におい提示装置『NOS-DX1000』」が、嗅覚測定に新しい価値を提供する可能性を示している。

嗅覚測定は、これまで、5種類のにおいの素を小瓶にいれて、8つの希釈度(1種類については7つ)で測定していた。すなわち39通りのにおいのレベルで、においを感じるか、どのようなにおいに感じるかを測定する。金沢医科大学 耳鼻咽喉科学の三輪高喜教授は「試薬のキャップを開けて、ろ紙の先端1cmほどに試薬をつけて、患者さんに嗅いでもらい、キャップを閉めてろ紙を捨てるといった作業を、39通りに対して行う。結果の記録にも人手が必要で、手間がとてもかかる検査」だと説明する。こうした測定方法は「日本では標準的なものであり、50年ほど使われている」(三輪教授)ことから、測定結果の知見が蓄積していることも確かだ。

人手がかかるだけでなく、検査室ににおいがこもったり、服に匂いが残ったりすることで検査に支障を来すこともある。専用の測定室や脱臭装置が必要で、手軽に嗅覚測定をすることは難しかった。

嗅覚測定の課題を機器開発で解決へ

一方で、嗅覚測定のニーズは高まっている。ソニー 新規ビジネス・技術開発本部 ビジネスインキュベーション部 嗅覚事業推進室 室長の藤田修二氏は、「耳鼻科医、神経内科医の合計330人に調査したところ、嗅覚を測定するニーズは増えるという回答が77%に上った。特に、認知症やパーキンソン病など神経変性疾患では、発症前から嗅覚低下が起こることが知られている。早い段階でリスクが判明すれば、リスクを低下させる試みも行える」と、医療現場での嗅覚測定の必要性の高まりについて説明する。

手軽に嗅覚測定ができる環境の提供が、認知症やパーキンソン病の早期発見と予防につながる可能性があるのだとしたら、その価値は単に嗅覚測定ができることにとどまらない。最近では新型コロナウイルス感染症の症状や後遺症として嗅覚異常が起こることも知られていて、嗅覚測定へのニーズはさらに高まっている。

ソニーが開発したにおい提示装置「NOS-DX1000」は、嗅覚測定で使われる39種類の嗅素を、専用アプリにタッチするだけで瞬時に提示できるもの。ソニーが開発してきたにおい制御技術を活用して、漏れを抑制しながら的確な嗅素を提示し、専用の場所を設けずに嗅覚測定ができるようにした。さらに、嗅素の提示や結果の記録は専用アプリの操作で行えて、デジタル化された結果の閲覧や分析が容易になる。従来の嗅覚測定で課題となっていた、検査の手間や場所、データの活用などの問題を一気にクリアできる可能性が出てきた。ソニー 新規ビジネス・技術開発本部 副本部長の櫨本修氏は、「においを取り扱いやすくすることで、嗅覚測定をDXする」と意義を語る。

NOS-DX1000は、2022年10月から11月にかけて、日本鼻科学会、日本神経治療学会、日本認知症学会および日本老年精神医学会での学会発表を続けて行い、現場の医師などにそのDXの力をアピールする。ソニーは第一薬品産業とパートナーシップを築き、NOS-DX1000で利用する嗅覚測定用OTカートリッジの製造販売、流通、カスタマーサービスを委託。2023年春に研究用途での発売を計画している。

五感の価値を提供する1つの取り組み

ソニーが嗅覚測定やにおい制御の技術を開発しているというと、少し違和感を覚えるかもしれない。ソニーといえば、映像(視覚)や音響(聴覚)にかかわる製品が代表的だからだ。一方でソニーは「感動」と「安心」を提供し続けることをビジョンとして掲げている。安心の側面で、健康寿命の延伸に対してソニーのテクノロジーやサービスで貢献したい考えだ。「ソニーでは視覚、聴覚でさまざまな感動に貢献してきたが、人の五感のうち嗅覚は取り扱いが難しく、あまり価値を提供できていなかった。嗅覚は本能や感情、記憶にダイレクトにつながっていて、嗅覚で価値提供を行うことは理にかなっている」(櫨本氏)。

もちろんソニーだけに、嗅覚の制御技術も、視覚や聴覚と同様にクリエイターとユーザーの間をつなぐ価値提供の1つの手法と考えているようだ。将来的にはエンターテインメント領域での嗅覚の活用も視野に入るが、その第1弾として嗅覚測定のDXを実現するNOS-DX1000が登場するという建付けになる。

神経変性疾患の早期発見や早期治療に関する研究を行っている名古屋大学 大学院医学系研究科 神経内科学の勝野雅央教授は「アルツハイマー病やパーキンソン病には薬ができてきている。この機器で嗅覚測定が容易になれば、早期発見、早期治療に役立つ」と、第1弾の意義を専門領域から指摘する。NOS-DX1000は、まだ研究用途での製品化が始まった段階であり、今後は保険適用などのハードルを超えて診療や健康診断への活用への道を探る。デジタル技術でにおいを制御し、嗅覚測定を容易にする取り組みは、嗅覚測定のDXを通じて社会課題解決への道筋を照らし出す第一歩を踏み出したところだ。

【報道発表資料】
独自におい制御技術Tensor Valveテクノロジーを開発 学術研究・企業用途の「におい提示装置」発売

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岩元 直久(いわもと・なおひさ)

日経BP社でネットワーク、モバイル、デジタル関連の各種メディアの記者・編集者を経て独立。WirelessWire News編集委員を務めるとともに、フリーランスライターとして雑誌や書籍、Webサイトに幅広く執筆している。

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