photo by 佐藤秀明
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失われた30年を終わらせるための「定常型社会」
進化医学の視点から考えても、人類は誕生以来ほとんどの時間を狩猟採集によって生活してきた。人類史の視点から考えて見れば、農耕時代以降の時間の流れが身体に馴染んでいるとは考えにくく、おそらく本来の身体のリズムからは離れたところで生活しているはずだ。工業化してからはますます生きるリズムは速くなり、人類は時間的にはかなり無理をした状態にある。そもそも病気というのはこうした点に根本原因があるというのが、進化医学という分野が近年示してきたことである。
しかし今、日本は定常期に入っている。これは時間の流れを見直すチャンスと捉えることができる。
2001年に、私は『定常型社会:新しい「豊かさ」の構想』(2001年 岩波新書)を上梓した。
これを書いたのは、私(1961年生まれ)が中学生くらいのとき、「日本人はなぜこれほどまでに働くのか」と疑問を抱いたことに始まる。懸命に働くことを悪いことだとは思わなかったが、はたしてみんな幸せなのだろうかと考えた。豊かだといえるかは疑問だったのだ。現役世代に限らず、子どもにしても早くから受験戦争に駆り立てられることは幸せか。
定常型社会とは簡単にいえば、限りない経済成長やエネルギー消費の拡大を目指すのではなく、もっとゆったりした生活や豊かさのあり方を目指す社会のことである。
このような考え方は、SDGsやウェルビーイングという言葉が普及し、さらには『人新世の資本論』(斎藤幸平著 2020年 集英社新書)という本がベストセラーになった現在では比較的受け入れられやすくなったと思う。就職した頃、私前後の世代は「仕事よりプライベートを優先する新人類」と言われたが、そうした流れがいよいよ本格化してきたとも言える。
今振り返ってみれば、結局、ただ闇雲にあくせく働くという選択は成果を結ばなかった。集団で1本の道を競って上り、量的拡大ばかりに終始した結果、失われた10年は20年、30年と延びていった。日本人はこれからもそんな日々を繰り返していくつもりなのだろうか。
それを考えると、今こそが方向転換の時期なのである。集団で1つのゴールを目指すのではく、それぞれの道で関心を持てること、好きなことを見つけて、それを発展させ伸ばしていくことが、各々の幸せにつながる。それはサステナブルでもあるし、経済の活性化にもつながるだろう。
昭和時代の量的に課せられたノルマから解放されて、個々人が幸せに生きる方法を模索することが定常期の幸せだ。
※本稿は、モダンタイムズに掲載された記事の抜粋です(この記事の全文を読む)。
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