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VRが人類から奪うもの、与えるもの

2024.08.22

Updated by WirelessWire News編集部 on August 22, 2024, 13:42 pm JST

VR技術の発展は、人類に何をもたらすのだろうか。今や、視覚や聴覚だけでなく、嗅覚や感触まで再現できるようになって、技術は人間をいかに変えてしまうのか。感覚史を研究する久野愛氏が読み解く。

進化し続けているVR

現実のまぎれもない実在を

見事に映しとっている模型の風景があり、それは鏡のように、

海や陸地も表現し、大地の有りのままの姿や、

大地が示さなければならない姿までも表現しているのだ。

これはある詩の一節なのだが、何について書かれたものかお分かりになるだろうか。「現実のまぎれもない実在」や「模型の風景」、「鏡のように」表現された「有りのままの姿」というフレーズから、昨今しばしば耳にするようになったヴァーチャル・リアリティ(VR)のことが連想されないだろうか。

実はこれは、イギリスの詩人ウィリアム・ワーズワース(1770-1850年)による『序曲』(1805年・1850年)からの引用で、ここで描かれているのは「パノラマ」についてである。パノラマとは、円筒形の建物内面の壁全体に展示された大規模な風景画のことで、「19世紀のVR」と呼ばれることもある。鑑賞者は、建物の中央に立って、周囲360度に描かれた風景を眺めることで、まるでその絵の中にいるような没入感を味わうことができたのだ。もちろん、現代の音や動画を駆使したVR技術とは比べ物にならないが、仮想的に時間や空間を越えるという体験の原始的なものといえるだろう。

その後の技術開発で、仮想体験は次第に進化してゆくことになる。例えば、1962年にアメリカでモートン・ハイリグが発明した「センソラマ」は、立体カラーディスプレイや送風機、においを発する装置、ステレオサウンド・システム、そして動く椅子を備えた装置である。どれほど広まったかは不明だが、視覚のみならず、においや音、振動など多感覚の刺激を通して仮想世界を体験できる技術の先駆けといえるかもしれない。

そして今日では、いわゆるヘッドマウントディスプレイと呼ばれる装置を装着して体験するVRが主流となっている。これまでVRは、主に音と映像による視聴覚中心の技術であったが、近年では、においを発生させるものなど、VRの多感覚体験が可能になりつつある。

オランダのスタートアップ企業Sensiks.は、複数の感覚を通して体験する(仮想)現実を「センサリー・リアリティ(SR)」と呼んでおり、箱型のVR装置「センサリー・リアリティ・ポッド(Sensory Reality Pod)」を開発した。箱の中でヘッドマウントディスプレイを装着すると、ディスプレイに映像が映し出されるとともに、その内容に合わせて箱内の温度、湿度、音響、送風強度、においなどが変化する。これらの感覚刺激は、箱の外にいる技術者が画像に合わせて綿密に調整している。

「いま/ここ」を共有しない個人的仮想体験

19世紀のVRといわれるパノラマと今日のVRとでは、技術的な違いはさることながら、その技術によってもたらされる体験に大きな相違がある。それは、私たちの身体や現実と仮想が交差する体験、そして時間と空間のあり方についても様々な示唆を与えてくれる。

まず一つ目に、パノラマは、他の人との共有された体験である。建物には一度に複数の人が入ることが可能で、建物内部を比較的自由に歩きながら絵を鑑賞することができる。建物内に自分一人だけがいる場合を除いて、他の人たちとその空間を共有することになり、周囲の人の気配を感じつつ、パノラマを見るわけである。

その意味で、「いま/ここ」と「その時/そこ」という二つの時間(現在と過去または未来)と空間(鑑賞者がいる空間と風景画に描かれた空間)とが交錯しているといえる。パノラマには、過去または想像による未来の(または時間設定のない)風景が描かれている。そしてその風景は、空想であれ実在するものであれ、鑑賞者がいる場所とはどこか別の場所である。

同時に鑑賞者は、周りの人の気配を感じることで、「今」「ここ」に自分が存在することを認識することにもなる。つまり、「いま」と「その時」、そして「ここ」と「そこ」という複数の時空間を、現実的/仮想的に同時に体験するわけである。もしくは、入れ子のように「いま/ここ」という時空間の中に「その時/そこ」がパノラマを通して存在しているといえるかもしれない。

一方、先述のセンソラマやヘッドマウントディスプレイを用いたVR、さらに箱型のセンサリー・リアリティ・ポッドなどは、極めて個人的な体験である。自分の周りに他の人が立っていたとしても、ヘッドディスプレイを装着したり、ポッドの中に入ったりしていれば、人の気配はさほど強く感じないであろう。だからこそ、これらのVR装置はより強い没入感を提供できるのだ。

そしてこの個人的仮想体験においては、ある意味で時間が空間化する。VR装置を用いて仮想空間を体験している間「今/ここ」という概念は保留され、そのヴァーチャルな世界の中を、仮想の身体が彷徨うことになる。その時、仮想空間の中で時間が流れているかもしれないが、あくまでそれは仮想である。つまり、VRの中では時間が止まり(または消滅し)、代わりに、無限に広がる仮想世界に入っていくことで、体験は空間的なものに還元されるのである。

※本稿は、モダンタイムズに掲載された記事の前半部分です。
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